二度目の絶望
すっかり暗くなった道を、シオンたちの馬車は走る。満月であるとはいえ森の中は視界が悪いので、馬車の速度は遅い。綱を握っているロイドの負担は、大きいだろう。
この時間にはついているはずだったのにと、シオンは苦々しく思う。
腕を組んで黙りこんでいると、向かいに座るライラの白い指に、眉間を軽く押された。
「シオン、しわ。跡になっちゃうよ。気持ちは分かるけどね」
「だよなぁ。検問がなかったら、もう村についてるはずなのに」
シオンの隣に座るカインが文句を口にすると、ライラの横にいるアリシアが、しょうがないわと宥めた。
「何があったのかしら。あんな場所で大掛かりな検問だったけど」
出てきた街と故郷の村とをつなぐ、村よりの場所での検問だった。
予定より時間がずれ、日が暮れるまでに村まで帰れないことは明らかだったが、街へ引き返すほうが、時間がかかっただろう。満月でなければ馬車を走らせるなど出来ず、その場で野宿していたところだ。
「フィロディアラン聖王国の軍人だったね」
検問を行っていた人間の服装と紋章から、シオンは記憶を呼び出す。
理由は告げられなかったが、聖王国軍が動いているからには、大きなことがあったのは間違いない。あまり不安にさせるのもどうかと思うので、口にはしなかった。
シオンと、引き取ってくれたロイド、その息子であるカイン。アリシアと、その娘のライラ。五人で行っている、後ろ盾のない小さな商隊だ。道中に不測の事態があるのは歓迎できなかった。
「軍人かぁ。だから態度がでかかったんだな」
カインは先程の高圧的な男たちを思いだしたのか、普段はあまり浮かべない嫌悪の表情を見せている。
「商隊の馬車は、念入りに調べられてたよね。ちょっと気分悪い」
また文句を言い始める二人に、今度はアリシアも止めず、ぽつりと呟いた。
「大貴族も関わっているのかしら……」
「え? 母さん何か言った?」
カインとの話に夢中だったライラには、呟きは聞こえなかったらしい。アリシアもほとんど無意識だったようで、少し慌てていた。
取り繕うような態度に思うところがあり、シオンは会話の流れに合わない話を始める。
「知ってる? 私たちの聖王国では、王族以外に大きな権力を持つ貴族がいるんだよ。一番歴史の古いアルストカリア家を筆頭に、七つの家があって、七大貴族って呼ばれてる」
「へぇ、そうなんだ。姉ちゃん、そんなことよく知ってるな!」
カインはただ感心しているだけだが、アリシアは少し顔色が悪かった。
ライラの出生のことで、予想が当たったようだ。しかし、これ以上は意地の悪いことをするつもりなない。
「今の生活だと、あんまり必要ない知識だけどね。いろいろ知るのは楽しいよ。カインもまじめに勉強したら?」
「ちょ、そうくる!?」
嫌そうなカイン。それをライラがからかい、アリシアが優しい目で見ている。
少し歪な形をしているが、シオンたちは本当の家族なのだ。それを壊す気はなかった。
「うわっ」
馬車が大きく揺れる。大きな石に乗り上げたようで、荷台の端に積んでいた荷物が少し崩れ、壁にかけていた魔灯が落ちた。
シオンはそれをとっさに受け止める。手で、ではない。受け止めようと思うだけで、落下が止まったのだ。宙に浮いている魔灯を手でつかんで元に戻す。
「シオン、偉い! ギリギリだったねぇ」
深く息をつく三人。
魔術の光を受けるとそれを増幅させて持続させる魔道具である魔灯の明かりは、蝋燭や油の火に比べて格段に明るく、ちらつかない。魔術を使えるものがいないとただのガラクタではあるが、その値段は平民が一年は働かずに食べていけるほどする。
アリシアが所持していたもので商品ではないが、壊れていればかなりの不便を覚えただろうし、購入というのは厳しいだろう。
「やっぱり姉ちゃんの力は凄いな。なあなあ、久しぶりに持ち上げてよ!」
シオンの生まれ故郷では、“見えざる手”と呼ばれていた能力。手を使わずに、そうしたいと思うだけで、離れた物でも動かせてしまう。
年を重ねるたびに力は強くなっているようで、細かな作業は苦手だが、カインを持ち上げることくらいは簡単だった。
