未来への告白
2092年
もう何十年も前の、古ぼけた紙質のノートだ。しかし、ずっと机の中で保管されていたおかげか、そこまで傷んではいない。
他人の記録を盗み見るなど、あまり気持ちのいいことではない。少なくとも宇垣磯江は言われずともそういう風に育ってきたし、恐らく父だって同じように考えていたはずだ。
だが、もう父はいない。だからこれを見ても叱る人間はいない。だからといって勝手に見て良い理由などにはならないだろう。それでも、どうしても見たいと思ってしまうのは、単なる好奇心などではない。
父は隠し立てする人間などではなかった。こういうノートの類をっ隠したりする性分ではなかった。磯江はこのノートを見たことがない。
そして、初めて見たにも関わらず、異様な雰囲気を放って見えたのだ。
隠し立てする人間ではなかった。とはいえ、それは日頃の生活に限ってのこと。もうすでにこの国において、世の中のあるべき筋道を論議するには基本、他人に聞かれないように論議しなければならないからだ。
父は、奥の部屋に行くと、小声で常にこう言って聞かせるのだった。
「決してあのお方に心をゆだねてはならないぞ。あの男の瞳は光り輝いて見えるが、その奥にある物はとてもおぞましいものなんだ」
『あのお方』どころか『あいつ』程度に思っていることは明白だった。教室ではあれほど哲雄が素晴らしい人間だと教えているにも関わらずだ。磯江にとっては、よりによって教育に携わっている者が、全く相反する内容のことを教えて良いのかと、不思議でならなかった。
だが、教師とはもとよりそのような板挟みに置かれる人間なのだろう。
一部は父の努力によって、人々は哲雄を信奉するに至った。
父は、そのことに呵責を覚えなかったのだろうか? だが、磯江はそれをあえて尋ねることが、この国でどれだけ危険であるか知っていた。
それは、親にとっても子にとっても命を奪われかねないくらい愚かしい質問なのだから。
そしてその質問への愚かな欲求を抱え、いまだ解消することもできないまま、父は亡くなった。
父は、質素な人間だった。古着を着ていたし、食事も簡素だった。
倹約を重んじていたわけでもないが、恐らくは他人に注目されるのが怖かったのだろう。賛美する目的以外で哲雄について話すのがどれだけ危険か、父はよく分かっていた。
他でもなく、国家と共にあの男を神格化する共犯だったからだ。そしてそれを、呵責を感じつつも死ぬまで遂行した。
哲雄という人間には謎が多い。生きていた時から、彼はすでにあらゆる伝説と混同されていた。
磯江にとっても、物心つく前から哲雄はもう半ば幻想の存在だった。テレビとかスマホとか、あらゆる画面で目撃するのに、血肉でできた人間のように思えなかった。
哲雄にまつわる伝説に、色々と父は疑問を挟んでいた。たとえば、彼の護衛をつとめた神崎誠の話。
かつて哲雄に護衛として仕え、哲雄の死後に起きた継承者争いで命を落としたこの男の物語は色々な児童書やドラマで言及されている。この男の生涯についてはもう早い時期から伝説となっている。
「神崎誠というのは最初哲雄を恨んで殺そうとしたが、哲雄の堂々とした態度に感銘を受けて忠臣になったと書かれている。だが、そんなことがありえるのか? 本当に憎んでいる人間の命を奪える状況で、相手が強がった程度で殺意をなくせるはずがあるか?」
無論、こんなことは誰にも話せないことだ。生前ですら事実と虚構の区別が困難な哲雄の生涯を歴史的に云々するなど、彼が本当に神に等しい存在として祭り上げられてしまった今ではもはや危険すぎる。
「俺が思うに、神崎ってのは最初から哲雄のシンパで、うまく宣伝するためにわざと哲雄の味方に転向者した、という物語を作り上げたんじゃないか。あの男につき従っている奴らには氏素性の知れないのが大勢いるからな。できるだけ美しい話で盛る必要があるんだ」
こういうことばかり言う人間だから、なおさら磯江は父がどういう人間か知られるわけにはいかなかったし、父もあまり職場と自宅以外で交友関係を築くのを極力避けていた。そしてそれが死ぬまで続いたのだ。
そういう本性の危うさを自覚していたからこそ、善直も磯江はさしあたり純朴な市民を演じなければならなかった。
その空しい演技の中で人生を終えるなど、どれだけ孤独だったろうか。
