風の章1 稲妻の主
風の章1 稲妻の主
ラピスが出て行ったFASTAのロビーでは、昼間とまったく違う表情を見せていた。
大きなスクリーンが天井から垂れており、その前でアレックスが何か配線している。聖はさかんに無線機で誰かと会話しており、ユキは無言でソファに座っていた。
しばらくして聖は無線機を離すと、こちらに向き直った。
「医療部隊と、SEMI-Fは配備オッケーや。後は、俺らやな。アレックス、準備できた?」
「ええ、大丈夫です。」
知っている限り、聖はいつも柔らかい表情を崩さなかった。今の彼はラピスにとっては初めての見る険しい顔だ。
「これ、見て。」
スクリーンに映像が映った。まるで嵐の海のようにうねる砂漠と、激しい雷だ。雲は重く垂れ下がり、月も星も何も見えない。
「砂嵐?」
ユキが口を開く。ユキの声を聞くのはひどく久しぶりだった。ラピスはやけにつっかかってきた彼女を意識的に避けていたが、彼女もラピスを避けていたのかもしれない。
「そうや。でも、これはどうもおかしいやろ。あまりにもひどすぎるんちゃうか。」
ラピスにはどこからどこまでが許容範囲なのかがわからない。砂嵐など初めての経験だ。カルアベースは一年のほとんどで雪が降り、大地が姿を現すのは数日という万年雪に近い環境だが、ここまで暴力的な、音声がなくても想像がつくような天候に恐ろしさを感じたことはなかった。
「……オメガが?」
ユキの言葉を聞き、ラピスはちらりと彼女を見る。簡単にその言葉が出る、というのは頻繁にオメガが来襲するキュアベースだからなのかもしれない。聖は何か考えていたが、頷いた。
「かもしれん。ただの砂嵐のでかいやつかもしれん。せやけど何にしろ、電気塔に行っていかれてへんか見に行かなあかんやろ。あんだけの雷がゴロゴロしてんのは、まずいんや。」
「電気塔かぁ。確かあそこって、地下通路も何もなかったよね。この中を歩いてくしかないか。」
ユキは少し顔を曇らせる。
「そや。ほんでやけど、アレックスと俺は上層部とかに連絡せなあかんし、シンのことも気になるやろ。せやから、ユキとラピスで見に行ってきてくれんかな。」
「えー!」
聖が話し終わるとすぐにユキは露骨に嫌な顔をした。そして、本人もしまった、というような神妙な顔でラピスを伺った。
(俺も『えー!』と言いたい気分だ。)
ラピスは敢えて、何も言わなかった。ただ、不機嫌なのは間違いない。聖の指示を予想していなかったこともあるが、ユキに嫌われていることくらい、この何週間かで十分にわかっていたからだ。そして、ラピス自身もユキを避けていた。あの入隊式の日以来、二人が言葉を交わしたことはなかったのだ。
「今はあんたらしかおらんねん。『えー』とか言われてもあかんもんはあかんのや。一応無線機渡しとくから、何かあったらすぐ俺に連絡してや。」
聖は無線機をユキに押し付ける。ユキは肩で溜息をつくと、上着を取ってくる、とジェスチャーで示し、小走りに自室へ向かった。
「ラピス、悪いけど頼むで。」
ユキが去ったのを見てから聖はラピスに言った。あからさまな態度を見せつけられたラピスへの苦し紛れの謝罪口調だ。
「せやけど、オメガ以外に異常がなかったら心配はいらん。ユキは強いで。……もしオメガが出たら、すぐ俺を呼びや。何とかして行くからな。」
リーダーらしい細かい気配りがみえる。ユキがこちらに近づいて来る足音が聞こえた。彼女は頭に上着のフードを被ると、聖とラピスの顔を見据えた。腰には小さな剣と警棒のような銀の筒しか携えられていない。
「仕方ないから行ってくる。……あんた、足手まといだけは勘弁してよ。」
キュアベース一階の非常口から砂漠に降り立つと、そこは猛烈な嵐だった。目に砂が舞い込み、ラピスは思わず目を瞑る。ユキが何か言ったようだったが、よく聞こえなかった。
「ちょっと、聞いてる?」
