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ふらりと括目

同作者の他サイトからの転載です。




 目を開けると、そこには古びた一軒家があった。


そうはいっても、大家族が暮らしているような建物ではない。サイズとしては普通程度の貸家を想像していただければ分かりやすいのではないかと思う。


長らく他人に貸していたその家は想像以上のボロ屋敷と化しており、ちょっと寄りかかればぐらりと斜めに傾いで倒壊しそうな雰囲気をぷんぷん臭わせていた。


……本当に俺はここに住むのか。


現実に目を細めていると、管理をしていた本家の人がにっこり笑ってこちらに鍵を渡してくる。


「我が家には子どもがいないから、親代わりと思ってくれていいのよ。折角近くに住むことになったんだからなんでも頼ってくれて構わないわ」


 赤銅色をした玄関の小さな鍵を手渡された俺は、なんとも言い難い表情で運び込まれてくる荷物を眺め、窓から見える桜の木に視線を走らせた。


大きく育ったその樹木はしっかりとした幹をしており、ひらり、はらりと美しい花びらを降らせている。好むと好まざるとに関わらず、俺の同居人というわけだ。


 ……その時、俺は気付いてはならないものを見つけてしまう。

大きな窓にベタベタと貼りついた、人の手形のような痕跡だ。


「それにしても、医大に現役で合格するなんてすごいわねえ。うちも鼻高々よ」


「あの……伯母さん」


 引きつった笑みで俺はかねてから気になっていたことを訊ねた。


「ここって、東京の駅近なのになんで伯母さんたちはこの家に住まないでアパートを借りて暮らしているんですか?」


 ピタリ、と引っ越しの手伝いをしてくれていた伯母さんの動きが止まった。

ああ、そういうことか。と俺は納得をする。

容易に予測はついた。後はそれを確かめるだけだ。


「……この家、出るんですね?」


 何が出るのか、言うまでもない。

恐らくそれは、狐とか最近都会でよく見かけるムジナの類ではないだろう。


「大丈夫ですよ、別に怒りませんから。実は俺も、噂には聞いていたんです。伯母さんがおススメしないって云っていたのを無理に押し切ったのはこちらですから」


「……実は……」


 そうして、怖がりな伯母さんは口火を切って話し始めた。

軽率にも俺が住むことを決めたこの建物に伝わる、ちょっとオカルトな噂を。


「うちの血縁がこの屋敷で生活するとね、どうしても……出るのよ。どこからか声が聞こえたり、誰もいない場所から視線を感じたり、不幸な目に遭ったり。

誰か先祖が祟りでも起きるような何かをしたんじゃないかってみんなで云っているんだけどね?

だから、頼道くんにはこの家は勧めたくなかったんだけど……」


「大丈夫ですよ、俺、赤ん坊の頃から泣いたことがありませんから」


 俺が軽く笑い飛ばすと、申し訳なさそうな顔をしていた伯母さんが、怖々と顔色を窺ってくる。


今言ったセリフは事実だ。自分は、薄っぺらい親子関係に支障をきたすほどに、生まれてこの方泣いた試しがない人種なのだ。

父も母も俺のことは不気味に思っていることだし、案外幽霊とも上手くやれるかもしれないじゃないか。


「何かあったら、本当に連絡してね? 伯母さんの家で泊めてあげることもできるからね?」


 しつこく何度も繰り返した伯母さんが残した引っ越し蕎麦は、妙にパサパサして味気なかったのをよく覚えている。



そうして、俺はこの屋敷で一人になった。






 一番最初にコンタクトされたのは、その日の晩の夢枕だった。


ぎゅう、と胸元に圧迫感を覚え、ぼんやりと覚醒すると、見事に俺は首から下が動かせなくなっていた。

恨めしや……、その典型的すぎる恨みごとに少し笑ってしまうと、透明な幽霊は驚いたように身じろぎをした。


「……なぜ、怖がらない」


 すうっと現れたのは、長い髪をした血まみれの少女だった。銀色に半分くらい透けていながらに彼女は俺の胸元に正座をしていて、――ああ、これが幽霊なのか。と俺は内心で独りごちた。

