第一話 ファーストコンタクト
「お兄ちゃん、おはようだよ!」
俺の部屋の扉を勢いよく開いてやってきた妹は、片手にフライパン、学校の制服の上にエプロンとまぁテンプレみたいな格好で朝のお披露目となった。ちなみに、昨日の夜に見られた獣耳はしっかりと収まっている。
「起きてるよ、別に朝弱いわけじゃないんだからこんなことしなくてもいいんだぞ」
「えー、そんなこといって月に1回は寝坊しそうにならない?」
「いや、多少の寝坊で遅刻する時間を習慣にしているわけじゃないだろ?」
今だって、朝の六時とかなり早起きの部類になる。ここから一時間程、起きるのが遅れたとしても、余裕で始業の時間に間に合うだろう。
「むー、いいじゃん。私の朝練の時間に間に合うようにしてくれてるんでしょ?」
「そうだけど、別にわざわざ手間を増やしてまで確実にしなくてもいいだろ?」
妹は女子サッカー部に所属している。去年は一年生ながらレギュラーとして活躍しているみたいだ。俺はサッカーにあまり詳しくないので、細かく説明できないので割愛させてもらう。
「いいの! 一緒に行きたいって言ったのは私だし、お兄ちゃんは良いって了承してくれたじゃん」
「まぁな……」
しかし、本音を言うとこんなに早く学校に行っても何もすることがないのが辛いのだ。大体は、自分の机に突っ伏して寝ているのが関の山だ。俺が真面目な学生なら、一生懸命、授業の予習復習をしたりするのだろうが、現実にそんな奴はあまりいない。進学校でもない、そこそこのありきたりな高校だからな。
「はい、文句を言っていないで、さっさと着替えて朝ごはんにしよ!」
「分かったよ。言われた通り着替えるから、部屋を出てくれ」
「はいはい、別に私は平気なんだけどね~」
「いいから出てけ!」
もうちょっと、恥じらいというのを持って欲しいのだが。年頃の男女が一緒に暮らしているのだ。少々、妹はそのあたり無頓着すぎると思う。仮にも、義理の兄弟なんだ。間違いがあったら父に示しがつかない。
文句を言いながらも、最後は俺の言葉に従ってくれた。さて、気を取り直して手早く着替えてしまおう。
「転校生か」
俺だって、多少の野次馬根性はある。どんな人間か気にならないわけがない。一学年六クラスの我が学校。妹とはクラスが違うので、どちらかのクラスに所属する確率は低いわけではない。
「同じクラスになったら考えれば良いことか」
そう思考に結論付けたころには、寝巻きはきちんとたたまれ、身を包み衣服は詰襟の学生服となっていた。
*
「それじゃあ、お兄ちゃんいってくるね!」
「あぁ、また昼にな」
グラウンドの向こう側にある部室棟へと元気良く駆け出していく妹を見送って、俺は昇降口へと向かった。寝足りない、睡眠欲を満たすために、さっさと教室に行こう。
「ん?」
開けっ放しとなっている、自分のクラスの下駄箱を見て疑問に思う。
「あれ? ここって使われていない場所じゃないのか?」
そう、三日前の金曜日まではここを使用している生徒はいなかった。つまり、誰かこの下駄箱を必要とする人物が現れているということ。話の展開からおそらく転校生が俺のクラスにやってくるのだろう。
「ふーん」
大きい期待をしていたわけでもないので、大喜びすることもない。へぇー、そうなんだと多少の関心を寄せる程度の感想。
「逃げるわけでもないんだしな」
若干、重く感じるまぶたを擦りながら上履きに履き替えた足を動かす。数分もたたずに、自分の教室へたどり着くだろう。
と、そこまではよかった。俺は、教室の扉を開けた瞬間に目の前の光景が信じられずに、扉に往復運動をさせてしまった。
「いや、おかしいだろ」
教室においての、俺の机のポジションは日当たりのいい窓より二列目の後ろから三番目。日差しが程よく差し込むという、夏なら厄介、その他の季節は大歓迎という割りと好立地。
その良物件に先客が居座っていたのだ。いや、居座っていたというより、突っ伏していると表現したほうが適切だ。おそらく、寝ているのだろう。
うちの指定のセーラー服を着ている時点で、うちの学校の女生徒であることを証明している。問題は、同じクラスの人間だとして、新クラスとなって数日たった自分の机を間違えることがあるだろうかということだ。
