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第一話

――暗い教室の中、桐谷悠真は机の下で身を縮めていた。

外は冷えていて、時折、どこかから低い唸り声が響いてくる。

窓の向こうを影が横切るたび、悠真の心臓が跳ねた。


忘れられたジャンパーをかき集めて体に掛け、体育で使った体操服を床に敷いて寒さを凌いでいる。

汗の匂いが少しするが、そんなことを気にしている余裕などなかった。


――どうして、こんなことになったのだろう。


ほんの数時間前まで、悠真はごく普通の小学六年生として一日を過ごしていた。


その日の朝、悠真の住む街の郊外は11月の冷たい風が吹いていた。

落ち葉がひらひらと舞う通学路を、悠真はランドセルを背負って歩いていた。

通学路には、数人の小学生と犬の散歩をするおばあちゃんくらいしか歩いていない。


悠真は足が速い。

それに体育も得意だ。

運動会の徒競走では一年生から六年生まで、ずっと一等賞だった。

その自信もあり、今日の体育のドッヂボールを楽しみにしていた。

「今日の試合は絶対勝ってやる」

そんなスキップしたくなるような、軽やかな気分で学校へ向かった。


授業も給食も、いつも通りだった。

ただ、昼前に担任が言った言葉だけが胸に引っかかった。

「海外で変な病気が流行ってるらしい。人が急に暴れ出すとか……まあ、気にしすぎなくていいぞ」

クラスは「なにそれ、ゾンビじゃん!」とワイワイ騒いでいた。

悠真も思わず笑ったが、心の奥では怖いと思ったし、背筋もぞわりとした。

ホラーが苦手な彼は、こんな話はしたくはなかった。

しかし、怖がりだとバカにされたくなかった。

ふと先生を見ると、先生は笑っていなかった。


放課後、悠真は母とショッピングモールへ買い物に行き、仕事帰りの父と合流する予定だった。

父と合流したら、ご飯を食べに行こうと約束していた。


悠真は、父と母が大好きだ。

一人っ子の悠真は、父と母に大事にされていた。


モールはいつも通り賑やかだったが、どこかざわついていた。

ショッピングモールに設置されたテレビには“国内で暴力的な症状の患者が確認された”とテロップが流れている。

「この街は……大丈夫だよね?街といっても田舎だし」

母の不安げな声に、悠真はわざと軽く返した。

「大丈夫じゃないの。知らんけど」

本当は胸の奥がざわついていた。


買い物を終え、父と合流するまで街中を散歩していた時だった。

夕暮れの街に、鋭い悲鳴が響いた。

人だかりの真ん中で、一人の男が倒れている。

誰かが助けようと近づくと、その男はゆっくりと立上がり、近くの女性に噛みついた。

「やめろ!!」

「何してんだ、こいつ!」

数人がかりで引きはがそうとしても、男は異常な力で噛みついたまま離れなかった。

やがて女性がぐったりし、男は血のついた口を女性から離し、ゆらりと顔を持ち上げた。


男の肌は土色で、目の焦点も合っていない。

「ゾ、ゾンビだ……!」

誰かの悲鳴に、群衆が一斉に逃げ出す。

 

「悠真、手を離さないで!」

母は必死に悠真の手を握っていた。

だが逃げ惑う人々に押され、つないだ手は強引に引き離された。

「お母さん!!」

いくら叫んでも声はかき消され、周りは悲鳴と足音が響き、返事はない。


そのとき、噛まれて倒れていたはずの女性が、ゆっくりと立ち上がった。


首をかしげるように傾けて、ふらふらと悠真へ向かってくる。

手が伸びる。

悠真の足は震えて動かなかった。


――その瞬間。

近くにいた男性が飛び出してきて、女性を突き飛ばした。

「何してるんだ! 早く逃げろ! 走れ!!」

その声に背中を押され、悠真ははじかれたように全力で駆け出した。

運動会のスタートで何度も切った、あの加速。

今までで一番速かった。


街はすでに混乱していた。

割れたコンビニのガラス。

道端で衝突して動かなくなった車。

逃げる人々と、ふらふらと追いかけるゾンビ。

ランドセルは重くて、呼吸も苦しい。

それでも悠真は、足の速さには自信があった。

走れば、生きられる。

止まったら終わる――そう直感していた。

そして気づけば、学校の近くまで来ていた。


当たり前だが、門はがっちりと閉まっていた。

外灯がぼんやりとついているが、校舎には誰も残っていないだろう。

門をよじ登り、片っ端から校舎のドアをがちゃがちゃと引いてみた。

「開け…開けよ…!」

どこも開かない。

焦った悠真は、一階の窓に向かって水筒を振り回した。

そして割れた窓から校舎へ逃げ込んだ。

校舎の中を走り抜け、自分の教室へ飛び込んだ。

いま、悠真はそこで息をひそめている。


外では唸り声がしており、近づいたり遠ざかったりする。

夜の学校は冷えきっているが、震えているのは寒さだけではない。


「お父さんとお母さんは生きてる。僕をきっと探してくれてる。…会いたい」

震える声でつぶやいた。


忘れられたジャンパーをかき集めて体に掛け、体育で使った体操服を床に敷いて寒さを凌いだ。

汗の匂いが少しするが、そんなことを気にしている余裕などなかった。


しばらくすると、ほんのりと体が暖かくなってきた。

その暖かさに、緊張の糸が少しだけ緩んだ。


暗い教室で、悠真は小さく丸まり、気づけば眠りに落ちていた。

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