かつては仏教の檀家であった宇垣家も、昭和から続く旧来の社会秩序の解体と戦争の混乱でほとんどかつて属していた宗教共同体から分離し、葬儀を行うすべを全く知らなかった。死者の魂が現世に戻って来るのを迎える儀式は、東日本ではすっかり絶えてしまったが、山陰や九州の一部ではまだ行われているというのが殊勝なことだ。本当に身寄りのない人間は、今でも死後すぐコンポストに入れられ堆肥にされるのが珍しくないくらいだから。
そういう弔いの術を持たない人々が基本的に選ぶ葬送儀礼とは、すなわち第二代目の将軍哲幸が定着させた哲雄信仰によるものだ。この歴史なき宗教は、いつの間にか日本人の信仰の基幹の一つをなすに至っていた。
名前と生没年を記した簡素な墓標の前で、白い衣装を着た人物が、哲雄の言行録を片手に祈りの言葉を読み上げた。
「神君よ、とこしえの安寧をもたらさせたまえ……」
抑揚をつけ、歌うように善直の人生を振り返り、世の中に対してなしとげた貢献を称える。
こんな儀式で心に安らぎを抱く者がいるのだろうか? 磯江はうたぐったが、しかし哲雄がいる場所に自分も行ける、と考えて慰めを得る人間が実際に存在する以上、これを馬鹿にしきるわけにもいかないと思った。
それから何度も父の家を訪れ、処分を決めるべき遺品の中に、磯江はひときわ目を引くものを見つけた。
古ぼけた日記だ。さして重要なことが書かれている風には見えなかったが、それでも磯江は不吉なものをどうしても見る気にならなかった。
日記にしてもそうだが、何か体制に不都合な物が書きつけられているということ自体が怖ろしいのだ。それを知ってしまえば、都合の悪い記録があることを神君哲雄の僕たちが許すはずもない。だから磯江はそれを机の中にもう一度しまったのだが、そこに存在している以上、誰かに勝手に読まれるわけにはいかない。
だが、少なくとも父の秘密を息子くらいは知って良いはずだ。どれだけ世間に話せないことを話したのか分からないのだから、せめてこれだけは父だけの秘密にはしたくない。
とはいえ、ようやくノートを開こうと決意したその日、磯江にはどうしても果たさねばならない用事があった。
父をみとってくれたのは小久保慎也という医師だった。
年齢は近く、気さくで話しやすい男だ。
だが慎也は、哲雄を純粋に敬愛していた。国家が流布しているあらゆる伝説を歴史的事実だと信じて疑わなかった。その点では、何事も話し合える人間と言い難かった。もっとも磯江の周囲はそういう人間ばかりなのであるが――。
父の死からもうすぐ二年が経とうとする頃、慎也からまた連絡が来た。
磯江がスマートフォンを机の上から取り上げ、耳に当てると、落ち着いた声で慎也は言った。
「お久しぶりですね。私はいつもと変わりありませんけれど、どうです……心の整理はつきましたか?」
「まあ、少しはね」
「正直、父は仕事以外で誰かと会って話すこともしませんでしたし、私も家で過ごすことが多いものですから、そこまで前と何かが変わったというわけでもないです」
「そうなんですね……。でもちょうど僕は、退屈している頃なんです」
慎也は提案。
「また会って、話しませんか? お互いに、何があったか話し合った方が慰めになるでしょうし」
それを聞いて、複雑な気分になった。いつもと違うことをするのが面倒なのもあるが、何より――あれを、どうやって他人に告げればいいというのだろうか。
新宿二丁目の通路で二人は会った。慎也はさして変わらなかった。
だが、暮らしぶりは大きく変化したようだ。
「最近は研修で忙しいんです。新人ともうまく付き合っていかなくてはならないので……」
磯江は、会話に沈黙がささないように――もう一つは、自分が根掘り葉掘り聞かれないように――いくつか慎也に尋ねた。
「充実していらっしゃるんですね」
「いや、覚えることが多くて、大変なんですよ……研究資料を読むにも、中国語や英語ができないと、分からないことが多いのでね」
それから、
「お父様のことについて何か新しく思い出したこととかございますか? ちょうど聞きたかった所なんです」
「父が教師だったとのことですけど、どういうことをお話になってたんですか?」
こう来たか! と磯江は嘆いた。これは困ったことになった。
しかし磯江は父の性格に似て、誠実な人間だった。適当にはぐらかすわけにはいかなかった。
「それはもちろん教育のことですよ。今はどうやって新しい国家を築くか考えを練らなきゃいけない時期なんですし」