……あれ、なんで幽霊に足があるんだろう。やたらとその一点が気になるものの、俺が言ったのは別の言葉だった。


「そんなこと云われましても」


「…………」


 ちょっと気まずい沈黙が、俺たちの間に流れた。

 一秒、二秒、三秒、十五秒。

金縛りになっている俺が彼女の白い脚に釘付けになっていると、享年16歳ぐらいの少女がこちらに振り向いた。


流石に肝が冷えた。


眼窟から流れる血が、頬骨を流れて滴っている。ひくひく動いた唇を見る限り、あちらもどうしたらいいのか困り果てているらしい。


 泣きもしないで見つめ合った俺の様子に、恐らく祟りに来たのであろう彼女は、口端を上げてふふ、と静かに笑った。


「面白い人」


「……それはどうも」


 意外にも、可憐な声に今度は違った意味で胸が高鳴った。

胸にのしかかる女体の感触を味わいながら、茶目っ気を出した俺はあろうことか幽霊少女の小さな足の親指をぺろりと舐めてみた。


「……やん」


 ドキッ

なんだこれ、これもある種のボーイミーツガールじゃないか?

幽霊の足の指を舐めてみたところで味も風味も素っ気もなかったが、ちょっと恥ずかしそうに消えた血まみれの少女と対面してみた俺の感想は、中々にいいものを見させてもらった、というものに帰結した。






とりあえず。今度出てきた時には、小指の先まで舐めてみよう。





 次の対面は、風呂場でシャワーを浴びている時のことだった。


……おや、やけに熱い視線。

気のせいか、天井付近の角の方から、冷気が漂って来ているように感じる。

あんな場所にいられたら、舐められるもへったくれもない。相手も不覚はとらない心構えとみた。


どうしたらいいのか困惑した俺が無視をしようとすると、

「宗一郎、よくも私を殺したな……」と低い声で恨みごとを呟いている。




 誰だよ、宗一郎。

なんとなく俺の先祖っぽいけど、年代の分からない名前だな!



「あの、俺、宗一郎さんじゃないんですけど」


「末代まで祟ってやるぅ……」


「だからですね……」


 ぐるりと振り返って誠心誠意話してみようとすると、「きゃあ!」と女の子の悲鳴が上がった。風呂の湯船に何かが落ちる音がし、中腰になった俺が立ち上がると、股間にぶら下がっているアレがユラユラ揺れた。


「か、隠せ! そのような不埒なものを堂々とオナゴに見せるでないわぁ!」


 半透明に透けた少女の浴びていた銀の血液が、湯船に黒いシミとなって溶けていく。目元についていた血を擦った彼女の容貌は想像以上の美少女面で、俺は思わず言葉を失った。

どうも口では嫌がっているのに、視線はバッチリ俺の股間に向いている。三拍くらい悩んだ俺が腰を動かしてアピールしてみると、ザブンと彼女は湯船の中に沈んで姿を消した。



うむ、勝利とはどこか虚しいものであるな。




 その次に幽霊が登場したのは、大学の入学式が終わった晩に38度の熱を出した時のことだった。

息苦しさに耐えながら、伯母さんに助けを呼ぶかどうか躊躇っていると、上がった体温でぼうっとしている俺の前に幽霊が呆れ顔で現れたのだ。


「……やあ、どうも」


「……お前、私が祟る前に死ぬつもりか?」


 被っていた銀の血がなくなった幽霊少女の姿はけっこう綺麗だった。

胸元や腕、首などには刺された痕がくっきり残っていたけれど、俺が今まで出会った中で一等のべっぴんさんで、その美貌は損なわれてやいない。


「…………待て、どうして幽霊である私に縋りつくのだ。おかしかろう。お前、他に頼る身内はいないのか」


「……ごめん、つい人肌があったから」


「私の肌が温かいはずがなかろうに」


 呆れた眼差しでこちらを見る幽霊は、深々とため息をついて俺の枕元に正座をした。和服の裾がヒラリとはだけ、片足だけ靴を履いていない。


「そなた、看病してくれるものは、いぬのか」


「いるような、いないような……」


「実の親はどうした」


「そこまで仲良くはないよ」


 ……そうか。と、幽霊のはずの彼女の表情が厳しくなった。

病気で弱っているせいだろうか。いつもなら口にしないはずの弱音を、俺は少女にうわ言で呟いていた。


「俺は、赤ん坊の頃から絶対に泣かなかったから……父さんも母さんも変な俺のことを気味悪がってそこまで愛してはくれなかったんだ。むしろ、家から出て上京するときには安堵した顔をしてたよ」


