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汽車に ゆられて
目がさめた私は 御寺の芝生の上に寝かされていた。
その場で夜を明した。
翌朝 担架にのり
担架のまま汽車にゆられ
軍医の手当を受けて
鉄道で家族が疎開しているところへと運ばれた。
その後三週間チフス様の病状を呈し
他の先生 助教授の治療を受けた。
輸血二十三回
後で聞いが 白血球三千以下
鬼籍にいる一人と数えられたとゆう。
頭髪はすっかり抜け
手掌にも 出血斑が出た。
こちらの先生の毎日の注射
切開手術 (ガラス破片を出した) を受けた。
病状に就いては委しく述べない。
その後の 私は
二、三ヶ年 肝腫瘍の診断で医大に入院した。
これは 原爆によるものかどうか
今だに疑問に思っている。