風の章4 見たもの
風の章4 見えたもの
ベージュの髪に真っ赤な血が散らばり、頬が赤く染められた。大きく目を見開いた風のオメガは一瞬、背後からの攻撃に反撃しようと身体をねじったが、それが余計傷を深くさせ、また血が噴出した。
「こ……の……。」
最後の力が稲妻を剣の主に放出させた。しかし彼の手は剣から離れなかった。
聖を踏みつける足が崩れ、それを見た彼はほとんど血で染まった剣を風のオメガから引き抜いた。反動でジンは後ろへとつんのめる形で倒れ、後には全身に返り血を浴びた男が1人立っていた。
煙で曇った広い空間に、まるで外にいるかのような強風が吹き、それは悲しい音に聞こえた。
剣を握った指先から赤い雫が流れ落ちる。
それは敵のものなのか、それとも自分自身のものなのか。ただ彼の心臓の鼓動が激しくその耳に響いている。
ラピスはその場で立ち尽くしていた。自らの手で倒した風のオメガ、ジンの姿が一体最後にどうなるのか、それを確かめようと。
おそらくすでに息絶えているはずのジンの姿は、いまだ人間の姿そのもので、ジンが召喚したとも、ジンの正体だとも思えるあの龍ではない。
(オメガ……とは? )
(俺は、一体、何を殺した? )
強大な自然の力を持ち、それゆえ敵でありながら、神の名を持つ人間の姿をした生物。
それは何度も人間たちを攻撃し、その滅亡を願い、自分たちの平和な生活を脅かしてきたと思う。それゆえそれは人間の最後の敵であり、「終わりで始まりの者」という名で呼ばれている。
オメガが人間であるわけはない。普段はその姿をしていようとも、最期は異形の化物であるべきだ。
しかし、ここに残されたのは、「人間の形をした遺体」でしかない。最期があの龍の姿であったらラピスはある意味、安心することができたのかもだった。自分と同じ色の血を流している人間の姿をした遺体にどうしようもない不安を覚える。
(それでも、オメガは、ユーナを殺した。)
(なら、俺は、何をこんなに迷う必要がある?)
オメガが何であるか、という疑問はラピスの信念に影をおとす。かつて愛した少女を闇の彼方に葬ったオメガはただ憎い存在であり、それを倒して仇を討つことだけがラピスの生き甲斐であり、生きる道だと今まで信じてきたのだ。
しかし彼の全身はその意志と反対に、震えていた。その震えは体力の消耗が理由ではなかった。
「ど、ど、どうしようか……。」
電気塔正面の入り口でSEMI‐Fは立ち尽くしていた。
まだ幼い顔をした者もいれば、まるで40代に見えるような者もいる。内部から煙が出ている上、激しい爆発音も聞こえ、異臭がするこの建物の内部に踏み出す勇気を持つ者と持たない者の感情が彼らの中で混乱していた。
「俺たちが迷っても仕方ないけど、な。」
彼らの中でもリーダーの役割をしているらしい男がか細く答える。
副総監の命令には逆らえない。逆らうことは、彼らが目標にしているFASTAへの昇進の道が断ち切られることになる。しかし、たった10名ほどの部隊で実戦の経験が乏しい者をもいる彼らにとって躊躇がないといえば嘘になる。
しかも、日頃から尊敬している聖やユキ、そして転任直後からFASTA入りした噂の剣士でさえ、この建物の中から姿を見せない。現在の状態がまったくわからない戦いへの参戦は、恐ろしい試練であった。FASTAに次ぐ防衛部隊である彼らの足は動けない。恐怖という感情の鎖に巻き取られたように。
「とにかく、行かないと……。」
ラピスと同じような、大きな剣を持った少年が皆を励ますかのように大声で言う。その声にしたがって、かたまっていたその部隊はなんとか足を踏み出した。
その時。
「おい、おおい、待ちやがれ。」
風の吹きすさぶ砂漠から徐々に近づいてくる聞き慣れた声に、リーダーの顔は少し綻んだ。砂をふきあげながら、小型のサンドボートで駆けてくるのは特徴的な浅黒い肌の男。愛用しているゴーグルを外し、流砂の中に見事に着地する。
