その八
今回は勇者様ご一行のカーティル中心の話となります。
時は数刻遡る。
魔族と人間との間に生を受けたカーティルには、幼い頃から強力な力が備わっていた。
物心つく頃には、すでにあらゆる魔術を使いこなし、戦闘に必要な技術はたいてい身に着けていた。それもこれも、魔族にも人間にも忌み嫌われ命の灯火を消されかけたからである。生まれてすぐに捨てられ、保護してくれる大人も子供も現れずに命を狙われた。だから、本能的に己の力で己の身を守ってきた。自分の中の強大な力を本能で制御し、自分の身に危害を加えようとする存在を片っ端から消去してきた。
このような身の上だ。ろくな人生を送ることなどできるはずない。その通りに、カーティルは散々な人生を送ってきた。しかもそれは長く続く。
それもそのはず。彼女は、長寿の持ち主なのだから。
カーティルは自分とネリアにあてがわれた部屋の中でネリアと本を読んでいた。ネリアを膝の間に座らせ、彼女が好んで何度も読みたがる絵本を開いている。
「……女の子は絵本を見ながら思いました。『どうして私たちは外に出てはいけないの? 外はこんなにもきれいなのに』」
連日の祝賀パーティーやらなんやらで、未だに人馴れしないネリアはかなり疲弊していた。カーティルも、実は人の多いところは好きではない。こうやって読み聞かせなどをして触れ合うことで、カーティルは癒されていた。ネリアもそうであることをひそかに願う。
カーティルには昔、妹のような存在がいた。もう百年ほど前になるが、自分を受け入れ大切にしてくれた人間がいた。しかし彼女も所詮人間。彼女がいる間二人は平穏に暮らすことができていたが、やがてその人間は寿命が付きて死んでしまった。ここ数年暴れていたのが“やさぐれる”程度ですんだのも彼女のおかげといえる。カーティルの姉御肌な性格の形成にも、彼女がおおいに貢献した。そんなかつての妹分の面影に、ネリアが似ているのだ。そういうわけで、カーティルはネリアをグロリスと同じくらいに特別な存在だと思っていた。そんなカーティルの心情を知ってか知らずか、ネリアはカーティルに懐いている。カーティルはそれが嬉しかった。
そのネリアは今、いつもなら熱心に聞く読み聞かせの時間なのに心ここにあらずといった様子。カーティルはだいたい原因が読み取れたので、読み聞かせを中断することにした。
「ネリア」
「……?」
「グロリスのことが心配か」
「!!」
カーティルはビクンと反応し表情を暗くしたネリアの頭にそっと手を乗せる。
「……すまない。やはり、黙っておいたほうがよかったな」
「……!!」
ブンブンと首を振るネリアに微笑みながら、カーティルは魔王を倒した翌日の出来事を思い出した。
あの日カーティルは、自分を倒し仲間に引き入れた愛しのグロリスを抱擁した。怪我人にそういう扱いをするのは良くないとわかってはいたが、ノリの良いカーティルは当然のようにアミアとミレイアからグロリスを取り上げる。しかしその時グロリスに違和感があることに気づいたのだ。それは本当に小さな違和感。気のせいだと思い一度は流したが、魔王の再来の時に確信したのだ。魔族と人間の血が混ざり強力な魔力を生まれ持った彼女には、ある程度そういったものを"わかる"事ができる。それにシグの焦り具合。カーティルは随分前にシグがただの龍人族ではないと見抜いている。いくら重症であろうと、いつものグロリスなら弱体化した魔王が現れたぐらいどうということはない。シグが焦ることは無いのだ。そこでカーティルは、あの事件の後シグを呼び出し問い詰めた。しかしその時に他の仲間に聞かれてしまったのが迂闊だった。シグは未だに子供のふりをしていたが、私たちのグロリスが"グロリス"でなくなったということを仲間全員に悟らせる形になったのだ。詳しい話は聞けなかった。幸いにも"グロリス"は悪い存在ではないようだが、やはり翌日からの皆の対応にぎこちなさが出てしまっていた。
「グロリスは、わしが、わしらが惚れた男ぞ。そう簡単に死ぬわけなかろう。そのうち帰ってくる」
「…………」
ネリアは肩を落としたままだ。仕方がないだろう。ネリアの世界を切り開いたのはグロリスだ。血生臭く狭い世界からネリアを救い出し、外に連れ出したのはグロリスなのだ。彼女にとって、グロリスが特別な存在でないわけがない。
