誰に買われるのでしょう?
貧乏で貧しくて困窮した男爵家の四女の末路。
それは、貧しいマデリーン男爵家の私の末路。
私は、貧乏で貧乏で貧乏過ぎて立ち行かなくなった家を助ける為に、売りに出されたのでした。
なんてことのない、別に珍しくもない結末でした。
このご時世では本当によくあることで、父も母も姉も泣く泣くではありましたが、仕方がないと私を送り出しました。
私も、それが私の仕事であるとばかりに静かに頷きました。
私は勿論、売られるという経験は初めてなものですから良くは知らないのですが、何人かの友人に聞いたところ、売りに出される貧乏な令嬢は大抵お金持ちに買われて、後妻か愛人にされることが多いのだそうです。
そして後妻や愛人でなければ、侍女やメイドなどの召使いになることが多いのだそうです。
金額的には、やはり後妻か愛人に選ばれる方が高くなるそうです。
では果たして、私は誰に買われることになって、いくらくらいのお値段になるのでしょう。
幸せな恋愛というものにもほんのりと憧れてはいた私ですので、正直に言えば誰かの愛人になる為に買われるのは嫌です。
でも、それが私が家族にしてあげられる唯一のことなのだとしたら、受け入れます。
誰かに家族を救うお金をあげるから愛人になれと言われれば、私は頑張ります。
だって、私という小娘一人を売っただけで家を助けられるなら安いものなのですから。
そして欲を言えば、私の後に姉たちが売り飛ばされなくても家が持ち直せるくらい、良い値段がつけばいいなと思っています。
私は、生まれた時から貧乏令嬢をやっていましたから、煌びやかなご令嬢の美しさと比べたら、そのへんのお芋と同じかもしれません。
でも、毎日櫛で丁寧に梳いてきた長い亜麻色の髪にはちょっぴり自信があります。
どちらかと言えば室内で家事や書類仕事して過ごすことが多かったので、手は荒れてはいますが肌は白いです。
それから顔も……。目は大きい方ですし、まつ毛もくるんとしていますし、歯並びも悪くありません。きっと、悪くはない顔の筈です。
この顔が好きな男性もいるかもしれません。
……いえ、ちょっと誇張しすぎてしてしまったでしょうか。
自分で言っていてちょっぴり恥ずかしくなってきました。
まあそれはさておき、とりあえず私はお金持ちのどこかの誰かに買われることになったのでした。
「イルゼ、お前の買い手が決まった」
「はい」
呼び出されて入った書斎で、おもむろに父は私に言ったのでした。
私はその話で今日この場に呼ばれたのだろうなと覚悟はしていましたので、そう驚くこともありませんでした。
「どのような方でしょう」
「最初に名乗りを上げたのは、ヘンリー公爵だった」
「まあ」
私はごくりとつばを飲みました。
ヘンリー公爵は大金持ちの禿デブ爺と有名ですが、大変な女好きで、何人もの愛人を囲っていることでも有名な人物です。
貧乏令嬢の私でも知っているような有名人です。
そしてそれだけではなく、その愛人たちを屋敷に閉じ込めて何か過激なことをしているのではないかと言う、ちょっぴり不穏な噂のある方でした。
そんな方ものとに、私は行かねばならないのでしょうか。
私は売られることが決まってから、何があっても家のために頑張ろうと覚悟を決めてきましたが、やはりいざその時が来ると怖いものです。
「だがな」
ヘンリー公爵の名前を聞いて私が眉根を寄せたのを見て、父は言葉を続けました。
「ヘンリー公爵より高値で買うと言った人物がおられたんだ」
「え?」
私は一瞬きょとんとしてしまいました。
だって、ヘンリー公爵はとにかくお金持ちです。
超が付くほどのお金持ちなのです。
そんな公爵に競り勝って、公爵より高い値段を付けて私を買おうとする方がいるなんて、本当でしょうか。
「では、買い手の方はヘンリー公爵ではないのですか」
「そうだ」
「ちなみに、いくらほどの値段が付いたのですか?」
「7千万ルピーだ」
「そんなに!それではみんな十分楽に暮らして行けそうですね。その、買い手の方はどなたですか?」
「……」
父は首をかしげる私の前で、黙ってしまいました。
「お父さま?」
「……」
再び呼び掛けても、父は黙ったままでした。
しばし沈黙が流れます。
父の書斎の、古くて埃をかぶってしまった時計の針の音だけが部屋に響きます。
「イルゼ……もしかしたらヘンリー公爵の方がマシだったかもしれない」
どれくらい時間が経ったでしょう。
父が重い口を開きました。
その声がとても渋いものだったので、私は不安になってきました。
父の顔はゴキブリを噛み潰した時の様に苦く険しく青いものになっています。
こんな恐ろしさに泣きそうな顔の父は初めて見ました。
借金の取り立てが来たときでさえ、父は気丈にしていたのに。
「ヘンリー公爵がマシだと思えるくらいの買い手の方、というのは?」
「それが……」
「どなたなのですか?」
