想い出(2)
「──っ、はっ!!」
あぐ⋯⋯っ!!
爆発したように起きた。
こういう時の人間は高速で頭が回るのか、すぐに自分の状況を思い出し、周りを見渡す。
特に変わった所はない。
ただ通路ではなくて、部屋の中に移されたようだ。
だが、とりあえず全身が折れたように激痛だ。
「あたっ⋯⋯くぅっ⋯⋯」
ヤベー。やらかした。
こんな歳にもなって、感情の制御も出来ないなんてっ!
なんて恥だ。
頭を抱えたかったが、声も出せないし、両手を縛られていてそれも出来なかった。
「↓+-@↓@↑※」
ん? 外から声が聞こえる。
「真壁、お前の客って本当か?」
「はい。ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「どう考えてもお前に向いた拳じゃねぇよ。庇う気か?」
「いえ。彼は前から知っています。一応」
なんか⋯⋯文脈的に俺の事を庇ってくれている?
どういう事だ?
「⋯⋯はぁ。分かったよ。力坊っちゃん、スマねぇですが、ここは顔を立ててくれませんか? 真壁はこうなったら意地でも引かねぇもんで」
「貸し一ですよ。"真壁組"組長──銀譲」
「はい。寛大な配慮をしてくださった神代のアニキには感謝しています」
「あのよくわからん男の為によく体を張ったよ。俺ならあいつを沈めてたよ。では大和田さん。この辺で」
「車の手配を──」
「大丈夫です、うちのが来てるんで。またパーティーでもやりましょう。真壁くんも⋯⋯ね?」
「是非お供させて頂きます」
「いい加減、身を固めたらどうだ? あ、紗季ちゃんが居るんだったな。あ、でもアイツは穴要員として必要だしな」
せっかく反省していたのに、もう今にも頭が怒りで破裂しそうだった。
クソが。クソクソクソクソ。
ーー湊翔くん!
彼女が頭に浮かぶ。
どうにかして助けないと。
でも、俺には力がない。
彼女を助けられない。
どうすればいいんだよ。
しかもそれどころか──このままじゃ、俺は死ぬ。
いや、何やってんだ。
またガキみてぇに喚いて。
「身に余るモノです。自分なんかが誰かと幸せになっていいはずがありませんから」
「おいおい。もういい歳して童貞どころか魔法使いだろ?やべぇぞ?」
「まぁまぁ力坊っちゃん。コイツはこういう奴なんですわ!」
「まぁ仕方ないか。今度はしっかり女と遊べよ?上質なのばっかり持ってきてるんだから。安くないんだぞ〜?」
「はい。光栄です」
その言葉を最後に、足音を叩く音がどんどん消え。
ーーミシ。
「⋯⋯ッ」
ドンドン近付いてくる──猛獣のような威圧感。
見てもないのに近付いてくる度、全身が噴火でもするんじゃないかという暑さだ。
するとガチャっと扉が開き、その暑さは最高潮になっていく。
「やはり目が覚めていたか。せっかく喋れないようにしていたのに、息遣いがこっちまで聞こえてくるなんてな」
全身黒ずくめのスーツを着た、猛獣だ。
その一言に尽きる。
身長いくつだよ。
体重も、筋肉のハリ具合が外人みたいだ。
いや、化物と呼ぶべきか。
しかもイケメンだし。
無造作にパーマとか決めちゃって?
天は何個与えてんだよ、クソ──
「どうして殴りかかった?」
ブツブツ言っていたところをたった一言で吹っ飛ばされ。
猛獣は目の前にパイプ椅子を逆向きに置き、質問してきていた。
「な、何が聞きたいんですか? 殺さないんですか?」
「ん? 俺達が何をやっているのかを知ってるのか?」
「な、なんとなく⋯⋯やばい奴らってことくらいはわかります」
馬鹿みたいに身体が震える。
目の前にいるこの人の覇気にやられてしまう。
「ふん。そんなに震えて、勇敢なんだが無謀なんだかな。殺すつもりなら、あの場で殴り殺していた」
こちらを射抜く眼光が、嘘だとは言ってはいない。
⋯⋯本気だ。
「だが」
「?」
「あの時のお前の顔が、憎しみと何かが宿っていたのを見た。それを昔、俺は見た事がある。
純粋で、もっとも人間に必要な目に宿った眼力⋯⋯みたいなものか。
俺はそれが何かを知りたかった。
あそこは本来──貸し切っていて、誰もいなかったはずだ。
何故あそこに居て、何故⋯⋯あの方に殴りかかろうとしたんだ?