ラピスが自分の言葉を無視したと感じたかのように、ユキはわざわざラピスの耳元まで口を近づけて言う。背伸びをしているからか、風が強いからか、足元がふらついている。
「なんだ?」
ラピスは驚き、少し身を引いた。十年前以来、ここまで平気で自分に接近してくる女は初めてだった。カルアベースにいた頃、誰もが投げかけてきた同情の目はここにはない。確かにユキはそうでもしないとラピスの耳元に声が届かないほど小柄で、しかも暴風によって何も聞こえない状況ではあるのだが。
「電気塔はね、デリケートな施設なの。だからもし、何かあっても、いきなり剣を振り回したりしないでくれる?」
「了解。」
返事をすると、ユキは砂嵐の中を自分についてくるように言い、前に歩き出した。フード付きの上着を選んだユキの気持ちが十分にわかるほど、砂はラピスの髪や身体に纏わりついた。
「あーやっとついた。」
電気塔の内部に入り、扉をぴったり閉め切るとユキは上着についた砂を払った。
(デリケートな施設じゃなかったのか。)
上着をばたつかせて砂を払うユキを見て、さっきの彼女の言葉に矛盾を感じながらも、ラピスも砂を少し払う。砂埃が金属の床に落ちて、不愉快な音をたてる。ユキは辺りをゆっくり見回し、施設全体の灯りをつける。
「特に何も異常はないみたいだけど……念のため、あっち見てきてよね。あたしはこっち見てくるから。終わったらここに戻って来て。」
ユキは左右を見渡した後、右に駆けて行った。ラピスは指示されたとおり、左に向かう。どうやらこの塔は一階部分を除いては、二つの施設に分かれているようだ。
ラピスが指示された左の施設はどうも電気の原料精製を行なっているようだ。全て自動化されている。原料は砂漠で常に一定以上吹き続ける風と地下からくみ上げているガスだろう。難しい機械類が多く、異常があったにせよ、ラピスにはそれが異常だとはわからない。少なくとも稼動を知らせるランプは赤く染まっていることもない。その施設は三階まで続き、四階に上がるとそこ屋外だった。風力で回る大きな帆が四つ並んでおり、それは激しく回転している。砂が舞い込むのを防ぐため、ラピスはすぐに扉を閉めた。
(――異常なし、か。)
常にキャリバーンに伸ばしていた手を下げると足取り軽く、さきほどの入り口に向かう。遠目に、入り口のドアが開いているのが見えた。そこから砂が音を立てて施設内に入り込んできている。
(あいつが、開けたのか?)
デリケートな施設だから、とわざわざ自分に忠告をしておきながら、扉を開けているに違いないユキに苦情を言いたい気持ちが溢れてくる。
「……。」
まだ姿を見せないユキの名を呼ぼうとして、ラピスは黙った。彼女の名を呼ぶのも癪に障る。苛立った感情が辺りの空気に伝染していくのが感じられる。
その瞬間。
前方から大きな金属音が響き、物陰からユキが突然飛び出した。短剣が彼女の手にあるのを認め、ラピスはキャリバーンに手をかける。そして一気に走り寄ろうとする姿を見て、ユキが叫んだ。
「危ない!」
それと同時にラピスの左腕に鈍い音と、何かが走る。肘の少し上辺りから、身を切られた時の独特の熱さが湧き上がる。ユキはラピスのいる所まで駆け寄ると、荒い息をしながら、前方を睨みつけた。
暗がりから、ゆっくりと硬質な歩調が聞こえる。そして、砂が一気に二人に向かって吹き付けられた。
「くっくっくっ。」
現れたのは、ベージュの髪色をした若い男。すらりとした長身で痩せ型であるのにもかかわらず、妙な威圧感を感じる。彼が口元をおさえているのは、砂を吸い込むのを避けるためではなく笑っているからだと気がついた時、ラピスの背筋が凍りつく。その右手を空を切るように振りかざすと、ラピスの横に立てかけられていた箱が遥か後方に吹き飛ばされていく。
「愚かな人間ども。邪魔をしないでくれるかな。」
