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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
序章
3/34

2 啓示

 ピチチ、ピチチチ、



 「…ん……う…?」


 

 サワサワと木の葉の擦れる音と鳥の鳴き声、時おり瞼越しに降り注ぐ陽光が、ゆっくりと意識を浮上させた。



 「…おじいちゃ…?…!!」



 祖父と暮らした屋敷での目覚めに似た、懐かしい環境音。思わずポツリと祖父を呼びながら目を開けて、次の瞬間飛び起きた。


 視界に飛び込む翠の葉。青々として適度に陽光を遮り、快適な睡眠をサポートしてくれていたらしい。だがいかんせん、その木々は少々、いやかなり…


 「巨大すぎる!!!」


 思わず叫んだ声は、エコーすることもなく森の静寂に吸い込まれて消えた。



 世界で一番高い樹木と言えば、カリフォルニアにあるコースト・レッドウッドだろうか。あれは確か100メートルをゆうに超えていたはず…。しかし目の前に広がる巨木の群れは、その一本一本がそれに勝るとも劣らない高さを誇っているように見えた。見上げるしかないので確かな数字は分からないが、少なくともその幹は直径10メートルを超えている。苔むす緑の絨毯にそそり立つ森の巨人たちは、圧倒的な存在感で尊の五感を一時奪った。



 ピチチ、と再びどこからか鳥の声がして覚醒する。上体を起こして改めて自分の周囲を見渡すと、どうやら苔のふかふかベッドでぐっすり眠っていたらしい。明らかに異常な状況にも関わらず、自分の形にへこんだ苔の絨毯を見て思わず苦笑してしまった。ふと頭に手をやると、数年前から怠惰に伸ばしてきた黒髪は乱れていて、高い位置で一括りにしていたシュシュはどこかへいってしまったらしいと知る。手櫛で簡単に直しながら、思わずため息が漏れた。


 ここがどこかは分からないが、恐らく日本では無さそうだ。ヨーロッパへの渡航経験しかない私にとっては、こんな大自然、地球上のどこにあるのかも見当がつかないけれど。

 自分の持ち物は、鞄と買い物袋。ワインやつまみもそのままゴロリと投げ出されていた。苔のクッションのおかげか、ワインボトルも傷一つ付いていない。

 日本の四季で言えば春ごろの気候だろうか。汗ばむのでマフラーとコートは取り去り、お気に入りのパステルブルーのワンピース一枚になった。パンプスは低いとはいえヒールが付いていて、森歩きには適さないだろうが…背に腹は代えられない。とりあえず傍らにそろえておく。


 どうやら少し小高いところにいるらしい。ここはどこだろうとパフパフ苔の絨毯を四つん這いで進むと、中央から5メートルほどで端にたどり着いた。


 「これ…もしかして岩…?」


 尊が惰眠を貪っていたのは、どうやら平らな一枚岩の上だったようだ。歪ながらも円形の巨岩は、高さ1メートルほどだろうか、鬱蒼と繁る巨木が少し遠巻きにする様は、さながら舞台のようにも見える。

 とりあえず差し迫った危険はないようだと辺りを見回して、中央に戻った。


 無論脳内はパニック、それでも妙に冷静でいられるのはストイックさを求められる職業ゆえだろうか。生い立ちもあってか、自分で何とかしなければ何ともならないことなど、骨身に沁みて理解している。


 藁にも縋る思いで、何か役立つものはなかっただろうかと鞄を開けた。


 (財布もスマホも無くなってない…何が目的で…っていうかそもそもこれは誘拐なの…?)


 財布、スマホ、化粧ポーチにヘアスプレー…と取り出しながら再三の疑問が頭をもたげる。なんで私が、なんでこんなところに。


 「あれ、まだ何かある…?」


 そもそもこのトート、大き目とは言え普段こんな奥まで突っ込めたっけ…と不審に思い、伸ばした腕を止めたところで、突然けたたましい電子音が響いた。

 スマホの着信画面が点灯している。相手の表示はUNKNOWN、着信音は設定した覚えのない…


 ─────────マタイ受難曲。


 なんとなくイラッとして、むんずとスマホを掴みあげ、応答した。


 「もしもし!?」

 「───やぁ、目が覚めましたか?」


 電話越しにも笑みの伝わりそうなご機嫌麗しい声─────例の不審者らしい。


 「やぁ、じゃないわよっ!突然人をこんなとこに連れてきて…何が目的なの?早く帰してください…!」

 「おっと。お怒りはごもっともですが、どうぞ少し落ち着いてください」

 「落ち着けるわけないじゃない!そもそもどこなのよここ…」


 飄々とした相手に怒りと共に涙までこみ上げそうになって、思わず声が震えた。


 「…Ms.カンナギ、あなたには本当に申し訳ないことをしました。まずは心よりお詫びいたします。納得していただけるかはわかりませんが、どうか私の話を聞いていただけませんか?」


 ふと真剣味を帯びた相手の声に、浅く深呼吸をして少し冷静さを取り戻す。


 「あなた、私の名前を知ってるのね。…それに公園で“ケイイチロウ”って…」

 「えぇ、存じていますよ。あなたに直接お会いしたことはありませんが、私とケイイチロウ…あなたの祖父は旧知の仲でしたから。あなたをこうして“私の世界”にお招きしたのも、彼の失踪・・に関わることなのです。」

 「!!祖父が今どこにいるか、知っているの?!」



 ─────────そう、祖父敬一郎は、尊が中学校を卒業したその日に姿を消した。

 歩行には杖が手放せなくなった祖父にわざわざ出てきてもらうのも忍びないと、特に感慨もなく卒業式を終えて帰宅した尊を待っていたのは、物言わぬ無人の屋敷。料理好きだった祖父が、尊のためにと前日から仕込んでいた赤ワインたっぷりのビーフシチューはまだ温かく、つい先ほどまで彼がここに存在していたことを教えてくれた。…だが、それだけだった。待てど暮らせど帰らないのに痺れを切らして警察や心当たりに片っ端から連絡して回ったが、手がかりは何も掴めなかった。10年が経った、今も。


 無くなった物や争った跡は何もなく、事件性はないものと判断された。警察は、念のためと山を捜索してくれたが、何も成果は得られなかった。物言わぬ祖父が帰ってくるよりよっぽど良かったと自分に言い聞かせたが、失望感と喪失感は尊の中にぽっかりと巣食い、蝕み続けている。


 それ以来、尊はずっとひとりで生きてきた。


 「…あなたをこれ以上失望させたくはありません。有り体に言いましょう。ケイイチロウはこの世界のどこかにいます…が、生死は定かではありません。私にも見通すことのできない状況に置かれているようです」

 

 どこか厳かに告げられた言葉に、戸惑うことしかできない。


 「おじいちゃんが…?待って、そもそもさっきから“この世界”って何のことなの…?」


 半ば生存を諦めていた祖父がどこかにいる───と急に言われても、うまくその意味を咀嚼できない。脳内はもうぐちゃぐちゃだ。それに加えて、先ほどからどこか引っかかっていたキーワードが再び登場して、今度は聞き流すことができなかった。疑問を呈すと、相手はフフッと吐息をこぼして笑った…らしい。


 「そう、肝心のお話ができていませんでしたね。──────ようこそ、Ms.カンナギ。ここは“しゅしん”たる私が治める…そう、あなた方が言うところの異世界です。こちらでは、『ガルディア』と称されています」



 い せ か い ?



 これ以上ないほどかき回された私の思考の歯車は、自身の辞書にない“異物”を放り込まれ、がっちりとその動きを止めてしまったのだった。



 



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