「そりゃそうですよ。もう神君御生誕百周年まで八年だというのに、それを記念する多くの建造物がまだ完成にほど遠いというんですから」
ごまかすための言葉を紡ぎ出す間に、慎也が情けなく遮る。
「でも、その前に軽く食事を取りましょう。長くなりますし」
こうして二人が立ち寄ったのはムスリム街の一画である。
この地域の住民は顔立ちが彫りが深く、浅黒い肌の人間が多いようになんとなく違っているように見えた。
屋台が立ち並ぶ一角で彼らは食事を取った。パンの中に様々な香辛料が入っているのを二人は食べた。パンの生地はナンを彷彿とさせるが、端のあたりに丸くへりがついているあたりは日本の食パンの影響を感じさせる。
ここで出されるあらゆる民族の料理が複雑怪奇に混じり合っており、もはやルーツがどこにあるかなど考えることもおこがましい。あえて言えば、それらは日本で形成され、定着したという点では日本料理と言ってよかった。イギリスの調味料チキンティッカ・マサラが南インドからの移民によって作られたものではあるが、イギリスで作られた物であるという点でイギリス料理とみなされているように。
だがそれはかつてあった物と引き換えにして生まれたものだ。それ以前にあったであろうかつての日本料理はほとんど逸失してしまった感がある。一部は気候変動や漁業・農業事情の変化などによって、そして一部はなだれこんできた多様な物の底に沈み、溶け消えたのだ。
「今の時代では、もはや誰がどういう出自であるかについてほとんど気にしない時代になりました」
「曾祖母がベトナムの人なんです。半世紀くらい前に生まれていたら、私は縄文主義者に迫害されていたかもしれませんね」
世界的に見れば、むしろ人間の多様性なんてものはむしろ乏しくなっている。しかし、一部の地域というレベルにしぼれば、必ずしもそうではない。様々な人々の顔立ちを眺めながら慎也は言った。今の時代に、もし純粋な大和人がいるとすれば、せいぜい、そういう風聞が立たなかった人間、程度の意味合いしかない。
「はあ」
磯江は、先祖にどんな人間がいるかなど考えたこともなかった。先祖よりは国家の歴史の方がより自分自身に密接にかかわっているからだ。
「どんな差別や戦争があってもこの国にとどまり、貢献し続けた英雄ですよ」
違う。帰る道を断ち切られたのだ。
しかし、その無念をごまかすために、人はいくらでも美談を捏造するらしい。
いることを許されなかった人々はどうなったか。
この地に順応して生きて行く術すら教えられず、仕方なく自分たちだけで生きていた所を『不法滞在者』としてマークされ、教育機関に連行された人々がどうなったか。あれがまだ数年前の出来事なのだ。
父からひそかにその施設を見に行った時の記憶ときたら凄絶だった。思い出したくもない。しかも、地方の一部ではいまだにその蛮行が続いているのっだ。
相手は無論、そんなことをこの公の場で口にするはずもない。
「すごいですよ。多様性は」
慎也はこういう話になると決まって目を輝かせていた。
出生率の減少や共同体の消失による多くの人間の系譜の断絶は、それまでは比較的大きかったはずの遺伝子の差異の幅を狭め、染色体の並び方をある程度均質化した。実際、世紀の変わり目の前後に比べても、今の日本人の塩基配列のパターンは乏しくなっている、という論文をある雑誌で読んだことがある。その縮小し、単調になった塩基配列の中に海外由来の物が入っており、子孫を重ねるに従って拡大していくなら、なおさら純血の大和民族など今日日存在するはずがないという話だが。
全体的に、彼の話に耳を傾ける気には磯江はなれなかった。あの謎めいた日記帳のことを思い浮かべていたのもある。
食事の後、これから何をするかという話になった時、
「自然公園でも見に行きませんか? 今なら花が見れますし」
慎也は勧めた。好意を無下にしたくはなかった磯江は素直に従った。
「そうしましょう」
都心なだけあり、このあたり一帯は通りや地区の名前にも哲雄やその親族の名前からとった地名が多い。哲雄の養父からとった獅道記念小学校なんてのもある。都心だけあって、全国から見れば比較的ましな地域だ。
磯江は知っている。このすぐ外には、未だ荒廃した地域が点在しているということを。
