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03

 外の空気は少し湿りけを帯びていた。もしかしたら雨が降るのかもしれない。ここに来るまで馬に乗りながら受ける風が、連日に比べると冷たく感じた。


 肌をしっかりと隠す団服ではなく私服なのもあるのかもしれないが。


 ジェイドは町のあちこちを説明しながらウリエル区の南へ足を進めた。地元民ならではの入り組んだ路地を突き進む。


 アルント城から続く大通りを除くと、どの裏道もわりと狭い。屋根の高さが揃っている街並みは上から見れば美しいが、中を歩けば妙な閉塞感をもたらす。


 建物同士の距離が近いからか。くすんだ壁の色と影が合わさり、ふたりの元へはあまり太陽の光が届かず、昼間だというのに薄暗かった。


 そして道を抜けると、比較的広い場所へ出た。そこにはゆったりとした門構えの一軒家があり、庭には小さくも濃い青色の花が彩を添えている。


 ジェイドはセシリアに事情を話しもせず、ドアを叩く。さすがに状況を尋ねようとしたセシリアだが、その前に中から主が顔を出した。


「はい。って、あら?」


 初老の穏やかな雰囲気を纏う女性だった。くりっとした大きな目の色は灰色がかっていて、目尻にはそれなりに皺が刻まれている。


 肩につかない髪は、瞳の色と同じで白髪とグレーの中間だが、艶はある。ジェイドと同じく黒いコートを羽織っていた。


「こんにちは。ブルート先生」


 ジェイドが声をかけ、名前と彼女の格好でセシリアには見当がついた。ウリエル区でジェイドともうひとり医師をしている女性だ。彼女はジェイドとセシリアを交互に見つめた。


「どうされたの? そちらのお嬢さんは?」


 ジェイドは笑顔でセシリアの肩に手を添えた。


「突然すみません。こちらは助手のセシリア。知り合いの妹で医学を勉強したいらしく、うちにちょこちょこ来てもらっているんです」


 セシリアは内心、ジェイドに感心する。嘘を上手くつくポイントはほんの少しの事実を混ぜることだ。そもそも彼の言い分に嘘らしい嘘はない。


 現に彼女はなんの疑いもなく顔を綻ばせた。


「そうだったの。てっきりマイヤー先生にもいい人ができたのかと」


「まだ、当分いいですよ」


 茶目っ気溢れる切り返しを軽くかわしてジェイドはセシリアに視線を向ける。


「セシリア、こちらはテレサ・ブルート先生。俺と同じウリエル区で医者をしていて、薬草や病気の症例などは俺よりもずっと詳しいんだ」


「ただ、あなたより年を取っているだけよ」


 照れくさそうにテレサは笑った。笑い方にも品があって年相応の美しさが彼女にはある。


「初めまして、セシリアと申します」


「初めまして、テレサ・ブルートよ。あなたみたいな若い女性が医学に興味を持ってくださって嬉しいわ」


 互いに自己紹介をしたタイミングで、ジェイドがさりげなく切り出した。


「先生のところには若い女性も多いし、迷惑ではなければこちらでもなにか学ばせてやってほしいと思いまして。俺のところに来るのは、どうしても年配者や子どもが多いものですから」


 苦笑交じりにジェイドが伝えると、テレサの顔がぱっと明るくなった。


「是非! うちには年頃ならではの悩みを相談に来るお嬢さんもわりといらしてね。そういった人の相手も大事なのよ。病気や怪我を診るのだけが医師じゃないわ。体の不調も、実は心因的なものだったりする場合も多いから」