「シンさん!!」
翠の瞳が鋭い視線を電気塔に向ける。その表情には焦りと疲れがみえた。
「SEMI‐Fだな?聖やユキはどうした?」
「中で戦闘中です。おそらく、オメガが襲来しているかと……。」
それ以上、何を言えばいいのかわからず、問われた少年は口ごもる。ここで立ち止まってしまった彼らを責める理由はない。長らくFASTAに同一人物が君臨しているとこのようなことが起こるというのはわかっていた。シンも聖もユキもFASTAに入隊したのがもうずいぶんと前のことで、世代交代というのが近年なされていない。
「ああ、わかった。お前たちはここで待機してろ。俺が行く。」
先陣をきるのは、自分しかいない。シンは利き手である左手に銀の短銃を持ち、背には槍術で使用される硬質な木の棒を抱えた。
「あ、お前たち、呼んだらすぐ援護できる準備しておけよ!」
言い忘れていたかのように後姿でSEMI‐Fに言い残すと、彼は闇の中に姿を消した。
「ちくしょう、変な匂いがするな。」
静かに、しかし全力で内部を駆け回り、ようやく異臭の根源の検討がついてそこへ向かい始めたシンは悪態をついた。彼の度胸は誰よりも優れている。こんな緊急事態であろうとも、仲間の無事は信じきっていた。それゆえ、彼の口からは呑気とも思える言葉が生まれてくるのだ。
だが、彼は突然黙った。
まず目に映ったのは顔を血で汚して倒れているユキ。立ち尽くす男と、その周りに倒れている親友、そして見知らぬ男。
「……おい。」
この状態を理解するかのように、一言だけシンは発すると再び黙った。戦いの勝者でさえ、全身に傷を負い、何故立っていられるのかわからない。
ラピスはやってきたシンを見ると、表情を緩めた。そして、膝をついて前のめりに倒れた。
(なんだよ、これは……。)
これほどまでの死闘は、シンにとっても経験がなかった。普段ならある程度応戦すれば、オメガが戦いからひいていくからだ。
今思うのは、オメガが戦いからひかなければ、結果はこうなる、ということ。
(俺はリキの一族の中でも、この瞳を持っていて、だから、選ばれた存在なんだぜ?)
シンの翠の瞳は「世界を救う者」として、リキの一族の中では選ばれた者にしか与えられないと伝承されている。オメガによって人間が滅亡への道を歩む中、「世界を救う者」とは「オメガを倒す者」であり、その使命をシン自身も強く信じている。
(でもよ、だからといって、こんな風に聖や、ユキを傷つけてしまうんなら、俺は、)
世界最強の部隊と呼ばれ、それを誇りに思っていた。
誇り高い一族であるリキの血をひき、その中でも伝説の翠の瞳を持った自分がFASTAにいるのは、一族の伝説の検証だと感じていた。
(俺は、こんなもの、見たくねぇ。)
いつの間にか、いつ死ぬともわからない戦いの世界で、大切な仲間を見つけてしまった。本来ならば、選ばれた存在の者である彼は、そのような余裕を持つべきではないのだ。共に戦うものは、あくまでもただの戦いのパートナーであってほしかった。
そうすれば「世界を救う者」にはふさわしくない、感情を持つ必要がなかったから。
(世界を救うなんて、使命はいらねぇ。)
ショックから消えていた感触が少しずつ元に戻ってくる。左手にある、受け継がれたリキの一族の魂の武器の冷たい感触が彼を我にかえらせる。
「お前か、奴を殺ったのは?」
シンはとどめを差したであろう新入りの剣士に声をかけた。しかし、彼もまた、相当のダメージを受けているために返事はない。ユキと聖がまだ生きていることを確認し、最後にジンが絶命しているのを冷静に確かめる。まだ安堵感はない。すぐに仲間を医療部隊に引き渡さなければならない。返事のないラピスに、シンは言う。
「なかなかやるじゃねぇか……。」