03
季節が巡り、セシリアは十四歳になった。変わらないと信じて疑わなかったものも少しずつ移ろい、変化していく。気持ちも、見た目も、自分を取り巻く環境さえも。
真正面からしかぶつけられなかったルディガーへの恋心も、だいぶ自分の中で折り合いがつけられた。エルザと共に会う機会が何度か訪れたのもある。
彼なりに同性として仲良くして欲しかったのかもしれない。余計なお世話だとイラつくよりも、ルディガーらしくて苦笑した。
もちろん彼を前にすればまだ胸も痛むし、切なさで苦しくもなる。一方で涼しげな仮面を身につける術も覚えた。
久しぶりに会ったルディガーには『シリーも大人になったんだな。昔は会えば、すぐに駆け寄って抱きついてきたのに』と残念そうに言われた。
この年でさすがにそこまでストレートな態度はもう取れない。しても問題だ。彼には婚約者もいるのに。やっぱり自分はまったく異性として意識されていないのだと痛感したが今更だ。
十八になるのにルディガーはまだエルザと結婚していなかった。夜警団に入団してからずっと忙しくしているからなのか、他に理由があるのかはセシリアの知るところではない。
その事実にどこか安心している自分もいて、いっそのこと踏ん切りをつけるためにも、さっさと結婚してはっきりと止めを刺して欲しいとも何度も思った。
セドリックたちは十五の年を迎え、正式にアルノー夜警団に入団した。最初の一年は准団員として訓練を積み、剣の実習や団員としての心構えなどを叩きこまれる。
そこで脱落する者も少なくはないが、その間に各々の個性や適性を見られ一年後に正式な団員として役に任命されるのだ。
現アードラーの推薦もあり、剣の腕も申し分なくルディガーやスヴェンは入団三年目にして同年代の者で結成された小隊の長を任されている。
セドリックはそんな彼らをサポートしつつ団員たちへの配慮も怠らない。おかげで彼らの業績はセシリアの耳にも入ってきていた。それはいいことなのか、悪いことなのか。
最近、夜警団が緊張状態にある国境付近や国外に派遣されるなど、他国を必要以上に刺激しているという不穏な話がどうも多い。
国王の意向らしいが『必要最低限の介入を』というアルノー夜警団の基本理念に反しているのでは、と疑念を抱く者も少なくはなかった。
しかし不敬罪で捕まりたくもない。声を大にして言える者はいないに等しかった。
おかげでセシリアとしては手放しに彼らの活躍を喜べない。前ほど頻繁に会えなくなったのを寂しく感じるよりも先に心配が付きまとう。
待つだけなのはもどかしい。セシリアも次の年で十五になる。結婚も夜警団への入団も許される年齢だ。
厳しい冬を耐え抜き、草花や動物が目覚める春近く。空が澄み切ったある晩、月は闇夜にその姿をすべて晒けだし、煌々と輝いていた。
自室の窓からセシリアは空を眺める。落ちてきそうなほどの大きな満月は神聖さを湛えつつ逆に胸騒ぎも覚えさせる。
たしか今、兄たちは南国境付近へ赴いているはずだ。あそこは殊更情勢が不安定だと聞いている。この月は彼らも照らしているだろうか。
セシリアは兄から譲り受けた短剣を鞘から抜いて慎重に窓際に置いた。刃の部分に月を映し、静かに願う。
どうか皆、無事でありますように。
今回もきっと大丈夫だ。そうに決まっている。彼らが戦場に身を置く機会は何度もあった。それなのにセシリアの心を覆う陰はいつになっても晴れなかった。
空にも薄雲が現れて月をぼやかせていく。まるでなにかの予兆だった。
しばらくして、派遣されていた団員たちが帰還したとの報せを受けた。遠征後は、まとまった休暇が与えられるはずだ。
祖母と手料理を準備してセシリアは兄と父の帰りを待った。今回、兄の口からはどんな話が語られるのか。
逸る気持ちを抑えていると、玄関に人の気配を敏く感じ取った。セシリアは躊躇いもなく笑顔で駆け寄る。
「おかえりなさい!」
しかし扉の向こうには兄と父ではなく、父とスヴェンの姿があった。どちらも険しい表情で、ヴァンに至っては左肩を大きく負傷し布で乱暴に覆われている。
ただ事ではない状況にセシリアは動揺が隠せない。するとヴァンが唇を震わせながらも、擦れた声ではっきりと告げた。
「セドリックは死んだ」
なにを言われたのか思考が停止し、頭が真っ白になる。そんなはずないと瞬時に否定しようもするも、声も出ない。セシリアの感情を待たずに、スヴェンが淡々とセドリックの最期を語り出す。
彼は敵に敗れたのではなく、戦に巻き込まれそうになった現地の子どもを庇って命を落としたのだと。
嘘だと思いたいのに、戦士としてはなんとも間抜けなのが優しすぎる兄らしくて、嫌でも受け入れざるを得ない。
父が部下の死を家族に告げる場面を何度か見たことがある。泣き崩れる者、責めたてる者。そして、こうして覚悟をしていたとその場では冷静に返す者。
報告する父のつらさややるせなさも十分に感じてきた。だからセシリアの取るべき行動は決まっていた。
「そう、ですか。報告を……ありがとうございます」
決まりきった文句をなんの感情も乗せずに返す。セシリアの反応にスヴェンはわずかに目を見張ってから顔を歪めた。
そこにやってきた祖母が事態を聞き、膝を折って号泣する。セシリアは祖母を支えながらも、自分に降りかかっている事実がどこか他人事のように感じた。
セドリックの遺体は持ち帰られ、葬儀も滞りなく行われた。
眠っているよう、とはよく言ったものだが兄の死に顔は穏やかでも険しくもなく、無表情に近かった。夜警団として追悼の意を捧げられ、形式的に国王からも弔事を賜る。
なにもかもがよくあることとして片付けられる。人が亡くなるのも、この現状で団員が命を落とすのも、ありふれた事柄として処理されていく。
結局、セシリアは最後の最後まで泣けなかった。
薄情な妹だと思う人間もいれば、さすがはアードラーの娘だと感心する人間もいる。でもそんな外野の声などセシリアにとっては全部どうでもよかった。
葬儀で遠巻きにスヴェンやルディガーの姿を見つけたが、互いに口は利けなかった。
クラウスは王家として責任を感じているのか、申し訳なさと悔しさを滲ませ言葉数は多くはなかったが哀惜の念に堪えないと自分たち遺族に声をかけてきた。
スヴェンは疲れ切った酷い顔をしており、他者を寄せつけない荒み切った雰囲気が痛々しく、かける言葉も見つからない。
ただルディガーだけは遠巻きに見ただけで、どのような表情をしていたのかさえ確認できなかった。
ずっと会っていない。負傷した父が職務に復帰し、彼らの様子を窺うもいつも通りだと短く返されるだけだった。
空虚感が脱けない。時折、ルディガーは大丈夫だろうかと密かに彼の心配をしながらも日々は過ぎ去っていった。