海外からやって来た人には、こういう場所しか見せない。入国するや監視員がつきまとい、あちこち見回らないように厳しく行動を制限している。
彼らには無事に復興をなしとげ、繁栄しているように思いこませている。だが、未だにこの国はあの内戦から立ち直れずにいるのだ。
慎也の車が、哲雄の祖父の名前からとって正町と名付けられた区域に入ると、職場への出退勤で多くの水素自動車がごった返している。
「渋滞ですね……」 慎也がつぶやいた。
今日は平日だが、二人とも休みを取って、出退勤の時に互いに会いに行ったのだ。
磯江は言った。
「このまま待っているのもつまらないですし、何か見ませんか?」
慎也がカーナビを操作する。
ニュースが流れた。日本に向けてある人物が声明が発表し、話題になっている件についてだ。
何でも、国外に亡命した天皇家の一族の末裔が日本政府に向けて公式な演説を行ったのだという。その抜粋が流れた。
演説者はエチオピアのアジスアベバに住む久仁親王という者であった。哲雄の支配に反抗する逃亡から、もう二十年以上も日本には帰ってきていない。背が高く、瞳は他人を気易く寄せ付けない力があるが、決して優しげでもあった。
背後には、白地に赤い太陽の旧国旗が飾られ、机は美しい黒檀でできている。
久仁は静かに語り始めた。
「日本の皆さん、こんにちは。日本国正統政府の広報をつとめる久仁と申します。今日はあなた方に大変重要な話があります。かつて我が天皇家は日本国統合の象徴であり、日本の平和を見守る存在でありました。そしてそれはいつまでも続くかと思われました。しかし、二十年前のあの日、たった一人の民主主義の破壊者によってそれは突然終わらされたのです」
久仁は淡々とした声の中に、若干の興奮を秘めていた。
「彼のみならず、彼の子もまた不法に権力を独占し、皆さんの日本を専制主義の国に作り変えようとしているのです! これには、断固として反対せねばなりません!」
ああ……この国の人々の多くにはもう響かない言葉だ。慎也は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「故に私たちは、東京の――(ここでピー音が鳴り、映像が乱れた)――勢力に――」
久仁の言葉に感情が乗って来た所で、映像は突然終了した。
「これが奴らの頭の中なのです。神君を冒涜する者に言論の自由はありません」
アナウンサーはぶっきらぼうに言った。
慎也は何も言わなかった。そういうことは、そもそも耳を傾ける必要もない、と感じているかのようだった。
これが今の、一般的な国民の考え方なのだ。磯江も慎也に対して何の違和感も覚えることはなかっただろう。
慎也と磯江は、公園の前の駐車場で降りた。道路と駐車場を隔てる柵に、何本か日本国旗が立っていた。青地に白い十字。中央の円の中に日の丸。
人々が集まる場所には、必ず新しい国旗が飾られているし、公的な建造物には決まって巨大な哲雄と哲幸の肖像が飾られ、市民を見下ろしている。
慎也はそれを見て顔をほがらかにした。
「かつては人々が主人を持たない時代がありました。思い思いの思想や信条にしたがって、対立が絶えず起きる時代がありました」
「主人、ですか」
「従うべき中心がなかった時代、というのは恐ろしいもんです。平成や令和初期はあまりに自由過ぎたせいで、オウムとか璽宇とか変なのがわらわら現れたんでしょう。でも現在はいい。何たって我々の神君がいるんですから」
父は老若男女にひたすら神君と言い続けたのだろう。
心の中でその空虚な賛辞に対する違和感にむかつくのを必死にこらえながら……。
「慎也さんは、強大な君主による統合なしに、異民族への国家への包摂が可能だと思いますか?」
「武井克滋みたいな問いかけだなあ。国がやっていけるかどうか考えなかった人たちですよ?」
最近亡くなって久しい現代史の碩学の名前を、不愉快そうに吐いて見せた。
「自由の意味をはき違えていた人たちなんです。ほら、見てください。藤の花が咲いていますよ」
磯江は、しばらく自然に見入った。川のせせらぎに耳を澄ませた。
周囲の環境に注意を向けているその時に、ふと慎也が口を開く。
「時代が変わりつつあるんですよ。若い世代は、もうほとんど出自なんてものに拘泥しないようになってきている」
「確かに、いいことですよ。それは」 受け流すことしかできない。そこまで話に角を立てることなどできはしない。
