19 チョットマ様、ご来着!
思い出す。
最高に楽しかった夜。
あの日、チョットマは朝から興奮しきりだった。
迫力のダンスや音楽を見てみたいというチョットマのたっての希望。
それなら少々時代がかっているけど、仮面舞踏会なんかが楽しいんじゃないか、とチョイスしたのだった。
普通のコンサートやミュージカルは、もうそれなりに体験している。
それはそれでチョットマにとって眠れないほどの刺激になったが、自分も踊ってみたいし、などと言い出したのだ。
クラブで実際に踊るという選択も考えにはあったが、それはプリブやスミソと行けばいい、と考え直したのだ。
なにも、パパと行く必要はない。
いつもチョットマは何を体験してきたのか、詳しく彼らに話しているのだから。
あの晩も、このインフォメーションカウンターに同じ受付係が座っていたかどうか、記憶にない。
というより、見分けがまだつかない。
オペラ座の中の構造や、ブースに入ってからの仕組みについてはもう大方知っている。
説明を聞くまでもない。
あの夜、仮面舞踏会開会の十九時三十分までには、イコマとチョットマは手近なブースに入り、ベンチに並んで腰掛けたのだった。
「後、三分だね」
と、チョットマは待ちきれない様子。
それから、開会までの間、何を話しただろう。
アギであった頃と比べて、記憶は人並みに薄れがちだ。
「うーん! 興奮してきた!」と、チョットマが顔を高潮させていたことは覚えている。
仮面や衣装類は、もちろん持ち込んでもいいが、幻影の会場でもレンタルできるし、メイクだってしてもらえるということだった。
時刻きっかりにイコマは、開始ボタンを押した。
狭いブースは、たちまち消えうせ、二人は夜の街に立っていた。
「おー! ここかー!」
チョットマが喜びの雄たけびを上げた。
街頭には着飾った人々が行きかい、賑やかな音楽が聞こえてくる。
「うわ! うわー! あれ!」
二頭立ての立派な馬車が、何台も通り過ぎていく。
どこか中世ヨーロッパの街の目抜き通り。
石畳に街灯の黄色い光が落ち、満天の星座。
あたたかい薫風が頬に心地よい。
遠く、雪を被った山脈が暗い空にシルエットだけを見せていた。
「ここだな」
馬車が向かう方に街路を歩くと、高い鉄製のフェンスがびっしり取り巻いた広い敷地があった。
美しい、手入れのいき届いた青々とした芝生。
普段ならきっと衛兵などが歩き回っているのだろう。
今夜は舞踏会。
門は大きく開け放たれ、いたるところに盛大なかがり火が踊っていた。
「イコマさま~! チョットマさま~、ご来ぃ着ぅ~~!」
大声で呼ばわれて、ふたりはすんでのところで石畳に躓きそうになった。
「こちらの馬車をご使用くださいませ!」
きらびやかな衣装の案内人が恭しく礼をしてくれる。
漆黒の衣装を身に纏った御者が、ふたりの脇に黒塗りの馬車をぴたりとつけてくれた。
その車体には、金色の獅子のご紋が描かれてあった。
「すごい……」
馬車に揺られて、チョットマの口から出てきた言葉はただそれだけ。
おのぼりさんよろしく、目を見開いてキョロキョロしては、馬のいななきにビクリとしていた。
しかし、そんな一言では表しきれない光景が、宮殿の中に待ち受けていたのだった。




