ヤギとロバ
◇
ここは草地が点々と広がる大地。色んな動物が暮らしていました。
そんな大地のとある場所。草がいっぱい生えているところで、二頭の動物が草を食べていました。一頭はなんでも食べるヤギ。もう一頭は味にうるさいロバでした。二頭は友達というわけではありません。どちらも草がごはんのため、たまたま同じところで草を食べていたのです。
時間は太陽が真上にきたところです。ロバがヤギに話しかけました。
「ヤギ君、ここの草はまずいね」
ロバが言いました。ロバはたくさん食べられる動物ではありません。このロバは以前、苦味が少なく滑らかな食感の草をお腹いっぱい食べたことがありました。その時の感動が忘れられず、いつの間にか味にこだわるようになったのです。まだ若いロバでした。
「ロバ君、僕らは食べないと死んじゃうよ」
ヤギが言いました。ヤギは味覚に優れた動物です。このヤギも過去、好き嫌いをしていました。しかし、本当に食べるものがなくなったときに、苦くて嫌いだった草で飢えをしのいだことがあったのです。それ以来、ヤギはたとえ苦い草しかなくても、食べられるときに食べるようにしていました。ヤギは少し大人でした。
「ヤギ君、やっぱりまずいよ」
「ロバ君、君は文句ばっかりだね」
ヤギにとって、ロバの言葉は過去の自分を見ているようでした。飢えは自分で体験しないとわからないだろう。ヤギはそう思ったため、ロバに余計な説教をすることはありませんでした。
「もっとうまい草があればなあ」
「そんなにうまい話があるかなあ」
ロバは文句を言いつつも、草をもぐもぐしました。もぐ。もぐ。もぐ。もぐ。ごっくん。
ヤギは少しでも栄養がとれるように、よく噛んで食べていました。もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。
◇
二頭がそうやって草を食べているところに、一頭の大人のウマがやってきました。大人のウマは若いロバの元気がないことに気づきました。ロバの様子が気になったウマは、ロバに話しかけました。
「そこのロバ君。どうしたんだい? 食欲がないみたいだけど」
「ウマさん、ウマさん。ここの草がおいしくなくって。あんまり食べたくないんだ」
ロバは新しくやってきたウマに現状を訴えました。ウマは足元の草を食べてみます。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。
「そうかい? ロバ君、ここの草は栄養たっぷりみたいだけど」
大人のウマは言いました。ウマは、ロバよりもヤギよりも食いしんぼうです。大人であればなおさらです。たくさん食べないと動けなくなってしまいます。そのため、草の味よりもたくさん食べることを大事にしていました。
「ウマさん、栄養があってもまずいものはまずいんだよ」
グチをこぼすロバ。そんなロバを見てヤギが注意します。
「ロバ君、好き嫌いはよくないよ」
「ヤギ君、好きなものを食べた方が楽しいじゃないか」
ヤギの言うことにも、ロバの言うことにも、一理あります。ウマはそんな二頭のやりとりを見て考えました。ウマは色んな経験をしてきたウマでした。
「ロバ君。それなら、アッチにとってもおいしい草がたくさん生えている場所があったよ」
ウマが首で示したのは、さっきウマがやってきた方角でした。
「おいしい草? ウマさん、どんな草だった?」
ロバは興奮して尋ねました。
「聞いてくれたねロバ君。口の中でとろけるように柔らかくて、春風のような香りがする草さ」
「口の中でとろけるような柔らかさで、春風のような香りだって!? なんておいしそうな草なんだ! ウマさん、場所はどこって言ったっけ?」
苦手な草ばかり食べていたロバは、ウマの話を信じることにしました。ヤギは相変わらず草を食べています。もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。
「アッチだよ。ちょっとへこんだところを抜けてさんかく池の近くを通って曲がった大きな木があって横を通ったすぐ先の川の手前の平らな土地さ」
ウマはロバに道を教えました。
「ウマさん、もう少しゆっくり言ってくれないか」
ロバは覚えきれませんでした。ウマはもう一度言いました。
「じゃあロバ君。私が言った後に繰り返してくれ」
「わかったよ。ウマさん、頼むよ」
「ちょっとへこんだところを抜けて」
「ちょっとへこんだところを抜けて」
