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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
第一章 最後の錬成師
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 全知全能の、とミコトさんの世界では神をそう表するそうですね。それに則れば、私が神と呼ばれるのは些か語弊があるかもしれません。


 この世界は私の箱庭などではありません。『真理』に依って星が、空が、大地が生まれ、同じように『私』も生み出されたのです。それはあなた方の世界も同じ。それを偶然と呼ぶか必然と呼ぶかは私にも分かりませんが──あるいはそれこそ『運命』と呼ばれるものなのかもしれませんね。


 そうやって、この世界も私も『真理』に縛られている。そしてその世界の存続にいわゆる赤ワインが必要だと申し上げた理由は以前にも申し上げた通り。


 それが、約束──誓約だからなのですよ。私が愛し慈しんだ者たちへの庇護と、彼らからの親愛の証。この地に『ヒト』が誕生したとき、彼らは私と誓約を交わしました。細くとも長く、連綿と続く未来を願って、生命の水(アクアビテ)を捧げ続けることを誓ったのです。


 今世の人々は彼らをサージュ、賢者と呼びます。


 …実は、生命の水(アクアビテ)は正に、『血』の代わりだったのです。賢者たちの血脈が途絶えぬ限り、この世界が存続してゆくようにと。しかし彼らは賢くも儚い種族でした。そのため私は誓約の抜け道、保険として生命の水を利用することにしたのです。


 あとはミコトさんもお聞き及びの通り、彼らは『錬成師』たちを世に送り出し、幾世に渡って誓約を果たし続けてきました。そしてそれによって私とこの世界(ガルディア)は繋がっていられたのです。


 …異変が起こったのは、二十年ほど前のことでした。私とガルディアとを強く結びつけるため、各国には遺物が置かれています──ご存じでしょうか。その内のひとつと『繋がれなく』なってしまったのが、そもそものきっかけです。


 先に申し上げたように、私とて誓約に、真理に縛られる身。それでも我が子同然のガルディアで起こるすべての事象は私の意識の中にある、…はずでした。


 そこから生ずる全ての異変──錬成師の失踪、粗悪ながらも効能を持つ紛い物、天命尽きぬ王の頓死──容易に繋がっていると分かる事象の糸が、私の預かり知らぬところでひどく絡まりあっています。


 こんなことが起こる理由は、ひとつしかありません。今、ガルディアは他の世界からの干渉を受けているのです。これでは私には、いえ私だからこそ手が出せません。


 私はやはり、あなたに言わねばなりません。世界を──ガルディアを救ってくださいと。





 ミコトは、鏡越しに厳かに語るガルド神の言葉を、自分でも意外なほど冷静に聞いていた。もう腹をくくってしまったのだと言うことか、動揺はない。



 「本当は、色々と聞きただしたいことはある…けど、祖父のことにせよ、今恐らくあえて語らなかったのは『話せないこと』だから、という認識でいいのかしら」


 あまりに近しいからこそ干渉できないという神は、微笑むことでそれに応えた。


 「その救世の使徒とやらが私じゃなきゃいけない理由も、あるのね?」


 ほぼ断定する口調で告げると、ガルド神は同じく沈黙を返す。

 それを肯定と受け止めて、ふう、とため息をひとつ。


 「絡まった糸を解きほぐしていけば、私は真実にたどり着ける…ということね。祖父の安否が分かるというなら、目的はそれで十分。手段を──私は何をすればいいのかを、教えて」


 とうに覚悟は決めていた。選ぶ道が定まったのなら、あとはひたすらに進むのみだと、アルザス陛下にも告げている。


 『──異変はゲルニアの聖域…青の泉から始まりました。恐らく紛い物の生命の水(アクアビテ)の出所もそこでしょう。その流通を辿れば自ずと道は拓けるはず。…どうか、あなたの騎士をお傍から離しませんよう』


 「えっ?」


 (私の騎士、って…)


