鶏追い
(三十四)
平佐田親子と別れた後、石坊は商人風の男に従って道を急いだ。
旅姿の男は愛想よく、始終べらべらと世間話を捲し立て、石坊には馴染の大坂言葉は、途切れる暇がなかった。
「んで? おっちゃんは誰の使いやねん?」
完璧な大坂言葉で訊ねても、
「それは、秘密ですねん」
大坂人らしく、しれっと笑って見せた。
「わてのことならなんぼでも。そもそもわてが生まれたんは……」
聞きたくもない「知らないおっちゃん」の生い立ちが青年時代に入った頃、
「ここですねん」大きな門構えの一軒家に辿りついた。
口と足の速いおっちゃんに辟易としている間に、町を通り越し、辺りは田園風景。
(わんは、ほんとに密偵を返上しちまった)と、石坊はいささか自嘲気味に思った。
通された部屋は庭に面する小部屋で、大きな柿の木が石坊の記憶を刺激する。
(ここで言徳が出てきたら、わんは完璧に〝神隠し〟じゃな。永遠に堂々巡りじゃ)
思いながら庭に目を転じ、走り回る鶏が目についた。
「こらぁ~またんかいっ」
鶏を追う男が駆けてくる。
「おぉ?」
石坊に気が付いた男がにかっ、と笑い、
「おう、よう来た。おまんが石坊?」
手拭いで額の汗を拭った。
「すまん、すまん。つい……夢中になってしもうて」
茶菓を運んできた女に、軽く会釈をしながら男はがぶり、と茶を飲み干す。
(なにもんじゃ……)
石坊はまじまじと男を見つめていた。
*
夢で見た通り、船を下りる直前の石坊に、平佐田は息子の肩に手を置いたまま、すまなそうに言った。
「おいの代わりに、ちぃと人に会うてくれんか」
本土の密偵としての報告が残っているという。平佐田の〝本土の密偵〟は事実として残っているらしい。ただ、此度の事態は、私事であるし、海底に沈んだお宝とは無縁であるから、平佐田としては、話すことがないと言う。
「我が子を迎えに行っただけじゃからな」
実は大いにお宝に関係があった……というより、お宝騒動と言っていいほどの事件だったとは、平佐田が知るところではない。
「おいはどうもお偉い様は苦手で……。報告書は文書にして送っておいたんだがどうも……御方様は島に興味がおありでな、〝黒御子様祭り〟の模様をじかに聞きたいとおおされて……」
どうにも歯切れの悪い平佐田に、(んでっ、御方様とは誰じゃい!)石坊が訊ねようとして、
「やぁ、やぁ。えらい待ちましたわ、わても後の仕事があるんやよってに、はよいきまひょ」と邪魔が入った。
折しも迎えに来た滋子が、言徳を勢いよく抱きかかえて、ひーひーと泣きだし、平佐田もそっちに夢中となって、石坊は一人、取り残された形となった。
「この人が、自分の代わりなん?」
見知らぬおっちゃんの問いに、平佐田が適当に頷いて、石坊は訳も分からなく連れ去られた次第だ。
どこへ連れて行かれるかの、不安はあったが、命の危険はなかろうとみた。
〝黒御子様祭り〟の模様が聞きたいだけというのであるから、石坊が見た通りを語って聞かせればよい。一日遅れた理由は、硫黄のせいだと言えば通る。
母国からの沙汰が届かなくては、石坊も動きがとれない。
伊王丸様の教育係という仮の立場は、現実となって、お館様の中に根付いている。但し、琉球王がどうなっているかは、石坊には見当もつかない。その点は那医からの報告を待つしかない。本土の家もあるのかないのか。
しかし、〝でかい後ろ盾〟のある石坊は、あまり心配していない。何とかなるだろう。
差し当たってすることがない石坊である。平佐田の代わりに、報告に出向いても、何の問題もない。
(ちぃと、気にかかるんは……夢で見た通りの柿の木じゃな。ここになんぞあるのかもしれん)
柿の木に孔雀がいないことを確認し、一人頷いた石坊だ。
*
「おまん……いい目をしちょるな。どこのもんじゃ」
