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偽りの妹

 フィロディアラン聖王国の王都デルフィニウム。

 そこは常に人がいきかい、活気がある。通りには石畳が敷かれ、土埃が舞うことはない。シオンの故郷の村とは、まるで別の国のようだった。

 その王都の中でも美しく大きな家の並ぶ場所に、アルストカリア家はある。もっとも、七大貴族全てがこの場所にあるのだが。

 ブローチと紋章の写しを手にして、アルストカリア家の前に立つ。豚と間違われた写しではなく、絵の得意なカインが描いたものだ。体調が悪いのをおして、少しでも協力できるならと描いてくれたものは、荒く描かれていながらもそっくりだった。


「シオン・フレークスと申します。御当主にお目通りを」


 門番に告げると、警戒した視線をシオンによこす。

 ブローチを持っていくという内容の書簡を、写しとともに事前に送っている。それを本気にしてくれたかどうかは分からないが、時期が時期だけに無視できないはずだ。

 賭けに近かったが、それ以外にまともな方法は思いつかなかった。忍び込んだり、当主を攫ったりという選択肢は、あまりにも危険が大きい。

 二人の門番が相談したあと、一人が敷地の中へ入って行く。しばらく待っていると扉が開き、執事らしき人が現れた。

 なでつけられた黄色の薄い金髪に、水色の瞳。白い肌。身に纏う彩色は氷を思わせるものだが、穏やかな笑みと柔らかな物腰のため、冷たい印象は全くない。年齢は四十に届かないくらいだろうが、上品な雰囲気は、酒場に集まる同年代の男性とは別物だった。


「シオン・フレークス様ですね。お待ちしておりました。申し訳ありませんが、身体検査をされてから、こちらへどうぞ」


 指先一つまで優雅な動きで頭を下げる執事は、どこまでも礼儀正しい。貴族出身だと一目で分かるのに、門番のように蔑んだ態度は少しも見せなかった。

 武器を隠していないか、門番が全身を探る。初めから持っていないものは探し出せるはずもなく、検査はさほどかからずに終わった。

 手入れの行き届いた広い庭を通り、不必要だと感じるくらい大きな扉をくぐる。そして柔らかな絨毯が敷かれた廊下を歩き、執務室の前で止まる。執事がノックをして、入室の許可が聞こえると、ほとんど音を立てずに扉を開けた。


「失礼します」


 執事とともに部屋の中に入ると、青年が椅子に座っている。情報からすれば三十歳ほどらしいが、それよりも若いように思う。

 艶やかな蜂蜜色の髪に、青天を思わせる切れ長の青い瞳。雪のような白い肌。ライラの親戚だということは、一目で分かる風貌だった。


「シオン・フレークスと申します」


 名乗って、なるべく執事の動作を真似て礼をする。それに応えることなく、アルストカリア家の現当主であるサイファ・リュードは、冷たい視線をよこす。


「貴様か、書簡を送ったのは」


 突き放したような物言いがいかにも貴族らしくて、好感が持てない態度だ。それは予想の範疇であり、黙って布に包んだブローチを執事に渡す。

 サイファがそれを受け取ると、裏を調べている。そこには古代語で“我は導なり”と彫られているはずだ。


「確かに、これは我々の探していた物だな。貴様は何者だ?」

「……これを持っていた、アリシアという名前の女性と、生活していた者です。彼女と、その娘と、私の父は亡くなりました」

「亡くなったとは?」

「襲われました、この国の軍人に。その軍人が身に着けていた紋章の写しがここに」


 紙を取り出すと、また執事が受け取り、サイファの元へ持っていく。それを確認したサイファは、かすかに眉を動かした。


「これをつけていた者たちに襲われて、貴様は生き残ったのか」


 低くなったサイファ声で、疑われているのが分かる。成人して間もない女が軍人相手に生き残れるとは、普通は思わないだろう。

 疑われては、やりにくくなってしまう。少し考えた後、シオンは自分自身を宙に浮かせた。

 驚愕するサイファと執事の、怯えにも似た表情に少しだけ傷つきながら、床に足をつける。執事が急いで人を呼ぼうとするが、それをサイファが止めた。


「この通り、私には特殊な能力が昔からありました。呪文を必要とせず、物質を動かすことのできる力です。父たちは亡くしましたが、私はこの力で、なんとか切り抜けることが出来ました」

