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───なにそれ。
尊の心中はその一言に尽きた。アルケミスト…それも最後のですって?いい加減頭がパンクしてしまいそうだ。
尊にはまだ何も分からない。この世界の常識も、現状も、もちろん未来も。これが夢である可能性さえ、まだ捨てきれていないのだ。
それでも。
この人々が…この世界が、何かとてつもなく大きなモノを自分に期待しているのだということは分かっていた。
神様に赤ワインを作ってほしいと言われた時には「そんなことのために」と憤慨したけれど、事情を聴いているうちに少しずつ不安は募る。赤ワインを代償に神様は世界を維持する?だとしたら、『最後の錬成師』の責任は重大だ。
(せめて勇者だったなら、強力なパーティーでも組んでもらえたのかな)
なんで私なんだろう。幾度となく自問自答したはずの疑問が、真っ白な脳内にぽっかりと浮かぶ。
泣き喚きたくなる衝動を理性が抑えた。
だって、それが何になるっていうの?そうすれば誰かが手を差しのべてくれるとでも言うの?
けれど一番どうしようもないのは。
誰かに失望されたくなくて、嫌われたくなくて、その期待に応えなくてはと己に強いる自分自身。
「───倪下」
不意に、右肩に温もりを感じて覚醒する。労るようにポン、とローワンの手が乗せられて、ホゥと息を吐いた。どうやら無意識のうちに息を止めてしまっていたらしい。
いつの間にか背後にある気配に安堵する。彼も尊と同じく浴場に案内されたのか、自分と同じ香りがほんのりと漂った。
「ミーコ殿には、昨日からあまりにもご負担を強いている。こうして気丈に振舞ってはおられるが、かなりお疲れのはず」
今も、そして彼自身が瀕死の時でさえ、ローワンの言葉と態度は尊への労りに満ちていた。
少し高揚していた自分を恥じるかのように、イシュトの眉が下がる。
「あぁ…!そうですわよね…配慮に欠けた振る舞い、平にご容赦くださいませ」
「ご、めんなさ…私、少しびっくりしちゃって…」
この優しい、可憐な少女にこんな悼ましげな顔をさせるのは忍びない。なんとか笑顔を貼り付けたけれど、うまく笑えている自信は無かった。
差し出されたままのキーチャームを受け取らねばと伸ばした震える右手を、不意に大きな手が優しく包み込む。ビクリと思わず引きかけた手を、やんわりと引き留められた。
硬く筋ばった手は、いつの間にか血の気の引いた尊の指先を温めてくれる。化け物から逃れようとしたあの時と同じ、強引な、それでも優しい手だ。
その手の主…ローワンは、傍らに跪いてまっすぐに尊を見上げていた。
「差し出がましいこととは承知で申し上げる。…ミーコ殿、ここに、この世界に。あなたに何かを強制し従属させ、束縛できる権限を持つものなどおりません。例えあなたが今すぐに元の世界へ帰還したいと願ったとしても」
「ローワン殿、それは…!」
ハッと顔を上げたイシュトを、ハンニバルがやんわりと押し留めた。ローワンはそちらを一瞥もせず、ただ一心に尊の瞳を見つめている。彼の碧の瞳は、一片の揺らぎもなく、真実を告げる者のそれだった。
本当に?それでも信じきれない心が囁く。
自分の世界の存亡がかかっていると分かっていて、果たしてそんなことを言えるものだろうか。
けれど、一方でか細く訴えかける想いもある。信じたい、信じさせてほしい、と。
「…もし…もし、私が今すぐ帰りたいと…そうでなくてもこの先何の成果も上げられずに逃げ帰りたいと言ったら…?」
「身勝手な有象無象などミーコ殿が気にされる謂れはない。口さがない者たちには言わせておけばいい…その時は、目も耳も、この私が塞いでお連れしよう」
「でも、できることはやってみると約束したのに…」
「…あなたは聡いお方だ。私がどれだけ姑息な状況であの懇願を口にしたか、気付かぬはずはない」
気ばかりが急いて、卑怯と知りつつ言ってしまったのだとローワンは苦く笑う。尊の一瞬の迷いを、彼もあの時見通していたのだろう。
「もし私を許し、信じてくださるのなら…必ずやご帰還のその日まで、御身をお守りすると約束する」
───尊は唐突に思い出していた。
『…何も心配することはない、傍にいる─────良い夢を』
自分を穏やかな眠りに誘った、あの囁きを。
(なんだ…私もうとっくに…)
「───私、小さいときから自分の道は自分で選ぶって決めてるんです」
「…ミーコ殿?」
不意にきっぱりと言い放った尊を、三人が訝しげに見やった。
あまりにイレギュラーが連続して、いつのまにか自分を見失っていたんだろうか。なんだか清々しい気分さえ込み上げてきた。
「誰かのために諦めるとか、不本意な選択をするとか、そんなの甘えだと思ってますから。少なくとも私は弱いから、いつかどこかでそれを『誰か』のせいにしてしまう。その選択の先に待っているのが後悔だろうが、喜びだろうが、全て自分で決めたことなんだと胸を張れる私でいたいと、そう思ってます」
さっきは混乱して、取り乱しちゃいましたけど。
そう言って俯いていた顔をあげ、尊は三人の顔を見つめ返した。
「だから、どうか話を聞かせてください。そして私に選ばせてください。自分のこれからを」
