第13話「瘴気の森と、始まりの決戦」
セトラ街道へと続く森の道を、ライゼンたち四人は馬車で急いでいた。
とはいえ、通常の冒険者が使う荷馬車とは違い、ギルドが用意した“緊急用の軽装車両”であるため、その速度は馬の脚力限界に近い。
車輪が土を削る音が静かな森の中に響いていた。
「ねえライゼン、その“カグラ”って、どうして仲間を……」
リィナが少し緊張した声で尋ねた。
ライゼンは前方を見据えたまま、すぐには答えない。
その沈黙が、過去の傷の深さを物語っていた。
やがて、ライゼンは呟くように言葉を落とした。
「……俺たちは、ヴァルメルの“深部掃討任務”にあたっていた。魔物の巣窟に潜り込み、感染した“人型魔獣”を処分する任務だった」
「人型って……まさか、元は人間だったってこと?」
セリアが眉をひそめる。
「……そうだ。あの大陸では、魔の瘴気に長く触れた者は変質する。それを斬るのが、俺たち守護者の役目だった」
ライゼンの視線は過去を見つめるように遠く、冷たい。
「そのとき、カグラは仲間を斬った。“変質前に、兆候があった”と主張してな」
ルークが低く呟く。
「証拠はなかったのか?」
「いや、確かに気配はあった。俺も気づいていた。だが、その“兆候”を見極めるのが、俺たちの仕事だった」
ライゼンの拳が、無意識に膝の上で握られていた。
「カグラは、ただ“危険かもしれない”というだけで、仲間を斬った。躊躇も、判断も、なかった。ただ……笑っていた。楽しそうに、な」
「……」
静寂が、馬車の中に広がる。
「その後、上層部は“事故”として処理した。だが、俺は納得できなかった。処分命令が下りたのは、それから二週間後だった」
「で、取り逃がした……」
ルークの言葉に、ライゼンは小さく頷く。
「だが、あの時の斬撃は……俺の全力だった。生きていたこと自体、想定外だ」
リィナが小さく言った。
「じゃあ今度は……倒せる?」
「……ああ。“ヴァルメルの戦場”をここに持ち込むわけにはいかない。必ず、俺が斬る」
その言葉に、誰もが口をつぐんだ。
そう――それは、彼の“責任”だった。
この世界で、新たに得たものを守るために。
そして、過去に斬れなかったものを、終わらせるために。
◇ ◇ ◇
セトラ街道に到着したのは、昼をやや過ぎた頃だった。
空は晴れていたが、焦げた臭いが風に乗って届いてくる。
「……これが、襲撃の現場か」
森を抜けた先に広がっていたのは、焼け落ちた荷馬車と、斬られた兵士たちの遺体。
すでにギルドが手配した回収部隊が動いていたが、痕跡ははっきりと残っていた。
「傷の形が……まるで獣に喰われたみたいね」
セリアが遺体を調べながら言う。
その表情には冷静な分析者としての視線がある。
「だが、それだけじゃない。これは……“剣”の跡だ」
ルークが一本の焼け焦げた木を指差す。
そこには、真っ直ぐ斜めに貫かれた斬撃痕が残されていた。
ライゼンは、それを見つめたまま、呟いた。
「……あの技、間違いない。“夜叉閃牙”……奴の十八番だ」
「かっこいい技名なのに、やること最悪だね……」
リィナがぼそっと呟いたが、誰も否定はしなかった。
「セリア、痕跡を追えるか?」
「ええ、でも慎重に進んだほうがいいわ。周囲にはまだ瘴気が残ってる。普通じゃないわね、これ」
「ライゼン、この瘴気って……」
「ああ、ヴァルメルにあったものと、似ている」
ライゼンの表情が険しくなる。
「つまり、奴はあの瘴気を、こっちの大陸に持ち込んだ。……何らかの手段で、瘴気を安定させ、拡散している可能性がある」
「でもそれって……まるで“侵略”じゃないか」
ルークの言葉に、誰も返せなかった。
ライゼンの過去――ヴァルメルの呪いは、ゆっくりとこの大陸に浸食を始めていた。
