支配する町
俺はやっとの思いでドラゴンを倒したのだ。翼を切り裂いて、頭に剣を突き刺してやった。奴から伝説の剣を奪いもしたのだ。なのに、交差点にいた連中は俺のことを褒めないどころか、あのなよなよとした白い髪の人気者のことを可哀想だなんだ言って責めてきた。俺は口の中のクリーム・明太子が不快になって、電柱の生えた植木に思い切り吐き出した。
それから俺は先輩に呼ばれて彼の家に行った。先輩は俺に4段式ペットボトルロケットを自慢した。フレームが強化プラスチックでおおわれ、金属パイプで圧力を限界まで高めたそれは、驚くべき高さまで飛翔することができた。
「明日までにこれを同じものを作れ」と先輩が言った。
「分かりました」と俺は言った。
しかしながら、冷静に考えたらあんなもの作れるはずがないのだ。先輩の家にはペットボトルロケットを作るための充実した設備や材料が揃っていた。俺には何もない。丈夫なフレームも金属パイプも。
細い強烈な水流が下から吹きあげてきた。睾丸に嫌な痛みが走り、それはだんだん強く、不快になっていった。皮が破れ、中まで達し、内臓をぐちゃぐちゃにしていくようなとても気持ち悪い痛み。
俺は唐突に理解した。奴は単なる大学生じゃない。こんな卑劣な方法でいくつもの企業経営者を脅迫し、町を支配しようとしている大悪党なのだ。ヤクザめ。と俺は思った。越えてやろう。あの壁を越えてこんな町から逃げ出してやるんだ。
国境の高い壁の向こうには地獄があると言われている。かつては極刑を受けた犯罪者が送られたり、異民族が住んでいるなどと噂されていた。けれどその真相を知る者はいない。向こうにいった人間なんていないし、いたとしても帰ってこれないのだから。
俺は二階建て住宅の平たい屋根の上から思いっきりジャンプした。細い水流が全方位から吹きあげてきた。痛い。気持ち悪い。国境警備隊の連中が俺を指さして大声で怒鳴っていた。構わない。俺は向こうへ行くのだ。
「そっちへ行ったら二度と町へは入れないぞ」と先輩の声がした。クズめ。知ったことか。
俺は壁から200メートルほど離れた地点に着地した。顔を上げると、見渡す限り荒野が広がっていた。まるでメキシコの砂漠みたいだ。町の外がこんな風になっていただなんて誰も知らないのだ。
高く無機質な鉄の壁に向かって、ジャングルジムのような骨組が幅数キロにわたり続いていた。おそらくはこれを使って異民族が町へ侵入しようとしたのだろう。白骨化した遺体や武器の残骸が散らばっていて、まるで戦場のようだった。
異民族。
しかしながら、骨組にはまだ息絶えて間もない死体が、木の杭に串刺しにされてあった。いるのだ。ここには人がいる。
人が見えた。しかし、国境警備隊の連中だった。俺を探しているのか、それとも日常的警備任務なのか、ともかく奴らは壁の外を歩き回っていた。長い木の杭を持っていた。おそらくは、あれで侵入者をジャングルジムに串刺しにするのだ。
俺は金属の森を音を立てないよう壁と平行に進んだ。ずっと進んでいくと、やがて国境警備隊はいなくなった。町が終わったのだ。壁は相変わらず続いていたが、その向こうに町はない。
じゃああそこには何があるんだ、と俺は思った。今まで町の外に何かがあるなんて考えたこともなかった。でもある。だから壁が続いている。
壁の近くから、棒を持ったぼろぼろの服を着た気味の悪い婆が歩いてきた。
「この感染した棒と交換しておくれ」と婆が言った。
近づいてはならないと思った。婆は何かの病気に感染していて、それを俺にうつそうとしている。間違いない。俺は走って逃げた。婆はのろのろと歩いていたが、信じられないことに徐々に距離が詰められていた。俺は焦って骨組につまずき、荒れ果てた砂の地面に転がった。鋭くとがった石がいくつも突き刺さる。容赦のない痛みが皮膚を焼いた。婆はゆっくりと、だが確実に俺に迫りつつあった。
「交換しましょう。感染した私のと交換しましょう」と婆が言った。
その時、杭を持った国境警備隊の兵士がやってきて、婆を串刺しにした。国境警備隊を頼もしく思ったのはこれが初めてだった。婆はソ連軍に処刑されたドイツ兵みたいに、血を流しながらジャングルジムに吊るされていた。しかし兵士は俺に気づき、怒りの矛先をこちらへと向けてきた。彼はすごい勢いで走ってきたが、俺はそれ以上の速さで金属パイプの森を駆け抜けた。
楽園にでた。地獄の果てには楽園があった。地面は雲で、古代ギリシャ風の家が立ち並んでいた。小さな男の子が俺に話しかけてくる。まるで想像上の天使のような格好だった。背中に小さな羽が生えている。
「壁の向こうから来た人でしょ。僕ね、壁の向こうへ行ってみたいんだ。向こうのことを教えて」と男の子は言った。
「町がある。支配されている町だ。誰も逆らうことはできないし、逆らおうとも思わない。そこでは支配者が我々に理不尽な命令を下し、逆らえば細い水流が吹き付けてこの世のものとは思えない痛みを味わうことになる」
「へー。僕、そこへ行ってみるよ」と言って男の子は空を飛んで壁を越えていった。
