書類整理魔法使いとワインの夜
「さて、そろそろ食事に行くか」
「はい」
外に食事に出るために、コートを手に取るユーリの後ろにメルはてくてくと近づく。
「今夜も寒そうだ」
「そうですね」
ドアを開けると、外は薄暗い。冷たい風がメルの体を震わせた。
「うう、寒いですね」
「んー、今夜は鍋だな」
「鍋いいですね~。魚介の鍋とかいいな」
「じゃあそれで」
そんな事を話しながら2人は近所の定食屋(リンゴ亭)に向かった。
「あ、いらっしゃい~」
「こんばんは、リンゴさん」
「いらっしゃい、メルちゃん。外寒かったでしょ」
「はい、とっても」
「リンゴさん、腹減ったんで美味いもん食わしてください」
「はいはい」
「魚介の鍋お願いします」
「お願いします!」
「魚介鍋ね。かしこまりました」
注文を終えるとメルはテーブルに飾ってあるマーガレットを見つめながら、ほうっとため息をつく。
「今日も無事終わりましたね、ユーリさん」
「ああ、とりあえずな」
そう言い、ユーリもため息をつく。
「とりあえず、ですね」
「ああ、とりあえずだ」
「明日もいっぱいやることありますね」
「ああ、明日も10日後も、100日後も、その先もな」
「……そうですね」
「仕事がたくさんあって嬉しいな?」
ユーリが片方の眉毛を上げてニヤリと笑った。
「あー、本当、嬉しすぎです」
「しかも俺と2人きりだぞ、明日も10日後も、その後も」
「あはは、嬉シイナ、オトコマエなユーリさんと、ヒトツ屋根の下デスネ」
「そうかそうか、嬉しいか」
「はい……。なんか涙出そう」
カタコトな事にツッコミを入れてもらえなかったメルはそのまま机に突っ伏した。
「やだ、なに? また、メルちゃんイジメてるの? だめよ~、可愛いからってイジメちゃ。いつか嫌われるわよ」
「イジメてなんていませんよ。可愛がってるんです」
「そういうとこ、まったく。はい、お水。メルちゃん~、お水よ~」
「あ、ありがとうございます」
メルはリンゴにもらった水をぐびぐびと飲んだ。
「はあ、干からびた心が生き返る」
「ふふ、お水で大げさね。それで、仕事ははかどってるの?」
「ま、まあ……」
「そうですね、このまま順調にいけば、あと100年くらいで終わるんじゃなんですか」
「はぁ? 100年って、それって順調なわけ?」
もっともなリンゴの感想にメルは苦笑いする。
「書類の量が多すぎて、おまけに2人しかいないので、なんとも」
「まあ、毎日続けていればいつか終わるだろう」
果たしてあれは終わる仕事なのだろうか? メルはそんな事を思いながら、なぜ自分がこの途方もない仕事をすることになってしまったのだろうといつものように頭を抱えたくなった。
☆
「えええ! 私が、魔法書類倉庫で、書類整理ですか?」
「そうそう」
ほっほっほっと自身の長い長いヒゲを撫でつけながら、人の好さそうな笑顔をメルに向けるのはメルが通う魔法学園の学園長パピルス。
「ほれ、あの倉庫、今わしのひ孫が働いとるじゃろ。いろいろあってひ孫が1人で切り盛りしてるんじゃが、いかんせん1人じゃ一生終わらんと、ひ孫がキレてな」
ほっほっほっと、笑いながらメルの肩に手をそっとのせる。
「誰かいいやつはおらんのかと怒り狂っておっての。そこで、メルの出番じゃ」
パチリとウインクするとメルの顔を優しく見つめる。
「メルの誰からも魔力の影響を受けない体質が大活躍じゃ。どうじゃメル。わしのひ孫のために一肌脱いではくれんかの」
いつも通り優しい雰囲気ながら、なぜか力強い圧を感じる。
魔力のエネルギーの影響をほとんど受けないメルを、魔法で操るのはほぼ無理な話だ。でも、この時のメルはなぜか体が金縛りにあったように動けなくなってしまった。
パピルスの優しそうな笑顔をしばらく見つめていると、メルが否定しないのは肯定の意味と受け取ったのかパピルスがうんうんと嬉しそうにうなずいた。
「そうか、そうか。やってくれるのか。ありがとうメル」
パピルスは自分の机の引き出しからなにやら封筒を取り出すと、メルに手渡す。
「仕事内容が書かれている書類や契約書が入っておる。まあ、詳しい話は今から倉庫へ行くのでな、ひ孫から説明があるじゃろ」
メルが、え? っと思うと同時にパピルスに肩を抱かれる。
「移動魔法を使うからしっかりつかまるんじゃぞ。ほれ」
質問も疑問もあったもんじゃない。メルが一言も発しないうちに、メルはパピルスにより魔法書類倉庫へ連れていかれてしまった。
☆
「おーい、ユーリ。じいちゃんだぞ~」
突然の移動魔法に頭が少しふらふらしているメルをささえながら、パピルスは魔法書類倉庫の扉をトントンたたく。
ふらふらが落ち着いてきたメルは、目の前の建物をしみじみと見上げた。倉庫と言っても、なにやら神殿のような神々しい雰囲気の建物だった。メルはあまりの素晴らしさに思わず見とれてしまう。しばらくすると、倉庫の重厚そうな扉が音をたてながら開いた。中から人が顔を出す。
「……パピルス学園長。何の用でしょうか?」
「ほれ、新しい助手じゃよ、助手」
「助手?」
不機嫌そうにそう言うと、声の主が扉の中から姿を現す。
メルは恐る恐る不機嫌そうな声の主へ目線を向ける。
そして、びっくりしたのだった。中から出てきた人がこれまたあまりにも素敵な人だったからだ。
長身ですらっとしている。さらさら綺麗な黒髪、けだるそうな表情だが、とてもきれいな青い瞳。そして、今まで見た誰よりも整った顔をしていた。服装はシャツにズボンとシンプルな装いなはずなのに、何故だかやたらにカッコイイ。これは、大変なことになったぞ……! と、嬉しさではなく、体が震えた。
「誰なんですか」
「学園の生徒なんじゃが、魔力が少なくてな。なかなか就職先が見つからんで、ほれ、ユーリが助手を探しておっただろう? いいタイミングじゃったよ」
ほっほっほっと笑いながら、メルの肩をそっと押す。
「このこはメルじゃ」
「はあ」
「なーに、気のない返事をしとる」
「そう言われましても。しかも女子生徒を押し付けてくるなんて、何考えてんですか……」
そう言って下を向きため息をつくユーリを見てパピルスは、ほっほっほと笑い続ける。
「気が付かんのかユーリよ」
「はい? 何がですか」
「メルじゃよ。メルはここにきてまだ一言も発してないんじゃよ」
この意味が分かるかの?