「そういうのは俺には真似できませんね」


 肩をすくめるジェイドにテレサはウインクひとつ投げかけた。


「あなたみたいな素敵な男性には話しにくい内容だったりするのよ。とくに成人前後の時期はどうしても精神的に不安定になる女性が増えるのよね」


 ふうっとため息混じりにテレサは呟く。ここでセシリアはジェイドが自分を彼女の元に連れてきた理由が見えた。


 若い女性を相手に色々と話を聞いているテレサなら、アスモデウスに関する噂もなにか知っているかもしれない。さらに、ここはジェイドの診療所よりもドュンケルの森に近い。


 とはいえ突然本題に入るわけにもいかず、ふたりの会話を見守る姿勢でセシリアは辺りを窺った。すると奥にある倉庫のようなものから煙が上がっている。


「あっちでは今、ワインを作っているのよ。発酵を促すために部屋の暖炉に火をつけて暖めているの」


 セシリアの視線の先に気づいたらしくテレサが説明してきた。先に反応したのはジェイドだ。


「先生、ワインも作り始めたんですか」


「ええ。いい葡萄が手に入ったから挑戦してみようと思って。上手くいくかわからないけれど」


 庶民の間でもワインは一般的に作られていた。発酵が運任せなので成功するかは、完成するまでわからないところもある。


 しかし商品として売買など考えず、自分たちで楽しむ分だけならわりとそこまで気を張らずともできたりするのだ。


「少し中を見てもかまいませんか?」


「ええ、どうぞ。面白いものはなにもないけれど」


 興味があるらしくジェイドはテレサに尋ねる。テレサは倉庫に歩を進め、ジェイドとセシリアも後に続いた。


 大きな閂を抜いて重い扉を開けると、むわっとした熱めの空気が彼らを出迎える。発酵中だからか独特の香りが鼻をついた。


 両サイドの壁際には棚が備え付けられ、そこまで大きくはない樽が積まれているのが視界に映る。


 小さな換気用の窓があるだけで蒼然たる仄暗さに閉ざされている中、奥の暖炉に火が灯っており、その明るさが一際目を引く。


 セシリアが自然とそちらに注意を向けると、煌々と燃える赤い炎の端が一瞬、緑に揺らめいた。


「え?」


「どうした?」


 ジェイドに尋ねられセシリアは再度、炎をじっと見つめる。燃え続ける火は、よく知っている赤に近い橙色だ。緑など映らない。


「いえ」


 どうやら気のせいだったらしい。テレサに促され、それぞれ倉庫から外へ出る。身を包む空気は冷たいが、今は逆に心地よかった。肺に酸素を取り込もうと深呼吸する。


「上手くいけばお裾分けするわ。期待しないで待っていて」


「ええ、楽しみにしています」


 家の横に木製の荷車が置かれているのをジェイドが見つける。荷台部分には白い布がかけられていた。


「にしても量がわりと多いですが、あれで葡萄を運んだんですか?」


「この荷車は薬草を取りに行くために使っているの。車輪にもガタがきているから重いものは運べないんですけれどね。倉庫の裏口はフラットで中まで入れるから便利なのよ」


 長い年月に渡って使われているのだと推察できた。日に焼け、雨に濡れたりを繰り返してきたのか本来の木の色はずいぶんと薄れている。


 車輪もそこまで大きくなく回せばガタガタと軋みそうだ。たしかにあまり重いものは運べそうにないが、薬草なら十分だろう。使い慣れているのが窺えた。


「ところで先生の患者にドリスって女性はいらっしゃいますか?」


 ジェイドの振った話題にセシリアはわずかに緊張する。たしかホフマン卿の夜会でアスモデウスに接触したのではと話が上がっていた人物だ。


 聞かれたテレサは宙に目を泳がせる。


「ドリス?……ドリス・レゲーのことかしら?」


「実はうちの患者に彼女の知り合いがいましてね。最近、痩せたみたいだし大丈夫かと心配していたので」


 間髪を入れずにジェイドが説明する。テレサが不信感を抱いた様子はない。


「そうだったの。ちょうどよかったわ。この後、ドリスのところに行く予定なの」


 まさかの展開にジェイドは信じられない面持ちになった。それを誤魔化すため、話を続ける。


「彼女、どこか悪いんですか?」


 テレサは静かにかぶりを振った。


「正確にはドリスの元ではなく、彼女の家に一緒に住んでいる従姉を診に行くの。ずっと体調が悪いみたいでね。せっかくだから一緒に行きましょうか」


 渡りに船という状況だ。ジェイドとセシリアは顔を見合わせ、躊躇いを見せつつもテレサに同行する旨を告げた。

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