35 これを人は、愛と呼びます
あっ、雪……。
振り仰ぐと、キラキラした光の粒は雪のように白く、ホールの上空を覆っていた。
「よく聞け! この曲が終わるとき!」
男の声が降り注ぐ。
「惨劇は始まる! 元の世界に戻りたくば、速やかにホールから立ち去れ! さもなくば!」
と言ったきり、男の声は消えた。
後に残されたものは、小さな白い光が渦巻くのみ。
ふと、EF16211892が囁いた。
「仮面を」
「えっ」
「冗談です」
むろん、仮面を外すことに躊躇はない。
しかし、ここは仮想空間。
男が、叩き出せと言った限り、何が起きるか知れたものではない。
「また、お会いできますでしょうか」
「ええ、きっと」
たとえゲストを喜ばすシナリオだとしても、コンピューターが生み出した幻影だとしても、うれしかった。
「きっと会えますわ」
「おお、ありがたき幸せ。この喜びを胸に、次の舞踏会を首を長くして待っております。どうか、わたくしをお忘れになりませぬよう」
「忘れません」
忘れるものですか。
曲が終わった。
ホールからそそくさと立ち去る人々の上で、光が激しく渦巻いていた。
不吉なほどに。
「私たちも離れましょう」
「何が起きるんですの?」
「存じません。さ、早く」
EF16211892は慌てているようだ。
引っ張られるように、ホールから出た途端、後ろで激しい破壊音がした。
悲鳴が上がった。
シャンデリアが!
床に叩きつけられたシャンデリアはものの見事に砕け散り、辺りには一瞬にして暗闇が襲ってきた。
落ちたシャンデリアの上で悪魔が咆哮し、炎を吐きだす。
「皆様、ご安心ください」
ホールボーイや掃除係が一斉に松明を掲げた。
「危険はございません!」
係員達は笑みをたたえている。
人々の悲鳴は次第に収まり、人騒がせな演出だよ、という声も聞こえた。
「まだ、十分にお時間はございます。ゆっくりとご準備ください!」
「お帰りの際には、宮殿入口にてご案内を差し上げます。どうぞ、そのままの姿でおいでくださり、一言お声掛けくださいませ!」
一陣の風が吹いた。
宮殿の扉が開いたのか。
チラチラしたものが巻き起こした風か。
微細な粒子がそれぞれに光っているように見えた。
「本日はご来場、まことにありがとうございました!」
EF16211892は、三階の貴賓席まで送ってくれた。
「姫、ひとつ、わたくしとお約束をしていただけませんでしょうか」
途中、手を離さない。
「はい。なんでしょう」
「お互いに理解し合おうと努力すること。これを、人は、愛と呼びます」
「は、はい……」
「次にお会いするときには、もう少し、わたくしのことを」
この男は最後まで、こうやって気分を盛り上げてくれる。
「そうですね。喜んで」
仮面舞踏会が完全に幕を閉じ、オペラ座のあのペア用ブースに戻るまでは、姫君になりきっていようと思った。




