ちょっとしたパーティー
〝ちょっとしたパーティーでもお使いいただけます〟
美枝子は雑誌から目をあげてテレビを見た。通販番組が紹介しているのはクラッチバッグだった。いま買うとトートバッグがついてくるという説明に、女性のお笑いタレントが目を丸くしてうなづいている。
美枝子は雑誌をとじて画面を見つめた。が、目に映るのは胸にふくらむアイデア。気がつけば娘のために録画予約しているアニメが始まっていた。
その夜──
「週末にパーティーやらない?」
美枝子は麦茶を注いだコップを夫の前に置きながら言った。
「なんの?」夫がバラエティー番組を見ながら言う。「誕生日じゃないだろう」
「バースデーパーティーじゃないの」
「なら、なに?」
「だからパーティー、ちょっとしたパーティーよ」
ふりむいた夫は、気は確かかという目で妻を見つめた。
9月4日(月曜日)
夫が賛成してくれたのでToDoリストをつくる。
ただひとつ気掛かりなのがお天気、台風13号が発生していた。
①ドレスを買う
「パーティーで着る服、買ってもいい?」
美枝子はビールを注いだジョッキを夫の前に置きながら言った。
「いいけど、なに買うの」
「ドレス」
「えっ!」夫が泡をふきながらふりかえる。「なんでそんなもんがいるんだ。ちょっとしたパーティーじゃないのか」
「そうよ、だからサマードレス」
美枝子は夫の目の前にスマホを突きだした。
「ずっと狙ってて、やっと値下げしたの」
「あるものでいいだろう、わざわざ買わなくても」
美枝子はスマホを引っこめて夫にむきなおった。
「最後に服買ったの、いつだか憶えてる?」
夫が口ごもる。
「この家を買うんで、ずっとガマンしてきたのよ」
「わかった、わかった、泣くことはないだろう」
「ほんと、いいのね、ありがとう」
スマホを持ちなおして画面に集中し注文をタップ!
「よし、オーケー。あなたも、なにか買えば」
「あるのでいい」
夫はかたくなに言った。しかたない、ここは譲歩しよう。
「あなたがいいなら、いいんだけど、その浮世絵のステテコはやめてね」
9月5日(火曜日)
夫のコーディネートはまたあとで考えよう。
台風は発達しながら北上している。進路はまだ定まらない。
②招待客リストをつくる
「あなたは誰を呼ぶ?」
美枝子は手帳をひらいてテーブルに置いた。
「そうだなー」夫は頭を掻きつつソファーに背をあずけた。「会社の連中かな」
「そうね、引越し祝いのお礼もしてないし」
「お返しはしたろう」
「でも、呼ばなかった」
「遠いからな」
夫はコップに手を伸ばしてアイスティーをすすった。
「そっちは、誰を呼ぶんだ」
「そーねー」
美枝子が人さし指にあごを乗せると、この春小学校に入った梨美がひざをたたいて言った。
「ママ、乃愛ちゃんも呼んでいい」
「乃愛ちゃんは、またこんど、梨美のお誕生日会に呼びましょう」
夫がコップを置いて目を細める。美枝子は夫が口をひらく前に言った。
「さあ、もう寝ましょうね」
娘を寝かしつけてリビングにもどると、夫はしびれを切らしたように言った。
「なんで友達を呼んでやらないんだ。大人ばかりじゃ、梨美もつまらないだろう」
「子供を呼んだら、親も呼ぶことになるでしょう。あなた、乃愛ちゃんの両親を知ってるの?」
夫が目をそらす。
「会ったこともないでしょう。あなたはいちども学校の行事にでたことがないんだから」
9月6日(水曜日)
夫はこの家を買ったことを後悔しているのだろうか。
台風は進路をかえ、こちらにむかっている。
③メニューを考える
「メニュー決まった?」
風呂あがりの夫がタオルで頭をふきながら訊いた。
「まだ」美枝子は手帳から目をあげて天を仰いだ。「ああ、どうしよう」
「寿司でもとるか」
「法事じゃないのよ」
「なら、ちがうものをとればいい」
「てんやもんでもとるの」
「ウーバーイーツがあるだろう」
「ここはないの」
「マジか!?」
夫はポカンと口をあけたまま、しばし言葉を失った。
「あなた、だいじょうぶ」
「クマがでるのはまだしも、ウーバーイーツがないとは……」
「そこか!?」
手振りをいれてツッコんでみたけど夫の反応は、
「もう寝る」
「あしたも遅いの?」
「いや、早めに帰る」
「わかった、おやすみ」
夫の背中に言って、美枝子はスマホを見つめた。検索はやりつくした。もはや得るものはない。ここは別の視点、ちがう発想が必要だ。美枝子は時間を確かめてスマホを手にとった。
〈ハイ〉
すました声のむこうでニヤけてる由香里の顔がうかんだ。
〈いまいい〉
〈どうしたの〉
〈たいしたことじゃないんだけどね〉
美枝子がぼそぼそと事情を説明すると、
〈なんだ、そんなこと〉気のおけない友はこともなげに言った。〈パーティーだからって、なまじコッたことをやろうとするから失敗する。あたしなんか、ローストビーフがたたきになっちゃって、しかたないからチャーシューにしたわよ〉
〈さすがね〉
〈臨機応変よ〉
〈それが、わたしにはできない〉
〈できるわよ、ふだんどおり、あなたらしくやればいいんだから〉
9月7日(木曜日)
持つべきものは友だ。でもわたしらしさって、なんだろう?
