呪われた一族の真実
生まれ育った故郷を離れ、嫁入りの為に向かう馬車の中で、齢12歳のエレノア・ヘリンはむかしの事を思い出していた。
カルロス・ベネット男爵は人柄も良く人望に厚い男である。
父であるヘリン子爵から幼い頃からそう聞かされ、20も歳の離れたまだ見ぬ男爵に思いを馳せていた。
同年代の周囲からは、
「親子程歳の離れた殿方と婚姻を結ばなければならないなんて、エレノア様はなんてお可哀想なのでしょう」
と言われたが、ベネット男爵の事業が成功した、どこそこの貴族から信頼のおける人物である殿方であり、ベネット男爵家に嫁ぐ事が出来るヘリン子爵令嬢は果報者である、と話を聞いている。
貴族に生まれた以上、自分の意思で結婚する様な事は出来ない。
結婚は家同士の契約であり、エレノアの嫁入りでヘリン子爵家は小規模ながら家業の助けとなる農園をひとつ手にする事となる。
その農園の経営は現在進行形で右肩上がりであり、エレノアの弟妹達に豊かな生活を送らせる事が出来る。
ヘリン子爵家は先々代の御祖父様の散財癖で没落寸前であり、エレノアの夫となるベネット男爵は友人である父を助けるべく婚姻の話を持ち掛けて来たのだと言う。
ベネット男爵家側にメリットは無い婚姻であるが、爵位返上を視野に入れている友人を放ってはおけなかったのだと言う。
妙齢の男爵が今なお独り身の理由は知らないが、エレノアは自分がベネット男爵家に嫁ぐ事で弟妹達に真っ当な生活を送らせる事が出来るのならば、と納得している。
エレノアを乗せた馬車が男爵家の門の前で止まる。
御者が門扉の前にいる使用人を見て短い悲鳴を上げる。
(なにかしら?)
馬車の窓から外に目を向けると、黒い髪の使用人が愛想の無い表情をして立っていた。
その使用人の足は、見事な驢馬の足をしていた。
ベネット男爵家では、呪われた一族を雇い入れているらしい、と言う社交界の噂話はどうやら事実の様だ。
「立派な足ね。何処までも速く走れそうだわ」
エレノアの言葉にその使用人は目を丸くした。
「この足が不気味じゃないのか」
「いいえ?貴方の足があったから、辺境の異常をいち早く王都に伝える事が出来たと聞いているわ。素晴らしい足よ、誇っていいわアーネスト」
使用人―――アーネストはむず痒そうにしている。
温室育ちの貴族令嬢は呪われた一族を見れば飛んで逃げ帰ると思っていた様だが、出鼻をくじかれた様だ。
エレノアは馬車を降りて明るい金髪を風に靡かせて大きく息を吸う。
ベネット男爵領はとても空気の良いの場所だと、話に聞いていた通りである。
邸宅から、淡いグレーの髪をした男性が姿を現した。
カルロス・ベネット男爵である。
「遠路はるばる、ようこそ。小さな淑女」
「お目にかかれて光栄ですわ、旦那様」
微笑んでカーテシーをすると、男爵は大きく頷いて「応接室へおいでなさい」と声を掛けてくれた。
勧められるままに邸宅に入ると、エレノアは目を輝かせた。
ベネット男爵家で働く使用人の多くは、何処かしらに動物的な特徴を持っていた。
角のあるもの、動物の耳のあるもの、手足に動物的特徴のあるものと様々で、エレノア付きになる侍女は全身にきらきらと輝く鱗が光っていた。
彼等は皆、何処かの代の当主が国王陛下の不興を買い呪われたり、言い伝えを無視したばかりに神の怒りに触れて呪われた者達であると聞いている。
「恐くはないかい?」
「いいえ。彼等の呪いはどの様にすれば解けるのかと、強い興味がありますわ」
昔話の様に、真実の愛で呪いが解けるのか、はたまた別の手段が必要となるのかとエレノアは考えた。
「彼等の呪いは根深くてね。年嵩の家令が受けた呪いは先祖が1000年以上前に被った物であるが、未だに呪いが解ける兆しが無い」
罪を犯したのは先祖であり、子孫である彼等に罪は無いのだと男爵は言った。
だからこそ、行く宛ての無い彼等を雇い続けていらっしゃるのか、とエレノアは納得した。
「長旅で、空腹だろう?直ぐに食事を持って来させよう」
「お心遣い、感謝いたしますわ」
◇
ベネット男爵領で良く取れる甘いじゃがいもを使った料理のフルコースは美味しく戴いた。
じゃがいもがあんなに美味しいとは知らなかった、と言えば、あれはじゃがいもではなくてさつまいもなのだと男爵は言った。
痩せた土地でも良く育ち、不作にも強い、と聞いた。
