閑話:子供達。
***
side:ある社員
午前7時23分。諸星グループエントランス
諸星グループの総本山。
平均年収850万の大企業。
その天高くそびえ立つビルの入口には、普段ならば人生の勝者たちが余裕の足取りで入っていく──はずだった。
だが、しかし。
今日に限っては、みんな何かに追われるように足早にビルへと消えていく光景がどこもかしこも見えてくる。
そう。
いつもとは違い、緊張感が張り詰めた──尋常ならざる空気が、ビル全体を支配しているように見えた。
そこへ通う一人の社員。
彼がいつものように入口に向かって歩いていると──。
前方に見覚えのある背中を見つけた。
お、先輩だ。
自分の少し先で、携帯を当てながら慌てた様子で足元を踏み鳴らしている。
「はい。ですから──っ」
うるさくて離したのだろう。
慌てて耳から携帯を離し、溜息混じりにポケットにしまうところで──声を掛ける。
「先輩、おはようございます」
「おぉ、今日有給でも取ればよかったんじゃないか?」
「何故です? というか、なんか今日⋯⋯慌ただしくないですか?」
入口付近では、何台もの黒塗りの車が蛇のように停まっている。
「だから今日は来ないほうが良かったんだよ」
「⋯⋯?」
後輩の彼は分からないと言った様子で首を傾げた。
「⋯⋯はぁ。まぁいい。今日は──死にたくなかったら、おとなしくトイレ休憩長めに取ったほうがいいぞ」
彼はギョッとする。
なぜなら、この目の前にいる先輩はいつもはこんな事を言わないからだ。
ーー結果を出せ。
ーー休んでいいのは結果を出してから。
そんな事を毎日のように吐き捨て、そしてそれに例外はなく、発している本人も休まず働いているからだ。
彼は背負うリュックの紐を思わず力強く握り、そして意を決して入口を通過したのである。
──そして、彼が社内に入ってそれから数分後。
「おはようございます!!! 専務!!」
『おはようございます!!』
一人の力強い挨拶が静かな入口に響き渡ると、数十人の挨拶がそれに続いた。
黒い車から出て来たのはスーツに付いた汚れを払いながら襟を正す男。
出てくると儀式の列のように整列して、男に深々とお辞儀をして出迎える。
しかしその中央を、冷ややかな目つきをした男が歩いていく。
「おはよう」
たった一言そう発して、社員たちを鼻で笑ってあしらい、社内に入っていくのだった。
*
side:諸星令二
「手塚、綾と聡は来るのか?」
「いえ、専務が最後です」
チッ。アイツら、こういう時だけは遅刻もせず来るなんて。
「梨奈は」
「梨奈お嬢様は⋯⋯」
慌てて紙をめくってる。
「何ちんたらしてんだよ!!さっさと答えろよ」
ったく使えねぇ秘書だなぁ。
と反応を待っていると、勝手に書類を落とす手塚。
「早く拾えよ」
「も、申し訳ありません!!」
「ほら行くぞ」
先にある会議室に入ると、並ぶ見たくもない兄妹の姿。
「令二、遅いぞ」
「うるせぇ。この中で一番歳上なんだから当たり前だろ」
謙汰め。2番目で人望もあってずる賢い奴め。
その甘いマスクで、一体女にしたんだかっ⋯⋯っ笑える。
お前には系列店なんぞやらんからな。
「「令二兄さん」」
「お前らはさっさと居なくなれ。女なんてうちには要らんだろ」
コイツらは結婚して相手の子供を産めば用済みだ。
どうにでもなる。
それくらいしか役に立たん。
「なんて言い草するのよ!一番何もしてない兄が!」
「なんだと!?父さんが小さい頃から俺に会社を継がせてくれるように尽力したのを忘れたのか!?
なのに、今じゃあ40過ぎにもなって、系列の店をいくつかしか譲らなかった頑固な人だぞ!」
「⋯⋯それは正解でしょ」
「なんだと梨奈?」
「だ、だって──」
俺はテーブルにあるグラスを叩きつけて言い放つ。
「お前!!! お前は中学で惚れた男と子供まで作っているだけのお零れだろうが!!!
綾はまだマシだぞ?
不動産関連のブサ男とでも股開いてやったんだぞ!?」
「ちょ、ちょっとなんてこと言うのよ!!
わ、私と章孝さんはちゃんと恋愛で──」
「はっ? あれがイケメンに見えるのか?」
あんなゴリラと⋯⋯恋愛だと?
「って今違う。いいか梨奈? お前はなんの利益ももたらしていないのにも関わらず、金と株を貰おうとしてるのは理解してるのか?
ええ? まともに働かないで自分は他所で作ってきたガキの為にプライド捨ててんのは分かるけどよぉ!
このクソヤリ○ンがよ!!」
「そんな言い方っ!!」
「この家で、まともに恋愛で結婚できると思ったら大間違いだろうが!
幼少からイイもん食えて、着れて、あのアイドルイイなぁと思ったら家まで来てくれるのは普通なのか? ええ!?」
クソッタレ共が。
それでも諸星かよ!
日本で一番の建設会社!!
この中でそれを理解しているやつなんているのか!?
