雪の章1 帰郷
その会議室は聖にとっては苦手なものだった。大きな一枚板で作られた重厚な机に当たりのよい椅子、それに腰掛ける10名ほどが放つ重苦しい空気。その主役たる場所に腰掛けているのがキュアベース総監であり、その斜め前には幹部とは思えないような妖艶さの副総監が座っている。部屋の扉にはかつてのFASTAメンバーであり、上層部からの相当の信頼がおかれていたであろう者たちから編成される護衛部隊「Shield」による警備がひかれていた。
機密情報の中でも、特に外に漏らしてはいけない議題だけが話し合われるこの会議の内容を聖がFASTAの他のメンバーに漏らすことは許されない。知りえた情報を一人悩みの種として抱えることも多い。
「……では、次」
進行役によって次の議題へすすめられ、聖はそのページを開いて目を見張った。
「ったく、面倒くせぇな」
ぶつぶつ文句を言いながら、シンはFASTAのロビーに鞄を放り投げた。その腰には短銃が収められている。ラピスも静かに鞄を床に置いた。シンの放り投げられて逆さを向いた鞄をマリフがわざわざひっくり返して元に戻した。
「さすがー、マリフちゃん、気が利くぜ」
「気をつけて行ってきてくださいね」
マリフはにっこりと微笑んだ。
会議中の聖以外のメンバーはFASTAのロビーに集まっていた。理由はラピスとシンがカルアベース総監からの異例の召集依頼を受け取ったからだ。カルアベースの防衛部隊への短期的な技術指導が理由だった。風のオメガ、ジンを倒したFASTAの実績は世界に知れ渡っていた。
故郷へ一時的でも帰ることができるというのにラピスの心はあまり弾んでいなかった。転任する前にはユーナの墓前で次に帰ってこれるのはいつだろう、と寂しさを感じていたのにもかかわらず、今はそこを訪れるのを躊躇する気持ちすらあった。
「カルアベース、あんまり行きたくねぇな……」
シンがぼそり、と呟く。
「色の白い美人が多いっていうよ?」
ユキが冷やかすように言ったからか、シンは苦笑いした。
カルアベースへはどんなに急いでも丸3日はかかった。キュアベースのある砂漠のオアシスから北へ約半日輸送車で進み、海辺に出て、そこからベース間で共有している高速艇を使い、また乗り換えをし、最終的に砕氷船に乗り換えての旅だった。
ラピスもシンも移動中にそんなに話をするわけではなく、必要最小限の言葉しか発しない。それがラピスにとっては救いだった。心は落ち着かなかった。ルナにとった自分の行動がまだどうしても理解できなかった。あの時ユキがラピスに投げかけた『思ったより、甘いんだね』という言葉がいつまでもこだまのように聞こえる気がしていた。
カルアベースに到着してから客間の案内や今回の目的の詳細を知らされている間も、ラピスにはいつもの落ち着きがなく、どこか上の空の状態だった。カルアベース最強といわれていた剣士が一時的にでも滞在している、という噂はすぐに防衛部隊に広がり、彼を一目見ようとする人々のざわめきは普段であれば気になるものだったが、それすらあまり意識できなかった。
「……すげぇ人気だな」
シンですら呆れてしまうほどだった。おそらくラピスがキュアベースに転任してしまう前から、彼に恋焦がれていた者も多いのだろう。常に誰かの視線を感じる状態だった。しかし、それも今はあまり気にならなかった。
技術指導というのは想像以上に疲れるものだった。さすがに一日が終わった頃にはラピスは精神的な疲れより身体的な疲れを感じていた。食事に同行していたシンもかなり疲れたようだった。
「こっちのメシは味が濃い気がするぜ」
そうぼやきながらもシンは普段通りの食欲をみせ、雪国独特の強い酒も時々楽しんでいるようだった。
「そういや、お前、せっかく里帰りしてんのに全然楽しそうじゃねぇな」
ラピスのいつもにまして暗い表情を見てシンが言った。言われてはっと気づいた。
「そうか?」
無難な返事を返す。キュアベースでの生活は面白おかしいものではない。しかしFASTAのメンバーのやりとりをみていると、それなりに興味深い話題があったり、時には誰かの冗談に笑いそうになったりすることもあった。
それに比べ、カルアベースにいた頃の自分は今からは想像しにくいほどの孤独の中だった。ユーナがいた頃はいわゆる同世代のリーダー格の立場だったが、あの日を迎えてからは全ての慰めも人々の優しさも受け入れられず、自ら孤立していったのだ。
「……まぁいいか」
これ以上踏み込むのはよくないと判断したのか、シンは一言言うと、また酒に手を伸ばした。ユーナと同じ、シンの碧の瞳はラピスの心を何もせずとも掻き毟った。
初めてユーナに出会ったのは、カルアベースの防衛部隊の養成所だった。ラピスに親の記憶はなく、防衛部隊の養成所はそういった少年少女がほとんどだった。しかし、彼女は違った。
美しい黒髪に不思議なほど澄んだ碧色の瞳。褐色の肌の大人びた顔立ちのその少女はラピスの心を一瞬で奪った。ユーナが華奢なその身体には似合わない、銀色の大剣を従えていたのも彼の興味を引いたのだった。
当時養成所の中でも将来有望といわれていたラピスが日に日にユーナを目で追うようになり、逆にラピスを目で追っていた少女たちの嫉妬はユーナへ向かったものの、直接手を出されるようなことはなかった。それはユーナがカルアベース総監の一人娘であり、かつ、リキの一族の中では『世界を救う』と予言された碧の瞳を持つ者だったからだ。予言された者であり、高貴な存在で、しかも女性だった彼女の行いは異例中の異例だった。
同じ剣士と言えども、最初はなかなか話しかけることすらできず、ようやく想いを伝えることができたのは3年が経ってからだった。そこからはラピスのこれまでの人生にとっては最良の時だったといえた。
そう、あの日が来るまでは。
ラピスにとってカルアベース滞在は近寄りたくない場所が多く、任務外の時間のほとんどを自室としてあてがわれた客間で過ごしていた。キュアベースにいた時間はそう多くないが、改めてカルアベースを訪れるとなると過去を思い出しては苦しくなる場所が多かった。あれから10年が経ち、ラピスももういい加減に大人になったことを自覚してはいたが、それでもいつもどこかにユーナの面影を探してしまうのだ。眠りに落ちていくときも、ラピスは翌日のユーナの墓への訪問だけを思い浮かべていた。