羊羹を食いながら、男は石坊に訊ねた。
年の頃は二十四、五か。気さくに話しかける男だが、ただの郷士の子息ではあるまい。立ち居振る舞いに隙がない。穏やかに笑っている切れ長の目は、底知れぬ何かを湛えているかに見えた。秀でた額がいかにも賢そうだ。
石坊か、と声を掛けたからには、この男が〝報告〟を待つ男。
どこのもんじゃと、訊ねる意味は……
石坊に緊張が走る。長年の密偵の本能が、石坊に面を被せた。
「儂は、玄海様の弟子です。山川薬園で見習いの見習いをしちょります。島には薬草が多くありますから、此度の祭りに同行させてもらいました。薬園師頭であられる玄海様は薬草の仕分けに忙しく、ろくに祭りを見ておらません。そいで儂がその……」
緊張が続かんとばかりに苦く顔を崩し、頭の後ろを困ったように掻く。顔が熱くなる仕組みは、石坊にもわからない。本能が身を守っているのだ。
赤い顔で、居場所に困った少年は、いかにも毒のない素朴な田舎者。口の利き方も上手くはない。取るに足らぬどこにでもいる少年だ。
もじもじと床に目を落としたままの石坊に、男は黙って茶を啜っているようだ。ケコッ、と鳴いた鶏に、
「ふむ。なかなかに逃げの上手いやつじゃ」
からからと笑った。
またまた、ひやり、とする石坊に、
「あの鶏はな、なかなか捕まらん。儂はずっと遊ばれっ放しよ。まぁしかし、鶏追いはいい運動になる。外出がままならんのでな、家に籠ってばかりでは、体がなまる」
家に籠る? 確かに郷士の子息には見えぬが、客人であれば籠っている必要もなかろう。
(この男いったい……)
もじもじしながら石坊は考える。平佐田は大殿の密偵だと調べは付いているが、大殿はもうこの世にはいない。
石坊が探った限り、那医の言う通り、平佐田は〝お宝〟が何であるか知らずまま。大殿宛てに送った報告書には、島の〝夕刻の隠れん坊〟に関する話と、〝神隠し〟の謂れ、海に沈んだ皇子様の話が綴られているのみで、戦のいの字も出てこない。
(これじゃあ、シーボルト先生と同じじゃ。本でも書くつもりか?)
と、呆れたものだ。まぁ、大殿は変わり者だというし、植物の本にも力を入れているくらいであるから、神話の本を編纂してもおかしくはない。にしても、相も変わらず倹約が続く中、損にも得にもならぬ神話の編纂など、誰が受け継ぐものであろうか。
「食わんか?」
男が促す羊羹にはそそられる。高級品だ、飛びつきたい思いをぐっと堪え、膝に置いた拳に力を入れた。おどおどと首を振る。久し振りの密偵の面だが、悪くはない。
「よかろう。わかった」
何がわかったのか、男は石坊が気を残した羊羹に手を伸ばし、ぱくり、と口に放り込んだ。
「なるほど大御所様の密偵は、人を重んじる人物らしい。おまんはなんも聞いとらんようじゃな、このままでは時が無駄となる。儂は結構気が短うてな。家督を譲られんには、そんな理由もあろうよ。しかも好奇心だけは人一倍ある。危ういと思われて当然よ、弟は生真面目な男じゃ」
弟? お家騒動か。良くある話だが、家人が巻き起こすお家騒動は、大家に限られる。立派な郷士の家に身を寄せる男は、そんじょそこらの〝跡取り〟ではなかろう。石坊の世渡りの知恵が騒ぎ出す。
足場はでかければでかいほうがいい――
神様がくれた居場所は実にありがたい場所だ。が、今のところ不安定である事実に変わりはない。親父と弟を望むのであれば、とりあえずでも足場は欲しい。密偵に足場はない、先を進んだ者が、確たる足場を確保しておかなければ、いずれ全員が水底に沈むだけだ。
言葉を選んで口に運ぼうとして……
やめた。諦めたのだ。顔を上げた石坊を待っていた目は、全てを見抜く鋭さを持っていた。もぐもぐと羊羹を味わっている口元に、石坊は全神経を集めた。
ごくり――
何杯目かの茶で一息つき、男はにかっ、と笑った。