答え次第ではこのまま開放してやる」
逸らそうにも、この眼光のせいで逸らすことができない。
こういうの、足掻いても最後には助からない。
どうせ死ぬんなら──言いたいことを言って死ぬんだ。
「俺の──」
「⋯⋯?」
ん?
⋯⋯彼女は、俺の何なんだろう?
「⋯⋯どうした?」
彼女とは、確かに心が通っていた感は間違いなくある。
だけど、別に付き合ってもいないし、結婚もしていない。
──俺が関わっていい事なのか?
良くないことだからなんて言ったところで、意味なんてあるのか?
「若者。言いたいことを言え」
「⋯⋯っ!」
「悩む必要はない。俺の目を見て、言ってみろ」
今までにない──恐怖を感じる眼だ。
虎みたいに細くて、切れ長で、強そうで。
なんて言っていいかわからないけど、とにかく全身が震えてしまう。
⋯⋯無意識に。
「──俺の眼を見て言え」
「俺の、」
ーー湊翔くん、今度!
「俺の"好きな人"が、あの中にいたんです!!!
でも、でも⋯⋯借金は終わっていたのに、終わってないって言ってて⋯⋯っっ」
何泣いてんだ俺は。
みっともない。
でも、馬鹿みたいに涙を滲ませて、それでも叫んだ。
「アイツはぁっ⋯⋯⋯⋯騙して契約書にサインをさせて、あんなクソみたいな事をして笑ってたんですよ!!!
人間じゃないッッ!!
だからもうどうなってもいいやって身体が動いたんです!!!!」
こんな歳にもなって、馬鹿みたいに泣き喚いて、叫んで。
もう夜中24時を回るというのに。
「⋯⋯好きな女の為にわざわざ乗り込んだのか?死ぬだけじゃ済まないぞ?」
「最初は、社員証を忘れたからでしたけど。忘れ物ボックスを覗いたらその、聞こえてしまって」
そう言うと、猛獣は黙って煙草に火をつけた。
一吸いして口から細い煙が登っていく。
本来なら背もたれの部分に猛獣は両肘をついて、無言の眼差しでただジッと俺の瞳を見つめていた。
何を見ているのかはわからないけど、そのまま見返す。
根源的な何かに負けないように。
すると何かに満足したのか、猛獣はゆっくりと喋りだした。
「無謀だな」
「⋯⋯っ」
何を言うかと思えば。
その通りだ。
別に特別強くもないし、力がある訳でもない。
「相手は人を殺すことに長けた奴ら。金持ちも混ざってる」
なんとなく分かってた。
でも──自制出来なかった。
「勝てるわけ無い戦いに挑むのは勇敢ではない。
だが──」
「⋯⋯?」
それまでの男とは打って変わって、しわくちゃな笑みを見せた。
「⋯⋯若者、お前は漢だよ。この俺が心の底から尊敬する」
ヤバイ。どうしよう。泣きそう。
⋯⋯あ、泣いてたわ。
「すみませんでした」
「そうか。若者──名前は?」
「伊崎湊翔です」
「俺は、真壁銀譲。まぁ、極悪人だ」
そりゃ、見ればわかるっていうか。
「何を考えているか分かるさ。社員証というなら、明日は仕事か?」
「ま、まぁ」
こんな状況で仕事とか言ってらんねぇよな。
あはは。
「ここじゃあ面倒だな。そうだ」
「はいっ?」
ニッと見つめたまま、尋ねてくる。
「伊崎、お前には兄弟はいるか?」
「います。俺が長男で、妹と、亡くなった弟が」
ただ普通の事を返したのに、猛獣⋯⋯じゃなくて、真壁さんの瞳が大きく見開いた。
「⋯⋯ふっ。気に入った。酒は飲めるか?」
「一応──ですけど」
*
それから目隠しをされて、車で何やら何処かへと到着したようだ。
連れ出され、ガラガラと何かが開く音が聞こえる。
「開けていいぞ」
目隠しが外れる。
「普通の──居酒屋、ですね」
中は普通の何処にでも居酒屋。
ただ違うのは、居るのが一人というのと、あまりにも静かだということくらいか。
「当たり前だ。酒を飲むのに居酒屋以外にあるのか?」
いや。ありますよ。