地図があった。この世界の地図だ。この地獄と、壁の向こうの地図。どうしてこんなものが存在するのだろう。ここは町よりずっと文明が遅れているのにだ。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。重要なのは地図があるということ。
この向こうは海になっている。俺はこの地点から壁を越えても、奴らには気づかれないだろうと推測した。奴らの監視網は町の中と壁の外側に集中している。海は盲点に違いない。
俺は壁を越え、海に降りた。穏やかな海だった。壁の向こうにも、支配されていない世界があるのだ。俺は男の子のことが心配になった。彼は町に行った。楽園での生活に慣れきった彼は、町の支配には耐えられない。彼は死ぬことになる。俺はなぜか彼を守らねばならない気がした。町へ戻るのだ。
俺は通りかかったモーターボートに乗り込んだ。無人だった。俺はモーターボートで町へ戻った。
俺は旅館を取った。家に戻るのは危険だと思ったし、ビジネスホテルは奴の監視下にあったからだ。しかし、俺は唐突に理解した。この旅館の女将こそが、世界の支配者なのだ。粛清しなければならない。
女将は傲慢な人物だった。髪が薄くて、下品な着物を着ていた。顔は醜く歪み、視界に入った全ての人物に殺意を抱いている。あろうことか、タバコを吸いながら給仕していた。中年の身なりの良い夫婦は、この女将の態度に苦言を呈した。女将は夫婦に殴り掛かった。夫婦も応戦した。旅館の従業員や客が慌てて争いを止めようとしたが、この戦いを止めることなど誰にもできないのだ。俺は夫婦に加勢し、女将の首を掴んで思い切り畳にたたきつけた。さらに奴の少ない髪を力の掴み、一本も逃さないように引き抜いた。ぶちぶちと音がして、奴の少ない髪が抜けたり、あるいは千切れたりした。蛆虫をつぶしたように気味の悪い感触が俺の右手を蝕んだ。それでも俺は何度も何度も奴の髪を掴み、ぶちぶちと引き抜いた。やがて警官隊が到着し、我々の喧嘩を止めた。女将は逮捕されたが、まさに山姥の形相で俺を睨み、呪いの言葉を大声で浴びせかけた。奴が何か言うたびに、俺の怒りは果てしなく強まり、制御できなくなる。
「あなたも来てもらおう」と警官が言った。
ここで彼についていけば、一生戻ってこれなくなるだろう。そういう所へ連れていく気なのだ、と俺は思った。
「冗談じゃない。もう一度壁を越えてやる」と俺は言った。
「越えられるわけがない。壁を越えられた者など一人もいないのだ。諦めて我々と一緒にくるんだ」と警官は言った。
俺は警官の手を振りほどき、群衆をかき分けて壁へと向かった。越えてやる。先日のようにジャンプで越えることはできなかった。壁をよじ登ろうとしたら、群衆が俺の足を掴んで邪魔した。俺は群衆の手を蹴り飛ばし、顔を踏み台にして壁の縁にとりついた。俺は再び壁を飛び越えた。
だが追っ手はすぐにやってきた。国境警備隊ではなく、群衆だった。だが俺は一度ここを通っている。奴らに追いつかれるはずがないのだ。俺は張り巡らされた有刺鉄線を匍匐で潜り抜けた。群衆は有刺鉄線に引っかかり、そこらじゅうに血をまき散らして悲鳴を上げていた。
俺は国境警備隊と感染婆をやり過ごし、新しくできた電話とインターネットで誘惑する食人植物を倒してから、楽園を通り抜けてその先へとやってきた。強力でコンパクトな散水ノズルを生産している工場があった。次から次へと散水ノズルが生産されていた。意味はない。地獄で火事など起こらない。水がないからだ。俺は重いノズルを一つ手に取り、壁の向こうへと投げつけた。
奴に当たった気がした。あの大学生だ。奴は散水ノズルで頭をうって死んだ。工場を抜けたら、天使の男の子がやってきた。
「ここで作っているものに意味はないよ。だけど、その意味もないものを使って君は僕を救ったんだ」と男の子が言った。
「かもしれない」と俺は言った。
また工場が広がっていた。工場の左手は崖になっており、床が崖に向かってベルト・コンベアのように動いていて。よく見ると床は金属の板を垂直に重ねたもので出来ていた。俺は注意深く床をすすんでいった。壁の向こうからマスコミの連中が俺に投降を促していた。馬鹿馬鹿しい。誰が捕まるものか。奴らが流したものなのか、金属でできた新聞が壁の方からいくつも流れてきた。これに引っかかれば、崖に落ちて死ぬだろうなと思った。俺は何とかその新聞工場を抜け出した。
地獄の端。世界の果てがあった。
俺は唐突に理解した。
ここはあの部屋の持つ意識の世界なのだ。ドラゴンを倒す前にいた事務所のような部屋だ。典型的な事務所だ。向かい合わせのオフィスデスクがいくつかあり、その上には書類やバインダーやノートパソコンが置いてあり、筆記用具がある。掛け時計やコピー機や電話もあった。
あの女将を殺さなければならないと思った。奴が全てを生み出し、損ない続けているのだ。世界を救うには奴を殺すしかない。
俺は壁を越えた。今度こそ終わらせる。