80 もう何もかも分からないことばかり……
今から、ヘルシードのマスター、イエロータドと会う約束がある。
イエロータドのバーは大賑わいで、地球から逃れてきた人だけではなく、パリサイドもよく顔を見せるという。
おかげでイエロータドは、今や地球人類一の物知り、かつお金持ちかもしれない。
彼から耳に入れておきたいことがある、と言ってきたのだった。
アイーナに伝えるべきことかどうかわからないが、行ってみることにしたのだ。
ひとつ目のお姉さんに会えることも、気持ちを押した。
そういえば、先週の歌のお稽古、休んじゃったしなあ。
同行するというスミソを断って、チョットマはヘルシードに向かった。
イエロータドは元旦から店を開けると言っていたが、さすがにまだ早いかもしれない。
居てくれてたらいいけど、と思いながら歩いていると、ライラが追いかけてきた。
「一緒に行くよ。誘われたんだよ、あたしも」
ライラと話すのが久しぶりのように感じられた。
プリブが連れ去られてから、まだほんの一週間ほどしか経っていないが、あっという間に毎日が過ぎていく。
「チョットマを呼んだから、一緒に聞いて欲しいってさ」
「そう……」
「正月早々、精の出ることだね」
「うん……」
以前はこんなことはなかった。
意識して会話を繋げていくようなことは。
「なんの話だろうね」
などと、言わなくてもいいようなことを口にしている。
「他にも誰か、声を掛けてるのかな」
「さあね」
アイーナから聞いた話や、キョー・マチボリー船長のこと、治安省長官のミタカライネンのことを話せばいいだろうか。
でも、ライラに話すなら、レイチェルの許可がいるような気がする……。
パパやンドペキやスゥには何でも話すけど……。家族だから……。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。
「おばあさん、エリアREFで初めて私がヘルシードに行った時のこと、覚えてる?」
「年寄扱いするんじゃないよ。それにおばあさん呼ばわりはやめろと言ったはずだよ」
「あ、ごめん」
「やれやれ。きちんと名を呼ぶ。大事なことだよ」
ホトキンを探して。
まだ半年も経っていないが、今はもう思い出。
楽しかったあの頃……。
「ライラにもたんまり叱られたし」
「ハハハ」
「あのとき、聞き耳頭巾をずっと触ってたでしょ」
「ああ」
「あれが何だと思った?」
「ん? どういうことだい? ニッポンの伝説の品だろ」
「信じる?」
「当たり前だろ。おまえだって、あれを被って、たくさんの声を聴いたんだろ」
「そうなんだけど」
遠い昔のことのように思えた。
信じていないのではない。
なんだか恐ろしい。
でも、恐ろしと感じるのはなぜ?
理解できないから?
ああ、もう何もかも分からないことばかり……。
「私ね、あの後、思ったの。私、なんにも知らないなって」
ライラの目がめらりと光って、目が合った。
何か言いたそうだったが、チョットマはもうひとつ付け加えた。
「楽しかったことはたくさんあるけど、どれも人から貰ったもの」
それでもライラは何も言わない。
「それに比べて私は」
とまで言ったとき、ぴしりと遮られた。
「いい加減にしな!」
「嫌いなんだよ! そんな女々しい奴は! 思い出話も!」
チョットマは思わず首をすくめた。
あの時のように、ひっぱたかれそうな剣幕。
「人は誰でも影響しあって生きてる。そんなこともわからないのかい!」
そして、ライラは大きな溜息をついた。
「おまえが誰かに与えているものを考えてごらん」と、諭すように言う。
「ただ、自分が与えている影響を意識し過ぎるのは禁物だけどね。人を変にしてしまう。大抵は鼻もちならない奴になってしまう」
ライラが腕を絡めてきた。
「疲れてるみたいだ」
と、スミソと同じように言う。
「少しだけね」
「いいや。かなり疲れてる」
誰の目にもそう映っているのだ。
でも、ウイルスの悪夢のことは、誰にも言わないでおくと決めていた。
心配させるだけだから。
「そうかな。自分じゃあまり感じないけど」
「嘘を言うんじゃない。あたしの目をごまかそうたって、百年早い! それに! この期に及んで疲れた顔なんて、してる場合かい!」
「分かってるよ……」
「それなら、チョットマらしくしな!」
分かってるよ、ライラ。
私がしなくてはいけないことがあることくらい……。
涙がこぼれそうになった。
「やれやれ! だらしないね! レイチェル騎士団のシェルタで、大演説をぶちかましたチョットマ。あの子は、どこに行っちまったんだろね!」