「琉球国は、よかとこじゃと聞いちょる。おまん、王とは面識があろう、儂を招いてくれんかの?」
石坊は、またまた真っ白な〝神隠し〟の中に放り込まれた気分となった。
(三十五)
間抜けにも二人で強者の鶏を鶏舎に放り込み、一息ついて縁に腰掛ける。
「おまん、よか男じゃの、気に入った」
からからと笑う男に、石坊は魅力を感じていた。おいどんじゃ――
爽快で屈託がない。質の良さと懐の深さ、おそらくは計り知れぬ知識を詰め込んでいるであろう秀でた額は、まだまだ新しいものを求めている。
「儂はな、父親から疎まれる嫡男よ。父上は儂が気に入らんらしい。大祖父様に似ちょるからだと言うもんもあるが、儂は儂じゃ。媚びる必要はなかが、父上には、儂を見てもらわねばならん。だからこその鶏追いよ、鶏は飛びはせん。地に足をつけて生きちょる。よう知っとるぞ、庭のこつは、鶏に聞けじゃ」
またまた、からからと笑う男は掴みどころが一切ない。が、実に楽しそうな様がいい。ついつい、引き込まれてしまう感じは、密偵に徹した石坊には新鮮な感覚だ。
「ここには、弟の計らいで身を寄せた。世間が思うより、儂ら兄弟は仲が悪くはない。仲が悪いは周りの大人たちだけじゃ。弟はよか男じゃ。色々と煩い者どもから儂を守ってくれる。薩摩男の心は一つじゃ。この国を守るはおいどんじゃ。心意気の確かなもんが一つに纏まれば、怖いもんはない。儂らは、その一歩となる」
さらり、と言ってのける男に気負いはない。石坊はただ、耳を傾けるのみだ。
「又三郎に普之進……。儂ら兄弟は、そう名乗っておこうか。色々と支障があってな、おぉ、そうじゃ、啓作とは先日、会うたぞ。あれもまた、よか男じゃな。大きな群れを成そう、嘘のない男じゃ」
予想はしていたが、聞けば背が震える。噂は耳にしている、大殿が溺愛した男子……
利発で、好奇心旺盛で、礼儀正しく、学識のある見目麗しき日本男児――
大層な気に入りようだと、啓作がちょっと拗ねていた、シーボルト先生が褒めちぎった少年。大森の会見で大殿が自慢げに連れていたという少年は――
大層な〝おいどん〟となって、石坊の目の前にいる。
本来、石坊ごときが御目見できるような相手ではない。色々と揉めてはいるようだが、目の前の御方様は、いずれ国主となるは必然。御方様は島津一族の中で唯一、徳川家康の血を引く御方であり、将軍家からも期待を集めている人物だ。
「儂はな、何でも知りたい。人を束ねるには、多くの知識が要る。また、過ぎ去った歴史には、先人からの教訓がある。それを拾うには、やはり……知識が必要じゃ。世は一人では成り立たん。力を貸してくれる者たちに耳を貸す器でなければ、人の上に立つことはできんものよ。儂は今、逃亡者のような身の上よ。表に出れば騒動が起こる。故に鶏追いに精を出しとる次第じゃ」
切れ長の目に強い光が宿る。
(こりゃあ大した男じゃ。琉球王も、お館様も……とても太刀打ちできるような男じゃない)
鶏を追っているという、この男は既に、領地に多くの放し飼いの鶏を所有しておろう。啓作のような大人しい鶏ばかりではあるまい。闘鶏のような血の気の多い鶏も多くいるだろう。
(鳥は存外、侮れんからな)
経験済みの石坊には、身に染みている。
「言い出しのおまんが、いったい何に巻き込まれたか。儂の興味はそこにある。儂は結構頭が柔軟じゃ。何を聞いても驚かんよ。おまんは良い目をしちょる。嘘を吐くような男じゃなか」
じっと石坊を見据える男の目は、真っ直ぐで、揺るぎがない。石坊の胸が騒いだ。
居を正し、石坊は、がば、床に額をつける。
「お見逸れ致しました」
「わかってくれたか。して……話してくれようか」
本物のおいどんは、請うように尋ねる。
「勿論でございます。殿、わんを、殿の鶏にしていただけましょうか?」