それに、と尊は続けた。
ローワンは『私を許し、信じてくださるのなら』と言ったけれど、彼はどうやら気付いていないらしい。
「私がどんな選択をしたとしても、きっとそれを尊重してくれる…そう思えるくらいには、もうローワンさんのこと信じちゃってますから」
尊の心がどこか落としどころを見つけたのを感じたのだろう。数瞬あっけにとられたローワンだったが、すぐ僅かに相好を崩して立ち上がり、尊のすぐ後ろに控えた。
そうしてようやく、まだどこか気後れした様子のイシュトは、終始平静を保っていたハンニバルに促されつつこの世界“ガルディア”の現状について語り始めた。
────いったいいつ、ガルディアが創世されたのかははっきりしていない。暦が作られてからはおよそ1000年を数えるという。
かつて『可能性の果実』でしかなかった混沌をゼロから一つの世界へと作り上げたのは、唯一にして絶対の主神、ガルドである。ガルドは、いずこからか連れてきた人間と契約を為し、このガルディアを創世した。この人間は『始まりの使徒』…賢者と呼ばれ、古くは『叡智の大陸』の中心に存在していたという。
ガルドは、賢者に守り人として『竜の民』を与え、賢者はその一族の庇護のもと、多くの文明の礎を築いた。その最たるものが生命の水…アクアビテである。
賢者はガルドが次々と生み出すこの世界の住人達に知識や技術を与え、中でも選りすぐりの者たちにこの生命の水の製法を継承し、その正当な証として『鍵』を授けて錬成師と名乗ることを許した。
生命の水の奇跡とも呼べる薬効故か、全ての錬成師は血統で選ぶことなく、ただ一人の継承者にその『鍵』を受け継げと戒められていた。そして賢者が己の役割は終わったと歴史の表舞台から消え去り、1000年以上が経った現代に至るまで、細々と、しかし確かに錬成師たちはこの世界を支えてきたのだ。
───そう、つい最近までは。
「───錬成師様の中には、王城の庇護を受けて役割を全うされる方や、自ら野に下って人知れず生命の水を生み出し続ける方、様々いらっしゃったのです。それが二十年ほど前から少しずつ、消息の知れなくなる方が目立つようになりました。ここ数年の間に、とうとう王城付きの錬成師様までもが…」
「それって…」
殺された、ということなのだろうか。
イシュトを慮ってか、ハンニバルが口を開いた。銀髪の偉丈夫は、鋼のように硬質な雰囲気を纏ったまま淡々と述べる。
「ご遺体が確認されたことはない。ただ、その多くが『鍵』を置いて失踪なさっていることから、少なくとも生命の水を生み出せる状況には無いと推測されている。…推測、とは言うが、ガルド神からの託宣があった以上、もう生命の水を生み出せる錬成師がこの世界にいないのは確実かと」
「でも…待って、それじゃあ私の祖父は…」
これにはイシュトから応えがあった。
「はい。ケイーチロー?様というお名前に覚えはありませんが、…恐らく、祖父君様はこのガルディアの錬成師様であられたのだろうと思われます。どうやってかは分かりませんが、二十年前、異変を感じとって異世界に渡られたのではないかと…」
そしてその『鍵』がガルド神によって尊の手に渡ったということは、尊を正当な錬成師として認めるという神意に相違ないと、この神殿の最高指導者は言うのである。
確かに祖父はどこか異質な人間だった。親戚もおらず、その生い立ちや経歴を尊はほとんど知らない。むしろこの異世界の住人だったのだと、そう言われた方が腑に落ちる点も多々あった。
(でも、それじゃあ…)
賢者の弟子たる錬成師。その継承はただ一人に行われる。そして、尊は祖父・敬一郎から錬成師としての資格を受け継いだ。
『──錬成師の適性を見いだされて──』
『──血統で選ぶことなく──』
(おじいちゃんは…ほんとに私のおじいちゃんだったの?)
アージュと同じように、錬成師としての素質を持つ尊を彼が育てた…ありえない話ではない。両親の顔も見知らぬことは、自分のこの考えを肯定する材料にも思えた。
おそらく、尊と同じ考えに至ったのだろう、後頭部に視線を感じる。
わからない。本当に、わからないことだらけだ。
けれどそれなら、尊の目的は変わらない。むしろ確固たるものになっただけのこと。
「祖父が見つかれば…きっと全てが分かります。私…」
ぐっと膝の上で拳を握り、決意を込めてイシュト達へ告げる。
「私、やります。この世界で生命の水を作って、祖父を探す。決めました!」
だから、と背後のローワンへと顔を向けた。直立したままのローワンは、相変わらず真摯な眼差しで尊を見下ろしている。
「手伝って、くれますか。まだ…何ができるかも分からないのですけど」
それを聞いて、ローワンは再び膝をついた。
「常に傍らにありて、あなたの盾とも矛ともなりましょう。必ずや、お守りいたします」
厳かな、少し芝居がかったとも見える仕草で誓ったローワンに、尊は気恥ずかしいながらも確かな安堵を覚えた。ローワンとトゥーラ、そしてイシュトとハンニバル。まだ見ぬ人々の失望と罵倒に怯えるよりも、彼らを信じて足を踏み出そう。
(足掻いてみよう、このガルディアで!)
どこか幻想のように感じていたこの異界の地を、ようやく自分の足で踏みしめた気分だった。