エレノアは畑を見たい、と言ったが、長旅で疲れているだろうから、と侍女に連れられて入浴し、ふかふかの寝台に横になる事になった。
「わたくし、カルロス様の妻になる為に此方に来たのよ。カルロス様の妻に相応しくある為に、領地に付いて知らなければならないわ」
「向上心の強い事は宜しいですが、奥様はまだ12歳。時間はたっぷりとございます。ですから、今はゆっくりお休み下さいませ」
「分かったわ、ヘンリエッタ」
ヘンリエッタはお母様と同い年くらいかしら、とエレノアは考えた。
もしかしたら、自分と同じくらいの子供がいて、自分の姿に子供を重ねているのかしら、と考えていると
「奥様のお母様と同年代である事は事実ですが、私に子供はおりませんよ」
とエレノアの思考を見抜いた様にヘンリエッタは口にした。
「わたくし、口に出していた?」
「いいえ、私は他人の思考が読めるのです」
お母様から、聞いた事がある。
国王陛下の2人目の弟君には特別な能力を持つ伯爵令嬢が婚約者として存在していたけれど、お披露目の日にその能力を以て王弟殿下に害をなそうとしていた者を捕らえてみせたところ、その者が王弟殿下の古くからの友人であった事で王弟殿下は呪われたバケモノの伯爵令嬢が友人に冤罪を負わせたと公の場で糾弾し、婚約白紙となってしまった事がある、と。
結局、1年と経たない内に元婚約者である王弟殿下は最高の親友であると信じていた侯爵令息に薬物を盛られ、一命は取り留めたものの顔に遺る醜い火傷痕と全身に遺る麻痺の影響で離宮で静養していると言う。
事件の首謀者が親友であった侯爵令息で、侯爵令息の処刑の報を聞いた王弟殿下は酷く憔悴し、実年齢よりもずっと年老いて見えるとお母様は噂で聞いたのだと言う。
ヘンリエッタが、お母様から話に聞いていたヘンリエッタ・ラックス伯爵令嬢の様だ。
「さあ、お休み下さいませ。勉学は明日からでも出来ます」
ヘンリエッタの優しい手がエレノアの額を撫でると、エレノアは直ぐに眠りに付く事が出来た。
◇
呪われた一族は王国に20家存在し、うち18家がベネット男爵家に雇われている。
彼等はとても働き者で、王国随一の情報網と行動力を誇る。
しかし、外見を重視する貴族社会において彼等は日陰者であり、平民として生まれた者は産婆が産声を上げる前に縊り殺すとまで言われている。
彼等を積極的に雇い入れるのは、ベネット男爵家くらいしか存在しない。
カルロスは社交界において彼等の素晴らしさを幾度となく説くが、それが響く貴族はエレノアの両親くらいしかいなかった。
ヘリン子爵家にはベネット男爵家で働く使用人が出入りする事が良くあったので、エレノアは彼等に対して大きな偏見は持たなかった。
「わたくしも、貴方の様な大きなお耳が欲しいわ」
驢馬の足のアーネスト、蛇の鱗のヘンリエッタ、牛の乳房を持つシャロン。
来る度に様々な使用人の話を話してくれる、ヘリン子爵家に出入りしていた象の耳のアルバスに、エレノアは良くそう言った。
「貴方みたいな大きなお耳があれば、どんな事も聞き漏らさないで済みそうだもの」
「お嬢様がそう言って下さるなら、呪われた我が身も捨てたものじゃあないな」
アルバスは快活な笑い声でそう言った。
そんな環境で育ったものだから、初等教育を受ける頃には呪いとは一体どのような原理で、何故発生するのか、呪いを解く手段はあるのかと独学で調べる様になった。
「―――こうして、お姫様の口付けでカエルは王子様の姿に戻り、2人は結婚して末永く幸せに暮らしましたとさ」
「王子様はどうして、呪いが解けたのかしら?」
幼いエレノアの疑問に、お母様は「そうねえ」と少し考えてから自分の考えを口にした。
「王族は最も神に近しいと言われているから、神様がふたりの愛を認めて呪いを解いて下さったのかもしれないわね」
「愛が認められて呪いが解けるのならば、呪われた一族の方々の呪いが今なお解けないのはどうして?」
「王族の方々は王国で最も強い魔力を持っていらっしゃるわ。その王族や神様が下した呪いはなかなか解けないものなのかもしれないわ」
どうして、彼等の先祖は神や王族の怒りを買う様な真似をしたのだろう、とエレノアは自室にある王国史を開いた。
まだまだ幼いエレノアには難しい文章が幾つも出て来て、内容を覚えようと試みては知恵熱を出した。
