第五話
ビルの一室で眠った悠真は、翌朝、窓の外から聞こえてくる物音で目を覚ました。
じっと耳を澄ませると、低い唸り声が聞こえてきて、心臓が大きく跳ね上がり、息が止まりそうになった。
唸り声に混じって、何か重いものが落ちるような、鈍いが聞こえる。
その音は、悠真のいる部屋に段々と近づいてきていた。
悠真は頭を守るように床に丸く伏せた。
すると、猫がそばに寄ってきて、悠真の腕にすりすりと体を擦り付けてきた。
思わず悠真は猫を抱きしめ、猫の暖かく柔らかい体に顔を押し付けた。
しばらくそうしていると、ゾンビの唸り声が聞こえなくなり、足音が近づいてくる。
ゾンビがゆらゆら揺れながら歩く時の足音ではなく、しっかりとした足取りの足音だ。
そして足音はこの部屋の前で止まった。
「……大丈夫か、坊主?」
低く、落ち着いた声がした。
悠真は勢いよく立ち上がり扉の方を見ると、ゲームに出てくるようなコンバットスーツを着た壮年の男性が部屋の入口に立っている。
髪は短く刈り込まれ、鋭い目をしている。
背にはリュックを背負っていた。
驚きのあまり、悠真は声が出ず、ただ頷くことしかできなかった。
「俺は佐久間。元自衛官だ」
男性の言葉に、悠真の胸に安心感が広がり、力が抜けた。
「静かに俺の後ろからついてこい」
悠真は、何故か大人しく抱かれる猫を連れて、佐久間の後について部屋から出た。
隠れていたビルの階段や入り口付近では、ゾンビが数体転がっていた。
思わずヒッと声が漏れ、悠真は慌てて口を押さえた。
ゾンビ達は、眠っているように動かない。
「大丈夫だ。そいつらは俺が締めといた」
(締めたとは・・・殺したということなんだろうか・・・)
悠真は想像すると怖くなり、頭を振って考えるのをやめた。
ビルを抜け出し、佐久間は隠れ家にしているという工場に連れて行ってくれた。
工場は1メートルくらいの塀にぐるりと囲まれ、赤く錆びた鉄製の門の内側に建っていた。
工場の中には簡易ベッドや食料の備蓄があり、安全そうだった。
猫は工場に着くと、すぐに悠真の腕から降りて、工場内を探索に行ってしまった。
あっと手を伸ばした悠真に、
「とりあえずこれを食べろ。顔色が悪い」
そう言って、佐久間はアルミ皿に乗ったご飯と焼き鳥の缶詰を差し出してきた。
悠真はここしばらく、お菓子だけで凌いでいたため、夢中になって食べた。
悠真が食べ終わるを待って、佐久間は真剣な顔をして話しかけてきた。
「坊主、昨日はやばかったな。すぐに助けたかったんだが、奴らの数が多すぎた。ずっと一人だったのか?」
悠真は、小学校に隠れていたこと、中学生の姉弟と行動していたこと、両親を探しに行きたいことを話した。
佐久間は頷きながら、最後まで黙って聞いてくれた。
「佐久間さんは何をしていたんですか?」
悠真の疑問に、佐久間は視線をそらした。
「ここは俺の親父の工場だ。年で引退して、俺の弟夫婦が継いだ。奴らが現れて助けに来たんだが、来た時にはここに誰もいなかった。それで俺も家族を探しているんだよ」
佐久間の言葉になぜか悠真は泣いてしまった。
皆同じなんだ。
僕だけじゃない。
僕はまだ頑張れる。
久々の大人の存在に安心したのか、悠真は母とはぐれてから初めて声を上げて泣いた。
「よく頑張ったな。」と佐久間が頭をなでてくれた。
「さて坊主、これからの話をしよう。この先はやみくもに逃げるだけじゃ生き残れない。冷静に判断できる力が必要だ。恐怖で動けなくなったら終わりだ」
ひとしきり泣いた後、佐久間にそう言われ、悠真は美咲に助けられた時のことを思い出した。
恐怖で足がすくみ、動けなかった自分。あのままなら死んでいた。
「どうすれば冷静になれるんですか」
「訓練だ。危険を想定して、頭の中で何度もシミュレーションする。それから実践だ。繰り返せば出来るようになる」
翌日から、悠真は佐久間の指導を受けることになった。
悠真の生活は一変した。
佐久間の出す指示通りに、必死になって指導を受けた。
「坊主、お前は足が速い。それを活かそう。まずは体を動かせ。走り込みだ。逃げるときは持久力が命を救う」
走るのには自信があったはずなのに、悠真は最初、走り込みだけで息が切れ、汗で体がびっしょりになった。
転んで膝をすりむいたが、佐久間は手を貸さず、淡々と見守る。
「失敗してもいい、でも諦めるな」
次は、物音を立てずに工場の中を移動する練習だ。
「足音を消して歩け。奴らは音に敏感だ。音が鳴ると来るぞ」
悠真は一歩ずつ慎重に動いているつもりなのだが、どうしても音が鳴ってしまう。
「音が鳴ってるぞ!」佐久間の低い声が響く。
悠真は思わず首を縮めた。
「いいか、坊主。恐怖は誰にでもある。大事なのは、その中でいかに冷静に動けるかだ」
悠真は深呼吸をして、再び静かに歩き始める。
床の隙間や段差に気を配りながら、足音を最小限に抑える。
何度もやり直すうちに、少しずつ慣れていく自分がいた。
次は突然の合図で隠れる訓練だ。
いつ、何をしていても、佐久間が合図をしたら、即身を隠す。
これが一番難しくて、悠真は慣れるまで時間がかかった。
訓練は着実に成果を上げていた。
静かに移動できる距離が長くなり、考えて動くことにも慣れてきた。
ある日、佐久間は満足そうに頷いた。
「少しはマシになったな。坊主、考えて動けるようになってきた」
悠真はそうだろうと胸を張った。
まだまだ完璧ではないが、自分が確実に成長していると感じていた。
暮れ時になると、悠真は工場の窓から夕日に染まる街を毎日見つめていた。
そんな時はいつも、オフィスビルから連れてきた猫のソラが、悠真の足元に寄り添ってくれる。
そして悠真はソラをなでながらつぶやく。
「お父さんとお母さんに会いたい……生きてるよね…」