「さんかく池の近くを通って」
「さんかく池の近くを通って」
「曲がった大きな木があって」
「曲がった大きな木があって」
「横を通ったすぐ先の」
「横を通ったすぐ先の」
「川の手前の平らな土地さ」
「川の手前の平らな土地だね。ありがとう。ウマさん」
ロバはウマが教えてくれた場所を覚えました。ロバはここで一つ疑問に思います。
「ウマさん、ウマさん。どうして教えてくれたんだい? 独り占めしなくてよかったのかい?」
ロバの質問にウマが答えます。
「ロバ君。私はたくさん食べないとお腹いっぱいにならないからね。ここみたいに草が多い場所の方がいいんだ」
それを聞いてロバは納得しました。動物には種類がたくさんあるので、ごはんの食べ方も違うのです。
「ウマさん、君は変わってるんだね」
「ロバ君、君に言われるほどじゃないよ」
ウマはロバとの話を終えると近くの草を食べ始めました。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。ヤギも相変わらず苦い草を食べています。もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。
ロバはここで会ったのも何かの縁と思い、ヤギにも教えてあげることにしました。
「ヤギ君、ボクは最高の草を食べに行く。ヤギ君、キミはどうする?」
「ロバ君、僕はここに残るよ。ウマ君も食べ始めたけど、まだ草は残っているからね」
「そうかい。ボクが腹いっぱい食べてきてもヤギ君は文句いうんじゃないよ」
「言わないよ、ロバ君。君の好きにするといい」
ヤギに言われたとおり、好きにすることに決めたロバ。ロバはもう一度ウマにお礼を言うと走り去っていきました。
◇
ウマは草をモリモリ食べていました。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。ヤギは草を食べているウマに話しかけました。
「ウマ君、ウマ君。さっき言ってたことは本当かい?」
ヤギにとってそれが疑問でした。
「ヤギ君。なんのことだい?」
ウマはしらばっくれました。
「ウマ君が言った草のことさ。おいしい草があったならみんな食べたくなるだろう?」
「ヤギ君。みんなが食べたらどうなるか。君にはわかるのかい?」
ウマはヤギの質問に質問で返しました。
「ウマ君。なくなるに決まってるさ。おいしいものはみんなが食べたいからね」
「ヤギ君。その通りだよ。実は、さっき言ってた草は私が仲間と食べてしまったのさ」
ウマはヤギの追及に、ついに白状しました。
「ウマ君。君は酷いやつだね」
ヤギは呆れて言いました。
「ヤギ君。私は今も草が残ってるとは言ってない。生えている場所があったと言っただけさ」
ウマは屁理屈をこねました。
「ウマ君。君は事実を隠すのがうまいね」
「ヤギ君。私はウソは言ってないからね」
ウマがロバに伝えたのはこうです。
『アッチにとってもおいしい草がたくさん生えている場所があったよ』
ウマの言った通り、おいしい草が生えていなくても、前に生えていた場所があればウソにはなりません。ヤギは感心しました。
「ロバ君は気の毒だね。あんなに喜んでいたのに」
「ロバ君はまだ若いからね。都合のいい言葉ではなく、自分の目で見たものを信じるべきなんだよ」
ウマはロバに自然の厳しさを教えたつもりでした。ヤギもそれがわかったので、ウマをこれ以上責めることはありませんでした。
その後も、ウマとヤギは草を食べ続けました。もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。ヤギはお腹いっぱいになると横になって休みました。ウマは休むことなく食べ続けました。もぐもぐもぐもぐ。ごくん。
◇
あたり一面に生えていた草はほとんどなくなりました。太陽はそろそろ沈もうとしていました。そんなころ、夕焼けを背にしてロバが戻ってきました。ロバはヘロヘロでしたが、元気な顔をしていました。
「ただいま! ウマさん、ヤギ君」
ロバが二頭に挨拶しました。ウマは残り少ない草を食べているのでヤギが答えます。
「おかえり、ロバ君。おいしい草には出会えたのかい?」
ヤギはロバに質問しました。
「ヤギ君。それが苦い草しか残ってなかったんだよ」
ロバはあっけらかんとして返事をしました。
「ロバ君。それは残念だったね」
ウマから真相を聞いていたヤギはロバに同情しました。
