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酒神の祝福  作者: 椎名みゆき
第一章 最後の錬成師
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1

 

 

 頂が雲の中に隠れるほど高い連峰の壁、その手前に『門』はあった。それなりの高度でかなり遠くを飛んでいるにも関わらず、見上げなくてはならないほどの大きさである。ほとんど装飾のない、赤いシンプルな二枚扉には、これまた巨大な丸い取っ手が付いていた。あれだけで直径十メートルはありそうだが、一体どうやって開けるつもりなのか見当もつかない。しかも、見間違いでなければあの扉───


 「浮いてる?!」


 どういう訳か、その扉は宙にぽっかりと浮かんでいるのだった。木か石か、はたまた金属か…材質も判然とはしないが、いずれにせよあれだけの大きさの物体が浮いているなど、尊の常識では考えられない。唖然とする尊の心中を知ってか知らずか、心なしか高揚した声でローワンが言った。


 「あぁ、私も久方ぶりに見た。あれは『門』と呼ばれているが、一種の転移陣だ。この『叡智の大地(アトラスフィア)』は、周囲をあの連峰…『巨人の壁(ティタンムール)』に囲まれている。なにしろあそこでは、中央と違って昼夜を問わず妖魔が徘徊しているからな…人が自分の足で踏破するのはほぼ不可能と言われ、私自身このトゥーラ無しでは越えられない」


 ローワンが労わるようにトゥーラの首筋を叩くと、嬉しげに喉を鳴らす音が伝わってきた。


 「それでもかなりの高度を飛行するため、騎獣も乗り手も相応の訓練を必要とされる。それでこの度の帰還にはこの『門』を使用することになった」

 「う…お手数をおかけします…」

 「なんの、全てはこちらの都合だ。むしろミーコ殿に負担を強いらぬ方法があって良かった」

 「そう言っていただけると…」


 (さすがは騎士というか…どんだけイケメンなんだろうこの人…)


 これは相当手慣れてらっしゃる、などと淑女にあるまじき思考で現実逃避している間に、『門』はすぐそこまで迫っていた。


 「恐らくもう術式は成っている。開けてもいいか、ミーコ殿」

 「だ、大丈夫です…けど、どうやって…?」

 「一言・・声をかければいい。少し衝撃がある。しっかり掴まっていてほしい」


 これ以上どうしっかり掴まればいいのか見当もつかないが、彼の腰に回した手に力を込めた。


 「では─────『開門』!!!!!」


 喉を反らして彼が叫ぶと、扉の向こうが白く発光し、僅かな隙間から光の糸が何本も伸びた。そしてそのまま、音も立てずにゆっくりと開いていく。あまりの眩しさに目を眇めたけれど、向こうの景色はただ白く眩いばかりで、様子を窺うことはできなかった。


 「なに、これ…!!」

 「大丈夫だ、正常に起動している。では、行こう!!」


 どこかからかうような色を乗せた声でローワンが言って、次の瞬間には半開きの扉の中へとトゥーラが疾走を始めていた。ぐっと目を瞑っても、瞼の裏は白く染まったまま。一瞬ゴウッと風が舞い上がって─────そしてすぐに止んだ。


 目を瞑ったままの私に、囁くような声が降ってくる。


 「────着いたぞ、ミーコ殿、」


 言われて、恐る恐る目を開いた私の前には────


 「教皇国フロイツが王城にして、ガルド正教会総本山、中央神殿セントルレグリスだ」


 幾多の支柱に支えられた、広大な白い空間が広がっていた。






 磨き上げられ、鏡にもなってしまいそうな床や支柱は全て石だろうか。大理石よりも混じり気のない白をしている。天井は仰ぎ見るほど高く、宗教画らしき絵が色彩豊かに描かれていた。恐ろしいことに、奥はどうなっているのかすぐには分からないほど遠い。…どれだけ広い空間なのだろう。側面は歪みの少ないガラス張りで、差し込む陽光がよりこの場の輝かしさを増しているように見える。


 否、それよりよほど眩く目に飛び込んできたもの。


 「ようこそガルディアへおいでくださいました。心より歓迎申し上げますわ、救世の使徒様」


 鈴が転がるような涼やかな声を発したのは。

 

 「て…天使……!」


 ふわふわとウェーブを描く長い銀髪に、この石材よりも美しい抜けるような白い肌。たっぷりとした生成りの布…質素ながら法衣らしきものを身に付け、身の丈以上もある細身の権杖を掲げた美少女。


 年の頃は14歳くらいだろうか。まさに天使と呼ぶにふさわしい容貌に、思わずポロリとこぼしてしまった。

 よく見るまでもなく、彼女のすぐ後ろにはいかめしい顔で直立する騎士らしき偉丈夫や、平伏して控える数十人もの神官たちがいたのだが、あいにくと尊の目には留まらなかった。


 麗しく微笑んでいた少女は尊の言葉に一瞬目を丸くしたが、すぐにクスクスと笑った。


 (笑い声さえ天上の調べだわ…)


