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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
第一章 最後の錬成師
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 「騎士だぁーっ!」

 「翼虎(エルティガ)だぁーっ!」


 トゥーラがゆっくりと地面に降り立つと、まろび出るようにして子供たちが現れた。わらわらと数人が駆けてきて、背後の館からも興味津々な目がいくつも覗いている。年の頃は五、六歳だろうか、キラキラとした眼差しがローワンたちに向けられる。

 

 「この子たちは…?」


 「この神殿で預かりになっている子供たちだ」


 ミコトが降りるのに手を貸しながら、ローワンが答える。


 「身寄りのない子供たちは、ここで白葡萄(レザン)の世話を手伝いながら育てられている。白ワイン(デュラルム)の利益はこの子たちの養育に充てられているんだ」


 元の世界でも、時として教会が孤児院の機能を持つことは知っていた。独占的な産業を公共事業として運営し、その利益を福祉に充てているというのは、かなり合理的なやり方だと感心する。

 辟易とした様子のトゥーラが、子供たちの視線を振り払うようにパタパタと尻尾を振った。



 「───こらこら、お前たち。お客人に失礼だろうに」


 小さいながらもよく通るしわがれ声が、子供たちの背後、建物の入口から響いた。ミコトらを囲む子供たちより幾分かは歳上の女児に両脇を支えられ、老翁がゆっくりとこちらへ歩んで来るところだった。

 

 「リーシュ先生、御無沙汰しております」


 ローワンの挨拶に皺くちゃの顔をさらにくしゃりと歪めて、老翁──リーシュは破顔する。


 「ほんに久しぶりだの。元気にしておったかえ」


 「はい、先生にもお変わりなく。──本日は『陛下の賓客』をお連れいたした」


 「ほお…」


 しずしずとミコトの眼前までやって来たリーシュは、まるで修道士のような灰色の長衣を身に付けている。その袖口から僅かに覗く枯れ枝のような手が何かを探すように差し出されたところで、ミコトは彼が盲ていることに気づいた。

 とっさにその手を両手でとり、改めて名乗る。


 「初めまして、カンナギ・ミコトと申します。どうぞミーコとお呼びください」


 「おぉ、ミーコ殿とおっしゃるか。このようにうら若き女人がご使者とは…『遠く』よりよう参られた。神殿長とは名ばかりじゃが、長生きだけはしておるでの。どうぞリーシュとお呼びくだされ」


 目が見えぬゆえか、年の功ゆえか、それだけの会話で全てを見透しているような心地にさせられる。何よりその纏う空気が祖父、敬一郎に似ている気がして、ミコトは安らいだ。


 「立ち話もなんじゃ、どうぞ中へ入られい。ガルド様も首を長くしてお待ちじゃろうが、この年寄りが案内(あない)する時間ぐらいは許してくださるであろう」


 呼べばすぐ戻るとトゥーラを飛び立たせ、二人は子供たちに囲まれたまま、正面の建物へと導かれた。

 ガルディアは今が乾期、上着を着れば少し汗ばむくらいの陽気である。先程の葡萄畑ももうすぐ収穫を迎えるのかもしれないとミコトはふと思う。石造りの建物内部はひんやりと冷涼な空気が漂って、なるほどワインセラーに適した環境であると言える。

 やはりここはデュラルムを貯蔵しているところなのだろうかと疑問を溢せば、子供たちが口々に肯定してくれた。平屋に見えるこの建物には地下があり、貯蔵庫(ワインカーヴ)になっているという。そう教えてくれる皆はどこか誇らしげで、ちらちらとローワンの方を伺っては高揚を隠しきれない様子もなんだか微笑ましい。



 「ふふ、みんなローワンさんのことキラキラした目で見てますよ。やっぱり騎士って憧れの職業なのかしら」


 「…まぁ、目立つ役柄ではあるが…」


 遠巻きに、しかしずっと着いてくる子供たちの眼差しを受け、揶揄するように見上げたミコトの視線から顔を逸らしたローワンは、分かりづらいが照れているのだろう。そんな二人の様子にリーシュ翁はふぉふぉと笑った。