「貴様、ヒューマニア族ではないのか?」

「分かりません。とても古い一族だということしか。もしかしたら、少数種族の生き残りなのかもしれませんが、似た能力を持つ種族は、書物を読んでも見つかりませんでした」

「……話しが少しそれたな。紋章自体は?」

「今ここにはありません。ブローチはもとからアルストカリア家のもの。しかし、紋章は私が拾ったものです。もし、その紋章を望まれるのでしたら……対価を頂きたいのですが」


 この物言いでよかったのか、シオンは重い頭で考える。無礼だと取られるかもしれないが、あまり下手に出ても交渉に乗ってはもらえないかもしれない。

 邸に来てから早かった心臓の音が、さらに激しく脈打つ。表情には出さないが、喉は痛いほどに渇き、握った拳には冷たい汗がある。


「なぜ私が紋章を欲しがると思うのだ?」


 少しの間の後、サイファが話に乗ってきてくれたことに、シオンは内心安堵した。そして、無表情を保ちながらも話し始める。


「この国のことを調べました。今、王家と貴族は対立気味のようですね。女王は王族の力を盤石なるものにしようと、ここ十年ほどで力をつけてきた貴族たちの弱体化や取りつぶしを狙っている。そのために一番の障害になるアルストカリア家は目の敵にされ、先代当主はそれに対抗すべく奔走されていた。しかし、しばらく前に死去。病死であったか、他殺であったか……。どちらにせよ、先代様の突然の死はアルストカリア家にとってかなりの痛手だった。世継ぎも正式に決定されないままだったので、それを理由に領地のいくらかを没収されたのですから」


 独自で調べたものや情報屋から買った情報をもとに、推測した自分の考えを披露してみせる。取引するに値する相手だと思ってもらえるか、それとも小賢しいと思われるか。

 少し言葉を切ったが、サイファは黙って聞いている。続きを促すものだと判断して、また話し始める。


「領地の没収という痛手を補うには、並大抵の努力ではすまないはず。そうでなくても、これが機会とばかりに、女王から追い打ちがあるはずですから。しかし、それ以上の咎めも追及もなかった。おそらく女王はしなかったのではなく、できなかった。アルストカリア家が何かを隠し持っていると知ったから。聖王家についてか、女王についての弱みか、何か強大な兵器か……そこまでは分かりません。しかし、そのブローチが、何かを手にするための道標なのでしょう。それほど貴重なものをなぜ平民の女性に渡したのかは分かりませんが、数日前の大掛かりな検問も、道標を見つけるためだったのではないでしょうか。その検問後で、襲われた私たち。襲った者は、聖王家直属の第一軍隊の紋章を所持していた。これが何処まで役に立つかはわかりません。しかし、あって困ることはない物でしょう」


 だから取引を。

 そう言外で伝えると、サイファは少し考え込んでいるようだった。

 シオンは生きた心地がしなかった。しかし、万が一の時でもカインに危害が及ばないようにと、気を引き締める。


「その通りだな。で、貴様は何を望む?」

「……安全と、仕事を。この問題が一段落するまで、弟と私を匿っていただきたいのです。その間、このお邸で使っていただけたらと思います。秘密の漏洩を防ぐという意味でも、アルストカリア家にとって悪いことではないかと」


 長い話を終え、やっと交渉内容まで伝えられた。もとから良くなかっただろう顔色が、さらに悪くなっているのが、シオンは自分でも分かった。それでも、無表情は崩さなかったし、口調はぶれなかったはずだ。

