とある令嬢の縁談事情
ミルフェット家は元々子爵位だったが、父の代で伯爵位を叙爵した。
当主の父は王宮勤めの文官で日頃は王都邸からの通いだ。
ミルフェットの子爵領は叔父──父の弟に管理を任せている。
母は領主伯爵の末娘で気に入りの男爵領を携えて父に嫁ぎ、その地が我が家の生活の拠点になっている。
上の妹アナベルが学園に通い始めた時点で、姉は従兄の元へ嫁ぎ、兄は王都邸で家族と暮らしていた。
私もアナベルも幼い頃に婚約が成立していたが、アナベルが2年生になっても末妹のアンジェラには決まった相手がいなかった。
アンジェラも既に12歳になり学園への入学まで2年を切っている。
打診がないわけではないし、顔合わせも幾度か行なっている。
しかし、彼女の納得がいかないと嫌がるのだ。
幸か不幸か、アンジェラは第二王子殿下と年齢が近く、同世代の子供達を招いたお茶会に招待された事がある。
前々から、父が密かに身に余るからと辞退を申し出ていたのだが徒労に終わったようだ。
正式な招待を断るわけにもいかず、5歳のアンジェラに言い含め、準備期間も考慮した上で家族揃ってしばらく王都邸に移った。
王都の町を見て歩く分には楽しそうにしていた彼女だったが、当日の朝になると「具合が悪いから行かない」の一点張りで、ついには『発熱で欠席』ということにして両親が謝罪のために揃って出掛けて行った。
当の本人はというと、一週間は王都邸の部屋に大人しく籠っていたが、すっきりした顔で帰郷したのだった。
招待客のひとりに選ばれた事で、縁談の話はいくらも来た。
その中に格上の家がなかったのは幸いだったろう。
「実家でずっと暮らしたい」と強請れば目尻を下げて受け入れてしまう両親に、兄弟姉妹の誰もが苦言を呈する事もなく、『末っ子』だからと甘くみていたツケが大きく伸しかかっている。
高位貴族の慣習では、王立学園に通う令嬢には婚約者が必要とされている。
貴族子女といっても聖人君子の集まりではない。
可愛い箱入り娘を守る盾は喉から手が出るほどに欲しいものだ。
有力な家であれば睨みも効くだろうが、伯爵家といえど我が家程度では限界がある。
常ならば父親か家の当主が決定するものだが、当家では無理強いすることはない。
しかし、良識的な家の子息は早めの縁談を纏める傾向にあり、打診の相手を調べれば眉を顰めるような例も増えてきた。
「別に婚姻をしたくないわけではないわ。
アンドリューお兄様の周辺ではどなたかいらっしゃらないの?」
妹は母親譲りの整った顔を傾げ、長い睫毛に縁取られた少々下がり気味の大きな目を瞬いた。
父も兄も普段は王都にいるが次男の私は領館勤めで実家通いのため、7つ下の末妹との対話を任された形だ。
「父上もアンジーの意向を無下にしたいわけではないんだよ。
ただ、このままでは『偽装婚約』 も考えないといけなくなるだろうね」
「そうねぇ。職業婦人の道も悪くないかもしれないわね」
伯爵家の娘に婚約者がいないとなると、良からぬ輩が近づいてくるだろう。
親の監視が行き届かない学園で余計なトラブルに巻き込まれないためにも、仮の婚約者は必要だ。
「私の周りといっても、学友も仕事仲間も皆決まった相手がいるからなぁ……」
実のところ、学園に通うアナベルも、ふたつ上の彼女の婚約者も、学生の中に良い人物がいないか探ってくれていた。
今期からは妹の婚約者と入れ違いに入学した私の婚約者も協力してくれているが、男性の協力なしでは難航してしまうようだ。
学園には、より良い条件の働き口を見つけたい者、相応の縁談を探したい者へ向けた斡旋機関が存在する。
相談窓口として利用するのは、主に子爵家や男爵家の子息だ。
業務はひっそりと遂行されているが、その実、活動はかなり積極的なものになっている。
何故なら、根回しを施す事で問題の芽を事前に摘めるからだ。
学生の中にも協力者を置き情報を管理していて、私のように嫡子でない者にとって社交前のよい実践経験の場であった。
