02
「それならベテーレンの花が原因だろ」
「ベテーレン?」
資料を整理していた手を止め、セシリアはジェイドに聞き返す。ジェイドはセシリアの方を見ずに薬品を調合していた。彼は平然としていたが、離れていても鼻をつく刺激臭が隣のスペースまで匂う。
午後からジェイドの元を訪れたセシリアは、約束通り私服だ。ゆったりとした白いシフトドレスに淡い水色のステイズは前で編み込むタイプ、同系色のペティコートは足元まで覆われている。
髪はゆるく編み込んだものを右肩に垂らしていて、どこからどう見ても診療所で働く町娘の風貌だ。靴は馬に乗って来たのでブーツを着用しているが。
朝にルディガーと確認していた情報をジェイドにも告げ、ルディガーが気にしていた遺体が荒らされていなかったという疑問をジェイドにぶつけてみると、彼はあっさりと回答を寄越してきた。
「毒はないが、獣が嫌がる香りを放つんだ。手元の資料にもあるだろ」
セシリアは成り行きで手伝う羽目になった資料の整理途中でベテーレンの項目を探す。柱頭はほんのり朱色が差し、白いいくつもの楕円形の花びらが一重に並んでいる小ぶりの花らしい。
なんとなく見た目が愛らしく、花占いにぴったりの感じがした。
「なかなか便利な花で、微生物の働きを抑えて腐敗を遅らせる作用もあるから食物の保存にも使われたりするんだ。あとは抗凝固薬の役割なんかも果たす」
「抗凝固薬?」
慣れない単語だったが、資料で文字を見て納得できた。目を走らせているとジェイドが補足する。
「ま、簡単に言えば血液を凝固する働きを抑えるんだ。異国では獣の血にベテーレンの花を浮かべて固まらせないようにして飲む風習なんかもある」
想像してセシリアは思わず顔をしかめる。しかしこちらを向いたジェイドから叱責が飛んだ。
「偏見の目を向けるな。場所や環境によっては血だって生きていくうえでは、大事なビタミン源なんだ」
彼を見れば、その瞳は真剣だ。おかげでセシリアは瞬時に考えを改める。皆が皆、自分と同じ食生活を送っているわけではない。
「そう、ですね。すみません」
自分の価値観だけで世界は測れない。狭い視野は物事の本質を見抜く妨げになる。セシリアにとってどことなくジェイドには兄セドリックに近いものを感じていた。
ジェイドは少し語調を柔らかくする。
「直接飲むだけではなく、治療のために必要な場合もあるしな」
そういえば、先ほどまで読んでいた兄の医術をまとめた手帖にも記してあったのを思い出す。
医術の進んだ国では、針の中を空洞化させたものが発明され、その注射針を通し薬品や血液などを体内に直接摂取できる方法が編み出されたんだとか。
「お、もう順に並べ終えたか」
ふと、セシリアの元へ歩み寄ってきたジェイドが感心した面持ちで告げてきた。そこでセシリアは、はたと手を止める。
「なぜ私があなたの手伝いをしなくてはならないんですか?」
文句を言ったところで作業を終えてしまった後なのだから説得力は皆無だ。こういうところは副官気質とでもいうべきか。事務作業もお手の物だった。
「手を動かした方が、頭が冴える場合もあるだろ」
悪びれもないジェイドにセシリアは軽く息を吐いた。
「それで、あなたはどう思うんですか?」
遺体が荒らされていない件は解決したとして、彼女たちには他になにか関係していることがあるのか。真正面からジェイドの見解を問う。
「俺は最初の被害者は知らんが、カルラとレギーナはウリエル区の人間だし顔は知っている。そうだな……ふたりとも儚げな感じの美人だった」
構えていたところに、あまりにも俗世的なものが返ってきてセシリアは眉をぴくりと動かした。
「なんだよ、その顔」
「いいえ」
話半分なセシリアにジェイドはさらに付け足した。
「これも大事な共通点だろ。カルラは、夫にもっと痩せて欲しいって言われて食事制限もしていたって聞いた。元々細身なのにだ」
大柄よりも小柄。肌は白く、ウエストは細く。そういった美的価値観が重要視され翻弄される女性は貴族だけではない。セシリアはなんとも言えない表情になった。
「どうしても細くて、か弱い雰囲気の女性が好きな男性は多いですよね」
「俺はそうでもない。健康美ってものがあるだろ」
「あなたの好みは聞いていませんよ」
「ジェイド」
やれやれと肩をすくめたセシリアにジェイドはすかさず言い聞かせる口調で告げた。その顔はやや不服そうだ。
「名前で呼べよ。お前は俺の助手でここを出入りしているって設定なんだ」
「その設定はどこで、ですか」
訝し気に尋ねると、ジェイドはモノクルを一度はずし、両目でしっかりとセシリアを捉えた。そして妖しく笑う。
「これから行くところで、だよ」
セシリアは目をぱちくりとさせた。
「俺よりも彼女たちにもっと詳しい人物に会いに行くんだ。いい情報が掴めるかもしれない」
出かける支度を始めるジェイドの後をセシリアは慌てて追う。目を通していたベテーレンの項目を再度目に焼き付けてから。