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02

 兄のセドリックはそんなセシリアの気持ちを上手く汲んでやった。父のいないところでこっそりとセシリアに剣術や戦術の立て方、諜報についてなど、自分の持つ知識を与えた。


 飲み込みの早いセシリアは貪欲にそれらを吸収していく。


 相手が男性なら剣同士のぶつかりは分が悪い。ならば考えて先を読む。相手の思考を、行動を予測して隙をつく。


 強くなる方法はひとつじゃない。兄の言葉が励みだった。


 しかし自分の実力をいくら上げても父も祖母もいい顔をしない。『女の子なら、剣よりも花嫁修行を……』と先ほど祖母にも言われたばかりだ。


「にしても、セドリックは相手にうるさいだろうな。なんせこんなにも妹を可愛がってるんだ」


「……ルディガーも?」


 尋ねるとルディガーは虚をつかれた顔になり、続いて穏やかに目を細めた。


「そうかもしれない。シリーは俺にとっても妹同然の大切な存在だから」


「私はあなたの妹じゃない!」


 そういうことを聞きたかったんじゃない! 内心で反論するも口から出たのは違う言葉だ。案の定、額面通りに受け取ったルディガーは戸惑っている。


「わかってるよ。でも、それくらい君が……」


「もういいわ」


 セシリアは声を上げて続きを拒絶する。こうして感情をすぐに剥き出しにするのが子どもなんだと頭では理解しているのに、賢く心の奥にしまっておけない。


「剣の練習に付き合ってくれてありがとう。でも結婚するなら、私よりあなたが先でしょ!」


 言い捨ててセシリアはルディガーに背を向ける。言い方もそう言った自分の顔もきっと可愛くない。剣の才もあって、優しくて。自分よりもずっと強く、父も一目置いている。


 そんな存在が幼い頃からそばにいれば、おのずと心惹かれてしまうのは無理もない。一人前にセシリアはルディガーに恋をしていた。


 ところが、ルディガーにとって自分はいつまでも『親友の妹』であり『妹同然』の存在だ。


 それでもいいと思っていたのに、兄からルディガーに婚約者がいるという話を聞いたときはショックで食事が喉を通らなかった。しばらく塞ぎこんだ。


 なんでも親同士が知り合いで身分も家も近いらしくまとまった話だと。


 嘘だと思いたかったが、本人に確認すると『そうなんだ』とあっさり肯定された。そこに躊躇いも、気まずさも一切なく、セシリアは改めて思い知った。


 彼は自分を異性として意識するどころか、見たことさえないのだと。


 だからといって、すんなり諦められる気持ちは持ち合わせていない。いいのか、悪いのか。兄が彼の副官を務めるなら、少なくともこれからもルディガーとの付き合いは続いていく。


 それこそ彼が結婚したとしてもだ。


 会いたくて、会いたくない。極力避けようとも思ったのに、やっぱり会うと嬉しくて、心をときめかせてしまう。なのに、結局はこれだ。


 いつになったら割り切れるの? いつになったらこの気持ちをなくせるの?


 自分の気持ちが報われるためにどうすればいいのか、そこまで図々しく考える自信も持てない。


 セシリアは初めてルディガーの婚約者に会ったときを思い出す。兄から彼の婚約者の存在を聞かされた数日後の話だ。


 たまたまルディガーが彼女と一緒にいたところに、兄のセドリックと共に遭遇したのだ。こういうのを想定して兄は自分に先に彼女の存在を教えていたのかもしれない。


 ルディガーはいい機会だといわんばかりにいつもの笑顔をトロイ兄妹に向け律儀に……無神経にセシリアに彼女を紹介してきた。


 自身の身内も夜警団の団員として活動しているというクレンマー卿の娘エルザはルディガーよりもひとつ年下で、おとなしそうな娘だった。


 赤みがかった茶色の髪はまっすぐで光沢がある。ルディガーの肩ほどしか身長がないセシリアとは違い、彼女の背はルディガーより少しばかり低い程度で隣に並ぶと、とてもお似合いだった。


 エルザはやや腰を屈めセシリアに視線を合わせてくる。そんな気遣いさえもセシリアにとっては気に入らない。


「はじめまして、エルザ・クレンマーです」


「……セシリア・トロイです」


「セシリアちゃんね。ルディガーから聞いているわ。その年で剣の腕がすごくて、頭もいいって。妹みたいに可愛がっているって」


 セシリアはその言葉で頭に血が上り、顔が赤くなる。少なからずプライドを傷つけられた。瞬時に言い返したくなる衝動を必死に抑える。


 彼女とはたったみっつしか違わない。なのにエルザはルディガーの婚約者で自分は妹でしかない。ルディガーがなにか口を挟んだがセシリアの耳には届かない。


「悪いね、ルディガー。先を急ぐから。エルザ嬢もまた」


 セシリアの肩をすかさず抱いたセドリックがフォローをする。セシリアも形だけの挨拶をしてそそくさとふたりのそばを離れた。


 直視できなかったものの親同士が決めたからというのもあってか、ルディガーとエルザの距離や雰囲気はそこまで親密そうなものではなかった。それだけがセシリアを慰める。


 しばらくしてセシリアが言葉とは裏腹の調子で兄に投げかけた。


「素敵な人だったね」


「そうだな」


 心のどこかで否定して欲しかったのを、兄はさらりと肯定してきた。おかげでセシリアは眉をつり上げる。


「でもシリーも十分に素敵だよ」


 すかさず付け足された言葉にセシリアは目を白黒させた。セドリックは改めてセシリアと目を合わせ微笑む。いつもの困惑気味な表情だった。


「って、あいつなら言うんだろうな」


 セシリアは頬を紅潮させ、唇をわなわな震わせた。しばらくして瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


 わざとセシリアの感情を揺さぶって泣く理由を作ってやると、セドリックはセシリアとの距離を縮めて頭を優しく撫でた。大きくて温かい手がセシリアの涙腺をさらに緩ませる。


「こうでもしないと、お前は素直に泣けないからなぁ」


 昔から厳しい父の手前、セシリアは泣くのが苦手だった。子どもだろうが、女だろうが泣けば父は鬱陶しそうな顔をし、機嫌をさらに損ねてしまう。


 感情を露わにすれば、相手に付けこむ隙を与える。そう叱責されてきた。


 おかげで、ずっと我慢して泣かないようにしてきた。ルディガーに婚約者がいると聞いたときもショックではあったが泣きはしなかった。


 そんな中、セドリックだけはいつもこうして溜め込んでいるセシリアの感情を吐き出させてやる。


「大切な存在は妻や恋人だけとは限らないだろ? セシリアが割り切れるなら、これからもあいつのそばにいてやれ。ルディガーがお前を必要とする日が必ずやってくるから」


 軽く鼻をすすってセシリアは涙声で尋ね返す。


「……兄さんがそばにいるのに?」


 副官の兄ではなく、自分がだろうか。セドリックはいつになく真剣な面持ちで答えた。


「未来は誰にもわからない。見返りが欲しいなら辛くなるだけだろうから勧めはしないが。そのときが来たらセシリア自身が決めればいい」


 そのときはいつ来るのか。どういうときを指すのか。尋ね返したい気持ちを封じ込ませるほどに兄の表情は摯実(しじつ)そのものだった。

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