107 恋と愛の違いを聞いてきた
ーーーお前は女か
こいつが最初に発した言葉だ。
そうだと応えると、
ーーー話しかけてくる者は多くない
と言った。
明らかに人の声ではない。
金属の膜を擦り合わせたらこんな音がするか、というような声だが、かろうじて聴きとることができる。
チョットマはひとり、デッキに出ていた。
元あった街は跡形もなく消え失せ、淡く光る白い床が一面に広がっている。
見上げれば名も知らぬ銀河の星雲。
視界の大部分を相変わらずパリサイドの星の荒れた顔が占めている。
何度か眺めるうちに、星が違う面を見せていることに気づいていた。
二子星がきれいに並んで見えることもある。
今は、一方の星の外殻の裂け目がちょうど正面に来ていて、星の内部の光溜まりが見える。
光は思いのほか強く、発光源は眩しいだけで輪郭さえも見えない。
デッキの壮大な眺めは、まるで宇宙のただ中に浮かんだよう。
巨大なプラネタリウムとも見えるが、この実物の迫力に比べれば鍋底の米粒のようなもの。
しかし、宇宙船のフロアである証拠に、呼吸はできるし極寒の世界というわけでもない。
少しずつ、重力が小さくなってきていることは感じるが、歩けないというほどでもない。
チョットマは誰もいない広大なデッキを歩き回った。
街の中央部を南北に貫いて、オレンジ色の光のライン。北に行くほど赤みがかり、南へ行くほど黄色くなっていく。
東西に五百メートルおきに緑色のラインが横切る。
デッキの周囲は五層程度の建物によって縁どられ、固く閉ざされたいくつかの扉がある。
かつて街の中央に建っていたキョー・マチボリーの展望塔はそのままの位置だろうが、人の姿はなく、出入り口も消えていた。
そして、いつの間にか、展望塔から東西に伸び、デッキを南北に隔てる壁ができていた。
鈍色の光沢を放つその壁は硬く、どんな開口部もない表情から、その向こうで行われている何かが強い秘密であることを示している。
デッキの所々にある、地下への入り口から出てくる人はめったにいない。
この景色を美しいと感じる人ばかりでない、ということだ。
以前、スミソが話してくれた、カイラルーシという地下都市の上部を覆う屋根もこんな景色なのだろうか。
チョットマは思うのだった。
みんなも上がってくればいいのに。
「あんた、なに食べてるの?」
ーーー行為は存在しない
チョットマは、こいつと話しながら歩き回る。
もちろん、聞き耳頭巾のショールを頭にぐるぐる巻きにして。
話すといっても、会話が成立している実感は小さい。
聞いたことに、たいていは返事があるというだけ。
時として向こうから質問が来ることもあるが、それは稀。
ーーー今もンドペキを愛しているのか とか、
ーーーおまえは誰かに愛されているのか とか、
ーーー恋と愛の違いはなんだ といった、面倒な問いばかり。
「どうしてそんなことばかり聞くの?」
ーーー知りたいからだ
「知ってどうするつもり?」
ーーー知りたいだけだ
己の体に棲みついたウイルスと話す。
こんな酔狂なことを思いついたのは、アヤの聞き耳頭巾のおかげ。
頭の中で渦巻いていた声の意味が理解できたが、それが自分の思いから発したものではないと確かめたいと思ったから。
パパからは、それはチョットマの心の声じゃないよ、と言われている。
チョットマなら、イコマに対しての気持ちと、ンドペキに対する気持ちは違うのか、というような問いはしないだろうから。
試しに、心の中の声の主に声を掛けてみたのだ。
かわいそうに、あなたは恋もしたことがないのね、と。
驚いたことに、反応があったのだ。
お前は女か、と。
そして、それまでは意味が理解できるだけだったが、はっきりとその声を聴いたのだった。