「……いい気味じゃ」


 おかしいな。

そう思っているのなら、どうしてそんなに沈痛そうな雰囲気をしているのだろう。恨みがあるなら喜べばいいのに、悲しそうにしてくれるのだろう。


 気が付いたら、俺はそのまま眠りに落ちていたようだった。

朝になって目覚めると、ずっと傍で見守ってくれていた幽霊の君が薄く笑顔を作って、知らない間に出来ていた残りご飯のおじやが鍋の中にあった。

賞味期限の近かった玉子が入ったそれは懐かしいお婆ちゃんが料理してくれたような味がして、俺が思わずその感想を述べると、怒った幽霊の投げたしゃもじが頭に直撃した。



 家に帰って目を開けると、いつでも君がいてくれるようになったのはそれからすぐのことだった。


懸命に、恋をした。俺と幽霊の少女の交際は人に威張れるようなものじゃなかったことは分かっていたけれど、先祖が殺した人間と情を交わすことが禁忌だとしても、俺は彼女の存在に心のどこかが満たされていく。

 大学に通っているうちに、死とはどういうものなのか思いを馳せるようになっていった。


生理学的には脳の活動が停止して、心臓の動きが止まって、細胞が一気に崩壊して腐敗していくのが死ぬということだ。そこから先は誰も知らないし、神話などで想像するしかない。

少女の生きていた時代は、遥か昔の戦前のことだったらしく、死んだ時の状況は俺には話したくないらしい。けれど、そこに痴情のもつれがあったことは振る舞いから察することができた。


 恐らく、自分の先祖もこの美しい少女に恋をして殺害したのだと薄々感じながら、俺は耐震基準を余裕で満たさないような家で寝泊まりしていた。


「幸福というものが世間にあったとしたら、俺は君に会ってからの方が遥かに幸せだと思うんだ。それって、君にとっては屈辱的なことなのかい?」


「……さあ」


 迷いながらも、少女はおずおずと桜色の唇を開く。


「私は、何が幸福というのかよくわからない」


「どうして?」


「今が幸福だとしても、後で私と出会ったことを後悔するかもしれない。この時間だって、永遠には続かない。いつか私は、そなたとの関係を清算しなければならない」


「そんなもの必要ないよ。俺は君がいればそれでいい」


「夢から目を開いたら、きっと私のことが怖くなる。私の本当の正体は……」


 そこで、何かを言おうとした少女は口を噤んだ。

見たくない現実もの。知らなければならない真実こと。そういったものが見え隠れする中、俺は彼女の身体をそっと布団に押し倒した。


扇形に少女の黒髪が青いシーツに広がる。透ける着物を脱がすのには手間取ったけれど、少女の銀色がかった裸体を目に焼き付けて、盲目的に俺はキスをした。


俺は霊感が強いのかもしれない。本当におかしいよな、幽霊なのに触れることができるだなんて。




 だんだん彼女は、俺の内縁の妻のようになっていった。

深く愛せば愛すほどに、少女だって俺のことは憎からずに思っていたはずだったのに、次第に気鬱の混じった悲しい表情を見せるようになった。


周囲からは、俺は何か良からぬ女と関わっているのではないかと噂されていたが、当の本人はひどく楽観的に現状を捉えていた。


幽霊にとって、恨みを果たせなくなるということはかえって不幸なことだったろう。それを原動力にこの世に留まっていたのだから、本懐を遂げられなくなった幽霊は後は消えるしかなかったのだと歳を取ってからは理解できた。


