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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
序章
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5 邂逅

流血表現が出てきます。ご注意ください。

 尊の視界に、突如として横から飛び込んできたのは…


 ────────炎を纏った紅の獅子…だった。


 ほとんど宙を舞うようにして、木々をなぎ倒しながら飛び出してきた獣…いや化け物に、声もなく驚愕する。ソレが発する熱気とオーラともいうべき不可視の渦が、周辺の一切を巻き上げ、尊にもぶつけられた。


 「……っ……!」


 風圧に負け、たまらず倒れ込んだところで化け物がこちらを…


 ──────長い一瞬だった。爛々と輝く金の瞳が、圧倒的弱者に照準を合わせ、捕食対象として捉えた、その瞬間。


 しにたくない、と思った。


 「…や…」


 残酷なまでに強靭な体躯が躍動し、振り上げられた前足、その鋭い爪が今まさに獲物をほふらんと迫ってくる。


 「…いや…!」


 恐怖にすくんだ体は、もう自分自身の言うことを聞かない。ほとんど絶望して、かろうじて瞳だけをぎゅっと瞑る。涙がほろりと零れた刹那、ほんの少しの希望が嘆願の声を上げさせた。


 「誰か助けてっ…!」




 ─────────ドッ!!!


 

 「………え……?」


 覚悟していた衝撃がいつまで経っても襲ってこない。訝しんで、思わず目を開けた。

 獅子の発する灼熱のオーラから尊を庇うように、大きな人影が立ちはだかっている。


 「貴女が…主神の遣わされし救世の使徒か…っ?」


 沁みるような低音を発した人影は、はっ!という気合と共に、ギリギリと幅広の剣で防いでいた凶爪を弾いた。剣を振り抜きざま、今度は左手を翳して何事かを短く唱える。バシュッという音と共に小さくも眩い閃光が放たれ、化け物は僅かに怯んで後ずさった。目が良すぎるのが災いしたのか、ホワイトアウトした視界に困惑しているらしい。


 「…こちらへ!」

 「あっ…!」


 素早く身を翻したその人は、未だへたり込んだままの尊の腕を掴んで引き上げて走り出した。我に返って、半ば引きずられながらも懸命に足を動かす。まだ危機を脱したわけではないが『助かった』という事実が、今度は恐怖をカンフル剤にしたのだろう。散々歩いて疲弊していたはずの体はこれまでに無いほど昂ぶって、命の灯を消すまいと懸命に動き続ける。



 ──────けれども、限界はすぐに訪れた。


 ただでさえ歩きなれない森を、パンプスで走っていたのだ。先導する男の手は力強かったが、尊が木の根に足を取られて堪らずつんのめった拍子に外れてしまった。ザザッとそのまま倒れ込むと、男もはっと振り返る。


 「いった…!」

 「使徒殿!!」


 慌てて立ち上がろうとする尊に、突如がばりと男が覆いかぶさる。…上から再び熱気が降ってきたのは、その直後だった。先ほど男が光を放ったように、あの化け物は炎を発せられるのだろうか?


 「ぐっ…」


 苦しげな呻き声に、またしても庇われたのだと知る。互いにうつ伏せで相手の表情も伺えないが、ぞっとするような焦げ臭い香りがじわりと漂って悟った。


 「あ…怪我を…っ」

 「…っ大事ない、それより御身はご無事か…?!」

 「なにも…!私は大丈夫です…!!」


 ひたすら自分を案じる声にふるふると頭を振りながら、じわりと涙が滲む。


 (大事ないわけない…!)


 先ほどからポタリポタリと地面に落ちるのは、彼の汗に違いない。…私を庇って、火球をくらったんだ…!

 男の腕の中、慌てて身を捩って仰向くと、旅装なのか頭と顔の大半をも覆ったマントから力強い碧の瞳が覗いていた。恐らく普段なら穏やかに凪いでいるであろうその瞳は今、隠しようもない苦痛を滲ませている。


 そしてその向こうに見えた、絶望。


 「追いついたか…だがこちらも…“来た”!」


 空を飛んで現れた化け物に、尊は口をはくはくとさせることしかできない。しかし男は、僅かに喜色を纏ってその身を起こした。彼がしゃらりと背中の剣を抜いて化け物と対峙すると同時、今度は純白の翼が空に羽ばたく。

 現れたのは、一対の翼を持つ…虎。


 新手の化け物かと尊も身を起こすが、ソレが男の傍で炎の獅子に対峙するのを見て安堵した。“来た”のは、どうやら味方であったらしい。虎とは言ったが、尊の知る獣より一回りも二回りも大きく、なによりその背には翼を持っている。獅子よりは小さいが、怯むことなく低い姿勢で恐ろしげに威嚇する姿はとても頼もしかった。獅子も新手の登場に、幾分怯んだのか距離をとって対峙している。


 僅かに希望が見えて、尊は小さく息を吐いた。何気なく自分の胸に手をやり、視線を落として…愕然とする。


 なに…この、べったりとした────────あかは。


 自分には大きな怪我などない。それならば、この、……血は。

 ハッと目を向けた先、男は先ほどまで構えていた剣先を地面に下ろし、それを支えにするかの如く立っていた。肩で大きく息をしている様を見て確信する。

 彼が尊を庇ってその身に受けたのは、火球だけでは無かったのだ。あの爪で…こんなに出血するほどの傷を…!


 背後の尊の気配が変わったのに気付いたのか、ぐっ、と再び剣を持ち上げた男が僅かにこちらを見やる。


 「使徒様…先に(・・)お逃げください」


 嘘だ、と咄嗟に思った。彼は残って…そして。

 

 剣先で獅子を牽制しながらも、男は何事かを傍らの虎に囁きかけている。まさか、と思ったその瞬間。


 「…行け!!!!」


 男は叫んで、自ら獅子に向かって飛び出していく。ザッと身を翻した虎が頭で尊を掬い上げ、咄嗟にしがみついたと見るや助走をつけて宙に跳び上がった。


 「まっ…待って…!!」


 必死に首を巡らせる尊の眼下、獅子に斬りつけてちらりとこちらを見やった男が叫ぶ。


 「命に代えても、帝都にお連れしろ!!…どうか…ご無事で!」


 そう言い放って再び獅子と斬り結んだ男を置き去りに、虎は空を駆け始めた。…ほんの僅か、主を振り返る素振りを見せて。


 「待って…!駄目っ……いやああああああぁぁああ!!!」


 涙を零して叫んだ尊の気持ちも置き去りに。

 

 ─────────彼の姿は、すぐに木立の中に見えなくなった。






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