かつては、ほとんど顔の質感や肌の色が違ったり、言葉が違ったりしていただけでこの国ではしばしば奇異な目で見られ、嫌悪感を抱かれたらしい。
しかし今日、それは日常だ。無論、昔の人々が感じた不快さが全く消え去ったわけではない。しかし、それを表明することが社会の破壊につながりかねない、危険な行動であるという結論にはたどりついた。
磯江も慎也も哲雄がすでに権勢を誇っていた時期に生まれた。だからそれ以前のことをほとんど知らない。
太平洋戦争後、崇拝対象がいなかった時代は、あらゆる映画やドラマの題材になっているし、確かに住みよい時代であったかもしれないが、しかし、経済的な豊かさばかりを追い求め、すがるものが金しかない虚無感のある時代でもあった。
かつては天皇家が担っていたそれを、今では将軍家が担当している。
隣国の高連でも、共存を巡って同じような試練があった。現に大陸と国境を接しているだけに、絶えず流入してくる移民の扱いには日本にも勝るとも劣らない紛糾があった。
だが高連を構成する南の大韓民国と北の朝鮮民主共和国が怨讐を越えて歩み寄り、大々的な差別や排外主義が起きない所にまで抑えることに成功した。
高連は、絶対的な権力や権威に依らずにそれをなしとげたのだ。それに比べて日本は……。
二人はしばらく自然公園の中を歩いた。
慎也は草や花の名前について色々教えてくれた。医者らしく、薬草のことについては色々と詳しいのだろう。
他の見物人をちらりと見やってから、慎也はつぶやいた。
「平和ですよ。これが国民のずっと望んでたものなんです」
慎也は言った。
「ようやく、人種や民族に拘泥しない世の中になって来たんですから。ここまで来るのに、七十年もかかったんです。いや……七十年しかかからなかったというべきか」
一体それまでに、どれだけの衝突があったことか。
「全ては……閣下のおかげですよ」
閣下、か。
かつては、『陛下』だったのだが。
磯江は、それを喜ばしいことだとは必ずしも思っていない。
慎也のような感性だったら、せめてもう少しは楽に生きられただろう。だが父のあの言葉が常に反芻する磯江にとっては、決して喜ばしい状況などではないのだ。
磯江はどうにも答えようがなかった。適当に答えれば、必ず反感を買う。
「人々が、それを望んだからでもありますが」
「ええ。これは、あるべき歴史の帰結なんです」
磯江は無論、そんな返答を期待していない。だが自分の望む返答をさせれば、それはまさにこの国への反逆を口に出させることになってしまう。
慎也は気のいい人間だ。だがそれこそが問題なのだ。上の人間の言うことを何でも聞き、何でも従うあの頑迷さが慎也を始めとする人々の純朴さに繋がっている。だが父と哲雄の化けの皮を剥がし合った日々を送った磯江にとって、その幸福は決して味わいがたいものなのだ。
慎也とは、また送り返してもらった所で別れた。何とか、自分を模範的な市民と思わせたまま、離れることができた。
心の重荷が、少しだけ軽くなった気分だ。そして歩いて家に帰ろうとした時に、哲雄を称える歌が流れた。それが流れている間は、誰であろうと黙ってそれを聞かなければならないのだ。
「御稜威偉大なる神君は……身を粉にしても奉ずべし……御稜威偉大なる神君は……身を粉にしても謝すべし……」
国家は、何としてでも国民に哲雄への臣従を強制している。哲雄自身は、そんなことを少しも命じていないのに。一体、渡辺哲雄はこんなことをされて喜ぶのだろうか? 幼い頃見たニュースの中、哲雄は自分の権力を世襲するとは微塵も考えていない、と発言したのを見たことがある。だが、あれほど絶大な権力をその周囲の者たちが、黙って赤の他人に譲らせるわけもない。
だが、周囲の人間は神妙な表情でスピーカーのある方向に顔を向け、たたずんでいる。その中にただ一人、中年の男がやや怪訝な顔を浮かべているのが見えた。きっと哲雄を神としては崇められない人間なのだ。
放送が終わり、ようやく彼は安心して父の家に向かうことができた。しかしその間も、漠然とした逸想は止まらなかった。
今から何千年も昔、出自も言語も違う多くの人間が時にぶつかり合い、時に融和してかつての日本人を形成した。
だがその過去を忘れ、外からやって来た人々と再び衝突し、あるいは協力して、今の日本人を形成した。
