36 そうでしょ。隊長!
イコマは、イチジクを頬張るチョットマを見て思った。
よかった。あの番組に連れて行って。
大仕掛けで時代がかったプログラムだが、こんなにチョットマは楽しんでくれていたのだ。
うれしかった。
そう。
チョットマは頬を紅潮させて貴賓席に戻ってきた。
パパ! ただいま! 楽しかった! と抱き付いてきたものだ。
いい青年みたいじゃないか。
などと言って、アラビアの姫をからかったものだ。
もちろん、EF16211892は実在の人物ではない。プログラムが作り出したチョットマ好みの男。
チョットマを喜ばせるシナリオをなぞっていくバーチャルな存在。
しかし、チョットマは何とも言えない顔で、がっかりもしていた。
貴賓席に戻って抱き付いてきたそのすぐ後、通路を覗いたが、すでにEF16211892は影も形もなかった。
お役御免というわけだ。
わかってはいるが、なんとなく寂しい気持ちがしたのは仕方のないこと。
あれほど持ち上げられた後では。
チョットマは話し終えて、余韻に浸っているように、ライラが口元で持ってくれているソーダ水のストローを舌で弄んでいる。
もっと話をさせる方がいいのだろうか。
違う話でも。
たどたどしい話し方で、かなりの長時間、話し続けていた。
疲れているだろう……。
ユウを見たが、ユウの口は、今はこのままでいいと思う、と動いた。
スジーウォンが、戻ってきた。
チョットマを見舞いに。
そして報告に。
イコマと目が合うと、首を横に振る。
アヤはまだ見つからない……。
しかし今、チョットマの前でアヤの名を口にするべきではない。
誰もが今の楽しい話を繰り返し口に出しては、チョットマの楽しさを少しでも継続させようとしていた。
チョットマの病気。
厄介な病いだ。
ユウははっきりとは言わなかったが、いわば、精神を乗っ取られるということではないか。
乗っ取られるとまでいかなくても、歪められてしまう。
そんなウイルスとの戦い。
宇宙にはなにが潜んでいてもおかしくない。人にとっては未知の病原体。
そんな世界に飛び出してきたニューキーツの人々。
今更、強烈に恐ろしいと思った。
パリサイドにはすでにある程度の耐性が備わっているとしても、地球人類は赤ん坊のような無防備を晒しているのだ。
チョットマの瞳や唇を見つめながら、イコマは不安を消せないでいた。
と、扉が開き、レイチェルが飛び込んできた。
「チョットマ! 大丈夫? 気分は?」
入ってくるなり、レイチェルはチョットマに覆い被さるようにして抱きしめた。
「ゴメン! 来るのが遅くなって!」
「来てくれて……、あり……がとう……」
まだ流暢に話せないチョットマを、レイチェルはもう一度抱きしめて頬ずりした。
ひとしきりチョットマを励ました後、レイチェルは改まった口調になった。
「スジーウォン、報告が遅くなった」
「あ、それは」と、慌てて止めようとしたが、間に合わない。
レイチェルはその名を口にしてしまっていた。
今のチョットマに聞かせるべきでないもうひとつの名を。
「プリブのことだけど、調べてきたことを」
チョットマの様子に変化が起きた。
「あっ、無理するな」
体を起こそうとしている。
「まだ、横になってて」
チョットマはベッドの上で横向きになり、手をついて体を支えようとしている。
「……手伝って……」
イコマはチョットマを支えながら、
「寝ながらでも話は聞けるだろ」と、寝かしつけようとした。
「……ダメ……、プリブのことだもの」
腕の力を緩めようとしない。
「私は……もう大丈夫」
「でも」
もう大丈夫、と繰り返し、とうとう体を起こしてしまった。
「さあ、レイチェル、話して」
「え、うん」
体を起こしただけでなく、チョットマはベッドの脇に足を下ろし腰掛ける態勢になった。
と同時に、声に力が漲ってくる。
「プリブ、私たちのプリブ。何としてでも取り返さなくちゃ」
チョットマの声に、誰もが、先ほどまでのチョットマとは全く違うことを感じ取っていた。
「そうでしょ。隊長!」
スジーウォンに向き直ったチョットマの瞳には生気が漲っていた。
スジーウォンがチョットマの頬に手を触れた。
「良くなったみたいだね。よかった。そう。私は、仲間をどんなことがあっても取り戻す」
微笑むチョットマ。
「たとえ、パリサイド全員を敵に回すことになっても、でしょ」
「当然。プリブもアヤちゃんも。さ、レイチェル、話して。どうだった?」




