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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
第一章 最後の錬成師
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9

 「さて、これで少しはゆっくりと話ができそうだな」


 今度は感涙に咽ぶラグナートを視界から外しながら、アルザスは再び着席を勧めた──ここへ入室したときからローワンとマクシミリアンは固辞しようと頑張っているが、アルザスの有無を言わさぬ笑顔には逆らえていない。


 ミコトはと言えば、隣のローワンから送られる遠慮がちな視線に気付かないふりをしていた。


 (ちょっと怒ってるんですからね私は…!)


 自分を犠牲にしないでくれと請うたのを、この人はもう忘れているんだろうか。


 そんな二人と、それを興味深げに眺めるマクシミリアンをもまるっと見ないふりで、アルザスは口火を切った。──どこで磨かれたものか、見事なまでのスルースキルだ。



「まずはあらためて、臣下の者たちの非礼を詫びる。察されたこととは思うが、このように若い君主を侮ってくれる者たちは少なくない」



 面目ない、と一見自嘲する言葉を吐きながらも、その表情はふてぶてしく不敵である。器も計れぬ愚か者どもだ、と言外に言っているのだろう。

 だが確かに、とミコトは思う。随分と若い皇帝だというのが、正直な感想であった。



 「先程は途中になっていたが…錬成師どの方が姿を消されるようになってから、巷には紛い物の生命の水(アクアビテ)が出回るようになった。…ラグナート、」


 「は。色や風合いはできるかぎり近付けてございましたが、到底本物には及ばぬ効能でありました。ただ霊薬ほどの効能でなくとも病には効くと、大量に出回ったのでございます。はじめは先代陛下も成り行きを静観されておりましたが、衛生観念の低下や薬師の育成が阻害されるなどの弊害が無視できないほどになり、規制を施されることになったのです」



 なるほど、そんな万能薬があれば人々の防災意識が低下してしまうのも仕方ないことだろう。一生食うに困らないだけの大金を手にしたものが働かないのと同じだ…そのうち腐ってしまうところまでもが。



 「無論大きな反発がありました。得体が知れぬものをおいそれと大地には還せぬと、回収させたのも裏目に出て…曰く、王は霊薬を独占するつもりであると」


 「愚かな…」


 

 思わずといった様子でマクシミリアンが溢し、拭いようのない苦々しさを噛み締めるかのように(かぶり)を振る。


 さりとて分からなくもない展開だったが、ミコトにとってもあまりに愚直な考え方だと思える。少し考えれば、あるいはよくよく説かれたならば、納得はいきそうな話だが。


 (まるで誰かに世論が操作されてるみたいな…)



 「…そんな最中に、先代陛下が身罷られた」



 ポソリと不意に、しかし重々しい声音でアルザスが呟く。ミコトはハッとした。

 先代陛下…それはすなわち現皇帝アルザス陛下のお父上に他ならない。先代皇帝の唐突な死…それが若すぎる皇帝を生んだのだ。

 硬く表情を凍らせたアルザスを、皆どこか痛ましげに見つめる。



 ────病死とされた、とアルザスは言った。


 彼がそれに納得していないことは、ありありと分かった。

 一体それがいつ始まったのかは定かでない。本人さえ自覚しないほど少しずつ、その『奇病』の魔の手は先代陛下に忍び寄っていた。手足の末端が痺れて固くなり、動かしにくくなったと訴え始めてから、寝たきりを余儀なくされるまで半年もかからなかったという。



 「…父上がご崩御なされたのが今から十二年前──私は八つで皇帝位を継承した」


 こちらの人々が随分と大人びて見えることを思い出したミコトは、第一印象で想像したアルザスの年齢をいくつか下方修正することになった。

 多くは語らないまでも、その即位に際して彼がどれだけの苦慮をしたものか、ミコトには想像もつかない。確かに自身も祖父を失って天涯孤独の境遇におかれはしたが、真の意味でミコトを害する者など元の世界にはいなかった。