東京湾の工業地帯とか、ほらあとどっかの山とか。
「意外と分かりやすいな」
「⋯⋯すみません」
「いい。まぁ適当なところに座るか。石田、適当につまみを持ってきてくれ」
「はい、アニキ」
やっぱり、本物のヤクザ⋯⋯なんだよな。
いやーすげぇなー。
「今時珍しいだろう?気になるか?」
「あっ、いやぁ⋯⋯すみません」
「いいさ。時代遅れの残りカスみたいな物さ」
手元に届いたワンカップを、指先のみで持ち上げる独特な飲み方で喉越しを始めていた。
「ジジくせぇのしかないな。なにかお出ししろ」
「うっす」
「助けていただいて、しかもおもてなしまでして下さると、罪悪感でいっぱいです」
真壁さんを真正面から見れなかった。
力もないのに、一丁前なことだけ言って殴りかかるような人間に。
「⋯⋯申し訳ないと思っていても、間違えたなんて死んでも思うなよ」
「え?」
思わず予想していなかった言葉に、顔が上がった。
そこにいたのは、誰よりも男らしい、真壁さんの姿だった。
「建前と本音は──大事だ。俺も昔そうだった」
カップをくるくる回しながら、懐かしそうに揺れる水面を覗いている。
「伊崎、男に大事なのは、他の一切を許さない──折れない信念だ。
信念が人をかっこよくもかっこ悪くも見せる。
今の若者には無いものだろうから、ピンとはこないか」
無いかもしれない。
俺は、ただ生きていくのに必死だったから。
上司の顔色ばかり気にして、毎日を終える事にしか意義を見出していなかった。
「その顔は、そういう事か」
「はい」
「いいか、伊崎。お前が今回助かったのは、好きな女を守りたいというその信念だ。
⋯⋯それも立派な信念と言える」
持ち上げたグラスをこっちに振りながら、はにかんだ笑顔で言う。
「そんな事が、信念と言えるんでしょうか」
「そう言うってことは、お前自身そう思ってないってことか?」
素直に頷いた。
「そうか。ちなみに、俺が何故お前を助けたと思う?」
「それは、さっき来る前に言っていた⋯⋯」
「そう。目に宿った何かだ。
その瞳は、きっと今後消えることのない強い信念となってお前を助けてくれるだろう」
一口飲んだ真壁さんは、鼻で笑って外を眺める。
「俺の服、アクセサリー。見えるか?」
そこには、指に何個もの18金か何かのリングが何個も付いていたり、ブレスレットだったり。
おそらく高いブランド品がいくつもあった。
「自慢⋯⋯てことではないですよね?」
「あぁ。これは、昔抗争で亡くなった仲間達の遺品だ。今ではもう、あそこにいる石田しか残ってない」
何処か嬉しそうに石田さんの方を見ながら、微笑んでいるように見えた。
「お前は俺を見て、どう思う?極悪非道のヤクザに見えるか?」
「⋯⋯怖いのが本音です」
「正直だな」
「この場で嘘を吐くほうが違うと思いましたから」
「気にいるわけだ。
俺は昔、ただ金が欲しかった」
「金⋯⋯ですか?」
「あぁ。家族を養うのに必要だった」
⋯⋯一緒だ。
「家は最悪だった。
今思えば、親は平気で俺の目の前で普通におっぱじめるのが当たり前だった。
それが異常だって知るのは大分先だったがな。
伊崎、お前と同じだ。
弟と妹がいた。
中学になって、同級生の奴らがこう言ったんだ。
『強いと金が貰えるって』。
強いと普通に働くよりもたくさんのお金が入るって当時持ちきりでな。
だから強くなればいいんだと思ったんだ。
だが、強くなった結果──」
煙草を吸う指が既に震えていた。
「俺はヤクザに入って、最後──家族を捨てる事になったから」
何も、言えなかった。
「組に入って、順調だった。
そこにいる石田が、金を稼いでくれたから。
徐々にデカくなっていく組。
だが、俺も歳をとっていく。周りはドンドン普通の人生を歩んでいく。
俺はどうだろう?