石坊が心底から願えば、
「おぉ、殿は早いよ。儂は、ただの鶏追い男じゃ」
またまた、からからと楽しそうに笑った。
(三十六)
「ふぅむ……」
語り終えた石坊に、御方様は顎を撫でながら唸った。
時折、質問を挟むのみで、御方様は静かに石坊の話に耳を傾けた。途中で石坊が言葉を探して黙り込むと、優しく笑った。
「構わんよ、おまんの言葉で語るがいい。儂もちぃとは、琉球国の言葉は理解できるつもりじゃ」
ついつい夢中になって話すと、やはり国の言葉になる。なんだかんだ言っても、石坊は〝うちなんちゅ〟の神の元に生まれた〝白い子供〟なのだと、改めて感じた。
既に日が傾きかけている。庭の柿の木が、さわさわと風に揺れた。
「羨ましい……」
御方様の感想は、そこらしい。しみじみと目を細めて庭を眺め、何度も独り言のように呟いた。
さすがは大殿の曾孫様だと、石坊は必死に笑いを堪えた。
「よか話を聞いた。ふむ。ほんによか話じゃ」
「し、しかし。御方様、琉球王は動きませぬ。御子様は島神様として島に眠り、お館様に至っては、戦など心にもありませぬ。島人は島神と共に日々を生き、決して本土を狙うような……」
慌てて言い募る石坊に、
「儂の言うとるんは、そげな他愛ない話ではなか。神のおわす島に、剣呑な動きなど、あるはずもなかろ。石坊、おぅ、石仁と呼んだほうがよかかね?」
「ははっ」
石坊は慌てて頭を下げる。
「神に失せ物を探してもらえるとは、おまんは実に果報者じゃな。しかも、神の御使いに蹴られるとは……儂も、かような経験をしてみたい」
やはり、変わり者だ。
「戦はいかん。儂らが〝お話〟として涙する、戦の幼き犠牲者は、孤独の中に閉じ込められておられたのだな。永き時を、たった一人で。淋しかったことであろう。辛かったことであろう。一人では、人は生きられぬ」
御方様の言葉に、石坊の脳裏に、かつての〝群れ〟の面々の面影がぼんやりと浮かび上がった。
「遺していく者、遺されていく者、無念の思いは、人の良き心を隠してしまう。神は、それが悲しいのであろうよ」
那医の心配顔、賢坊の不安げな顔に、目を背けてきた己の愚行を心に思う。
「信じる心が神を生む。心を開く者にのみ、神は時にお姿を現される。『おまんは一人ではない。友は必ず現れる』……」
島の〝群れ〟の朋輩たちの顔が浮かぶ。じっと信じて待ってくれる者がいる。そこがきっと、帰る場所だ。
「全てを背負わされて、孤独に耐えた幼き童は救われた。同じ過ちを犯してはならぬ。人は一人では何もできぬ……」
さわさわと風が庭の木々を揺らし、
――も~い~かい――
いずここから、子供の声を運んでくる。
「神が先か、想いが先か……未熟者である儂には、わからん。だが、集まる想いが良きものであれば、先にあるは幸であろう。おまんの言う通り。子は白く生まれるものであろうな。神が好むも頷ける。泳ぐ海が澱んでいては、せっかくの白が、台無しじゃ。儂は既に大人じゃ、白くは戻れん。だが、できることもある。白い子供を白のまま、澱んだ海を一掃し、澄んだ海を作ってやることじゃ。〝隠れ里〟はあろうよ。神の許す者だけが暮らす里……。人の希望はそこにあるのやもしれん」
幸のある里、隠れ里……人それぞれに想いは違う。人は誰でもそれを目指し、汚れる己を拭いながら友と一緒に目指すのであろうか。とても一人では辿りつけない里――
――ま~だだよぉー
子供たちの声が答え、散っていく笑い声に柿の木が笑った。
――END――
最終部分を、追加編集という形で終わらせてしまいました。お読みくださった方々に御不便をおかけしてお詫び申し上げます。m(_ _)m
大長編となりましたが、最後までお付き合いくださり、有り難うございました。
まだまだストックはありますので、また、お立寄りください。