となると、あれは誰なんだという新しい疑問が浮かび上がってくる。顔は分からないが、長くて黒い髪は人を惹きつける何かを持っているだろう。
とりあえず、あの場所は俺にとって、朝の小さなオアシスなのだ。退いてもらわないと、本日の授業に支障をきたす恐れがある。
「おーい」
肩を揺すり、不法滞在者の目を覚まさせてあげよう。
「んん?」
どうやら本当に寝ていたようで、顔をあげたときの表情はかなり不機嫌であった。しかし、そんな状況でありながら、凛とした雰囲気が伝わってくる彼女の顔立ちはかなりレベルの高いものなのだろう。
という感想を抱いていたところに、彼女が立ち上がったところまではよかった。突如、俺にもたれかかるように倒れこんだ。そして、俺に馬乗り状態となり、上半身を覆い被せてきた。
何が起きているのかを理解できず。彼女から漂ってくる女の香りに思考回路はショート寸前となっていた。
「な!? な!?」
驚愕は声にならない声となるも、相手に伝わる気配はない。俺を押さえつけてくる力は強くなる一方で、俺は徐々に身動きが取れなくなってきた。
彼女の顔が近づいてくる。俺から、反抗する意思を奪うくらいの魅力を持っていた。
もうどうにでもなれ、と目を閉じた数秒後。俺の左肩にチクりと痛みが走った。衝撃に目を見開くと、彼女の口が俺の左肩を咥えていたのだ。ただ、どうして痛覚が反応しているのかを把握するには少々時間が掛かった。
「あんた、吸血鬼だろ? 公共の場でこんなことをしていたら駄目じゃないか!」
「!?」
寝ぼけていた彼女が、ようやく自分がしていることに気づいたらしい。
「わ、私は何を……」
「安心しろ。相手が俺でよかったな?」
本当、下手に物好きな人間が相手だったら、大変な騒ぎとなっていたかもしれない。
「ど、どういう意味だ?」
「少なくとも、俺はあんたに危害を加えるつもりはないってことだ」
まだ、思考がはっきりしていないのか、困惑の表情をしている。
「おまえは驚かないのか?」
「まったく、といえば嘘になるがな。まぁ、こういうのは一度目というわけじゃないからな」
一度は妹で既に体験していたのだ。出会ったときに、妹の体質のことについて俺は知らされていなかったので、あの時は多少は驚いた。
俺に訝しげな視線を投げかけてくる。まぁ、当然といえば当然なのだろうけど、少々悲しいものがあるな。
「落ち着け、少なくとも俺はあんたら側の人間だ」
「そうなのか?」
まだ、疑心暗鬼が解け切れていないのだろう。どうにかできないものか。
「なぁ、吸いたければ吸ってくれてもいいんだぞ」
「え?」
「さすがに首筋なんかは俺だって怖いし、跡が目立っても駄目だろ? 腕とかなら、服の上からなら誰にも気づかれないし、それであんたが落ち着くんなら安いもんさ」
「そ、それじゃあ」
俺が差し出した右腕にカプリと噛み付いた。再びチクッとした痛みを受けた。体の中の何かが奪われるような感覚に襲われる。吸い上げられていく何かはたぶん俺の血液なのかな。
「ありがと……」
俺の腕から口を離すと、彼女は随分しおらしくなってしまっていた。
「別に安いもんさ。もう平気か?」
腕を確認すると小さな二つの跡があった。ちょっと気をつけておこう。誰かに見つかって変な疑惑をかけられたら面倒だ。
「うん。もう大丈夫だ」
かなり意識ははっきりしているし、吸血鬼がどれくらいの頻度で血を吸うのかは分からないけど、本人の言葉を信じよう。
「すまない。情けないな、こんな醜態を晒してしまうなんて……」
相当へこんでいるのか、口調と比べて声色にまったく覇気が感じられない。
「そうだ、名前聞いてなかったけど、なんていうんだ?」
「私か? 狭霧 鏡だ」
「俺は犬養 猛だ。よろしくな」
そう手を差し出すと、鏡はそれに応えてくれた。ぐっと握り返す力はとても強く、でも痛いわけではなく、相手を労わる気持ちが伝わってくる。
鏡の表情は柔らかく、安堵の笑みを浮かべていた。
これが、俺と鏡のファーストコンタクトだった。
習作ですので、おそらく相当拙いと思われます(´・ω・)