 「高名な薬師も原因さえ分からぬと匙を投げた。全身がまるで石のように固くなり、ついには話をされるのがやっとの状態になっても、父上は決して生命の水…そして紛い物さえお召しにはならなかった」


 そしてそんな父を、私は心から尊敬している。


 「常々父上は仰っていた。生命の水とは神への供物、矮小な人間が手にして良いものではないと。ましてや紛い物など、ガルド神への冒涜であると憤っておられた──こらマクシミリアン、あまりミーコ殿に醜態を晒すでない」


 「むぅ…っ、申し訳ござらぬっ…!」


 悔しげな表情で目じりに涙を浮かべたマクシミリアンは、苦笑するアルザスに窘められ、肩を震わせながらもぐい、と涙を拭った。


 「よい、お前たちが忠義の臣であることは私にも分かっている。…さてミーコ殿、ここからが本題だが」


 「…はい」



 こちらをまっすぐな眼差しで見つめるアルザスの雰囲気に呑まれ、重々しく頷く。声を発して初めて、喉がカラカラになっているのを自覚した。



 「剣呑な話に辟易されていることとは思うが、あなたに隠しだてすることこそ不誠実と私は考える。はっきり言おう。父上は謀殺されたのだ。そしてその企てが、ミーコ殿をお呼び立てすることになった全ての元凶、生命の水の枯渇に繋がっていると確信している」


 「錬成師の失踪、紛い物の流通、先代陛下のご崩御…全ての糸は間違いなく絡み合っている。これを解かずして、問題の根本的解決は望めません。…ご不快に思われるかもしれませんが、ミーコ様お一人が生命の水を生み出せるようになったとしても、その場しのぎにしかならないのです」



 ミコトの様子に目敏く気づいてお茶のおかわりを供しながら、極めて恐縮そうにラグナートは言った。


 「先程の馬鹿者たちが紛い物の流通に一枚噛んでいることは、こちらも既に掴んでいる。今は泳がせ、真相の糸口を探っているところだ。…だが、あやつらは目先の欲に目が眩んだだけの小心者。とても暗殺なぞ実行できる器ではない」


 黒幕がいる、とアルザスは不敵に口端を吊り上げた。その整った造形故に、一層酷薄に映る笑みである。


 「それを叩き潰す。父上の誇りを踏みにじった輩を、私は決して許さん…!」


 鋭く光る宝石のような瞳が、しかし無機物にはあり得ない熱を持ってミコトに訴えかける。


 それでもよいか(・・・・・・・)と。


 あえて間をとってカップを手に取り、一口お茶を啜って息を整える。ここまで赤裸々に明かした彼らの心中を、ミコトは察していた。


 覚悟を、求められている。



 「…私には何ができるのか、教えてください」


 「──私は貴殿を我が国のお家騒動にまで巻き込むのだと宣言したつもりだが」


 「いいですよ、そんなに試していただかなくても。皇帝陛下がローワンさんの『主』なら、それだけで私にとっては信じるに値します」



 きっぱりと言った。わざわざこれだけ脅かしてもらったが、残念ながらこちらは既に腹を括っている。おひとりさまの肝の座り具合を甘くみてもらっては困るのだ。

 ここで怯むようなら、きっと彼らは何も求めることなく、ただミコトを庇護下においただろう。だがそんな一方的な関係など、ミコトも望んではいない。祖父の捜索、両親の謎、こちらとて求めるものはある。救世の使徒なぞではなく、同じ人間として信頼関係を築きたい。

 ミコトのそんな考えを尊重してくれたローワンを信じている。ならば、彼の信じるものを、私も信じてみねばなるまい。



 「なるほど──手柄は自重しろと言ったばかりだが、ローワン、」


 「は、」


 ドサリとソファに背を預けて、若き君主はいかにも愉快そうに口端を吊り上げた。先程の雰囲気からは一転、悪戯好きの少年のようにも見える表情でカラリと言い放つ。



 「いいぞ、これからも大いにやれ」



 そして、改めてミコトに感謝する、と呟いた表情は、ようやく年相応の感情を滲ませていた。


 

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