15
「錬成師さまー!カウンターの高さはこんなもんでいいですかい?」
「水回りの配置を確認してもらえますかね!」
「おいそこのノミ取ってくれー!」
(なーんでこんなことになったんだっけ…)
てきぱきと騒がしく立ち働く男たちの中、ミコトは遠い目をしてふふ…と笑った。
事の起こりは三日前、ラグナートに案内してもらい、酒蔵を見学に来たときのこと。示された先には、山積みになった樽、樽、樽…。この国で流通する酒を全て集めた、まさしく宝の山が広がっていた。
足を踏み入れた内部はまさに石造りの蔵そのもので、手前に前室らしき空間と、その奥にトンネルが三本並んでいる。酒樽は、そのトンネル内にきっちり並んで納められているのだった。
光の石が入ったカンテラを片手に、ラグナートが内部を案内する。
「ここの中身は、おおよそ三年から五年で入れ替わります。扱う酒はほとんど変わらないので、大抵は新酒と入れ替える程度ですが、新しい酒が登録されると追加されていきますね」
「へぇ…ちなみにこちらの酒ってどんな種類があるんですか?」
「種類、というと…製造元によって製法や味、効果に違いはありますが」
ミコトの質問の意を図りかねて、珍しくラグナートは言い淀んだ。
「あ、すみません。私のところでは、製法や原料ごとに分類されることが多いので…」
「ミーコ殿の世界では、そんなにも沢山の酒があるのでしょうか」
「それはもう!数えきれないほどありますよ!」
あちらで流通する酒類は、製法によって醸造酒・蒸留酒・混成酒の三つに大別される。
醸造酒とは、原料を酵母によりアルコール発酵させて作られる酒のことを言う。最も原始的な製法で作られるもので、ワインやビールなどがこれにあたる。また、蒸留酒はこれをその名の通り蒸留し、より高いアルコール度数を得るもので、ウイスキーなどのいわゆるスピリッツである。混成酒はこの蒸留酒に薬草や果実などの副材料を用いて、風味や色味を添加したものを言う。主にカクテルの材料として用いられる、リキュールである。
これらが更に原料によって細かく分類されるため、銘柄まで上げれば本当にきりがない。
「私たちの世界にはかつて錬金術師と呼ばれた人たちがいて、その人たちの技術によって『蒸留』という手法が確立されたんです。あちらでもワインは神聖視されていましたから、それを濃縮した蒸留酒こそを『生命の水』と呼んでいたんですよ」
簡単に言えばワインを更に蒸留したものがブランデー、ビールを蒸留したものがウイスキーと理解しても間違いではない。実際に中世ではこのどちらもが生命の水と呼ばれたのである。
生命の水と言われてしまえば、ラグナートも黙っていられない。
「それはとても興味深いですね…!どうでしょう、ミーコ殿。蔵の中の酒をご検分いただき、よろしければ製法や服用方法についても助言をいただけませんでしょうか」
願ってもない申し出に、一も二もなく頷いた。
「こちらでは、お薬として嗜まれるんでしたね。昔から薬草などを漬け込んだ薬酒と呼ばれる種類のお酒も存在しているんですよ。私も是非勉強させていただきたいです!」
そんなミコトに、ラグナートも目を輝かせる。酒のこととなると一歩常識人の枠から外れるミコトと、皇帝お墨付きの研究オタクが二人きり。
「あぁそうです!せっかくですから───」
「わ、それならここに───」
話が盛り上がらないはずもなく、気付けば酒蔵の中に研究室、もといミコトのためのバーカウンターが作られることになったのであった。
(あれよあれよと言う間にこんなことに…)
こうして一夜が明け、若干の平静を取り戻したミコトは放心していたのである。
(確かに『酒蔵に住みたいくらいです』とは言ったけども…)
昨日の今日でここまで話が進むとは…、と半ば呆れる。失念するところだったが、ラグナートはこの大国の宰相、言うなれば国の第二位の権力者である。この程度のことは造作もないらしい。
今や酒蔵は、お洒落な隠れ家的バーへと変貌を遂げていた。ミコトの仕事場であるオーセンティックバー、『REPLICA』にも負けない上品な高級感を漂わせている。職人がミコトの要望を最大限叶えてくれたカウンターと簡易キッチンは、むしろこちらの方が使い勝手が良さそうで、少し高めの天井部には石が収められたカンテラがいくつもぶら下げられ、柔らかいながらも十分な灯りをもたらしてくれる。
グラスなどのガラス類だけは時間がかかると言われたが、聞けば非常に高価な代物らしいので全力で遠慮させてもらった。
「いかがですか、ミーコ殿」
「ラグナートさん!」
にこにこと入ってきたのは噂の宰相である。かなり多忙であるそうだが、相変わらずその顔は好奇心で輝いて、疲れなど一片も見せない。今日も床まで着こうかという長い新緑のローブを纏っている。
「お約束のこちらをお持ちしました。本当ならばお立ち会いしたいところですが、何分暴君にこきつかわれておりますので…」
ヨヨヨと泣き真似をして見せるラグナートに苦笑しながら、差し出された巻き紙を受け取る。昨日頼んでおいた、酒類の保管リストである。
「どうぞ足りないものがあれば、遠慮なく仰ってくださいね」
「何から何までありがとうございます!まずはこちらのお酒を検分させてもらって、何かお役に立てることがないか考えてみますね」
「恐縮ですが、ミーコ殿の供される酒を陛下共々楽しみにさせていただきます」
