4 遭遇
分け入っても分け入っても…
「青い『森』ってね…ふふふふふふ…」
青筋を立てながら皮肉気に笑って見せるという芸当を披露するも、あいにくと異世界でもおひとりさまの尊である。パンプスは無論森歩きに適するはずもないが、幸いにも履きなれたローヒールの愛用靴は、マメや靴擦れを生じさせることなく機能してくれている。
東へ向かえ、とのあまりにも大雑把な指示にしぶしぶ従い、森を歩き始めてから1時間以上が経過していた。
(とりあえず太陽と思しきシンボルを目印に来たはいいけど、なんかこう…ちょっと黄色っぽすぎる気もするのよね…。まさか日の出入りの方角が真逆だったり…)
こちらでは別の名称を持つだろう“太陽”を頼りに東を目指したはいいが、今更な疑問が頭を過ぎる。
「…えぇいもう行くしかないのよ!!」
あの場でじっとしていても、こうして歩き回って遭難したとしても、最後に待つのが最悪の展開であることに変わりはないのだ。ならば少しでも足掻いて、それでもダメならあの自称酒神サマを呪いながら力尽きてやるわ…とネガティブなのかポジティブなのか分からない思考がグルグルと回り続け。
ちょっと落ち着け、と自分に言い聞かせる。少し上がってきた息を整えながら、回想に沈んだ。
───────完全にブラックアウトした端末画面を恨めし気に睨み、大きくため息を吐いてぽいっとトートの辺りに放る。…こんな森に、そして恐らくこの世界にスマホの充電環境があるとは思えない。自称酒神…ええぃもうロキと呼んでやろう…の口ぶりから判断するに、恐らくこの世界はさほど発達した文化を持たないのだろう。少なくとも、テクノロジーの分野に関しては。
気を取り直して、再びトートを覗き込む。役立つもの、とロキは言ったが、果たして。
「やっぱり…なんか奥が見えなくなってるんですけど…」
これも神の力というものなのか、n次元ポケットにされてしまったらしいトートを不気味気に見やる。明らかにオーバーサイズなアタッシュケースを取り出したところで、尊は自分の“常識”をとりあえず隅に追いやっておくことにした。
「良かった!私のソムリエナイフも入ってる!ペティナイフにアイスピック…ってほとんど凶器じゃないのよ職質されたら一発よ……ん?」
小ぶりのアタッシュケースはスポンジの緩衝剤が敷かれ、尊が愛用するバーツールがいくつか入っていた。中でも祖父のプレゼントしてくれたソムリエナイフが入っていたことに安堵する。その他にひとつ、見慣れない小箱が入っているのに気付いて手を止めた。
「なにこれ…鍵?」
しゃらりと銀色の鎖に通されたシンプルな鍵。現代社会で用いられるような複雑な構造ではなく、おもちゃの宝箱でも開けるような単純なものだ。くすんではいるものの、金色でずっしりと重い…恐らく金でできている。持ち手に赤い石が埋め込まれたそれに、尊はふと既視感を覚えた。
「これ…おじいちゃんがつけてた…?」
杖はついていたものの、快活で小粋な老紳士そのものだった祖父。常に身だしなみは整えていたが、時計以外に装飾品を付けているのは見たことがない…このキーチャームを除いて。だからこそ印象に残っていたのだろう。祖父は時折、首元から取り出したこれを愛おしげに撫でていた。当然、失踪時にも身に付けていただろうこれが、この世界にあるということは───────
(やっぱりおじいちゃんは、この世界のどこかにいる…!)
尊にとって、たった一人の肉親。親の愛を知らぬ子供に、惜しみない愛情を注いでくれた唯一の存在。祖父敬一郎が、たとえどんな形にしろ、この世界にいるのだ。
尊はキーチャームを自分の首に掛けると、トートに持ち物を全て放り込み、気合を入れて立ち上がった。
(赤ワインだか生命の水だか知らないけど、どうでもいい。はやくおじいちゃんを見つけて、日本に帰る…!)
──────そうして、一人森をさまよっていたわけなのだが。
「…はっ…はぁ…“お迎え”なんて、ほんとに来るのかしら…」
都会暮らしですっかり鈍った体に鞭打って、癪には障るがロキの言葉にすがってここまで来たものの、先の見えない行程は想像以上に尊を疲弊させた。じんわりと滲む汗を拭いつつ、ワインと一緒に購入していたミネラルウォーターを大切に飲む。どうやらこのトート、重さも軽減してくれているらしい。それに関してだけは、現金にも『ロキ様々』と思わずにはいられなかった。
先ほどから木立は少しずつ小ぶりなものが目立ち始め、時折見慣れない小動物が姿を見せるようになってきた。幸いそのどれもが尊の姿を見るなり逃げて行くので、あんまり危険な獣なんかはいないのかな、と楽観的になってくる。
…その時だった。
────グルゥガアアァァアア!!!!
轟音と共に、真っ赤な炎が視界に飛び込んできたのは。