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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
第一章 最後の錬成師
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断章 従騎士はかく語りき

誉れ高き騎士よ

常に正義を掲げよ


謙虚であれ、誠実であれ

欺くなかれ、裏切るなかれ


汝らは民を守る盾である

我らは主を護る矛である


騎士たる誉れを忘るるなかれ──



 カザン帝国の城内にある鍛練場の入口には、厳めつらしい文字でこう書かれた石碑が建っている。



 ガルディアにおいて、『騎士』とは出自も経歴をも超越する特権的な称号である。

 そのほとんどは自国の王族・貴族に仕えるが、中でも教皇付きの騎士は『聖騎士』と呼ばれ、もはや神格化された存在となる。

 全ての騎士に共通するのは、叙任を受けた主以外の何人たりともに隷属を強制されない、という不文律であった。


 騎士とは無論、自称できるものではない。突出した武功や功績が認められると、出生国を通じて中央神殿(セントルレグリス)へ申請が叶う。その認定を受けて初めて騎士たる称号を得るのである。


 無論、そこに至るまでの道程は並大抵のものではない。そしてもちろん、申請した全ての者が騎士として認められるわけでもない。


 そんな至高の栄誉を求めて、今日も従騎士──いわゆる騎士見習い(スクワイヤ)は奮闘しているのである。






 広大な城の敷地内には、鍛練場をコの字に囲むようにして兵舎が建てられている。武骨ながらも壮麗な居城とは異なり、実用性と剛健性を追求したこの武骨な建物には、常時千人を越える騎士や兵士が詰めている。


 その三階の一角、騎士ローワン・シュナイツの執務室には、今二人の人影があった。



 「ローワン様は相変わらず下で修練に付き合っているのか…」


 どこか苦々しい表情で鍛練場を見下ろすのは、フルーレティ・アイスバーン。窓にはその端整な美貌と、名は体を表すが如く冷たいアイスブルーの瞳が映っている。


 「あーいいなー…私も早く合流したいっす…」


 執務室に設けられた自分のデスクでだらりと溶け落ちそうになっているのは、ヒルダ・エスクワーズ。女では滅多にいない体格の持ち主だが、今はデスクの上で随分と小さくなっていた。常ならば好奇心にキラキラと輝く緑の瞳が、慣れないデスクワークに心なしか濁っている。


 「いつでも行ってくれていいぞ。その報告書さえ仕上げればな」


 「うっ…ひどい…!フルールの鬼!悪魔ーっ!」


 「ふん、ならばお前の方は何だ?さしずめ怠惰な女神か?」


 辛辣に鼻で笑ったフルールに、ヒルダはぶすくれている。


 頭脳派のフルールと肉体派のヒルダ。ローワンはバランスの良い、実は相性の良い従騎士コンビだと思っているのだが、当の本人たちは気付いていない、もしくは認めたくないらしかった。


 つい先日の一騒動がようやく沈着し、誰も彼もがどこか浮かれる昼下がり。束の間の平和を噛み締めつつ、二人は執務室にこもって書類と格闘しているのだった。


 「大体、自業自得もいいところだ。あれほど報告書はこまめに上げておけと言っただろう。一番古いのは一ヶ月も前の締め切りだぞ!」


 寛容な上司──ローワンは苦笑いするに留まったが、代わりとばかりにフルールが青筋を立てている。氷の如しと揶揄され冷徹だと思われがちだが、実は面倒見の良いこの男は、こうして隙あらば鍛練に飛び出そうとするヒルダを監視しているのだった。


 「へーい…。あ、そういえばさー」


 「まだ無駄口を叩くかお前は」


 「いいっしょ休憩!ちょっとだけ!」


 「……なんだ」


 かれこれ半刻もの間、頑なに目の前の現実(しごと)から目を背け続けているヒルダに敬意を表して、フルールはため息一つで付き合ってやることにした。


 「まぁまぁ、面白い話なんだって。昨日、ミーコ様のとこ遊びに行ったらさ──」







 例のごとく書類仕事とフルールから逃げ回るヒルダは、ここのところミコトの所へ入り浸っていた。

 『バー』と呼ぶらしいその空間は、如何とも形容しがたい居心地の良さを感じさせるのだ。

 『救世の使徒』もとい『最後の錬成師』として公に姿を現し、甘美な白ワイン(デュラルム)を生み出してからというもの、当然の如くミコトは一躍時の人となった。このバーも城中の人々の関心を集めることとなったが、幸いにも客が殺到するような事態にはならなかった。


 (そりゃ近寄りがたいっすよねー)


 易々と扉を押し開ける自分のことは棚に上げ、ヒルダはカウンターに座る人影を見て一人納得した。


 「ヒルダさん、いらっしゃいませ」


 カウンターの人影──宰相閣下と談笑していたらしいミコトは、涼やかに微笑んだ。

 これこれ、なーんか私が来るのを心待ちにしてましたーって感じの対応が心地いいんすよねぇ、と内心感嘆しつつ、ヒルダもペコリと頭を下げた。

 騎士であるローワンはもちろん、宰相閣下や皇帝陛下もちょくちょくいらっしゃると言うから、城の者たちが遠巻きにしてしまうのも無理はない。

 当のミーコがそれを哀しそうにしているので、ヒルダは時々同僚や後輩を連れてきてやるのだけれど。


 「へへ、また来ちゃいました~」


 カウンターから出てきたミコトが、自然な動作で宰相ラグナートの二つ隣の椅子を引く。


 「おや、君はローワンのところの…」


 「はっ、ローワン様付きの従騎士、ヒルダ・エスクワーズでありまっす!」


 「あぁ、いいんですよ。ここではそんな仰々しいことは。こちらの主はミーコ殿ですからね」


 もともと気さくな人柄だが、少々赤らんだ陽気な顔を見るに、何杯分か嗜んだ酒精が拍車をかけているのだろう。礼儀に疎いヒルダはありがたくその恩恵に預かり、遠慮なくスツールに腰かけた。