その時、コツンと入り口の扉が鳴らされた。見れば、今日も今日とて騎士服を着こなしたローワンがこちらを伺っている。こうして会うのはほとんど一日ぶりだが、なんだか久しぶりのような気がした。出会ったときからずっと一緒だったせいかもしれない。
おやローワン殿、とラグナートが声をかけると、少し遠慮がちに入室してくる。すっかり様変わりした酒蔵の様子に戸惑いつつも、二人の傍へ歩み寄って武人の礼をとった。
「失礼を。お邪魔では?」
「いえいえ、丁度よかった。私も仕事に戻るところでしたので、あとはローワン殿にお任せいたしますね」
「え?いえ、あの…」
ラグナート同様、多忙であろう騎士様にお守りをしてもらうのは気が引ける。そう思って慌てるも、ラグナートは颯爽と部屋を出ていってしまった。
「何か?」
「えーと、いえ、なんでもないです…。あ、ローワンさんは何かご用事でしたか?」
見れば片手に編みカゴを提げている。麻布が掛けられたそれを、ローワンはあぁ、とミコトの眼前に差し出した。
「いや、今日は非番で…こちらを養父から預かって来た。喜んでいただけるといいのだが…」
「ローワンさんのお父様から?ありがとうございます!これはなんでしょう…?」
中にはコルクで蓋をされた小振りな壺が二つ。首を傾げると、ローワンが指し示しながら教えてくれる。
「養父が遠征先で貰ってきたベリーのシロップと、去年の白ワインだ。先日は残念そうにしておられたので、飲み残しで申し訳ないが貰ってきた」
神殿へ赴いた際、毎年飲みきってしまうのだと言われて気落ちしていたのを、しっかり気付かれていたらしい。そんなに物欲しそうにしていたかと恥ずかしく思いつつも、その気遣いが素直に嬉しかった。
「えっ!本当に?!すごくすごく嬉しいです…!あ、私ったら立ちっぱなしで…良かったら座りませんか?一緒にいただきましょう!」
「あ、あぁ、それでは…」
ひどく自然な仕草でサーコートを預かり、スツールへと誘導するミコトの姿に当家の家令の姿を重ねて目を白黒させながら、ローワンはおずおずとカウンターに腰掛けた。ぐるりと辺りを見回して嘆息する。
「よく一日でここまで…これは一体?」
「酒の研究をする、っていう名目でどんどん話が進んでしまって…本当はちょっとした試飲用の設備があればと思ってた程度なんですけど、ラグナートさんが全て手配して下さって。この内装、私が元の世界で勤めていたバー…お酒を提供するところにそっくりなんですよ」
カウンターを回り込んで、ローワンの正面に立ったミコトは苦笑いで答えた。
(うん、やっぱりこの立ち位置が落ち着くなぁ)
ここしばらくは遠ざかっていた自分の居場所にようやく戻って来られたような心地がする。
「それでは、そのお召し物も?」
「そうなんです!私にも侍女の方をつけていただいてるんですけど、戯れにあちらでの制服の話をしたら一晩で準備してくださって…。男物なので驚かれちゃいましたけど、せっかくなので着てしまいました」
パリッとアイロンの効いた白シャツにブラックのベストとパンツ。小ぶりな蝶ネクタイに、足首まである腰巻のソムリエエプロンを締めて、長い髪は高めのポニーテールに。これがミコトのいわば戦闘服で、身に付けるとやはり気が引き締まる。
「こちらの方にはちょっと変な感じに映るかもしれないですね」
「いや!…凛としていて、その…とてもお似合いだと思う」
今朝城内で向けられた奇異の目を思い出して肩を竦めたミコトに、ローワンは慌てて否定した。正直に禁欲的で大変そそられる、とはさすがに口に出さなかったが、実際にミコトの立ち姿には目を奪われるものがあった。不器用ながらも真っ直ぐな言葉に、ミコトも思わず赤面する。数瞬、なんとも言えない空気が流れて、ミコトはらしくもなく慌てて話題を逸らした。
「えーと…、ありがとうございます…!あの、ところで頂いたこちらは普段どうやって飲まれてるんですかっ?」
「っ!あぁ、シロップは水で割って果実水にするか、甘味に使われるのが一般的だな。白ワインはそのままか、水や氷で割って飲むことが多い」
なるほど、と頷きつつ、まずはどちらも味見させてもらうことにした。白磁のカップを取りだし、少量ずつ注いで色味、そして香りを確かめる。
シロップはとろりと濃い葡萄色で、わずかに清涼感のある甘酸っぱい香りがした。小指の先に付けて舐めとると思った以上に甘く、プラムやカシスに似た味わいがする。
本命の白ワインはというと、見事な金色で澱も無く、青草のような独特の香りが鼻を擽った。わずかに口に含んで舌で転がすと、爽快な辛口、酸味も強めである。
「これ、とっても完成度が高い…美味しいです!」
どうぞローワンさんも、とカップを差し出そうとするも、これまでミコトの動作に見入っていたローワンは気まずそうに首を振った。
「いや、気を悪くしないでいただきたいのだが…私はどうも酒が苦手なようで。エールもデュラルムも、酸味や渋味が強くてなかなか手が出ない」
こんな成りでお恥ずかしいが子供舌のようでな、と苦笑する。酒は薬として服用されることが多いが、特に子供には酸っぱくて苦いと嫌がられるのだという。子供でも服用できるあたり、アルコールの分解には優れた体質の人種なのだろうが。
「そういえば、前にもそんな話をされてましたね。うーん…あの、もし良かったら、なんですけど」
俊巡して、思い切って提案する。
「カクテル、飲んでみませんか?」