 「恐れ多いことですわ、使徒様。わたくしは一介の神の下僕に過ぎません。まさしく天の御使いたるは、使徒様でいらっしゃいますのに」


 神の下僕…などと言われてしまうと、諸事情で神とやらと面識のある尊は些か倒錯的な気持ちにさせられてしまうのだが…。神サマとは、かようにも恨め…いや羨ましい存在である。


 漫才のようなやり取りにタイミングを逃したのか、そこでようやくローワンはトゥーラに指示を出して檀上───恐らく祭壇だろう───を降りた。尊を抱えて背から飛び降り、ようやくマントを剥いで立たせてくれる。自分はそのまま尊の一歩後ろで跪いた。


 「高いところから失礼いたしました…猊下」

 「げ…いか…!?じゃあ、この子…この方が…」


 ガルド正教とは、この世界のほとんどの人々が信仰する宗教だとローワンから聞いていた。宗教の影響力は、時に軍隊をもしのぐ武器となる。その総本山で『猊下』と呼ばれる人がいたなら、それは。

 慌ててローワンに倣おうとした尊の両手をとって制すと、美少女は蕩けそうな笑顔で名乗った。


 「お初にお目にかかります、使徒様。わたくしはイシュト。畏れ多くも神意により法皇の位に座してございます。…こちらはわたくしの守護、聖騎士のハンニバル。後ろに伏しますは、此度の術式を組み上げた高位神官たちにございますわ」


 彼女が軽く身を翻して紹介すると、聖騎士と呼ばれた偉丈夫は頭を垂れるに留めたが、後ろに並んだ高位神官たちは最早床と一体化せんばかりに平伏した。

 平々凡々、なんの身分も持たない尊には、少々いたたまれない光景である。


 「あの、ほんとに…そんなに気をつかっていただかなくて大丈夫ですから…。むしろお礼を言わないといけないのはこちらの方で…」


 困り果てた尊に、法皇たる彼女は厳かな声で助け船を出した。


 「使徒様がこのように仰せです。顔をお上げなさい。今しばらく、直答を許します」


 は、と代表するように顔を上げた中央の初老の男は、ようやく尊と目線を合わせた。


 「え…と、ローワンさんに聞きました。不慣れな私のために、三日三晩かけて『門』を開いて下さったと…。本当にありがとうございました」

 「とっ…とんでもないことにございます!身に余るお言葉で…!」


 せっかく上げた頭を再び打ち付けんばかりに下げて、気のせいでなければどこか涙声になってさえいる。


 (あああ…)


 益々かしこまられてガックリきた尊を見て、イシュトは苦笑いした。


 「使徒様は、まこと謙虚で慈悲深くあらせられますのね。…あなたたち、一旦お下がりなさい」


 今度は揃って、は、と応の声が上がった瞬間、高位神官たちの姿はそこから掻き消えていた。


 驚く尊を尻目に、イシュトはローワンにも声をかける。


 「カザン帝国が騎士、ローワン。よくぞ任務を果たしてくれました。…あなたもハンニバルと同じ騎士の位を賜っているのですから、そのように畏まる必要はないのですよ」

 「は、過分なお言葉、痛み入ります」


 そこでようやくローワンは立ち上がった。一気に背後の存在感が増して、尊はどこかホッとする。


 「ご容赦くださいませね、使徒様。本来騎士の位を賜りし者たちは、真に主君と掲げる者だけに膝をつきますの。ハンニバルはこのように鉄仮面ですけれど、決して不遜で使徒様に礼を尽くさない訳ではありませんのよ」


 どこかからかうように言ったイシュトに、背後のハンニバルは「倪下…」と苦く呟いただけだった。けれどもその表情はどこか決まり悪げで、この主従の仲睦まじさを感じさせる。


 「とんでもないです!むしろあんな風に畏まられすぎるといたたまれなくて…。あの、申し遅れましたが、私は巫 尊と申します。どうぞミーコとお呼びください」

 「まぁ…どうかもっと楽になさってくださいませ。わたくしのこともどうぞ、イシュトとお呼びくださいませね」

 

 またしても天使…いやもう女神の如く微笑んだイシュトは、背後のハンニバルに何事か小声で告げ、再び尊たちに向き直った。


 「わたくしとしたことが、お疲れのところを気遣いもせず失礼いたしました。大したもてなしはできませんが、湯殿と食事の支度が済んでおります。ミーコ様、ローワン殿、どうかまずは旅の疲れを癒してくださいませ」


 (お風呂にご飯…!)


 尊はその言葉だけで、疲労の溜まった体に力が湧いてくる心地がした。



 ずっと大人しく座っていたトゥーラにも「翼虎(エルティガ)ちゃん、あなたにもご飯と水浴びの用意ができていますからね」と声をかける女神(イシュト)を見て、やはりここは天国に違いない、主神よりよっぽど慈愛に溢れた女神がいるのだから、と罰当たりな確信をする尊であった。







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