当主の助役になるにしても、役人になるにしても、事前の人脈作りは大事な事だ。
この伝手を辿れば、子爵家子息に条件に叶う者が出るかもしれない。
伯爵家の娘を受け止めるだけの気概は欲しい。
価値観の違いは致し方ないとしても、多少の贅沢は受け入れる余裕も必要だろう。
アンジェラは、兄の欲目を抜いても大層可愛らしい娘だ。
頬の円やかな線は少女のそれだが、反して、兄弟姉妹の中で一番現実的な考えを持つ。
柔らかな亜麻色の髪は甘く、煌めく若葉色の瞳は理知的で、姉の影響を受けた落ち着いた装いは実際の年齢よりも大人びて見せた。
「わたくし、難しい条件をあげているわけではないと思いますのよ。
権力者や見目の良さに固執はしませんし、王都暮らしをしたいわけでもありません。
わたくしが『わたくし』であることを受け入れ欲しいだけなのですわ」
両親は貴族の慣習通りの政略結婚であるが、夫婦仲は良好で家族仲も良く、それがアンジェラの価値観に大きな影響を与えているのを私は知っている。
母は常に朗らかな夫人で、艶やかな淡い金色の髪と悪戯に輝く松葉色の瞳がおっとりとした性分を包み隠している。
振る舞いは嫋やかで、明るく軽やかな装いを好み、胸元には父より贈られた瞳の色を映した翡翠のブローチでいつも胸元を飾っていた。
そんな母の姿は、どんな物語の姫君よりもずっとアンジェラの憧れで、家族皆が微笑ましく感じていることでもあった。
そうこうして季節が移ろううちに、領主から隣領で縁談を探している者がいると聞いた。
仲立ちに向こうの領主が入るくらいだから、検討する価値はあるのではないかという事だ。
相手のコックスカイ子爵家の嫡子パトリックは、妹より6つ年上のこれといった噂のない目立たない男だった。
学園を卒業してからは、父親に就いて役人の仕事や領地について学んでいるらしい。
領都に隣接した小さな管轄区の屋敷では両親と祖父母が同居している。
当代子爵は真面目な気質で周囲の評価は良いようだ。
学園では私より一学年下だったようだが接点はない。
学生時分から縁談を求めて件の機関に相談に訪れる事があったようだ。
特筆するような事柄は何もなく、言ってしまえば難もないということだろう。
両親や妹に話しを通してみると、意外にもアンジェラが乗り気になった。
アンジェラが掲げる条件にも「会って詳細を確認したい」と前向きな返事が届いた。
正規の縁談となるか仮の縁となるかも顔合わせ後の判断でよいという。
『昼と夜を分つ日』に相手の領地へ赴く事に決定した頃には、アンジェラも14の誕生日を迎えていた。
*
「貴方がパトリック様?お噂よりもずっと地味な方ね」
開口一番にあんまりである。
私達を出迎えたのは、仲介役の領主伯爵とコックスカイ子爵、子息のパトリックだ。
ミルフェットからは父とアンジェラ、そして目付け役の私が同行している。
父はこちらの領主伯爵邸で夕餐を共にし、明朝には職務のために王都へと発つ。
アンジェラと私は子爵邸を訪れて数泊する予定だ。
夕餐までの間、双方の父親は領主伯爵と話を詰め、妹と私はコックスカイ子息の案内で庭を散策する事になった。
領主邸は高台にあって庭園からの眺望が素晴らしい。
眼下には緑の萌出た平原が広がり、大きな川の流れと幾つかの川筋が見える。
遠く山裾から緩やかに稜線へと繋がる風景は、心を平穏へと導いてくてくれた。
柔らかな風が肌に心地よい。
本日のアンジェラの装いは母親の見立てで、夕餐に合わせた薄桃色のドレスを纏っていた。
亜麻色の髪をハーフアップに纏め、若葉色の瞳は好奇心で煌めいる。
午後の麗らかな陽の下で小首を傾げて佇む様は、毒気を含まない可憐な令嬢だった。
対する縁談の相手は、青みのある濃い茶色の髪が重たげで、薄く青を履いた灰の瞳は熱の感じられない色だ。
良くも悪くも朴訥とした平凡な男だった。
普段から仕事で着ているだろう熟れた服装で、妹の側に立つと頭ひとつも大きいのに引き立て役にしか見えない。
