第4話 さよなら、私のわがままな魔法
翌日から、私は一ノ瀬楓くんから逃げ回った。
露骨に避けるわけではないけれど、なるべく一緒にならないように立ち回る。
教室移動の時はわざと遠回りをし、休み時間はトイレの個室に引きこもった。
彼が私の姿を見つけて、パッと顔を明るくするのが見えたけれど、私は気づかないふりをして背を向けた。
「あ、佐山さん……!」
その声が聞こえるたび、胸の奥がキリキリと痛んだ。
以前なら天にも昇る気持ちだったはずの彼の声が、今は罪の意識を呼び覚ます警鐘にしか聞こえない。
彼が私を求めるのは、私が好きだからじゃない。
私が、彼から色彩を奪った犯人だからだ。
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放課後、私は逃げ込むようにオカ研の部室に飛び込んだ。
幸い、恵麻も芙志子もまだ来ていない。
私は狂ったように本棚を漁り、あの『悪魔プチクロームの召喚』と書かれた黒い本を引っ張り出した。
ページをめくる手が震える。
解呪の方法。契約の破棄。
どこかに書いてあるはずだ。
あった。
ページの隅に、掠れた文字で記された一文。
『契約ハ、双方ノ合意、或イハ召喚ニ用イタ媒介ノ破壊ニヨリ破棄サレル』
媒介の破壊。
つまり、あの魔法陣を描いた紙を破ればいい。
(――結構、簡単ね)
名前に「プチ」とかついてるし、弱い悪魔だったのだろう。
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私は机の引き出しを開けた。
そこには、あの日私がコピー用紙に描いた、下手くそな魔法陣がしまわれていた。
たった、紙切れ一枚。
これさえ破れば、一ノ瀬くんの世界には色が戻る。
空は青く、芝生は緑に、信号は赤と青に。
彼はまた、サッカーボールを追いかけ、エースとして輝ける。
けれど、私の手はピタリと止まった。
これを破れば、魔法は解ける。
そうすれば、彼はもう、私を必要としなくなる。
(一ノ瀬君にとって、私は「特別」ではなくなる……)
あの優しさも、屋上でのやり取りも、私だけに向けられた特別な視線も、すべて消えてなくなる。私はまた彼にとってクラスメイトの一人でしかない、背景のような「佐山さん」に戻るのだ。
「……嫌だ」
本音が漏れた。
やっと手に入れた奇跡だった。
もう少しだけ、あと数日だけでも、彼の特別でいたかった。
そんな醜い欲望が、紙を破ろうとする指を止める。
――悪魔の誘惑。
その時、ふと窓の外を見た。
西日が差し込むグラウンドの片隅に、見覚えのある人影があった。
一ノ瀬くんだった。
彼はボールを足元に置き、ただ呆然と立ち尽くしていた。
蹴ろうともしない。いや、蹴れないのだ。モノクロの世界では、もうこれ以上努力する気力がわかないのだろう。
その背中は、あまりにも小さく、寂しそうだった。
まるで翼を毟り取られた鳥みたいに。
私がやったんだ。
私が、自分の寂しさを埋めるために、彼の翼を奪った。
彼の夢を、未来を、笑顔を、私のわがままな恋心が食いつぶしている。
(……最低だ、私)
涙が溢れて、視界が滲んだ。
彼の夢を奪ってまで、恋人になりたくなんてない。
そんなの、好きって言わない。
ただのエゴだ。
「ごめんね、一ノ瀬くん」
私は紙を両手で掴んだ。
指先に力を込める。
さよなら、私の初めての恋。
さよなら、夢のような数日間。
ビリッ、と乾いた音が、静まり返った部室に響いた。
紙が二つに裂ける。
その瞬間、部室の空気が一変した。
いままで私の体に巻き付いていた見えない糸が、プツリと切れたような感覚。
重苦しい気配が霧散し、ただの埃っぽい空気だけが残る。
窓の外で、一瞬だけ風が強く吹いた気がした。
手の中にあるのは、ただの紙屑になった魔法陣。
魔法は解けた。
これで、明日の朝になれば、彼の目は元通りになっているはずだ。
そして、私を見る目は、その他大勢を見る無関心なものに戻るだろう。
私は机に突っ伏して、声を殺して泣いた。
部室の隅で、夕日が沈むまで、ずっと泣いていた。




