月の章4 憑依
月の章 憑依
どうも、おかしい・・・・・・と自覚せざるを得ないほどラピスは心をかき乱されるような感覚に襲われていた。生活の様々なところで今は亡き恋人の面影をどこかで探してしまう。そういった感情はとうの昔に捨てたはずなのに、だ。おかげで任務中に精細を欠くこともあり、その度にユキに冷たい視線を投げかけられることも多いが、それすら以前ほど苛立ちを感じない。
(何なんだ、これは。)
頭を抱えても答えはでない。
ただ、そういった状態になっているのが自分だけではない、というのを彼は感じていた。多少落ち着きのないアレックスはもとより、聖やシンでさえ心ここにあらず、といった状態にないっているのだ。
「ジュリスト先輩。」
背後から急に呼び止められて、その呼び方をするのは一人しかいないのを知っていながらラピスは振り返る。そこにいたのはやはり、イーシスだった。しかし、彼女の何かが違う。
そもそも、ここはFASTAしか立ち入りが許されない専用エリアの、自室ではないのか?FASTAかどうかを瞳で判別するスキャナーが壊れていたとしても、そうそう簡単には入ってこれないはずだ。それぞれの居室に入るのには昔ながらの鍵が必要であり、緊急時のみマスターキーを使って開錠する決まりで、自分は間違いなく鍵をかけていたはずだ。彼女の背後でオートロックがかかる音がした。
「……どうやって入った?」
「どうにかなるもの。」
語尾を伸ばした甘え口調ではない。彼女はそんな話し方をする女だっただろうか?部屋に響くその声も、彼女のものだっただろうか?イーシスはためらうこともなく窓際に立っていたラピスに近寄る。なぜか、それを牽制することすらできない。
「……先輩……。」
その冷たい手がラピスの手に触れるが、ラピスはそれを払いのけられない。
「さみしかったんでしょう?」
イーシスが思いもかけない言葉を発して、硬直してしまう。無理やり組まれた指と指からラピスの心の動揺が彼女の内部へと伝わっていく。
「知ってるの……どうしても、私じゃだめなんですか?」
「先輩は、私のもの。」
「願いが叶えば、私は契約する。」
うわ言のようにイーシスの唇から言葉が発せられていく。それと同時に、ラピスの精神に混乱が生じていく。全身麻酔のような気だるさ、色彩のトーンが落ち、目の前にいる女だけが美しく柔らかい光を帯びているかのように感じる。
ずっと心に引きずっている、もういない恋人の生前の姿が、イーシスの視線を浴びれば浴びるだけ闇夜に消えていく。思い出も後悔も全てを飲み込んでいく。
(何もかも、どうでも、いい。)
自我を失いつつあるラピスを認めたイーシスは静かに引いてあったカーテンを全開にする。砂漠の夜空に光り輝く月が部屋に光を射していく。その大きさは普段よりも大きく見え、色も神秘的な白いものではなく、赤みを帯びた妖しい光であった。
「先輩……こっちへ。」
絡ませた指で誘導し、ラピスは力なくベッドへ倒れこんだ。そこへイーシスが喜びを隠せないまま乗りかかる。
「……やめろ。」
わずかに残った理性が上ずった声でその行動を拒否する。だが、身体が動かない。
「拒否なんて、できませんよ……。」
「そうよ、イーシス。」
自分で自分を励ますかのように呟きながら、ラピスの衣服をはだけさせていく。
「あなたは、私のもの。」
「受け入れるのよ、私の力には、敵わない。」
イーシス本人の言葉ともう一人、知らない少女の声がラピスの耳に届くが、だからといって何もできない。脳が何かに侵されて思い通りに身体を動かすことができず、意識が朦朧としていく。
「げっ、何これ。」
FASTA専用エリアに深夜、一人で帰ってきたユキはその内部の暗さと臭いに思わずエリアから一度出た。一瞬の立ちくらみを踏みとどまると再び扉に向き直り、首をかしげる。再びスキャンを通し、数箇所へ走り、普段は閉じられている窓をこじ開けてもう一度外へ出た。たったそれだけでふらふらする感覚がする。
(……なんか、おかしい。)
警戒しながらエリアに立ち入ると、換気が効きはじめたのか少しは臭いがましな気がした。寝静まっているのか、辺りは静かだ。暗い理由はわからないが、月明かりでかろうじて視界は保つことができる。横目で確認すると、扉の横に備え付けられている不在ランプがついているのは自分とマリフとアレックスのみで、いわゆる腕のたつメンバーは在室のはずである。
「誰か、いるの?」
問いかけた矢先に人の気配を感じ、思わず火焔剣の柄に手をかける。
「俺やって。」
なまりのひどい口調でそれが誰かを認識してユキはその緊張を解いた。
「何、これ、どういうこと?」
「いや、ちょっとわからんねんけど……。」
困ったような聖の表情にユキは疑問が晴れない。よく見れば顔色も悪く、汗が噴出しているように見える。
「……聖?っ!」
問いかけた瞬間、ユキは後ろから羽交い絞めにされ、身体の自由を奪われた。その腕にも見覚えがある。
「シン??ちょっと、放してよ!」
「わりぃな……俺、おかしいみてぇだ……。」
無理やり逃れようとしても力がうまく入らない。火焔剣の柄に手を伸ばそうとしたところで、先に聖に取り上げられてしまった。目前の聖も、自分を押さえ込んでいるシンも、どちらも苦痛と恍惚が入り混じったような異常な表情をしている。
「いい加減にしてよっ!」
思い余ってシンの腹に肘打ちを叩き込むも、効果は少なく、かえって束縛をきつくする。
「おーおー、痛ぇな。そんな暴れるなって。」
ユキは暴れながらも、自分の身体にも変調をきたしていることに気づいた。身体が熱い。ふわふわした感覚で力が出なくなってきている。
「……なに、これ。」
思わず呟いた矢先に首筋に妙な感触を感じ、背筋に悪寒が走る。
(……キス、されてる?)
一気に震えが身体を襲う。
(ありえない、二人とも、おかしい……)
さっき開けた窓から月の光が射している。ちょうどその部分に見覚えのない缶があり、煙を吐き出しているのが見える。後ろから羽交い絞めというのも、持ち上げられ、抱きしめられているような形になってきている。正面の聖の目も正気を保っているようには思えない。
普通に考えて、まともに戦えばこの2人相手に武器なしでは勝ち目はない。ユキは暴れるのをやめ、従うような振りを見せ、勝機をうかがう。考え事をしている間も聖とシンの行為はエスカレートする。
「ねぇ、あたし襲ってどうすんの?」
組み伏せられてしまい、冷静に問いかける。
「とりあえず、ユキは止めやなあかんし、なんちゅうか、今日はどうしょうもないっちゅうか。ごめんやけど。」
「殺しやしねぇよ。」
(……止めないといけないって??あたしを?)
床の上から見上げた窓の外には満月。だいたい、聖とシンが自分を女として見ている、というのが本来ありえないことのはずだ。ただ、ユキの動きを奪えばいいのであれば2人がかりで不意をついて気絶させるなりできるだろう。自分を見る聖とシンの目は普段の冷静さを失っている。しかもどこか焦点が合わない、空虚な感じを受ける。
「……ふん、やってみれば?」
(正気じゃないなら、やるしかないよね。)
ユキはにやり、と笑うと2人であって2人でない者たちを見据えた。