 サイファはまた考え込んだ後、上機嫌に笑った。ライラを思い出させるその笑顔に、シオンは痛みを覚えた。


「いいだろう。気に入った」

「え?」

「その所持品と貴様を差し出すなら、一段落といわず、弟のことは一生遊んで暮らせる保証をしてやろう」


 予想外の言葉だった。シオンは自分を差し出せという意味が分からず、目を見開いた。


「貴様には、私の妹になってもらう」


 さらにサイファが言葉を続けるが、それでも理解することは出来ない。

 サイファの本当の妹であるライラは殺されて……いや、シオンが見殺しにしたのだ。ライラはもういない。ライラがいるべきはずの場所に居すわれなどと言われて、理解したいとは思えなかった。

 シオンはこみ上げてくる吐き気を必死で抑える。


「なに、を……ライラは、もう……」


 ようやくシオンの口から出たのは、会話になっていない言葉だったが、サイファは気にせず話をすすめる。

「ライラという名だったのか、本当の妹は。しかし、本物である必要はない。アルストカリア家の紋章を持ち帰った、紅い瞳の少女。それだけで仕立て上げるには十分すぎる。コレを持つ者は、父上が愛したアリシアという名前の、美しい赤い瞳をした女性ということだからな。貴様には王宮で証言してもらう。妹の友人より、妹本人のほうがいい。どうする?」


 問いながらも、出せる答えなど一つしかないのが、分かる口調だった。断れば、安全どころか死が待っているだろう。

 即答すべきことだった。カインを守りたいなら、受け入れるしかない。それでも、貴族になどなりたいとは思えない。何より、ライラがいるべきはずだった場所に自分が居座るなど、幼馴染の存在を初めからなかったことにするようで、堪らなかった。

 シオンは自分の中でかなりの時間を葛藤して、ようやくサイファの言葉を受け入れる。サイファの表情がすこしばかり柔らかいものになった。


「……紋章は、弟が持っています。弟は下町の宿に。大きな怪我をしているので、呼び寄せるのではなく、治癒術師と共に使いを送ってはくれませんか?」

「いいだろう。貴様も少し休め。酷い顔色だ」

 サイファに冷たい印象を抱いていたシオンは、気づかいの言葉とそこに少しだけ含まれる心配そうな響きを意外に思った。


「お気づかいありがとうございます。しかし、私がいないと弟は信用しないので、使いの方に同行します」

「そうか、好きにしろ」


 シオンが厚意を受け入れなかったことに対して、サイファは特に思うことはなかったらしい。今までと同じそっけない言葉が返ってくるだけだった。

 相手のことを考えず、自分勝手で気まぐれに厚意を押し付けて、それを受け入れなければ機嫌を損ねる人間ではないらしい。先程の気づかいもあり、シオンの中で彼の好感度が上がる。


「弟を迎えに行ったあとは、最低限の礼儀作法を教えていただきたいと思っています。謁見での証言内容は、次の日にお願いできますか」

「その顔色で虚勢を張るつもりか?」


 多分な呆れと、ほんの少しの感心が混ざったため息。

 眉根を寄せた表情ですら、サイファは美しかった。動作のすべてに気品があり、本当に貴族なのだと思わせる。

 そんな人間がなぜ、どこの生まれとも分からない平民を妹に仕立て上げようとするのか。

 彼の言ったように、妹の友人より妹本人のほうがよいだろう。しかし、さまざまな危険を孕んでいる。それを犯すほどの利があるのか。

 考えはするが、疲労で頭が回らない。何か裏があったとしても選択肢などない。カインを守るためにも、出来ることは全てしておかなければならないだろう。


「時間があまりあるとは思えませんので」


 虚勢であることは否定せず、それでも自分の考えを曲げない。またサイファは眉根を寄せたが、執事に視線を移す。


「……用意を」

「かしこまりました」


 ずっと姿勢よく立っていた執事は、主に礼をした後、退室する。それに続いて、シオンも踵を返した。


身元不明の少女から大貴族の一員へ~

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