『勇者さまああああ!!』
部屋の外で王女の叫び声がした。
「フン。あの妄想女め。淑女が聞いて呆れるわ。はしたないのぉ。ネリア、お主はああなるなよ」
「…………」
コクリと頷いたネリアは苦笑いを薄く浮かべている。カーティルはフッと笑うと、読み聞かせの続きをすることにした。
「そこで女の子はある日、ひとりで外へ行こうと決意しました。みんなが言ってはダメだと言いましたが、女の子は行くといって聞きません。『外はとってもきれいだよ。みんなも一緒に見に行こうよ』……」
絵本の中の主人公は意志の強い女の子だった。魔法が存在しないというファンタジーな設定だったが、その主人公は誰よりも何よりもしたたかだった。何が立ちふさがってもめげず、弱き者には必ず手を差し伸べる。まるで、グロリスだ。ネリアはそう思い、何度も何度も読んでもらっていた。ネリアは耳慣れたカーティルの少し低めの心地良い声を聞きながら、この女の子のようになりたいと思うのだった。
*****
絵本を読み終わると、ネリアはすぐに寝付いてしまった。疲れていたのだろう。さて、自分も寝ようかとカーティルがあくびをしているところ、ひかえめにノックが鳴った。気配からすぐにシグだとわかり、カーティルはすぐにドアを開け招き入れる。
「カーティル、頼みがある」
「……行くのか」
今目の前に立つシグに、いつもの馬鹿力の元気で生意気な少年の雰囲気はなかった。小さな少年の姿であるが、カーティルが感じるものはまさに龍のもの。そう、少年は龍人族などではないのだ。
「頼みとは何じゃ、龍よ」
「……理由を聞かないのか」
「理由? だいたい予想はつくのでな。おおかたグロリスのやつ、禁忌にでも手を出したのじゃろう? いくら魔王を倒した勇者であろうと、神に禁忌と定められた術だを使ったと知られれば良く思われまい。だから、かえ?」
「だいたい正解だ。グロリスは、天界へ向かうはずの魂を強制的に引き寄せ使用した。今グロリスの身体に入っているのはその魂の少女なのだ」
「少女……じゃと? ほう。して、グロリスの魂は? まさか死んだわけではないのじゃろう?」
「ああ。死んではない。魔王に囚えられた」
「…………なんと……」
カーティルは返す言葉が見つからなかった。あのグロリスが捉えられ、かわりに名も知らぬ少女がグロリスの身体に入っている。ある程度予想していたとはいえ、さすがに驚き同時に呆れてしまった。
「物語で言うと、囚えられるのは少女の方ではないかえ?」
「……我もそう思った」
しかしこれはあまり笑い事ではない。グロリスは、カーティルたちにとって絶対的な存在であった。グロリスが囚えられるということは、そこまでグロリスが弱体化してしまったということ。そして、魔王にはまだそれだけをする力があるということ。
「一度喜ばせた民たちに、再び恐怖を与えることはない。ここは、我らが単独で解決する」
「そうじゃな。わしらはどうすればいい」
「まず、我とリコ……グロリスの中の少女は、魔王とグロリスを捜さねばならない。あまり時間をさくわけにはいかないのでこれから出発する。その後の面倒な処理をやってもらいたい」
「ほう。龍は人使いが荒いようじゃな」
「すまない。できればおまえたちも巻き込みたくないのだが、そうは行きそうもない。下手に動くとしつこく追ってきそうだ」
「当然じゃ。わしらは囚われの仲間を放おって置けるような薄っぺらい関係ではないわい」
「わかっている。面倒な処理を済ませたら、その後は合流か情報集めだな。基本自由だ。何をしてもいい」
「わかった。お主らが先に旅立った理由はどうする」
「そうだな、とりあえず助けを呼ばれたとでも言っておいてくれればいい。おまえたちを引き止めたがる輩も多いだろうが、適当に理由をつけてゴリ押しすれば大丈夫だろう」
「なかなか大雑把じゃな」
「まあな。さて、そろそろ時間もいい頃だ。我らはこれから出発する。バレたくないから兵士らに催眠術でもかけてくれぬか」
「かまわんが、それくらいお主でもできるのではないかえ?」
そう聞くと、少年の姿をした龍は自嘲気味に笑った。
「残念ながら、我が使えるのは馬鹿力と救済の為に必要な最低限の術だけだ」
やがてシグは部屋を出て行った。カーティルはネリアの寝顔を見ながら小さくため息を付く。これから、また大変な日々が続きそうであった。