7つの時にベネット男爵との婚約が結ばれてからは、一層歴史を深く学んだ。
ベネット男爵家で働く、呪われた一族と忌避される彼等が当たり前に生きていける人生を提供したいと考えての事だった。
◇
ベネット男爵家は王国の各地に小規模の農園や牧場を持つ貴族であり、領地ではさつまいもを使用した産業が多く展開している。
領民は凡そ300人で、皆、夫であるカルロスを慕っている。
貴族には良くある話とはいえ、幼い自分の姿はどう映るのかと心配していたが、暖かく迎え入れてくれた。
ヘンリエッタの手ほどきを受けて帳簿の読み方や付け方を知り、また生家から大切に持って来た王国史を紐解き、歴史を学ぶ日々が2年目に入った頃、カルロスの元に来客が現れた。
カルロスの姉であるクラリス・ロマイシン男爵夫人である。
「32を過ぎて漸く嫁を取ったと噂に聞けば、こんなに小さな幼子だなんてね」
貴方が幼児趣味だったとは知らなかったわ、とクラリスは口にした。
「お義姉様、婚礼の挨拶が遅れて申し訳ありません」
エレノアはヘンリエッタを呼び、クラリスに紅茶を差し出した。
エレノアが手掛けている紅茶で、領地ではかなり好評である。
「お義姉様は爽やかな味がお好みだとカルロス様から伺っております。どうぞ、お召し上がりください」
クラリスは紅茶に口を付けると「あら、美味しい」と呟いた。
「噂で聞いてはいたのだけれど、この紅茶を貴女が?」
「はい。皆様が手伝って下さったお陰で、理想の紅茶を作る事が出来ましたわ」
「そう」
お義姉様の、自分の印象はどうだろうか、とエレノアはハラハラしながら顔に少しだけ引き攣った笑顔を貼り付けた。
「次の茶会に使わせて貰いたいのだけど、融通して貰えるかしら。無論、タダで、とは言わないわ」
どうやら紅茶は気に入って貰えたらしい、とエレノアは胸を撫で下ろした。
「12で嫁いで、邸宅に篭もりきりの義妹は夜会に出た事もないでしょうね」
年相応にデビュタントに憧れはあるが、それ以上に呪いの研究を進めたくて、すっぽりと頭から夜会の事など抜けていた。
もしや、社交界において自分は変わり者の噂となっているのでは。或いは、カルロス様が幼妻を愛でるあまりに監禁していると噂が立っているのでは、と考えるとエレノアの顔から血の気が引いた。
「エレノアに、あんな醜い人間の集まり等は見せたくはないのだが」
「わたしだって、こんな幼い義妹に人間の醜悪さを煮詰めた様な巣窟に連れ歩きたくはないわ。でも、人脈を作る事は大切でしょう」
友人のひとりもいない夫人なんて有り得ないわ、とクラリスは言った。
クラリスの勧めもあり、エレノアは聖誕祭の夜会に参加する事となった。
夜会に必要なドレスや宝飾品をカルロスと吟味する時間はとても楽しく、エレノアは夜会までの日々を指折り数えて過ごすのだった。
◇
ベネット男爵の若奥様の作る紅茶は呪いや深い傷を癒す、と評判が高かった。
離宮で静養するチャールズ王弟殿下はその紅茶を飲む様になってから、顔の火傷痕が薄くなり、麻痺も状態が良くなってきた。
体調の良い日は、離宮の庭園を散策出来る程になった。
もう何年も、寝たきりだった弟が快方に向かっていると聞いて、国王陛下はその紅茶の作り手であるベネット男爵夫人に礼を伝えたいと常々考えていた。
聖誕祭の夜会で、ベネット男爵に伴われて参上した夫人はとても幼い印象を受けた。
12で婚姻して2年、14歳と言う若輩者ではあるが、その見識の広さは大人顔負けであると耳にしている。
夫人の傍らには、彼女の夫である男爵の他に懐かしい顔が控えていた。
ヘンリエッタ・ラックス伯爵令嬢。
離宮で静養する弟の元婚約者であり、弟は彼女の持つ能力を信用しなかったばかりに健康な肉体を損なった。
(おや)
夫人の手掛ける紅茶作りの手助けをしている、と耳にしていたが、ヘンリエッタは相変わらずの蛇の鱗を持つ姿のままだった。
作り手に一番に効果が出そうなものだが、と考えていると、ベネット男爵と夫人の挨拶の順番が来た。
伝統に則った挨拶を述べ、夫人に感謝を伝える。
夫人は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、真剣な口調で告げた。
「わたくしは、王国史を全て理解致しましたわ」