 「おまえさんがここの出身であることも、この子らは知っておるからのぅ。尚更じゃ」


 「え!そうだったんですか?」


 「うむ。8つばかりの頃には養父どののもとへ引き取られて行ったがの。まったく、あのやんちゃ坊主が何ぞやらかすかとハラハラしておったが、なんのなんの…」


 「翁、私の身の上話などよいではないですか…」



 聞きたい聞きたいと俄然身を乗り出したミコトに、ローワンは苦りきった声を出した。恨めしげなローワンに、とうとうリーシュ翁は呵呵と大笑する。


 「さしもの騎士殿も、ミーコ殿の前では形無しと見える。──さて、お待たせいたしましたな」


 まるで見えているかのように、ある部屋の前でピタリと足を止めたリーシュ翁は、子供たちを皆下がらせて扉を示してみせた。


 「こちらに、お探しのものはありますじゃ」


 まじまじと見れば見るほど、何の変哲もない扉であった。観音開きとおぼしき両扉の取っ手には、随分と古びた錠前が付いている。ローワンが剣を一閃すれば壊れてしまいそうな、脆い守りだ。


 「ふぉふぉ、訝しくお思いかな」


 「…正直なところ、少し拍子抜けしました」


 だろうの、とリーシュ翁は楽しげですらある。慈しむような手つきで錠前を撫でた。かつて住んでいたというローワンも、ただ懐かしいばかりで詳しいことは何も知らないという。


 「そうは見えぬが、この扉は認められぬ者を何人たりとも通さぬ。この儂とて、ここに入室を許されたのはかつて一度きりじゃ」


 「どんな悪戯坊主も、ここだけはどうにもならなかったな」


 「無論おまえさんものぅ」


 「え、それじゃあ今日はどうやって…?」


 慌てるミコトに、リーシュ翁は恭しく頭を下げた。


 「あなたは既に『鍵』をお持ちのはず。どうぞお使いなされ」



 ────鍵。

 ミコトは首から下げたあのチャームを取り出す。祖父の形見と思ってきた、意外にずっしりと重い金の鍵。いとも簡単に複製できてしまいそうな単純な形のそれを、ゆっくりと錠前へと差し込む。



 刹那。



 「!!」


 音の無い爆発。そうとしか形容のできない光の奔流が走る。ぶわりと広がった光に飲まれて、ミコトの意識は白く染まった。







 永くも短くも感じられた一瞬の後、ミコトは扉の中にいた。──いや、恐らくそうであろうと思った。振り返っても扉がない。無論あの二人もここにはいなかった。

 ぐるりと見渡して驚愕する。空の木箱やガラクタが雑多に転がった薄暗い室内、その中心にぽっかりと浮かんでいたのは。


 「鏡…?」


 ミコトの身長を優に越える姿見である。繭のように麿(まろ)い曲線を描き、蔦が絡み付くような意匠の金の縁取りがなされていた。

 窓も灯りもない室内が仄かに明るいのは、この鏡が不思議に煌めいているからだと気づいたミコトは、恐る恐る歩み寄ってその鏡面に触れた。


 ──とぷり


 まるで水面に触れたように波紋が立つ。触れた指先は僅かに沈み、ぬるま湯に浸かった時のように曖昧な感触を伝えてくる。


 「これは…」


 鏡に写る困惑した表情のミコトの姿が揺らぎ、霞んで、別な人物の像を結ぶ。

 相変わらずのダークスーツに白手袋。執事と見紛う金髪碧眼の美丈夫──ガルド神である。喜色満面ではしゃいでいる。


 『良かった!無事たどり着かれたんですね!いやぁ、充電(スタミナ)切れとかで連絡がとれなくなった時はどうなることかと…あれ、ミコトさん…?』


 ミコトの醸し出す不穏な空気にようやく気付いて、ガルド神はたらりと冷や汗を垂らした。


 「…もっと言うべき一言があるんじゃないかしら…?」


 『誠に申し訳ございませんでした!!』


 威厳もへったくれもなく、神であるはずの御仁は深々と頭を下げた。

 ふぅ、と溜飲を下げたミコトは、心なしか瞳を潤ませてこちらを伺うガルド神にとうとう吹き出す。


 「色々、本当に色々ありましたけど。なんとか無事だったことだし、とりあえずはこれでおしまい。これからのお話をしましょ」


 『うぅ…!すみません本当に…!ミコトさんたちの様子も一応見てはいたんですが、ガルディアでは私の影響力が強すぎて、なかなか直接干渉できないのです。今もこうして鏡越しにお話するので精一杯で…』


 しおしおと項垂れ、それでもすぐにしゃっきりと身を起こす。こうして話すのにも、それほど長い時間はとれないらしい。


 『大体の経緯についてはお聞き及びの通りです。あとは私に分かることをまずお伝えしましょう──』



 そうして、神は語り始めた。

 

 



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