彼女にとっては、いつを引き際にしたらいいのか。消えなくてはならないのに、俺のことをどうしたらいいのか。ずっと悩んでいたことだったろう。


「消えなくてはならない」と、彼女は何度も口に出した。

 俺は必ずこう答えた。


「いやだよ、君が消えたら世界の輝きが消えてしまうもの」


 そう言うと、少女はしょうがないものを見るような目で俺を抱きしめる。「私だって消えたくはない。寂しん坊のそなたを残していきたくはない」


それでも、いかなくちゃ。


残された時を惜しむように、彼女は穏やかに笑っていた。




「ねえ、頼道くん。いいお話があるのだけど」


 誘われて食事を一緒にした晩、伯母さんは俺にこう話しを切り出した。

その響きに不吉なものを感じながらも、なんですか、と応じる構えを見せると、


「うちの養子になって、お見合いをしてみないかしら」

と、伯母さんは薄く微笑んで俺に告げた。


「何故、俺なのですか」


「それは、頼道くんのことを大切に思っているからよ。あんな家に住むのは止めて、私たちと一緒に暮らさない? もう新しい物件は探してあるの」


 正直に白状すれば、その誘いにぐらつかなかったとはいえない。

俺を厄介に思う父母から離れられ、新たな家族をこの東京で築く。その申し出は恐ろしく俺の心の弱い部分を露呈させてくれた。


「……自分は、今の生活が気に入っていますので」


「まあ、嘘おっしゃい」


 愛しい幽霊のことを思い出しながら返答すると、伯母は厳しい瞳でこちらのことを見透かすように喋った。


「我が家の養子にくれば、病院の開業の資金は全部出してあげます。何を化かされたのか知りませんが、あんな幽霊屋敷にこだわるのはお辞めなさい」


 ぐうの音も出なかった。

世間から見れば、これ以上のチャンスはないだろう。本家は資産家だし、お見合いの相手だってそんなに悪い女性は勧めて来ない。


俺が息を詰めて黙り込むと、普段は寡黙な伯父がゆっくりと口を開く。


「私たちはね、君のことを心配しているんだよ。

いくら物件がなかったからって、あんな家に君が憑りつかれているのをこれ以上放っておくことは人としてできないんだ。


年々君の顔色も悪くなっているし、体だって痩せてきている。もう、いつ衰弱死してもおかしくないように見えるのに、頼道くんは頑固にあの家に住み続けているじゃないか。

君がこの話しを受けてくれなくてもね、あの幽霊屋敷はもう取り壊してしまうことを決めているんだ」


 その言葉の衝撃に、俺は雷に打たれたような思いになった。


幽霊というのは、家がなくなってもこの世に存在し続けられるものなのだろうか? 他人から見た自分は、そんなに具合が悪そうに見えているのか?


「あの家を取り壊すなんて、そんなこと止めてください」


「どうしてそんなにこだわるんだね」


 ふらり、と立ち上がった俺が息を吸いこんで反論しようとした時、世界が傾いていった。……違う、これは自分がひっくり返ったのだ。

血圧が下がって卒倒した俺に仰天した伯父さん、伯母さんの懸命な呼びかけにも、いつの間にか意識を失った俺が答えられなかった為、急きょ救急車を呼ばれることになった。


担架に乗って運ばれた俺は、何を大げさなと思いながらも、足元が覚束ない為に大人しく点滴を受けていた。しばらくして尿意を催し、看護士さんに連れられて病院のトイレに入って鏡を見たとき、俺は驚きにもう一度倒れるかと思った。


 ――そこに映っていたのは、ガリガリに痩せた骸骨のような男だった。頬はこけ、目はぎょろぎょろとし、血走っている。俺が今まで家の鏡で見ていたふっくらとした人相とは余りにかけ離れており、その時になってようやく、俺は自分があの家に化かされて今まで幻覚を見ていたことに気が付いてしまった。


 大声で叫び声を上げた俺は、腰が抜け、尻もちをついてしまった。

 恐ろしいことに、それでも彼女に悪意がなかったことだけは信じることができた。だが、「消えなくてはならない」とか細い声で主張していた理由を悟ったのだ。





 このまま幽霊に会っていれば、俺は生気を吸われて死んでしまうことを。



 心配してくれた伯父や伯母の制止を振り切ることができず、俺はその後しばらく彼らのアパートで生活をした。

離れれば離れるほどに会えないことが恋しくなったものだけど、体調の戻らない間にあの家に戻ったら今度こそ祟り殺されてしまうことが明白なものだから、体重が戻ってくるまでは帰ることができない状態だった。