シオンは魔力が異常に高いのに何故か術が発動しないのは、もしかしたらこの能力と関係しているのかもしれないと、ふと思った。
「うわぁ。宙に浮くって、おもしろいよな!」
手足を小さくばたつかせて、カインがはしゃぐ。
「シオン、わたしもいい?」
ライラにもねだられて、二人を同時に浮かせた。
「姉ちゃんは凄いなぁ」
しばくしてから二人の体をそっと下ろすと、カインがしみじみと言う。同じことを繰り返しているので、よほどこの能力を気に入っているのだろう。
「カインも欲しかった? こういう能力」
シオンが問うと、カインは即答せずに考え込んだ。
「う~ん……姉ちゃんが特別みたいで自慢ていうか、嬉しいっていうか。自分が欲しいのとはちょっと違う、かな。あ、でもそんな力があったら、俺も皆のこと守れるよな。やっぱり欲しいかも」
家族の中で一番若く、成人していないカインは、守られてばかりだと思っているだろう。けれどそれは違う。本人は自覚していないようだが、無邪気で素直な様子が、周りを元気づけて優しい気持にさせている。
特にシオンはそう思っていた。言ったとしても、シオンはカインに甘いからと信じないだろうけれど。
「背伸びすることなんてないのよ。カインしか出来ないことは沢山あるもの。カインがそのままでいてくれるだけで、私たちは助かっているわ」
「そう、かな?」
アリシアが優しく言うと、カインは照れ臭そうに笑って、素直にその言葉を受け入れた。可愛らしい外見だが、アリシアはやはり母親なのだと実感する。
他愛もないない話題で盛り上がっていると、馬車が不自然に止まった。
「え、ロイドさんどうしたんだろう?」
ライラが外に出ていこうとするのを、カインが止めた。
「俺が見てくるよ」
ちゃんと男の子をしているなと、シオンは感心する。
入口の布をあけると、そこには人の顔がぼんやりと浮かびあがっていた。
「行くな!!」
シオンはとっさにカインの右腕を引く。銀色の光が、カインの左腕上部を撫でていった。
それが剣だと理解するのに必要だったのは、ほんの一瞬。
シオンは力を使い、派手な音を立てて馬車の屋根を壊す。あとのことを考えている場合ではない。
「ぐわ!」
壊れた馬車の破片が、カインに切りかかっていた男にぶつかる。
木が飛び散り周りが見えると、そこには十数人の軍人がいた。血のついた剣を握る男も、軍人だ。盗賊だと思っていたシオンは、たじろぐ。
その一瞬に、一人の軍人がライラに切りかかった。
「止めろぉ!」
シオンの言葉とともに、切りかかった軍人とその周りにいた者が、近くに生えていた木に叩きつけられた。嫌な音が聞こえた気がしたが、それがどういう意味なのか、考えている余裕はなかった。
見たこともない力に判断しかねているのか、軍人たちは動かない。
その隙にさらに数人吹き飛ばして、馬車から飛び降りた。
「皆は逃げて! 父さん!!」
来た道を戻るように指差して、手綱を握っているはずのロイドの元へ走る。
そこには絶命した馬と護衛の二人、そしてうつ伏せているロイドの姿があった。
街を出るまで穏やかだった顔は、目を見開き口をだらしなくあけ、驚愕の表情を浮かべている。何かにすがろうと伸ばされたような手が、土を少し掻いている。土は水分を吸って、変色していた。
無残な父の姿に、シオンは頭が真っ白になる。
かすかな土を踏む音が聞こえなければ、そのままロイドと同じ場所へ行っていただろう。
背後から切りかかってきた軍人を、とっさに木へ叩きつける。
「いやあぁぁぁ!!」
木の葉が揺れる音に混じり、甲高い悲鳴が響いた!
それは幼馴染の声で、荷台の方へ走る。
シオンが少し離れていた間に、最悪の状況が出来あがっていた。
逃げるカインの後を一人の軍人が追い、地面に崩れているアリシアの横に、もう一人いる。うつ伏せに倒れるアリシアは背後から切られたようで、背中には赤いしみが広がっている。
ライラはアリシアにすがろうと、剣を握る軍人がいるというのに、こちらに戻ってきていた。
カインを追っている軍人と、ライラを待ち構えている軍人が、ほぼ同時に剣をふるう。
シオンはほんの一瞬動きが止まり、そして。
カインを襲っていた軍人を吹き飛ばした!