「美しい神山ですわね」
山並みの奥の澄んだ青に白い衣の裾を広げた神山がその姿を現していた。
妹の横顔は、興奮を隠しきれずに頬が薄らと上気している。
「わたくしの生まれ育った町は静かな山間にありますけれど、このような素晴らしい眺めは見られませんわ」
煌めきを湛えた若葉色の瞳が景色を追って動いていく。
山並みを望む長閑な風景が大層気に入ったようだ。
コックスカイ子息はこの機会にと、自分が選ばれた理由を問うてきた。
「あら、書面でお伝えした通りでしてよ。
パトリック様が一番条件に沿っていたのですわ。
わたくし、流行りの物語にあるような“真実の愛”は求めておりませんもの」
臆面もなく明け透けにものを言うアンジェラに軽い眩暈を覚える。
嘲笑するでもなく、子息がこちらに視線を寄越してくる。
引き攣った笑いが浮かびそうになるのを堪え、目元を緩めるに止めた。
翌日は、控えめで動き易い好みの衣装に身を包んだアンジェラを連れて子爵邸に赴いた。
学園入学前の年端のいかぬ娘に対して淑女のように扱ってくれると妹はご機嫌だ。
アンジェラの提案するサロン棟に関しても、資金をこちらが負うとはいえ、嫌な顔もせずに立地に向く場所を案内してくれた。
3日間の滞留ですっかりその気になったアンジェラは、正式な手続きに子爵親子が訪れる報を聞いて踊りださんばかりに喜んでいた。
婚約が整うとアンジェラは文を認めるのが楽しいと、私の出所と共に町に出て季節に見合った書簡箋を買い求めるようになった。
「短い文面でも必ず返事が届くのが嬉しくて、つい送りすぎてしまうわ」
微かに頬を染めて恥じらい気味に話してくれる。
王都邸に移り、学園に通うようになっても手紙を介した交流は続いているようだ。
*
学園では、相性の良い令嬢達と互いの婚約者の話しをよくするらしい。
特にアンジェラ同様、婚約者と学園生活を送ることの出来ない者との交流が深まり、互いの邸をも行き来しているようだ。
アンジェラの語る婚約者は、婚姻前の学園生活を存分に楽しませてくれる、勤勉で身の程を弁えた大変誠実な令息であるらしい。
物語であるなら、同じ学生ならば、所在が王都ならば、恋人のために馳せ参じることを求められるだろう。
だが、家格の上の令嬢と相応に付合うには負担が大きく、その程度も把握できない相手では婚姻したところで家政が上手くいく訳もない。
当然のことだが、互いに先行きが見通せるなら、相手は離れた地で仕事に邁進し花嫁の嫁ぐ日を待つことになる。
その日を純粋に待ち望むアンジェラの話は流行りの物語のように令嬢達の心を捉え、ひたむきに寂しさに耐える健気さを応援する者が数多く現れたそうだ。
これらの話は妹本人から聞くこともあるが、最終学年に在籍している私の婚約者からもたらされることも多い。
夜の長い『雄神の日』は家族が揃って団欒を楽しむ日であり、恋人達にとっては明るい陽の下で逢瀬を楽しむ日でもある。
もちろん、私も休暇を活かして人気のパーラーで婚約者のステファニー嬢との交流を予定している。
その際、彼女から第2王子殿下が妹に声がけした話を聞いて驚いた。
王子殿下は2年生だったか。
学園の食堂で妹が友人達と昼食を囲んでいるところに殿下が現れ、アンジェラに向かって声をかけたそうだ。
ステファニー嬢も食堂にいたため目にしたそうだが、その日の講義が終わる頃には学園中の噂になっていたらしい。
殿下には婚約者もいたはずだが、軽はずみにも程がある。
せめて妹を巻き込まないで欲しい。
王都邸に寄りアンジェラに確認するとまるで他人事のように話してくれた。
「もう済んだ事なのですけれど……」
耳にしていたように、友人達と食堂で楽しく昼食を囲んでいるところに第二王子殿下がやってきたらしい。
「お茶会の時に欠席するほど体調が悪いと聞いていたが、学園に通えるほどには回復したのか」と見舞いの言葉を貰ったそうだ。