「⋯⋯まぁいい。とりあえず女のお前らは自分の男とヤるだけやってご機嫌取っておけ。
綾、不動産の案件は融通してくれてんだろうな?」
「それは当たり前でしょ。その為の結婚なんだから」
「フッ、どうだか。案外夜は──」
「うわァァァァキモいキモい!! 兄から性の話なんて地獄すぎるんですけど!!!!」
あいつ、耳を塞ぎなから絶叫しやがる。
「なっ!」
まぁ癪だが、この辺でいいだろう。
序列は理解しているだろうしな。
「話はこの辺にしておくぞ」
全員の顔が冷静になったところで、俺は今回の件を切り出す。
「父さんが快復に向かっているそうだ」
「⋯⋯嘘でしょ?」
「本当だ綾」
「えっ!?会いに行ったときは、そうでもなかったけど」
「まぁ今はいいだろ謙汰」
「⋯⋯生きてて良かった」
「心にもないこと言いやがって梨奈」
「そんなことない!! パパは生きてて欲しいでしょ!」
「じゃあなんで遺産相続してもらおうとしてるんだぁ!? 一番早かったよなぁ!?」
「⋯⋯っ」
「分かったら座ってろよな、ヤリ○ン」
俺はこの場にいる全兄妹を見渡す。
謙汰。
まぁ多分、俺を牽制しつつも、今じゃあ建設以外の事業も任されてかなりいい線を歩いている。
だから間違いないが、俺の障害はコイツだけだ。
綾は⋯⋯一応諸星の看板背負っているという自覚はあるようだな。
旦那ともよろしくヤッているだろうし、子供の方も学習院から横の繋がりをイイ感じで作ってると手塚の情報網から手に入れたしな。
そんで⋯⋯。
俺の視線は梨奈に向く。
コイツだ。コイツだけが、"何もわからない"。
手塚は馬鹿でおっちょこちょい。
だが、何故そんなやつを隣に置いてるかって──オドオドしているだけで、仕事はやれるからだ。
だから俺の秘書ってだけで年間一億以上と飯と豪華な社宅も手にしている。
そんなクラスの情報網でも梨奈の情報が、
"何一つ手に入らなかった"──。
父さんはこの事を知ってるのか?
知っていてだんまりなのか?
相続や系列店の分離や将来をどこまで定めているのか。
梨奈の顔を見ながら俺は、頭を抱える。
これからのことを考えると頭が痛い。
くそっ、父さんの考えがまるで読めない。
しかもなぜか体調が快復に突然向かう?
情報ではリハビリも順調で、何故か体調も絶好調だと?
昔海外を回っていた時にDNAの突然変異でも起こしたってか?
くそっ、既に色々な奴らをこっちサイドに引き込んだってのに──これじゃ全部水の泡じゃないか!
こんな家族会議終わらせて、政界の方にも連絡を入れて、幹事もやらないとか。
妻は男と不倫してるし。
⋯⋯俺も帰りに運動しないとな。
クソが。
それから俺は得た情報を全員に共有する。
他の兄妹からの情報を集める為だ。
「とりあえず、一旦こんなところか」
「病院に積んだ?」
「それくらいやったさ。お前の方は?」
「勿論やったよ。けど何一つ情報が落ちなかった」
ふん。つまり、父さん側に病院が従ってる可能性が非常に高い。
「なら、今回はまだ先送りになりそうだな」
「一時休戦といこうよ。今は情報を集める時だ」
謙汰の言う通りだ。
今はいがみ合っている場合じゃない。
諸星グループの未来が掛かっているんだからな。
って、クソ。
もう今日は何も考えたねぇ。
この歳になって。
***
side:梨奈(諸星梨奈)
「出してください」
ぐったりとした様子の梨奈が、そう運転手にだるそうに伝える。
「どうでしたか?」
「一言で言えば最悪。本当ここは空気が淀んでいますよ」
窓から外をボーッと見つめながら、断言する梨奈。
「聞いてもいいでしょうか?」
「何を?」
「杏華お嬢様の事です」
「⋯⋯ええ」
「やはり──梨奈様がここに来たのは⋯⋯」
「そうよ。あの子が言ってきたの」
梨奈がそう言うと、運転手は申し訳程度に小刻みに頷く。
青信号に変わったのを見て、運転手は車を発進させる。
「杏華様をどこまで信用なさっているのですか?」
「信用するしかないじゃない。金と株よりも大事なものが手に入るから今日は行って。なんて⋯⋯何の意味があって」
「しかも、運転手として私を指定なさるなんて」
その言葉を最後に、暫しの間無言が続く。
「杏華、高校は決めたらしいわ」
ミラー越しに見つめる運転手は思わず二度見する。
「"視えた"うえでということでしょうか?」
「恐らくね。今日の私の行動も、ルートから外れた時の保険と言っていたから」
「杏華お嬢様も何を考えているのか、私には全く⋯⋯」
「えぇ。今日だって無性に身体がざわざわするもの」
赤信号で止まる車。
梨奈は窓越しに何気なく外を見つめていると──
「ちょっと待って」
不意に身を起こし、突然小さく息を呑んだ。
「千葉!! あそこの三人組!!」
「はい!?どうかなさいましたか!?」
「待って──この気配、私たちと似た気配よ!急いで向かって!」
「梨奈様、もう青信号ですし、それに⋯⋯」
車は発進し、梨奈はげんなりして「やった」と勢い良くもたれた。
「正確には見えなかったけど、でも"あの子"と似た──」
「まさか⋯⋯」
「あれは──間違いない。“私たちと同じ”だよ」
引き攣りながらミラー越しに梨奈を無言で見つめる千葉。
そのまま無言の時間が訪れ、車は静かに──人々の中へと溶け込んでいった。