そして、ごく最近に起きたその歴史も忘れて、また数千年後に、日本人は同じ戦いを繰り広げるのだろう。自分たちが、文化も異なる者同士の血から遥かに流れ、降った者であることも忘れて。
磯江は再び父の家に入った。父の没後、もう何度も整理のために訪れてはいるがこの寂寥感は慣れれるものではない。
父の家は陰気な雰囲気があった。別に父がそういう人物であったわけはない。世の中がそう仕向けたのだ。この国では少しでも体制に疑問を持ったが最後ずっとその気持ちを誰にも告げられないまま、大地に骨を埋めねばならなくなる。
磯江もまた、同じようにして運命を終えなければならない宿命を、なかば諦めるようにして受け入れていた。
何もかもがそのままだった。
机から日記を取り出し、しばらくためらったあと日記を読んだ。それは最初、単なる仕事の記録であり、大して特筆に値すべきことは何も書かれていないはずだった。哲雄の親政が正式に始まったあの時代の空気感は、分別がある人間なら誰でも同じように感じたはずのものだ。
だが、磯江はそこからの内容で気が動転しそうになった。
父が、情報局に接触し、選挙などの不正工作を手伝わされたこと。息子の命をひそかに人質に取られていたこと。闇に葬り去られるはずの事実が赤裸々に記されていた。
何よりも、父が哲雄のことを国家の長として認めざるを得なかったことで日記を締めくくっていることに磯江は衝撃を受けた。
哲雄のことをあれだけ責めさいなみながらも、結局心の奥底では彼以外の指針を見つけることができなかったのだ。しかし、それも当然のことだろう。将来の世の中の担い手に、何が望ましい価値であるか、他に何が尊ばれるべきものであるかを教えるなど生易しいことではないのだから……。
だがこの日記には紛れもなく、哲雄――神君の権威を貶めるような
これが人目に触れれば大変なことになる。磯江は一瞬、これを焼き捨てようかと思った。
だがこれは、抵抗の記録だ。
もしこれを焼き捨ててしまえば、遠い将来、哲雄に抗おうとした人間のことは永遠に忘れ去られてしまうだろう。
それこそ、神崎誠に関する伝説がいかにも歴史的な事実として通っている現実が、ずっと変わらないごく当然のものになってしまう。それだけは止めねばならない。
磯江は慎重にそれをかばんに入れて、家を後にした。大して何も見なかったかのようにふるまうことでせい一杯だった。
目の前の光景は何も変わっていないのに、磯江は自分を取り巻く環境が一変してしまったのを感じていた。
もうそろそろ星々が浮かび上がる頃だ。磯江は、ふと空を眺めた。この空だけは昔も今も変わらない。人間だけは変わり続けるが、あの空だけは人間よりはるかに長い間を生きて、全てを見て来たのだ。
それこそ、人間が歴史を忘れ去ったり、書き換えたりしてしまったりする光景も。
熱烈な愛国者は、この空にも哲雄の霊が宿っていると信じているのだろうが――何せ哲雄の遺骨を人工衛星に載せて太陽に沈めたくらいなのだから――、たった一人の、わずかな時代を生きたに過ぎない人間がこの世界の歴史の長さを支配できるはずもない。
磯江は、全ての営みをみそなわす天、全ての時間を保存するその歴史の流れをよりたのみながら、急いで帰宅した。
――
久仁親王
2060-2135
皇族の一人。哲雄の将軍就任直後、父と共にエチオピアへと逃亡。彼の父は高坂強一に反対した閣僚や議員と共に日本国亡命政府を樹立。久仁と同じく世界各地に離散した皇族は独自に様々な政治運動を展開し、なかなか意見の一致を見なかった。2086年、渡辺体制打倒後の国家運営の指針についてサクラメントに居住する北米大陸の皇族と議論を交わすが、彼らが哲雄が強権的に体制を築き上げたことへの反動から、民主主義よりは当時ヨーロッパでしきりに望まれていた絶対王政を望んでおり、この点において意見をたがえ、東西朝の分裂へと至り、結局皇室の政治的一体はさらに損なわれることとなった。
終生天皇家の帰国を切に望んだが、ついにかなわなかった。2111年、天皇に即位し、元号は中庸「嘉樂君子、憲憲令德」から取って『憲徳』と定めた。
彼の系譜は皇族の中の有力勢力『アフリカ皇統』として伝わることとなる。
彼がエチオピア人の女性との間に設けた昌仁(2092-2157)はエチオピアの王政復古運動の際、権威性を求める者によって国王に担ぎ上げられそうになった。