「ヤギ君。どうしてなくなってたんだと思う?」
ロバは平らな土地の有様を思い出してヤギに問いかけました。
「ロバ君。おいしいものを食べたいのは君だけじゃないからね。みんなが食べたらなくなるのも当然さ」
「ヤギ君。そりゃそうだ。そんな簡単なことも忘れていたよ」
ロバは納得しました。ヤギは、ロバがそれほどショックを受けていないように見えるのが不思議でした。
「ロバ君。それにしては嬉しそうだね。何かいいことあったのかい?」
「ヤギ君。聞いてくれるかい?」
「ロバ君。教えてくれるかい」
ロバは語り始めました。
「まず、ボクはちょっとへこんだところに行った。そこはデコボコしていて走るのが楽しかった」
「走るのが楽しかったんだね。ロバ君」
「次に、さんかく池に行った。走ってノドが渇いていたから水がおいしかった」
「池の水がおいしかったんだね。ロバ君」
「その後、曲がった木のところへ行った。疲れていたからすずしい木陰が心地よかった」
「木陰が心地よかったんだね。ロバ君」
「休憩が終わったら、木の横を通ったんだ。曲がった枝が背中のかゆいところをかいて気持ちよかった」
「曲がった枝で背中をかけたんだね。ロバ君」
「最後に、川が見える平らな土地に着いたんだ」
「ウマ君が言っていたところに着いたんだね。ロバ君」
ロバはとても楽しそうに説明しました。ヤギはロバの道中が充実したものであったことがわかりました。しかし、先程ロバは苦い草しかなかったと言ったはずです。
「ヤギ君。いい香りがする草の跡はあったんだけどね。生えてきてるのは苦い草だけだったのさ」
「ロバ君。じゃあ、草は食べられなかったんだね」
ヤギはロバに確認しました。
「ヤギ君。それが草は食べることができたんだ」
「ロバ君。どうしてだい? 苦い草しかなかったんだろう?」
ロバはそこで、足元に残っていた草を口に入れました。もぐもぐ。もぐもぐ。ごくん。ヤギはそれを見て驚きました。
「ヤギ君。その時のボクはお腹が空いていたからね。草の代わりにお肉を食べるわけにはいかなかったんだ」
そこには、好き嫌いを克服したロバの姿がありました。
「ロバ君。苦い草でも食べられるようになったのか。少しは成長したんだね」
「ヤギ君。自分で言うのも変だけどそうみたいだ」
ヤギとロバはその後も楽しく話をしました。ロバは帰ってくるまでの話をしました。ロバが嬉しそうに語るのをヤギは上手に聞いていました。
◇
もうすっかり暗くなったころ、二頭の元へ例のウマがやってきました。ウマは二頭の会話をそれとなく聞いていたのです。ウマが二頭に声をかけたのは、タイミングを見計らっていたからこそでした。
「ヤギ君、ロバ君。もうそろそろ遅いから寝た方がいいんじゃないかい?」
「ウマ君、そうだね。ロバ君、そろそろ休むところを決めよう」
「もう暗いね。ありがとう、ウマさん。ヤギ君も話を聞いてくれてありがとう」
三頭は移動しました。ちょうどいい場所を見つけると横になりました。そこで、ロバが質問します。
「ウマさん、ウマさん。またおいしい草があるところがあったら教えてくれない?」
ロバが横になったままウマに尋ねました。
「ロバ君。どうしてだい? 君は苦い草も食べられるようになったんだと、さっきヤギ君と話していたじゃないか」
「そうだよ、ロバ君。苦い草なら僕が他の場所を知ってるよ。味にこだわってちゃだめだよ」
ロバの問いに、ウマとヤギが答えました。ロバは慌てる二頭に返答します。
「だってさ、ヤギ君、ロバさん。まずい草よりおいしい草が食べたいじゃないか」
ロバは堂々と言ってのけました。若いロバは苦い草を食べられるようになったものの、できるだけおいしい草を食べたいという部分は変わらなかったのです。『嫌いなものも食べるけど、好きなものを食べていたい』。それが、ロバが自分の目と舌と足を通して得た答えだったのです。
ロバの宣言を聞いたヤギとウマ。二頭は少しの間、呆れて声が出ませんでした。やがて、小さな声で相談します。
「ウマ君。今回のことでロバ君は成長したのかな」
「ヤギ君。成長の仕方は動物それぞれだからね。タフにはなったんじゃないかな」
二頭が見つめる先にいるのはロバ。ロバは冒険で疲れて眠っていました。とても満足そうに眠っていました。
ここは草地が点々と広がる大地。色んな性格の、色んな動物が暮らしていたのです。
そんな大地のとある場所。三頭が休んでいるところの周辺は、すっかり草がなくなっていました。
◇
おしまい。