第20章 父娘の紅茶
春の午後。
エインズワース邸の窓辺では、風がカーテンを柔らかく揺らしていた。
庭の若木が芽吹き、陽光が机の上の銀器にやわらかく反射している。
クラリッサは父の私室に呼ばれ、静かに扉を叩いた。
「入れ」
机の上には銀のティーポットと二つのカップ。
エドガーは穏やかに微笑み、「たまには父娘で茶を」と言った。
クラリッサは笑みを返し、カップを受け取った。
香りはダージリン――母が好んだ茶葉。
「……この香りを嗅ぐと、あの夜を思い出します」
「言葉を選び、婚約破棄を仕掛けた夜か?」
「はい。あの時の行動が、今の私を作りました」
エドガーは紅茶を口にし、静かに頷いた。
「お前は情を理解し、理を守り、言葉を一つ足した。
クラリッサ、あの夜お前が動かなければ、この国は理想も秩序も失っていた」
クラリッサは目を伏せた。
「父上……マリアンヌ嬢も、理想を信じていたと思います。
均衡を壊してでも、誠実を貫こうとして」
「――誠実とは、壊すことでも守ることでもない。“選び続けること”だ。
お前は選び続けた。それが強さだ」
沈黙の中に、やさしい香りが広がる。
遠くで、小鳥の声がひとつ響いた。
その音が、春の午後の穏やかさをそっと確かにした。
クラリッサは涙をこぼさず、ただ微笑んだ。
「……父上。わたし、もう怖くありません。
沈黙も、変化も、どちらも受け入れられます」
「それでこそ、エインズワースの娘だ」
二人は同時にカップを置いた。
音は軽く、それでいて満ち足りていた。
窓の外では、光を受けた花の蕾がひとつ、静かに開いた。