「お、母……さ……」
ライラは胸を刺され、一度眼を見開きゆっくりと閉じてから、崩れ落ちる。ライラがもう助からないということを、シオンは本能的に悟った。
「ぅああああああああああああああ!!」
自分の声とは思えないほど掠れているシオンのそれは、獣の威嚇のようだった。
暴走した力が、ライラを刺した軍人を襲う。心理的歯止めのない力は、頭を潰し四肢を引裂き、腸をぶちまけた。
濡れ雑巾を落としたような音。濃くなる生臭さの混じった鉄の匂い。飛び散る小さな赤い塊。
その全てが自分のしたことだと受け止めるには、あまりにも非現実的な光景だった。
魔物や猛獣を殺めたことはある。人間相手にも、力を使ったことはあった。それでも命を奪ったことはない。
「ぐ、ぅ……」
シオンは腹からこみ上げてくるものを必死で我慢する。立ちつくしている場合ではないのだ。
倒れているライラとアリシアの傷を確認する。ライラは先程感じた通り、冷たくなっていくだけだった。けれど、アリシアはかすかに息がある。
「カイン、手伝って! カイン!」
いくら呼んでも、頭を抱えうずくまっているカイン。声が聞こえないのか、ただ震えているだけだった。
「カイン!」
力でカインを引き寄せ、軽く頬を叩く。
「ねえ、ちゃ……おれ、いきて」
逃げるのに夢中で、先程のことは見ていないらしい。カインは自分が生きていることに驚いていた。
「ちゃんと生きてる! だから、アリシアさんの手当を手伝って! ありったけの道具を出して来て、早く!」
カインは何度も頷き、馬車に走っていく。シオンは自分の服を破って、傷口を塞ごうとした。
「ライラ、どこ……」
体を動かしたことによって意識が少しはっきりしたのか、アリシアは娘の心配をする。ライラを探すように、手が宙をさまよう。
「出したよ、姉ちゃん!」
取り出された道具と弟を引き寄せ治療にかかるが、救急程度の道具と、少しかじった程度の医療知識ではどうにもならなかった。
「ライ、ラ」
アリシアの体を上向きにすると、出血のためもう視力がないのか、力のない手で必死に娘を探す。
ライラはほぼ即死だった。けれど、それを伝えてどうするのか。きっとアリシアは、もう助からない。震える手を握りしめ、シオンは泣きそうな声で言った。
「今は気絶してますし、少し怪我してますけど、大丈夫です! 絶対、あたしたちが守ります!」
その嘘に安心したのか、アリシアは淡く微笑んだ。
「よか……た。服の、なか、ブ、ローチ……それを、アルス、トカ、リア家……あの子の、父、おや……あなた、ちも……」
最期まで娘とシオンたちの心配をしてくれた、優しく美しい女性は、静かに息を引き取った。ライラと同じように、徐々にぬくもりが薄れていく。
シオンは鮮やかな赤い瞳を隠し、握っていた手をそっと置く。
「うぅっ、うっ! ぅぅ……うぁぁぁぁぁぁ」
カインは堪えきれず泣きだした。顔を天に向けて小さく声をあげ、涙をぬぐうこともせずに。シオンはそれにつられそうになるのをグッと堪える。
「……傷の手当てをしよう、カイン」
カインも左腕を怪我している。
泣き続け、手当てに協力的でないカインの左腕に薬を塗り、細い布を巻く。そして薬を飲ませた。
「ブローチ、探さないと」
重い頭でアリシアの服をくまなく探す。ブローチは服の裏地の中に隠されていた。
アルストカリア家の紋章である交差した二輪の薔薇が、庭園の柵のように作られた繊細な金と銀のリースで囲まれている。薔薇は青玉と紅玉でできており、葉の部分には緑柱石がはめ込まれている。柵の間には小粒の真珠が金具を通して留められていた。
見事としか言いようのない細工の、国宝級のブローチだ。
それを呆然と見ていると、うめき声が聞こえた。
体が震える。
死んでいない軍人が、意識を取り戻しつつあるようだった。放っておけば、また襲われるだろう。傷を負っているカインを連れて、逃げきることが出来るとは思えなかった。
カインを見ると、傷を負い泣き疲れたところに薬を飲んだためか、苦しそうに眠っている。気を失っているのかもしれない。
弟の意識が本当にないのか確認してから、気を失っている軍人に近づき、無防備な首元に手を当てた。
乾ききっているはずの喉を上下に揺らし、息を止める。鼓動の音が、やけに大きく聞こえた。目の前がかすむ気がしたが、反らすことはしなかった。
力を込める。
太く硬いモノが折れる鈍い音。
もう、目覚めることはないだろう。
残りの軍人も調べながら、同じ作業を繰り返す。最後の一人を終えると、限界に達した。
「うえぇっ、がはっ!」
熱い液体が、喉を焼きながらせり上がってくる。
もう何も吐く物がないくらい吐いたが、それでも気持ち悪さは消えてくれない。カインのように眠ってしまえれば楽だろうが、出来るはずがない。シオンが落ちてしまえば、カインを死なせることになるのだから。
震える体を何とか動かして、痛む頭で自分たちの次を考える。
初めに思ったのが、ロイドたちの供養。
だが、それが難しいことは分かっている。大切な人たちを置き去りにする罪悪感と悲しさに引裂かれそうになりながら、せめてもと髪を切り、個別にしまう。街へたどり着けるだけの食料と水、あるだけの金、かさばらない商品を持ち、カインを背負う。
そうしてアルストカリア家のある聖王都に向かおうとすると、月の光を何かが反射させた。軍人の胸に付けられている、紋章だ。
それを引きちぎり、今度こそ重たい足を先へと動かした。
指定をつけるほどではないと思うのですが、どうでしょう?