「王城のサロンにも誘われましたけど、お互い婚約者のいる身。
学生とはいえ目下の者に示しがつきませんし、学園の品位に関わりますから事務機関に報告しておきました」
なんでも、王宮侍女に上がれるよう口添えをするので、仮の婚約など解消するよう奨められたという。
家族と過ごすために王都に出てきている母も初耳のようで、目が笑っていない。
後日、詫びの品として翠玉をあしらった髪飾りが届けられたそうだ。
大きくはないが純度の高い高価な品物だったらしい。
「時に権力と財力は魅力にもなりますけど、呆れるほど稚拙な扱い方ですわね」
すぐに、友人達の多くが同伴し、学園を通して苦言を呈したという。
「親しくさせて頂いている方の中には、王太子妃殿下や王子殿下の婚約者の関係者もおりますの。
大袈裟にならないよう助言をくださいましたわ」
王宮で働く父の元には殿下の教育係が謝罪に訪れていたらしい。
学生同士の行き違いもあるだろうからこれで手打ちにしたい、という旨だったそうだ。
第二王子殿下は眉目秀麗で学業でも優秀な成績を収めていると聞こえは良かったが。
我が家での王子殿下への評価は大幅に下方修正されたのだった。
*
寒さが綻び始めた『昼と夜を分つ日』。
私はステファニー嬢との面会の約束があったが、アンジェラから先に王都邸に寄って欲しいと頼まれた。
朝早くに支度を済ませて妹に会いに行くと、小振りのブローチを2つ渡された。
小指の先ほどの石に添うように少し小さめの石をあしらった物──使われた石は鮮やかな緑色をした翡翠と見聞きのない蒼い石で、互いを入れ替えた揃いのデザインだった。
蒼玉が晴れた空を映した澄んだ青ならば、見慣れぬ石は明けゆく空の色を宿した夜の青だ。
追い求めて探すことの叶わなかった婚約者の瞳の色である。
「灰簾石ですわ。
石によって色加減は様々ですが、王都の宝飾店では取り扱っていないと思います。
ステファニー様にはいつも助けられておりますもの。
せめてものお礼に、アンドリューお兄様から渡して頂けないでしょうか」
話を聞けば、子爵家のステファニー嬢を介して、子爵家や男爵家の子女と顔を繋いでいるらしい。
その中に小物類の飾りに使う鉱物を取り扱っている家があるそうだ。
「わたくしのペンダントはパトリック様に贈られたものですが、彼の目利きに驚かされました。
わたくしも、この色の石をずっと探していたのです」
妹の首元に揺れる慎ましやかな緑柱石は、確かに宝石商達の見本には置かれない色だろう。
だがそれは、確かに燻った淡い翠のアンジェラの瞳の色だった。
若葉色の瞳が熱を宿し揺れている。
「この見立ては友人達にも大変好評で、彼女達の助力もあって、わたくし、装飾品を扱う事業を始めることにしましたの。
それに、ステファニー様が繋いでくださった縁で腕の立つ職人との伝もできました。
わたくしのサロン棟も素晴らしい物に仕上がるはずですわ」
既に、父も兄も後援の準備を進めていて、義姉さえも立ち上げの手伝いを楽しみにしていた。
昼の一番長い『雌神の日』には学園の卒業パーティーが執り行われる。
私は祝いの席で美しく着飾った婚約者をエスコートする。
彼女を飾る宝飾品は私の贈った物だが、それに揃いのブローチを添えている。
私は彼女の色を胴衣とチーフに忍ばせた上で胸元にそれを飾った。
ちょうど1年後の同日、私は彼女を娶った。
私の勤めは引き続き領館だが、実家のある土地を任され母と同居する事となる。
その間、2年生のアンジェラは精力的に活動し、事業のほうも順調にいってるようだ。
学友達の後援も強く、町中で募った細工師も腕の良い者達であるらしい。
既にアナベルも嫁ぎ、王都で新居を切り盛りする合間にアンジェラの相談役になっていた。
令嬢達は、日常的に気軽に身につける服飾品を欲していて、更に、探していた色みが手に入るかもしれないと次々と伝播しているという。
確かに、令嬢が懇意にする商店での取り扱いは社交に相応しい物が主流だろう。