 『そして生命の水(アクアビテ)の一刻も早い復活を、どうかお願いいたします』


 新たに生まれたいくつもの疑問を返す間もなく、再び白光がミコトを包み始めた。会談の終わりを悟って叫ぶ。まだ肝心の話をしていない。


 「待って!私、ちゃんと帰れるの?!」


 完全に白く染まったミコトの世界に、ガルド神の声だけが響く。


 『ええ、──そのときが来て、あなたが望むのならば』


 意味深長な一言を残して、神の気配はふつりと消えた。







 ──パタン


 背後で閉まった扉の音に、ミコトはハッと覚醒した。思わず上げた視線の先には、ローワンとリーシュ翁が先程と変わらぬ姿で佇んでいる。

 どうやら無意識のうちに、自ら部屋を出てきたらしい。


 「ミーコ殿、それは…」


 ローワンの視線を辿って自分の手元に目をやると、先程までは確かに無かったある物をしっかと握りしめていた。


 ひょろりとした、節だらけで葉もない緑の枝──否、苗木。ミコトはたった数十本のそれらを凝視して呼吸を止めた。


 たった今地面から引っこ抜いてきたかのように、瑞々しく土をも纏わせたままのそれは、間違いなく葡萄の苗木であった。


 「あの、これ、もしかして…」


 恐る恐る二人の眼前へと差し出す。

 リーシュ翁は気負いもなく手を差し出して、その苗木を受け取った。指先で文字を追うようにその節々を辿っている。


 「ガルド神がお託しくだされたのですな。やはり間違いなく、ミーコ殿は救世の使徒。現状、最後の錬成師であらせられる」


 老翁は穏やかに微笑み、苗木を推し戴いて深々と一礼した。


 「どうかこのご神苗(しんびょう)は儂にお任せあれ。必ずや立派に育て、ミーコ殿に献上つかまつる」






 事の重大さを慮れば一刻も早く城へ戻って奏上すべき内容ではあったが、ミコトにはどうしてもこの葡萄畑、ワイナリーが気にかかる。そう控えめに申し出ると、リーシュ翁は鷹揚に二人を茶席へ招いた。ローワンは事も無げにミコトの言に従うと告げる。

 どうにもこそばゆいほどの生真面目さで仕えられるのには慣れそうもないが、それが彼の性分なのだろう。


 リーシュ翁は子供たちに茶の用意を言いつけると、二人を葡萄畑の見える屋外の四阿(あずまや)へと招いた。手作りなのだろう、素朴な木造の四阿には、円卓と丸太を切り出しただけの椅子が置かれていた。そしてその支柱には、恐らく葡萄とおぼしきツタがびっしりと絡み付いている。おかげで中天に差し掛かってぎらつく陽光が遮られ、涼しく過ごすことができそうだった。

 そういえば、とミコトは空腹に気づく。いつの間にか昼時になっていたらしい。気を利かせたリーシュ翁が運ばせた軽食─甘辛いタレの絡んだ野菜と燻製肉を巻き込んで食べる平焼きパン(ブラン)─を堪能しながら話を続ける。


 「私、どれぐらいあの中にいたんでしょうか」


 「そう長くはなかったかと。はじめは光と共に忽然と姿を消されたが、四半刻もせずに出てこられたな。虚ろな様子ではあったが、ご自分で扉を開けて出てこられたように見受けた」


 「なんじゃ、澄ましおって。随分と狼狽えておったくせに強がるのぅ」


 「…リーシュ様…」


 弱りきった様子で深いため息を吐いたローワンに、ミコトも苦笑する。リーシュ翁は遠慮なく笑っているが、ローワンが驚くのも無理はない。


 「自分では苗木を受け取ったことも、扉を開けて出てきたことも覚えていないんですけどね。…それで、」


 そうしてミコトは、ガルド神の『お告げ』を二人に伝えた。かなり曖昧にされた部分もあったが、端的に伝えるべきことは絞られる。──あなたの騎士、については戸惑いのまま伏せた。


 「ゲルニア帝国か…確かにあそこは閉鎖的な国柄だが、予期せぬところだったな。神殿を含む神域はその国の直轄ゆえ内政干渉になる…正攻法とはいかんだろうが、陛下は至急探索を出されるだろう」


 「ふむ。ガルド神のお言葉をこれほどはっきりと伝えていただけるだけでも興味深いがのう、特に生命の水の存在意義については皆が認識を新たにするじゃろう」


 どうやらミコトは、この世界の神話に新たな逸話をもたらしてしまったらしい。


 「賢者の血脈を擬する生命の水か。確かに世界の存続と生命の水の因果は、これまで神との誓約とだけ伝えられてきたが…」


 「とは言え、実のところ生命の水について詳しく知る者はそう多くないのが実情じゃな。なにせ神への供物じゃ、庶民がおいそれと目にできるものではない。白ワイン(デュラルム)のおかげで縁深きこのカザンでさえ、生命の水についてはその効能ぐらいしか知られておらぬ。…ラグナートあたりは新説に小躍りするだろうがの」


 研究者肌の宰相とも面識のあるらしきリーシュ翁はさも可笑しげに笑った。が、すぐに物憂げな口調で言う。


 「…それにしても、異世界よりの干渉とは如何なるものか。この年寄りには想像もできませなんだ」


 「私も話だけは聞いたのですが、私が元いた世界やこのガルディアの他に、幾多の世界が存在しているそうです。ガルド神は可能性の果実と呼んでましたけど…私がここへ連れてこられたように、何か条件が揃えば干渉できるのかもしれませんね」


