173 冷静でありたいと思った
あっ!
誰かいる!
ンドペキ!
待っていてくれたんだ!
「遅いぞ!」
「ごめんさない!」
「早くゲートをくぐれ!」
「はい!」
飛び込みかけてチョットマは踏み止まった。
「えっ、なに。どういうこと?」
ゲートの数字が1と表示していた。
あと一人?
「そんな!」
「そういうことだ。だから、早く行け!」
「えっ、そしたら、ンドペキは?」
「俺はパキトポークとここで一緒に暮らす」
「そんな! パキトポークは行かなかったの!」
「そうだ。アイーナもな」
「えええっ!」
「ぐずぐすしている時間はない! いつ何時、この数字が0になるかもしれないんだぞ!」
チョットマは急に冷静になった。
走ってきた息はまだ上がっていたが、現在の状況がでかでかと貼り出されたポスターの文字のように、はっきりしてきた。
息を整えた。
そして、言った。
「ううん。私は行かない。ンドペキが行って」
「何を言ってるんだ!」
「だって、遅れたのは私。悪いのは私。ンドペキを置いて、私が帰れると思う?」
「それはこっちの台詞だ。お前を置いて、俺はどんな面して帰れると思ってるんだ!」
「でもさあ。きっと、スゥに殺されるよ」
「俺はイコマに殺されるぞ! ごちゃごちゃ言ってないで、早く行くんだ!」
「いやよ」
チョットマはンドペキの顔を正面から見つめた。
久しぶりにこんなふうに見つめたような気がする。
「ねえ、ンドペキ……」
昔、ンドペキが好きで好きでたまらなかった。
今もそう。
単に好きというのとは、少し違ってきたけど。
思い詰めて、ギラギラしているンドペキの目に、微笑みを返した。
「ねえ、ンドペキ……」
ここで、キスして。
そして、ゲートをくぐって行って。
でも、そんなシーンになるはずないよね。
「やかましい! 話している時間はない! さっきまで、この数字は3だった。いきなり1になったんだ! いつ何時!」
「ねえ、ンドペキ……」
別れ。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
「これまで、本当にありがとうございました」
自然に頭が下がった。
「私を育ててくれて。出来損ないなのに、あきらめずに……」
「何を言い出すんだ!」
次元のゲートは今にも消滅しそうだった。
ゲートを彩るオレンジ色の光ははかなく薄く、向こうが透けて見える。
宇宙船側のゲートさえ、おぼろにだが見える。
一本道の通路が伸びているのは来たときと同じだが、明らかに細くなっている。
しかも、ゲートを構成する門型の構築物は、半ば消滅し、消えた部分から宇宙空間に飛び出していけそうだ。
宇宙船のエネルギーはかなり消耗しているようだ。
それを見たからといって、決断は変わらない。
何としてでも、ンドペキに帰ってもらわねば。
ンドペキが言うように、もはや一刻の猶予もない。
ねえ、ンドペキ……。
ねえ、ンドペキ……。
別れとなれば、話したいことは山とある。
右も左も分からない少女だった私を拾って、東部方面攻撃隊に入れてくれた。
そして、いつもそばにいてくれた。
私の心の中に住んでいてくれた。
特別な輝きを放って。
私は何もまともにできなかった。
隊員としても、レイチェルのクローンとしても、イコマの娘としても……。
気持ちを上手に伝えることさえ……。
隊のこと、社会のこと、そして人とは。
そんなことはすべてンドペキから教わったこと。
思い返すだけでも、きっと十冊の本が書ける。
ああ、ンドペキ……。
でも、もう時間はない。
身悶えるような悔しさ。
それに、心を切り裂くような名残惜しさ。
それでも冷静だった。
そうありたいと思った。