その兆しに、誰もまだ気付いていない。
だが、彼は知っている。
あの“漆黒の剣”が動いた時、戦場は生まれる。
そして、それを止められるのは――
ライゼン・ヴァールただ一人だと。
◇ ◇ ◇
その後。瘴気の気配を辿り、ライゼンたちは森の奥へと踏み込んだ。
葉の色はくすみ、風は淀んでいる。
光すら届かぬその森の一角――まるで、ヴァルメルの森の断片が切り取られたかのような空間だった。
「……これ、本当に同じ世界?」
リィナが弓を構えながら呟く。彼女の表情からは、いつもの明るさが消えていた。
「空気が重い。瘴気の密度が上がってる。ここは……“何か”の中心地ね」
セリアは指先に小さな魔法陣を浮かべて、空気の流れを視ていた。
「足音も、呼吸も……抑えろ。奴はこの中にいる」
ライゼンが、いつになく低い声で言った。
彼の目は一切の油断もなく、獣のように周囲を捉えている。
ルークが剣を抜くと、鋼の冷たい音が静寂に響いた。
「動くぞ。奴が仕掛けてくる前に、こちらから叩く」
その言葉と同時に――
「――よぉ、来たなぁ。ライゼン」
闇の中、木々の影から現れたのは、黒髪を後ろに束ねた、細身の青年だった。
顔は笑っていたが、その瞳には底知れぬ狂気が宿っている。
“狂気の剣”カグラ。
かつてヴァルメルで共に戦い、そして斬り合った男。
「久しぶりだな。あの時、てっきり俺のこと、殺しきったと思ってたろ?」
カグラの声は陽気だったが、剣からは血の匂いが漂っていた。
その体からは、明らかに魔の瘴気が漏れている。人の枠を超えた“何か”に、既に踏み入っていた。
「……なぜ、ここに来た」
ライゼンの問いに、カグラは口元を歪ませた。
「退屈だったんだよ。ヴァルメルはもう終わりだ。死しかない大地で、腐った命を狩っても、つまらない」
「……だから、新しい大陸に?」
「そう。こっちは“生きてる”。この大陸の奴らは、まだ痛みを知らねぇ。苦しんで、絶望して、その中で生を掴もうと足掻く姿は……見てて興奮するんだ」
「……狂ってるな」
「今さらか?」
カグラはひょい、と肩をすくめる。そして、剣を抜いた。
それは、異形の刃だった。
黒い金属に瘴気が絡みつき、刃の先端は獣の爪のように歪んでいる。
「……見せてやるよ。あの大陸で、俺が得た“進化”を」
次の瞬間――音が消えた。
「っ!」
リィナがとっさに跳び退る。だが、カグラは既にルークの目の前にいた。
「おい、こっちの雑魚は邪魔だぜ?――消えなっ!!」
「……っ!!」
振り下ろされた刃――だが、それを受け止めたのは、漆黒の剣。
ライゼンが、ルークの前に立っていた。
「遅ぇよ、ライゼン。今の俺は――」
「……黙れ」
冷たく、鋭い声。
「お前は斬るべき物を斬る意味を見失っている。故に剣を持つ資格は、もうない」
「……は?」
カグラが目を細める。
その刹那、衝撃音が森に響き渡った。
――ライゼンの剣が、カグラの身体を吹き飛ばしていた。
「な……!」
「油断したな。俺は“昔のまま”じゃない」
地形を利用し、瘴気の流れを読んだ一撃。
それは、ただ力任せではない“戦場の技術”そのものだった。
リィナが呆然と呟いた。
「……うそ、カグラって人、めっちゃ速かったのに……!」
「……これが、私たちの知らない、守護者の戦い……」
セリアも震える声で言った。
倒れたカグラは笑っていた。
口から血を流しながら、それでも笑っていた。
「はは……やっぱり、お前だな。ライゼン。お前だけは……“殺す価値”がある」
「……次はない。お前はここで、終わる」
再び剣が交わる。
戦場は、いよいよ本番を迎えた。
最後までお読み頂き感謝です!!!
自分は皆様が楽しめる作品を書くのが永遠の目標ですので、お時間のある時で構いません!次話も読みに来てくださると嬉しいです!