社交に纏う宝飾品は必要だが、それは豪奢な衣装に見合う華美なものであって重く身体への負担も大きい。
「常に身につけられるので、物語の主人公になったようだと好評ですのよ」
アンジェラは実に楽しそうな笑みを浮かべた。
流行りの物語にも後押しをするような記述があるらしい。
学園に通う令嬢では、知らぬ者が居ないほどの評判になっているようだ。
パーラーで甘い菓子を見繕うように、友人と揃いの物を身につけたり、密かに懸想する相手の色を手にしたりと様々な楽しみ方があるという。
子爵家や男爵家の子息達も、心置きなく贈り物が出来ると懇意にする者も多いらしい。
ついには、噂を耳にした同僚から仲介を頼まれる始末だった。
*
アンジェラの学園生活は忙しなく過ぎていった。
彼女の卒業を前にして、父の元にコックスカイ家からサロン棟完成の一報が入る。
最終学年も半分を過ぎれば、妹の心は既に彼の地へ飛んでいるようだった。
起こした事業も王都のほうは義姉をはじめ協力者に任せ、嫁ぐ地へ移行する準備も出来ているらしい。
『雌神の日』に執り行われる卒業パーティーのエスコートは私が代行した。
妹が祝いの日に纏うドレスは、淡い灰色に薄く青を掃いた控えめな色合いで、上質の布地の上から同色の薄地が重ねられ、薄地を飾る繊細な刺繍が優美さを演出している。
部分的にあしらった黒に近い茶のラインが線の細さを際立てていた。
年頃の娘らしい花のような彩りのドレスも大層似合うと思うのだが、母親と共に打合せを重ねたそれは、幼かった妹を美しい淑女に変えていた。
複雑に結い上げた亜麻色の髪が光を受けて輝き、細い首とデコルテが晒される。
肩口は控えめに隠し、細い腕を長手袋が覆う。
ドレスの色彩を映す灰簾石のペンダントとイヤリングが控えめに彼女に寄り添う。
アンジェラの求めに応じ婚約者から贈られた品だ。
同じく婚約者から贈られた金黒曜石と灰簾石の髪留めが髪を飾っていた。
「パートナーの色を纏うのは乙女の夢ですもの」
僅かにはにかみを覗かせ目元を綻ばす。
妹の装いに合わせ、私のタイとチーフにもドレスの布地をあしらっている。
胸元には鮮やかな青の灰簾石と翡翠の小さなブローチを飾って。
「本当はパトリック様に一番に見て頂きたいのですけれど」
ふと淋しげな色が浮かび小さな声が独り言ちた。
すぐに若葉の色は悪戯な輝きを宿し「緑柱石のペンダントは指輪に仕立て直して、手袋の下に潜めてますの」と優艶な笑みを浮かべた。
開催の挨拶が一通り終わると楽団が優雅に曲を奏で始める。
「それではアンドリューお兄様、一曲お相手願えますか?」
「仰せのままに」
*
爽やかな空が高く広がる『昼と夜を分つ日』に、末妹のアンジェラがコックスカイ家に嫁ぐ。
婚姻の儀に参加するのは、双方の両親と先方の領主伯爵夫婦だ。
親類縁者を招いたお披露目も必要ないと、アンジェラがばっさり切った。
兄弟姉妹たちは、妹の晴れ姿を一目見ようと領主邸に準備された控えの間に駆けつけた。
5人揃うのは私の婚儀の時以来だったか。
亜麻色の髪を高く結い上げ、美しく装った淑女は柔らかな笑みを浮かべていた。
花嫁衣装は一見シンプルなデザインになっている。
子爵邸まで騎馬で移動するそうなので仰々しくもできない。
妹も、高価なレースや凝った飾りのない、地に刺繍を刺すくらいが相応だと笑っていた。
学園卒業後に僅かばかりの準備期間を設けた中、早いうちから母が嬉々として職人と打合せをしており、質の良い布地に同色の刺繍を満遍なく施した見事な衣装が仕上がっていた。
主張の少ないペンダントとイヤリングは、アンジェラ気に入りの灰簾石のものだ。
薄布に繊細な刺繍を施したベールを被り、宝冠の代わりに季節の花で髪に留める。
父の腕に手をかけ花婿の元へ向かう末妹を見送る。
高台にある領主邸の庭に出て外の空気に当たれば、萌えぐ緑に彩られた山々の向こうの空に、白い裾を広げた神山が浮かび上がっていた。