台風は上陸するらしい。備えをしておかなければいけない。
最後のトゥドゥリストはオプション。美枝子は食い入るように台風情報を見ている夫に言った。
「やっぱりアトラクションが必要ね」
「なにがいるって?」
「余興よ、パーティーを盛りあげる」
「ビンゴみたいなヤツか」
「そうだけど、ビンゴじゃヘイボンでしょう」
「たしかに」夫はふと目をあげると、ひらめいたという顔でふりむいた。
「カラオケは!」
美枝子は夫をにらみかえした。
「もっとヘイボンだな」
「わたしは誰でしょう?」
「なんだって」
「ゲームよ」
美枝子はルールを説明した。
「みんなに自己紹介のメモを書いてもらって、それを司会者が読みあげるの。それでそれが誰かを当てるの」
「それ、おもしろいの」
そういわれると自信がない。
「ためしに、やってみましょう」
夫が不承不承うなづく。
「では、わたしから」
美枝子は思いつくままに言った。
「専業主婦です」
「それだとアイデンティティがない」
「そうね、もうすこしパーソナルなほうがいいわね」
美枝子は〝専業主婦〟にかわる自己紹介を考えた。ところがいざ言葉にしようとすると、なかなかでてこない。
──これだけ、これしかないの
そう思うと急に目の前が真っ暗になった。いやちがう、ほんとうに真っ暗だ。
「停電!」
「瞬停だろうから、すぐに点く」
「それまで待てないわよ」
美枝子は用意していたロウソクに火をつけた。
「梨美、みてくるね」
子供部屋をのぞいてリビングにもどると、夫はロウソクを見つめていた。美枝子はとなりにすわって言った。
「だいじょうぶ、寝てる」
「さっきのゲームだけど」夫が目をあげて言う。「オレも考えた」
「言ってみて」
「いつも家族のことを想ってくれるキレイな奥さんがいる」
「だれのことかしら」
「かわいい娘もいる」
「すこし、わかってきた」
「家族を幸せにしたい、ただそれだけを考えている。だけど、それがときどきひとりよがりになって……」
「もう、わかった」
洟をすすって言うと、明かりが点いた。
美枝子はささっと涙をふいてロウソクを吹き消した。
9月8日(金曜日)
わたしは家族を愛し、家族に愛されている幸せもの。
夜半すぎ、台風は通過していった。
当日──
台風一過、絶好のパーティー日和、朝からテンションあげて準備に取りかかる。
ちょっとしたパーティーが、こんなに大変だとは夢にも思わなかった。トラブルの連続で、電車が倒木で運休になったときは、心が折れそうになったけど、夫が車で迎えに行ってくれたおかげで、なんとか乗り切ることができた。
ほんと、いろいろあったけど、みんな楽しかったと言ってくれて、それがなによりうれしかった。
またやろう、肩ひじ張らない、ちょっとしたパーティー。夫はきっと、めんどくさがるだろうけど……。
「ネっ!」
「なんか言った?」
「なんでもない」
*ウーバーイーツは Uber Technologies, Inc. の登録商標です。