しばらくして、伯母の圧力に負けた俺は見合いをした。


「……初めまして」

とはにかんだ、ふんわりしたセミロングのお嬢さんと連絡先を交換したのだが、自然とメールを日に数度やり取りするようになった。


 LINEではなくメールを使うところが、さすが古風な良家の子女だと苦笑してしまったのだが、相手から向けられる好意に負けて、俺は彼女と清い男女交際をするような仲になってしまった。

 温和でおっとりした彼女との今後を考えることが段々後ろめたくなった俺は、あの少女との日々が夢だったのではないかとぼんやり考えるようになった。


とりあえず、一旦家に帰ってみようと思った。


そうしてみないことには、全てがかけ違えたままなのだから。





 久しぶりに赤銅色の鍵を使って入った自分の家は、やけに薄暗く、埃っぽい空気で満ちていた。


俺はこんな気味の悪い場所で暮らしていたのか――。そのことに我ながら寒気を感じていると、いつもなら少女が出てくるはずのタイミングで、気配を感じないことに気が付く。


「……おい」


 話しかけても、静かなままだ。

そのことに、ますます俺はゾッとする。

まさか、留守にした間に消えてしまったのではないか……。


振り返ったその時、

「……頼道」

とか細い声が聞こえた。


 ホッと気を緩める。早く姿を見たい。そう思っているのに、少女は顔を見せようとしない。


「なあ、早く出てきてくれよ」


「……ダメなの、頼道」


「お前がいないと、俺はダメなんだ」


「……嘘つき」


 頼道がいない間、お祓いの人が来たよ。と、幽霊は静かに告げた。

 突発的に、不安になる。


「お祓い……? それってどういうことだよ」


「その人が色々教えてくれたの。頼道、今付き合ってる人間の女の人がいるんだってね」


 その口調はこちらを責めているわけではなく、むしろ、少し安心したような響きが混ざっていた。


「頼道、私ね、これで成仏しようと思う」


「なんで……」






「――――あなたの目が、もうじき覚めてしまうから」




 訳の分からないことを言った声がしたと同時に、庭先にうっすらと輝く少女の後ろ姿が視界に入った。慌てて窓を開けて外に出ると、寂しい冬の庭には、大きく育った桜の木だけが存在していた。


その時、ふと嫌な予感がした。


どうしてこの桜は、こんなに大きくなっているのだろう。綺麗に咲くのだろう。……もしかして、何か良からぬ栄養を取り込んでいるのではないか?

例えば、……証拠隠滅に埋められた人間の死体、などを……。

そこまで発想が至ったところで、俺は慌ててそこに落ちていたスコップで幽霊が最後に立っていた地面を掘り返し始めた。


 どうして今まで気付かなかったんだ。少女がこの家に現れる意味を、なんで分かってやれなかったんだ。


 どんな気持ちで、俺の側にいてくれたんだ。どんな想いで、優しくしてくれたんだ!


 俺は馬鹿だ。とんでもないクズだ。


 やがて、緑色のスコップの端が、何かを掘り返す。焦りながらも素手でゆっくり発掘していくと、それは白い、古いしゃれこうべの頭だった。


俺の先祖が彼女を殺して、ここに埋めて。ずっとそれを知らずに生活していたのだ。

ちょうど俺が一緒に暮らしていた少女くらいの、骸骨の一部を手にもって、俺は自分の目から水が落ちているのに気が付いた。

俺は、生まれて初めて、泣いていた。


「う、ああ……」


 とても幸せな夢を見ていたはずなのに、もう開いた目は見てしまった。

 嗚咽がこんなに苦しいことを、ようやく知った。ずっとずっと誰かにこの骨を発見して欲しくて家に憑いていた少女のことを、それでも俺は愛していたのだ。


 おっちょこちょいで、うっかり屋で、優しくて、愛情深くて。


しゃれこうべを抱えたまま、俺は子どもに戻ったように一時間ばかり泣き続けた。

電話をした警察が驚くぐらいに泣いていた。

その時に出てきた彼女の骨は、警察を呼んだ後に近くの寺で埋葬してもらうことになった。






 そして人間の生きている妻と結婚した今でもまだ……、

……俺は永遠にこのほろ苦い記憶を大切に思っている。





END.

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