1 流転
キィ、と僅かに軋んだ音を立てて、年季の入ったブランコは私を受け止めた。
ほんの少し体を揺らめかせながら、のけぞって夜空を見上げる。自分の生まれ故郷とは比べるべくもないが、首都近郊とはいえ星が見えた。
「うーん…オリオン座くらいしか見えない…」
かつて祖父と九州の片田舎、それも小高い山の中腹に建つ屋敷で二人暮らしていた自分には、いささか物足りない。それだけ聞くと寂しい幼少期を過ごしたかのように思われがちだが、祖父の屋敷には人が絶えず訪れて、退屈した記憶はなかった。
もとより両親の記憶はなく、普段快活な祖父も二人について…とりわけ居場所については頑なに口を閉ざしたから、幼少のころに死んでしまったのかもしれない。物心つくころには二人でいるのが当たり前になっていて、我ながら薄情とは思っても思慕の念は湧いてこない。
…祖父なき今、寂しくないと言えば嘘になるけれども。
「──────好い夜ですね。」
おもむろに声をかけられてハッとそちらを向いた。いつの間に近づいたのか、闇に溶けこむダークスーツ姿の外国人が、手をのばせば触れられるような位置に立っている。ぽかんとして見上げた視線が絡むと、人好きのする柔和な表情がはっきりと笑顔を形作った。
え、なにこの金髪碧眼のイケメン。夜の挨拶ってなんだっけ、Good evening?でも祖父の友人達はHiとかしか…ってそもそも日本語喋ってなかった…?
一瞬思考が脳内をぐるぐるとして、なんとか絞り出した言葉は
「…お寒くないですか…?」
だった。我ながら間抜けな切り返しに、イケメンも一瞬目を見開いて噴出している。…だってびっくりしたんだよ…!
少しむくれた私に気付いたのか、なんだかツボに入っていたらしいイケメン────いや、癪だからアンタなんか不審者で十分だ!────不審者は、笑いを引込めつつ姿勢を正して一礼した。
「…っ失礼、Ms.カンナギ。我ながら不審に思われることと覚悟していましたが、思わぬ一言につい。」
そう言って右手を左胸に当てかしこまってみせる姿は、その容貌とダークスーツとが相まって、さながら執事のようにも見えた。今気づいたけれど、白手袋までしている。
そう。ダークスーツの一張羅。
(この寒いのに!?コートもマフラーもなく!?本物の不審者じゃない…!)
そこまで思い至ってすわ通報か、いや逃げるのが先とブランコから腰を浮かせたところで、ぐらりと視界が揺れる。
たまらず腰を落とすと、ぐにゃりとした視界の先で男がこちらに掌を向けているのがかろうじて分かった。
「なに…!突然…!?」
「急なお願いで申し訳ない、Ms.カンナギ。”しゅしん”の私が、そうそう世界を留守にすることはできないのでね。……ケイイチロウに負けない、美味しいワインを期待しているよ。」
闇に圧迫されていく視界の中、にっこり笑った男がパチンと指を鳴らして────刹那。
ついに私の意識は暗転した。
無人の公園には、僅かに揺れるブランコの軋む音が響くのみ。それもやがては止んで、何も…誰も、いなくなった。