162 こちらの別嬪さんは?
ンドペキは黙って小屋に入っていったが、チョットマは、その後ろから「パキトポーク!」と元気よく声を掛けて暖簾をくぐった。
あれ?
この小屋も他の部屋同様、何もない。
パキトポークはこの街を治めているのではなかったのか。
それなのに、あまりにも簡素だった。
ベッドがひとつきり。
そこに横たわった男が、体を起こそうとしていた。
「よう! ンドペキ! 待ちくたびれたぜ!」
痩せ細った腕が、薄っぺらで薄汚れた服から出ている。
指先が震えている。
血の気のない毛むくじゃらの顔。
やつれて、見る影もない。
しかし、声はパキトポーク。
目だけが炯炯として、人を射すくめる力は健在だった。
「パキトポーク」
ンドペキが声を絞り出した。
「苦労を掛けたな」
ヌヌロッチに助けられて、ようやくベッドの上に座り、にやりと笑って白い歯を見せた。
見た目より元気なんだ、とチョットマは少し安心した。
懐かしい笑顔だった。
「苦労か……。まあ、見ての通りだ」
「すっかり、なんて言うのか、萎んでしまったな」
「隊長。そりゃないぜ。こんなところに、三年も居りゃあな」
「ん? 三年?」
「三年と九カ月だ」
「そうか。それはすまなかった。それに、俺はもう隊長じゃない。スジーウォンだ」
「スジーが隊長か。懐かしい女だぜ」
「隊員達は無事か?」
「ああ。一応、全員生きている」
やっと安心したはずなのに、チョットマは涙がこぼれそうになった。
生きている、って。
こちらの次元では三年以上の月日が流れていたのだ。
食料も水も乏しい中、しかも、街が崩壊してしまうほどのエネルギーの波に飲み込まれながら。
人一倍馬力のあるパキトポークでさえ、ひとりで起き上がれなくなるほどの辛苦を超えて。
「我々は何とか持ちこたえることができるのですが、マトやメルキトには辛いようです」
ヌヌロッチの言い方に違和感があったわけではない。
マトやメルキト。
その呼び方に、懐かしい響きがした。
地球を離れてわずか数か月の間に、その意識はすっかり薄れてしまっていた。忘れていたと言っていい。
ここではまだ、人類を分類するそんな言葉が生きている。
そう思うと、チョットマは少し気が遠のくような感じがした。
飢餓の中で、肉体を消耗する巨大な重力が襲い来る中で、その分類に何か意味があったのだろうか。
争いでもあったのだろうか。
そんなとき、パキトポークはどう振る舞っていたのだろうか。
「俺の手を握ってくれ」
パキトポークが手を差し出す。ンドペキが握り返す。
その上にチョットマも手を。
「いい気持だ……。何ていうか……、心が穏やかになるような……」
微笑むパキトポークの目線の先に、いつも身に着けていた装甲が置かれてあった。
「俺らしくないな。ンドペキ、チョットマ、よく来てくれた。本当に。待っていたかいがあった」
「すまない。遅くなった」
「すまなかない。きっと、そっちの時空では最短日程で来てくれたんだろ。いや、事情なんて説明いらないぞ。来てくれただけで、俺はもう十分だ」
「ところで」
ンドペキがパキトポークの手を放して、声音を改めた。
「迎えに来たんだ。しかも、今すぐ。もう時間がない。立てるか」
「そうか」
パキトポークが立とうとする。
ヌヌロッチが、「では、隊員の皆さんに伝えてきます」と、飛び出していった。
チョットマは、今度はニニにそう告げる番だと思った。
と、その時、背後から声がした。
「パポー!」
呼ばれたパキトポークの目が見開かれた。
「ん?」
振り返ると、美貌のアイーナが立っていた。
「……、こちらの別嬪さんは?」
パキトポークの目をくぎ付けにしたアイーナが腕を組んで突っ立っている。
「俺をパポーと呼んでいいのは……」
アイーナが怒鳴った。
「忘れたか!」