 叡智の大陸(アトラスフィア)でガルド神から伝えられた話を思い返し、ミコトは思案しながら言った。なんにせよ、今は分からないことが多すぎる。


 「矮小なる我々には、考えても詮なきことかもしれんのぅ。ガルド神のお導きの通りに行動するより他は無かろう」


 一度落ち着いた場を見て、ミコトはずっと気にかけていた本題を切り出す。


 「あの、それで肝心の生命の水作りのことなんですが…」


 錬成師がどのようにアクアビテを作ってきたかは基本的に秘匿されている、とミコトはラグナートから聞いていた。ただ鍵を持つ者だけが神域に入り、生命の水の材料を与えられる、と。

 そしてこのガルディアには、あまり発達していないとは言え、『(グラース)』が存在している。その上白ワイン(デュラルム)が作られているということは、やはり原料である赤葡萄の存在が貴重だったのではないかとミコトは予想していた。


 「──細かい違いはあっても、私の知る限りでは白ワインと赤ワイン、ええとこちらで言うデュラルムとアクアビテの醸造方法はほとんど同じなんです。こちらで白ワイン(デュラルム)を作ってらっしゃるのであれば、果実さえ生れば素人の私よりよほど簡単に作ることができると思います」


 こうして苗木を手に入れた以上、今後果実の増産は可能なはずだ。つまり、ミコトにできる役目というのはここで終わったも同然ではないかと思うのである。

 それに何より、葡萄の結実はもちろん、ワイン造りには時間がかかる。実が生るまでに最低三年、ワインを完成させるには、形ばかりでも四年はかかるかもしれない。


 (そんな時間はないのに…!)


 切実に訴えるミコトに、ローワンは端正な柳眉を歪めて物憂げな顔だ。リーシュ翁は静かに、しかし労わるような優しい声音で宥める。


 「そうさの、ミーコ殿にはこうしてご神苗を手に入れてくださっただけでも十分なお働きじゃ。…しかしお許しくだされ、我々には生命の水を作り出すことができぬ」


 「そんな…!」


 「本当に不甲斐ないことじゃが、これはもうそういうことわりであるとしか言えぬのう…」


 醸造の方法はわかっているが、どうしても錬成師以外では発酵しない。ただ腐る、と言う。

 錬成師のみが生命の水を生み出せる。…それがこの世界の理、真理。


 「酵母の問題とかなのかなぁ…」


 がっくりと肩を落としつつ、それでもなかなか前向きな思考をするミコトに、リーシュ翁は少しばかり明るい声で笑って見せた。


 「だがしかし、こればかりは誇らしいことに──この老いぼれがミーコ殿の憂いを一つばかりは晴らして差し上げられそうじゃ」


 え?と思わずローワンにも視線をやると、彼もようやく眉間の皺を解いて立ち上がり、微笑みながらミコトへと手を差し出した。


 「どうぞ畑へ。…きっとお喜びいただけるだろう」





 匂いで分かりまする、と盲目のリーシュ翁は危なげなく二人を先導する。間近で見る葡萄畑は、まさしくミコトの知るそれと寸分違わない。日差しは強く汗ばんできたが、土と葡萄の香りで清々しい心地になる。

 ほどなく一行は、何も植えられていない畑の片隅で足を止めた。ごろごろと小石が転がり、一見荒野にも見えるその土壌が葡萄作りには適しているのだとミコトも知っている。空地には、既に胸の高さほどの支柱が立てられていた。リーシュ翁はおもむろにしゃがみこみ、手で支柱の根本を掘ると例の苗木を植え付ける。


 そして。


 「──健やかなれ」


 根本を抑えたリーシュ翁の両手から温かな光が溢れる。すると、ふるふると苗木はその身を震わせ、緩やかながらも目に見える速度で成長しはじめた。しゅるしゅると支柱に巻き付きながら伸びた枝は、やがて細く青々とした緑からがっしりとした茶色の枝へと膨らみ、先ほどの頼りなさが嘘のように大地へと根付く。


 そこでリーシュ翁は光を収束させて立ち上がり、いたずらっ子のようにも見える表情でミコトを振り返った。…本当に今日は、いやこの世界へ来てから驚かされっぱなしである。



 「儂がこの神殿の神域に足を踏み入れたのはただ一度──この『緑の人』の任を賜ったときだけですじゃ」



 葡萄を育てるには時間がかかる…確かに、ミコトの懸念の一つは解消されたようである。






 



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