「……」
ここまで言いにくそうにしている父を見て、本当の私は答えなど聞かずに部屋から逃げ出せたらどんなにいいだろうと考えていました。
でも、売られて家を助けるのは、私の仕事です。
だから私を買った人の名前を聞かねばなりません。
「……北の辺境エルフローゼのジークフロスト伯爵だ」
卒倒しそうになりました。
父が奥歯を噛みながら言ったその名前を聞いて、私は卒倒しそうになりました。
本当です。
貧乏あるあるで超が付くほどずぶとく育った私でも、名前を聞いただけで内心気を失いそうになったのでした。
というのも、ジークフロスト伯爵という人はとても恐ろしいのです。
なんというか、いつも壮絶な覇気を放っている獣のような人なのです。
相手が一般人なら視線だけで殺せてしまうような、剥き身の剣のような人なのです。
そして物語で例えるならば悪役、それもラスボスのような風貌なのです。
もっと詳しく説明しますと、ジークフロスト伯爵さまは、最近王家の戦績勲章を賜ったことでも噂の人物です。
戦いの時にしか北の辺境から出てこないことと、戦場での鬼人のごとき強さから、嘘か誠か寒い地域で生きる雪の怪物とのハーフだとも言われています。
触れる女をみんな凍死させるという噂があったり、討伐した魔物の血を啜っていたという逸話があったり、戦闘狂とか血濡れの狂人なんて呼ばれていたり、とにかく散々な評判の人です。
戦績勲章こそ賜ったようですが、彼のその評判はどちらかと言えば英雄よりも悪役に近いような気もします。
そしてそんな渦中の伯爵さまが守っているのが、過酷な土地と名高いエルフローゼ、またの名を北の辺境です。
そこは荒れた荒野と極寒の大地が有名な白の地域です。
可愛らしいウサギさんや牛さんのような穏やかな生物などただの一匹も存在しない土地です。
代わりに、殺伐とした大地を生き抜いてきた気性が荒く狡猾な生物がわんさかいます。
そんな、辺境中の辺境です。
辺境オブ辺境、キングオブ辺境と言ってもいい地域です。
なんとも、物語の最終ダンジョンに相応しそうな場所です。
ちなみになのですが、実は私はジークフロスト伯爵さまを何度も見たことがあります。
そうですね……直近で見たのは、伯爵さまの勲章の授与式に給仕として参加していた時でしょうか。
その時のことも、恐ろしく鮮明に覚えています。
綺麗な銀髪のその背の高い男性は、勲章の授与式の日だというのに魔物に襲われたと言って返り血を浴びていました。
その綺麗な顔についた凄惨な魔物の血が、ひたすら恐ろしかったことを覚えています。
伯爵さまの細面の顔の左目の大きな古傷も荒々しくて、私はひたすら笑って震えを隠していたものです。
そしてそうこうしていたら、血まみれで到着したその主賓に清潔なタオルを勧める者が誰一人としていなかったので、その時放心して逃げ遅れた私は後ろから蹴飛ばされて、持っていたハンカチを渡す羽目になってしまいました。
その時の私は、伯爵さまに手渡したお気に入りのハンカチが魔物の血で染まるのをぼんやりと見ていることしかできませんでした。
伯爵さまは「仕方がないから君にハンカチの礼をしてやってもいい……その、君の都合のいい日があるなら聞いてやってもいいが」とか何とか言っていましたが、私は恐ろしさのあまり硬直し、顔面では満面の笑顔を作っていたものの、本当は半分気を失っていました。
そして、その恐ろしい殺戮の覇気を醸す人物が、私の買い手ということなのでした。
ラスボスの風格をお持ちなのですから、勿論そのへんの借金取りなどとは恐ろしさの格が違う人物です。
伯爵さまと比べれば、そのへんの借金取りなど可愛くて頭をなでなでしたいくらいに見えてきます。
ずぶとい父が伯爵さまの話をして震えるのも納得です。
そしてその父のずぶとさを受け継いで、ちょっとやそっとのことでは動じない私でも、ガクガクブルブルしてしまうのも致し方ないというものです。
「イルゼが愛人として買われたならまだいい。だが、買い手があの辺境伯となると……彼は人を人と思わないそうじゃないか……」
「し、ししし心配のし過ぎですよ」
「だがイルゼ、彼は人も魔物も虫ケラのように殺すそうじゃないか……」
「だだだだ大丈夫です。そそそっそそんな非人道的なこと、流石にただの噂ですよ……」
「実は伯爵は、魔物と裏で繋がっているのではないかと言う話も聞くし……」
「いえ、さささささ流石にそんな魔王みたいなことはないはずですよ……」
伯爵さまにまつわるさまざまな噂を思い出してしまった私の背筋は一瞬にして凍り、最後には舌の根っこまで冷たくなってきました。
これでは呂律もうまい具合に回りません。
「だ、だだだだだだだだだ大丈夫ですって。しゅしゅしゅ出発はいつでしょう?わわわわわ私、荷造りをしなくっちゃ」
同じようなのが書きたかったんだ……。
週末の投稿が多くなると思います。