 「今日も暑かったですね。よろしければまずはこちらをどうぞ」


 何やらいい香りのする冷たい布巾(オシボリ)と共に、カランと贅沢にも氷の浮いた杯が供される。自分が思う以上に喉が乾いていたようで、アイスティーは一息に飲み干してしまった。


 ヒルダさんはエール(ビール)お好きでしたよね、そう言ってミコトが勧めてくれたのは、エールのカクテル。ビールをレモネードで割っただけのレシピながら、ピール入りのレモネードが甘酸っぱく絶妙な比率で配合されていて、いくらでも飲めてしまいそうだ。

 まだ準備不足なので…と(ヒルダにはよく分からないが)簡単なカクテルのみを提供しているとミコトは申し訳なさそうにするが、今日のエール・レモネードも十分に美味しい。


 「そうそう、ちょうどローワン殿の話をしていたところでした。…あ、私にも同じものをいただけますか」


 喉を鳴らすヒルダに釣られたのか、エール・レモネードを所望しつつご機嫌な宰相がくすくすと笑う。

 てきぱきと作業を進めながらも、ミコトは苦笑顔だ。


 「えぇ、ローワンさんの身体能力ってどうなってるのかなって…」


「ローワンさまの?」


 ポリポリとナッツを啄みつつ、ヒルダは首を傾げた。


 「先日からようやく城内をあちこち出歩く許可をいただいたんですけど、ローワンさんに付き添ってもらわないといけなくて…」




 ──それは、トゥーラへ逢いに厩へ向かう途中にある庭園を通りがかった時のことだった。

 先日の夜散歩以来、なんだかくすぐったいような空気が二人の間には流れていたが、それにわざわざ名前を付けようとするほど二人は若くなく、かといって素知らぬ顔をしていられるほど老成してもいなかった。

 ただ互いに─相手もそうとは知らぬまま─居心地の良い時間を共有していた、そんな時。


 「──あれは…」


 談笑していたローワンがふと顔を上げて、傍らの大木の天辺を見遣った。首を傾げつつそれに倣うミコトの目には、眩しい日射し以外何も飛び込んでこない。


 「子猫がいるな」


 「あんな高いところに?!」


 「妖鳥(ハルピュア)にでも連れ去られて来たんだろう。鳴き声が聴こえたから、まだ生きてはいるようだが」


 ミコトの目にはよく見えないが、ローワンの示す辺りを目算するなら十メートルはあろうかという高さである。どうにかできないか振り返ると、ローワンが特に気負った様子もなくマントを外すところだった。

 

 「あの、ローワンさん?」


 「行ってみよう」


 差し出されたマントを反射的に受け取ると、そのままローワンは数歩後ろに下がる。

 ぐ、と強く地面を踏み締めたと思った瞬間、勢いをつけて走り出した彼の身体は、軽々と幹を駆け登って行った。まさしく『駆けて』枝の伸びだす所までたどり着くと、ひょいひょいと枝を伝って天辺へと近づいていく。

 ローワンのそれはもはや、木登りが上手いなどという次元の話ではなかった。


 





 「───で、そのあとは片手に子猫ちゃんを抱えたまま、ほとんど落ちるみたいなスピードで降りて来られまして」


 軽やかに着地を決めたローワンを前に、ミコトはぽかんとするほか無かったのである。


 「最近、大概のびっくり現象には慣れてきたと思ってたんですけど、まだまだ認識が甘かったです…」


 「はぁ、それで『どうなってるの』ってことっすかー。確かにローワンさまは半端なく強いですけど、それぐらいならできるやつは結構いますよ」


 具体的に同僚の筋肉ダルマたちを思い浮かべてうへえとなりつつ、ヒルダは事も無げに言った。

 フルールなら分からない…というかやらないし魔術で解決するだろうが、自分でもできるだろうなー、と内心ふんふんと頷く。

 ミコトは若干遠い目だ。


 「なんだか、普通って何だったっけって思い始めてます…」


 「待ってくださいミーコ殿!うちの精鋭たちをこちらの普通だと思わないでくださいね!?」


 自他共に認める文系人間である宰相は、自分の変態的知的好奇心を棚に上げて必死に弁解したのだった。







 「……。なるほど。それでローワンさまは…」


 「そー。ミーコ様にちょっと遠巻きにされて落ち込んでるってわけ!面白いっしょ?!」


 ひーっ!と品のない笑い方で机をバンバンと叩くヒルダとは対照的に、フルールは頭痛をこらえて眉間の皺を揉む。


 「鬱憤晴らしとは言え、更に鍛えてどうなさるんだ…」


 「もー、さらに人間離れしてくってのにねー」


 「お前も似たようなものだろうが。…まぁ、無礼を承知で言うならば…」


 ガルド神に招かれて世界を跨ぎ、その神にぷりぷりと怒ってみせる使徒殿の方も、人間離れ具合は相当なものである。

 これには思わず、二人とも一瞬沈黙した。


 「う、うーん…つまりは、お似合いの二人ってことか!そうだよね!」


 「…もう何でもいいからそろそろ仕事にかかれ」


 にぱっと断じたヒルダにいつもの如くため息を吐いて、フルールは休憩時間の終わりを告げた。



 従騎士たちの今日は、まだまだ終わらない。






 


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