人間そのものの声が、二人を挑発する。ラピスの左腕から流れた血がじわじわと衣服を汚し、そこに砂が張り付いている。砂が傷口に染みて、不潔で、痛い。
「ま、姿を見られた以上は始末させていただくが。」
男は右手と左手を同時に構えると、何か文字を書くかのように大きく振りかぶった。ユキはそれを見つめていたが、小声で言う。
「ジンに間違いない……最悪だわ。」
ユキは風のオメガ―通称ジン―を認めた瞬間、やわらかく手をかざして赤い障壁を自らの前に放つ。それはラピスとユキに挨拶代わりに向けられた風と稲妻を防いだ。ラピスは何が起こったのかよくわからずに目を見開いたが、それどころではなかった。
「おや、おかしな術を使うようですね。」
ジンはユキの障壁によって、逆に炎に襲われた風と稲妻が行き場を失い、空気中に分散していくのを見て言った。
「では、そっちの男からにしましょうか。」
標的を変え、ジンは今度は左手だけを振りかざし、指を弾く。音速の速さで稲妻が起こり、ラピスに向けて一直線に見えない何かが襲いかかる。ラピスは危険が迫っているのを戦闘の勘で感じると、とっさに先ほど吹き飛ばされた箱があった場所に転がり込んだ。稲妻は突如、巨大な龍が駆け抜けるかのように姿を現すとラピスがいた場所を走り去る。
「ふうん、なかなかやりますね。」
ジンはまるで面白がっているかのように、せせら笑った。
「では、これでどうでしょう。」
彼の両手に気が集まる。それらは球状に白い光となり、轟音を響かせながら、徐々に大きくなっていく。左手をユキに、右手をラピスに向けると、その光をそれぞれに放つ。
「くっ……。」
あまりに大きなエネルギーによって、ユキの赤い障壁は大きくめり込む。障壁が破れそうになった矢先、ユキはさらに片手を障壁へ向け、それは厚みを増して光を包み込み、障壁もろとも姿を消した。ラピスは全身の筋肉を一気に使い、ジンの風の刃を背後に避ける。風の刃は標的を失い、施設内の柔らかい構造物を引きちぎっていく。
「くっくっ……相手のしようがありますね。」
自分の攻撃を避けたFASTAの二人を見て、ジンは再び声をあげて笑う。幼い子どもが無邪気に残酷なことを行なうような笑み。笑い続けるジンにラピスは一気に詰め寄った。人一倍の訓練を積み重ねてきたラピスは、足音を立てずに走りこんでいたのだ。煌く白銀の剣が空中に踊った。そして、剣はジンの左手の平に命中していた。
「この……私に剣が通用するとでも?」
剣の刃に、ジンの赤い血がたれた。しかし、顔を苦痛で歪ませて立っていたのはラピスの方だった。握り締めたキャリバーンの柄から、手が離れそうになる。
(くそ、身体が痺れて……。)
ジンの左手から放出されたのは稲妻。稲妻は白銀の剣を通じて、ラピスに放たれていたのだ。
全身が沸騰したように熱くなり、皮膚が焦げた匂いがした。身体は力を失い、辛うじて彼は立っていた。
「ラピス!」
膝をつき、倒れこみそうになるラピスと、とどめを差すかの不敵な笑みを浮かべるジンとのわずかな間に、渦巻く炎の壁が立ち上がった。ジンは炎から発される熱に呻き声を一瞬あげ、後ろへ飛び退くと驚いた表情でユキを見た。ユキはラピスの元へ走りこむと、炎の壁を創ったまま、ジンに向けて、あの円柱状の金属棒を掲げた。
「君がウワサのパイロノイドかい?これは、いいところで会ったね。」
ジンは火傷を負った指を口に咥えた。
「残念だが、ここは君もご存知のとおり、電気系統を扱っている施設だ。こんなところで、パイロノイドの君が暴れると、大変なことになる。」
「うるさい。」
柄しかなかった剣が、ゆっくりと生まれる。
それは真っ赤に輝く、炎の剣。ちらちらと、炎粉が床に舞い降りた。ラピスはその光景を徐々に戻りつつある視覚で見つめていた。
(なんだよ、こいつは―――?)
しかし、今は疑問を解く時間ではなかった。