毎日人殺し紛いのことを繰り返し、日も浴びることもない生活。
家族が大きくなった頃には絶縁間近だった」
「なんでですか?」
「身内にヤクザなんていれば、周りはどう思うかなんて普通だろ?」
「そう⋯⋯ですね」
「大体25の時だ。伊崎と同じだな。俺はデカくのし上がっていける状況と、周りの普通の人生を歩む世界で葛藤した。
結果──家族を捨て、家族同然の仲間達と共に歩んだ」
飲む手が止まる。
俯いてテーブルを眺めながら、真壁さんは下を向いた。
「だが、その果てにあったのが、石田以外昔の仲間が誰もいない数だけいる虚構の組長になる事だったとは、誰も思わないだろう?」
「⋯⋯⋯⋯」
「仲間は皆──
俺の為だと言って爽やかな笑顔で戦いに行った。
俺の為だといって命を投げ捨てた。
俺の為だといって⋯⋯家族を見捨て、俺の為に尽くしてくれた。
仲間はお前達だけなのに⋯⋯とな」
真壁さんの表情をあまり見れていなかった。
今では恐怖心も減って初めてその顔が見れた。
そこには。
富も、名声も、強さも、普通の人間が望んだものを全て持っていた人間とは思えない程の顔をしていた真壁さんがいた。
目は隈だらけ。
肌も悪くはないけど栄養が足りていないのがわかるガサガサ具合。
身につけている服も多分他にはないだろうという使い込んだスーツ。
緊張でしか見れていなかったリングも、今見れば傷だらけ。
そこには俺を含めた社会人の過半数が望んだ姿の人間がいるはずなのに。
「俺は、後悔している。あの時家族を取らなかった、優柔不断な自分にも、なぜもっと仲間と喋らなかったのか。もっと関わろうとしなかったのかと」
今なら見える──真壁さん。
まるで全く幸せそうではなかった大きく優しい猛獣のようだった。
「なぜお前を助けたのか。
簡単だ。俺にできなかった事だったからだ。
何かの為に命を賭けられた人間の瞳は美しい。
俺にはあまりにも眩し過ぎた。
ふんっ。少し話し過ぎたか」
時計は深夜1時をとっくに回っていた。
「久しぶりに"酔えた"。気分が良い」
「それなら⋯⋯良かったですっ!」
「一口も飲んでいないだろう? こっから、真壁組の酒の飲み方を教える盃を交わそう」
と、一瞬上を眺め。
「極道とは仲良くしたくは──」
「させてください」
即答だった。
目の前の人間には感謝しかないし、憧れた人間だったから。
「──そうか。これからは兄弟だな」
ワイルドに鼻を鳴らして俺に注いでくれる真壁さんと、そのまま雑談を楽しむ。
「⋯⋯っ、飲み過ぎちゃったかな」
気付けば酔いが回って、真壁さんは目の前で授業中に眠っている学生みたいだった。
「伊崎さん、でしたね?」
真壁さんにブランケットを優しく掛けて声を掛けてきたのは、唯一の生き残りだという石田さん。
寝ている真壁さんに向ける笑顔は、まさにドラマで見たような慕いっぷりだった。
「次は俺と呑みましょう。アニキの兄弟なら、俺とも家族のようなものです」
グラスを合わせて、全身にこれでもかという程アルコールを回していく。
「⋯⋯ありがとうございます」
石田さんが最初に発した言葉だった。
「どういう事ですか?」
「アニキは、ここ数年満足に睡眠も食事も摂れていなくて」
それから石田さんは真壁さんについて語ってくれた。
昔の事、喧嘩で負け知らずだったと誰でもわかるような話から家族を見捨てて組を選んだ事で自分が幸せになってはいけないと彼女すらできない事。
沢山の話題が飛び交った。
気付けば朝になり、石田さんが気を遣って送ってくれた。
飲酒運転とか、まぁ⋯⋯察してくれ。
「ありがとうございます」
背筋を伸ばして一礼すると、ポカンとした表情。
「すぐまたお会いする事になると思いますから」
⋯⋯え?
俺がその意味を真に理解する事になるのは、そこから僅か二日後の事だった。




