ツンデレの氷雨さんは、ツンが上手くいかない
最近、氷雨さんの様子がおかしい。
「…………」
授業中、彼女は、じっと俺を視てくる。
いつものジト目だ。
目を細めて頬を赤らめた彼女は、俺の顔のなにが楽しいのか、授業なんてろくすっぽも聞かずに見つめてくる。
「あのさ」
俺は、彼女の方に目をやる。
「どうしたの? なにか、聞きたいことでもある?」
「……え?」
小声で話しかけると、彼女は、教科書を逆さまにして顔を隠した。
「いや、こっち視てるから、なにか聞きたいことでもあるのかと思って」
「せ、1549年に鹿児島に到着し、キリスト教の布教を行った人物は?」
「フランシスコ・ザビエル……今、英語の授業中だけど……」
「……予習復習は、大事だから」
耳を真っ赤にした彼女は、数学の教科書に顔を埋めたまま、俺の様子をちらりと窺った。
やはり、氷雨さんの様子がおかしい。
氷雨さんと言うのは、隣の席の氷雨恋のことだ。
彼女の母親はイングランド人で、父親は日本人である。
所謂、ハーフなのだが、大変珍しいことに髪の色は金色で、目の色は深い青だ(メンデルの法則が云々で、ハーフの子が金髪碧眼で産まれてくるのは類稀なことらしい)。
陽光を浴びた彼女の髪は、黄金みたいに映える。角度によって、蒼い瞳は宝石のように艶めく。美人とイケメンの両親の遺伝は、余すところなく受け継いだのか、スラリとした長身と美形には、思わず圧倒されてしまう。
高嶺の花には近寄りがたいのか、高校入学当初の彼女は、孤立していることが多かった。
綺麗に背筋を伸ばして、無表情、文庫本を読み耽る彼女には、実際、近寄りがたい雰囲気があった。感情を露わにすることが殆どないので、名字と合わせて『氷姫』なんて呼ばれていたこともある。
当時の俺は、学級委員だったので、担任に頼まれたこともあり、色々と世話を焼いていたのだが……警戒されてしまったようで『貴方のことなんて、好きじゃないから』とまで、釘を刺されることが多かった。
『別に、待ってないから……こんな暗くなったのに、女の子をひとりで帰らせるつもり……?』
図書館で宿題を片付けた後、偶然、彼女と鉢合わせした時には、暗に『学級委員としての務めを果たせ』と叱られ。
『柊さんとなに話してたの……? 付き合ってたりしないよね……学級委員の仕事で忙しいでしょ……?』
クラスメイトの女子と話した時には、暗に『学級委員の職務を放棄して、女子とイチャつくなんて良いご身分ね』と言われ。
『偶然ね、八宮くん。たまたま、同じ映画館で出くわして、思いがけず、同じ映画を視ることになって、図らずして隣同士でカップルみたいに映画鑑賞することになるなんて。
貴方に買ってきたわけじゃないけど、ジュースとポップコーンも、期せずして二人分あるから食べればいいんじゃない?』
休日に映画館で出くわした時には、暗に『もしかして、わたしのこと尾けてきたわけじゃないでしょうね?』と探りを入れられ。
『日曜日、わたしの家に来て。
なんでって……ただの感謝の気持ち。普段、お世話になってるから。それ以上の意味なんて、これっぽっちもないから。全くないから。パパとママになに言われても、気にしないでいいから』
日曜日にお呼ばれした時には、氷雨さんのご両親から『いつも、娘の面倒をみてくれてありがとう』、『娘のことはどう思ってるのか』、『ふたりは、付き合ってるのか』、『今日は、泊まっていったらどうだ』と詰められ、暗に『コレはテストだ。カワイイ娘に手を出したら殺す』と試された。
俺も男なので、一時期は、勘違いしたこともある。
氷雨さんって、俺のこと好きじゃね……?