王国史は古い言語で書かれているものもあり、王族ですら全容は把握出来てはいない。
男爵は幼いながらも賢い妻を持った、と国王は口にした。
「畏れながら太陽の如き国王陛下。この国には呪われた一族など存在いたしませんわ」
それはどういう事か、と夫人に聞くと、夫人の目は自分の頭上にあった。
「だってこの国は、魔族の国なんですもの」
にっこりと微笑む夫人は、そら恐ろしいものに見えた。
◇
国王陛下の頭には、見事な角が生えていた。
―――この国の時間を、3000年程遡ろう。
この国は元々、現在呪われた一族と呼ばれる魔族と言う種族によって成り立つ国であった。
つまり、この国は本来、ベネット男爵家が保護している者達の様に異形の姿をしている存在が跋扈しているのが当然の世界だったのだ。
この国が現在のかたちに変化していったのは、人間の国から聖女と呼ばれた女が当時の国王に見初められて嫁いで来た事から始まりである。
当時の国王は、妻が異形の姿を恐れる様子を見て国民達に人の似姿を与えた。
即ち、現在において「呪い」と呼ばれているものは家系に掛けられた王家の呪いが解けた姿なのだ。
神の怒りに触れた、とされる者達は、自分達のルーツは魔族であると知り、自力で王家の呪いを解いた者達である。
王国史の真相を知る歴代の教会関係者は彼等によって真実が国民に知れ渡るのを恐れて、彼等を「呪われた一族」と忌避し、抹殺して来たのである。
公の場で口にするのは危険ではないか、と夫に心配されたが、この国が元々魔族の国であるのならば、国王陛下は所謂、「魔王」、と呼ばれる存在ではないか?とエレノアは考えていた。
その推測は、見事的中していた様だ。
「わたくしの紅茶を飲んで、人の姿のままなのは長い時間の果てに家系から魔族が姿を消した方々だけですわ」
生家であるヘリン子爵家と、婚家であるベネット男爵家は元々人に近い姿をしている魔女の家系である。
国王陛下は初めて、聖誕祭の夜会に出席している者の多くが身体的特徴を隠す服装している事に気が付いた様だ。
普段通りの、聖誕祭の夜会に参加する為の衣装で参加している者は片手で足りる程しかいなかった。
「太陽の如き国王陛下。彼等も呪われている者ですか?」
王家の開催する聖誕祭の夜会で、国王陛下夫妻を含めて98%の王侯貴族が呪われた一族―――否、魔族である、と証明された。
平民も凡そ同じ割合である。
「―――直ぐに、精查せよ」
自分達が魔族だったのか、それとも、エレノアの紅茶を飲用したから魔族に変質したのか。
その精查が完了するまでは男爵領で男爵と共に謹慎する様に、と告げられた。
◇
「―――こうして、魔族の国は本来の姿を取り戻したのです」
めでたしめでたし、と口にすると、孫達がキャッキャと楽しそうに笑っていた。
逞しい猛牛の姿を持つ孫と、人ならざる美しさを持つエルフの特徴を持つ孫、他総勢20人を超える様々な種族の孫達はカルロスとエレノアの宝物である。
エレノアの紅茶が持つ解呪作用は認められ、王国に一般的に伝わる歴史は教会によって改竄されたものである事が証明されるまで凡そ3ヶ月掛かったものだ、と思い返す。
『魔王は世界を滅ぼそうとしています。ですが、私が魔王の妃として嫁げば、魔王による世界滅亡を防ぐ事が出来る筈です』
聖女と呼ばれた女はそう言って、この国に嫁いで来たそうだ。
王国史を紐解けば、「魔王」、と呼ばれた当時の国王は魔族の地位向上を望んでいただけであり、世界を滅ぼそう等とは考えてはいなかった。
寧ろ、聖女が王妃の座に座った事で国民からあるべき姿を奪わなければならない事を憂いていた。
聖女は自分に触れない魔王の寝所に押し入り、その子種を授かったと言う。
そのはしたない娼婦染みた女が真に聖女と呼ぶに相応しいかは兎も角。
『魔族の成人年齢は14歳ですわ、旦那様』
むかし、それとなくカルロスに伝えれば
『だが、今の法律において王国民の成人年齢は18歳だからね?』
とあしらわれた。
ふたりの間に子供を授かったのはきっちりエレノアが王国民の成人年齢である18歳を過ぎてからである。
息子が3人に娘が7人。
皆立派に成長し、時折こうして孫の姿を見せに来てくれる。
隣りで穏やかに微笑むカルロスと共に、エレノアは孫達の様子を暖かく見守るのだった。