でも、一度は『貴方のことなんて、好きじゃないから』とまで言われているし、男の勘違い程見苦しいものはないと母も言っていた。
そもそも、氷姫とまで言われている氷雨さんが、俺を好きになるとは思えない。
まぁ、勘違いか。
妙な噂が立てば彼女の迷惑だと思い、俺はなるべく氷雨さんに関わらないようにすることにした。
昼休みに一緒にお弁当を食べたいとリクエストがあったり、家に遊びに来るように誘われたり、放課後に待ち合わせて一緒に帰りたいと言われたりしたが……本当に必要なこと以外は、全て、断るようにした。
適切な距離を保ちつつ、俺は、学級委員としての務めを果たした。
時はいつしか流れ、俺たちは高校二年生になり――氷雨さんの様子がおかしくなった。
授業中には見つめてくるし、持ってきてくれる弁当には『♡』が描かれているし、どこに行くにしても俺の後をついてくる。
ひとりでいる時は常に無表情だったが、俺と話している時には、表情が豊かで溌剌としている。
おかしい。コレではまるで、氷雨さんが、俺のことを好きみたいじゃないか。
「八宮くん」
放課後、帰ろうとした俺は、氷雨さんに話しかけられる。
「いっしょに帰ろ……?」
「別に良いけど、なんか用事でもあった?」
「別に用事はないけど、八宮くんと帰るって用事があるだけ」
それ、単純に、俺と一緒に帰りたいって言ってない?
やっぱり、氷雨さんの様子がおかしい。
以前の氷雨さんだったら『別に……貴方と帰路が同じだけ。一緒に帰れば、安全性が上がるでしょ』とか無表情で言っていたのに。
「氷雨さん」
氷雨さんと並んで歩きながら、俺は、彼女に探りを入れることにした。
「最近、変だけど、なにかあった?」
「…………」
「氷雨さん?」
「…………」
ぽうっとした表情で、俺のことを見つめていた氷雨さんは、思い切り水たまりに踏み込んだ。
「ひ、氷雨さん……?」
それでも、気にせず、俺を見つめたまま歩き続ける。
「ひ、氷雨さん?」
にへらと口元を緩ませたまま、氷雨さんは、住宅の壁に身体を擦り付けながら歩く。
「氷雨さん!?」
そして、思い切り、電柱に頭をぶつけた。
慌てて駆け寄ると、激痛で屈んだ彼女は、両手で頭を押さえていた。
傷の程度を確認しようと、頭に触れた瞬間――彼女は、後ろに飛び跳ねた。
「ひゃっ!!」
「あ……ごめん、触られたくなかったよね?」
そっぽを向いた彼女は、ぶっきらぼうに言った。
「別に、触れられても問題ないどころか大歓迎だから。貴方に頭を撫でて欲しいと思ってるけど、特段、不思議でもなんでもないから」
「え……俺に、頭、撫でて欲しいの……?」
「そうだけど。なにか、変なこと言っ――」
ようやく気がついのか、彼女の顔が、見る見る間に真っ赤になっていく。
「ち、ちがっ!! ちがうちがう!! ケアレスミス!! ケアレスミスだから!! 文法上の誤りをつくなんて卑怯!!」
「い、いや、なにも言ってないけど……文法上の誤りも見られなかったけど……」
すくっと、立ち上がった彼女は、髪の毛を掻き上げる。
「気にしないで」
「額、腫らしながら言われても……」
無表情の氷雨さんは、両手で自分の額を隠す。濡らしてきたハンカチを手渡すと、彼女は、ソレで患部を冷やした。
「いや、さすがに気になるでしょ……最近、どうしたの? なにか、悩みでもあるなら相談にのるけど」
じとっとした目で、睨みつけられる。
「別に、貴方のせいだから、貴方には関係ない」
「俺のせいだから、俺には関係あるよね!? さっきから、どうしたの!? さすがに文法上の誤りが激しすぎるけど!?」
「なら、一緒に解決してくれるの?」
ちらちらと、俺を窺いながら、彼女はつぶやく。
「もちろん、俺に出来ることなら。
長い付き合いでしょ、俺たち。遠慮しないで、なんでも相談してよ」
「最近……」
ぼそりと、氷雨さんはささやく。
「八宮くんが、素っ気なくなったから」
「え?」
「いつも、お昼休み、一緒にお弁当を食べてたのに、分かれて食べるようになったし……家には、遊びに来てくれなくなったし……放課後、待ってたら『待ってなくても良い』って言われるし……わたしのこと、嫌いになったのかなって……」
哀しそうな彼女の表情、疑問が氷解して、俺は慌てて声を上げた。
「いや、違うよ! ただ、俺たち、額面上は男子と女子だし! 妙な勘違いをされたら、氷雨さんが困るかなって思って!」
そうか、氷雨さんは、自分が嫌われたと思って不安に思っていたのか。
俺の配慮が足りなかった。
徐々に、氷雨さんの態度も軟化してきて、クラスの女子たちとも話せるようになってきていた。もう、俺の手助けも必要ないだろうと思って、意識的に距離をとってきたわけだったが、あまりにも急すぎたのだろう。
最近、氷雨さんの様子がおかしかったのは、彼女の不安が言動に表れていたからだ。この原因を作っていたのは、彼女の言う通り、俺のせいだったのだ。
彼女を気遣って、徐々に、距離を開くべきだった……間違いなく、俺のミスである。一度、引き受けた以上、氷雨さんが独り立ちするまでの間、彼女のサポートに徹するのは当然のことだった。
「じゃあ、わたしのことは嫌いじゃないの……?」
「うん、もちろん」
ようやく、問題が解決した俺は、笑顔で答える。
氷雨さんが、俺のことを好きだなんて、とんだ勘違いだった。こうして、勘違いも解消されたので、いつもの彼女に戻ってくれるだろう。
コレで、なにもかも元通――
「なら、わたしのことが好きってことね」
「えっ」
顔を赤くした彼女は、恥ずかしそうに俯いた。
「いや、だって、八宮くんは、わたしのことが嫌いじゃないんでしょ?」
「え、うん」
「なら、好きってことでしょ?」
「も、もちろん、友達とし――」
「相手の異性を友人だと思っていても、恋愛対象として見ているときと同じ脳の領域が反応するんだって。
つまり、八宮くんは、わたしのことが異性として好きってことだよね?」
今、俺、とんでもない追い詰められ方してる。
「な、なら、氷雨さんは、俺のことどう思ってるの?」
「えっ!?」
返す刃で斬りつけると、彼女は、思い切り狼狽する。
「べ、別に、貴方のことなんて好きじゃないから……」
やっぱりなと、俺は、苦笑して――
「ただ、大好きなだけだから」
思い切り、吹き出した。
「え? つまり、俺のことが好きってこと?」
「す、好きじゃない……」
「でも、大好きなんでしょ?」
頷いた彼女は、両手を突き出して「ま、待って! タイム!!」と叫ぶなり、電柱の裏に隠れた。なにやら、スマホをいじっている。誰かに連絡をとるつもりなのだろうか。
俺のズボンの中で、通知音が鳴る。
確認すると、氷雨さんから、メッセージが飛んできていた。
『ママ!! 八宮くんが、わたしのこと好きだって!! やっと、言ってくれた!! ずっと好きだったから夢みたい!! 本当に大好き!! 今日も格好良いから、まともに目も見れないもん!! これから、どうすれば良いと思う!?』
……盛大に誤爆しとる。
俺は、彼女にメッセージを返す。
『ママの代わりに、アドバイスした方がいい?』
既読がつく。メッセージが削除される。
電柱の裏から、猛ダッシュしてきた氷雨さんが、首筋まで赤く染めて叫んだ。
「ウィルスだから!! スマホ、乗っ取られただけだから!!」
「え、なんのウィルス?」
「インフルエンザ!!」
「スマホが、インフルエンザかかるわけねーでしょ!?」
氷雨さんは、もじもじとしながらつぶやく。
「い、言っておくけど、好きじゃないから……」
「でも、大好きなんでしょ?」
「う……ぅぐ……」
歯を食いしばって、涙目になっている彼女を視て、俺はようやく自分の気持ちに気がついた。
「俺も、氷雨さんのことが好きだよ。異性として」
すんなりと、言葉が出てくる。言ってしまえば、あっさりと、自身の押し殺してきた感情が湧き上がってくるみたいだった。
なるほど、俺は、氷雨さんが好きだったのか。
「わ、わたしなんかで……いいの……?」
「うん」
「だって、わたし、素直になれなくて……き、きっと、これから、八宮くんにいっぱい迷惑かける……酷いことも言っちゃうかもしれない……ママが『そんなツンツンしてないで、もっと、彼に、デレデレした方が良い』って言ってたけど……そういうの苦手で……好きなのに、ちゃんと好きって言えないかも……」
「言わせるよ、頑張って。
だから、俺と付き合ってくれませんか?」
潤んだ瞳で、氷雨さんは、俺を見つめる。
「べ、別に」
そして、言った。
「貴方と結婚してあげてもいいんだからね!!」
「デレデレじゃねーか!!」
俺たちは、こうして、付き合うことになった。
それ以降――ツンデレの氷雨さんは、ツンが上手くいかない。