パピルスが優しくそう言うと、ユーリがはっと顔を上げメルを凝視する。
「どうじゃユーリよ、メルは何も言わんぞ」
「そんな……」
ユーリは鬼気迫る雰囲気でメルに近づく。メルはびっくりして思わずパピルスの後ろに逃げようとする。その時ユーリの綺麗な青い瞳がキラリと光った気がした。
「こらこらユーリよ。メルが怖がっておるじゃろ」
「いや、でもしかし」
「ほれほれ、落ち着け落ち着け」
ユーリの方へ腕を出し、少し下がらせると、パピルスは笑いながらメルを見る。
「すまんの、怖がらせてしまったのメルよ。こやつがわしのひ孫で、ユーリじゃ。ユーリはこの通り男前でな。ご婦人方からモテモテなんじゃ。いや、男性からもモテモテじゃったかの? それもこれも、ユーリはわしの若いころにそっくりでな。ちなみにわしの方がモテモテだったんじゃがな。ん? なんじゃユーリその顔は」
「あの、その話どうでもいいんで」
「なんじゃと、冷たいひ孫じゃまったく」
ユーリがため息をつくと、メルをじっと見つめる。
「この女子生徒は」
「メルじゃよ、メル」
「……メル……さんは、俺の魔力に影響を受けないんですか?」
「そういうことじゃな」
ユーリが右手で顔をおおうと、大きく大きく息をはいた。
そして、不機嫌さを隠さないままパピルスを見る。
「こんな生徒がいたんなら、何故さっさと紹介しなかったんですか!」
「そりゃ、まだメルが生徒だったからの」
「生徒って、そりゃそうでしょうが、どうにかしようがあったんじゃないですか? 俺がどんなに大変だったか知ってるでしょう?」
「だから連れてきたんじゃろうが」
「くっ、……そうなんですが、そうではなくて」
「ほれほれ、それよりそろそろ中へ入れてくれんかの?」
そう言うと、了解を得ずにパピルスはメルを連れて倉庫の中へスタスタ入っていた。メルを優しくエスコートしながら、パピルスは話し出した。
「ユーリは魔力が強く、特殊な体質から無駄に魔法使いを魅了してしまう質でな」
ほっほっほとパピルスは笑った。
「魔力感知できる者にとって、ユーリは目にハートがいくつあっても足りないくらいキラキラした目線で見てしまう麗しの君なんじゃよ。ただでさえも男前でモテモテなのにのう。ほれ、ようはだれかれ構わず魅了してしまう天然タラシ男」
「ずいぶんヒドイ言いようですね」
後ろからついてきたユーリがぼそっと言った。
「ほっほっほ。わしはそんな体質なくても、お前よりずっとモテておったんじゃよ。性格かのぉ?」
「はいはい」
「ユーリは魔法の才能は天才的だし、頭も良い、なのに、この体質のせいで、できる仕事が限られてしまうんじゃ。やっといい仕事と巡り合えたと思ったら、今度は一緒に仕事する相手が限られてしまうという問題が発生しての」
そう言うとメルを見ながら優しく微笑んだ。
「まあ、日常生活には問題はないんじゃ。ユーリがキラキラの君に見えないように、相手に影響を与えないように制御することは一応は可能なんじゃ。これから見ることになると思うがの、ほれ、ユーリの目。普段は綺麗な青なんじゃが、制御しているときは緑になるんじゃよ。制御中は影響を与えずにいられるんじゃが」
そう言うと少しせつなそうに笑った。
「年がら年中とはいかんでの、特に仕事中はそうはいかん。最初はしとったんじゃが、力を制御しながら、魔法関連の書類を的確に判断し、分類し、仕分けていく。そんなことしとったら、ユーリはどんどん精神的にも体力的にも消耗してしまっての。倒れてしまったんじゃ。それでほれ、結局、今はこのだだっ広い魔法関連の書類が国中から集まる魔法書類倉庫にユーリ1人で、毎日多すぎる書類に囲まれているって訳なんじゃよ。だがのお、まあとにかく国中から書類が山のように集まるもんでな、このままじゃ世界が終わるその時まで仕事し続けないと終わらなそうな勢なんじゃ。そこで、メルにお願いしたいんじゃよ。誰かの魔力の影響をあまり受けないという体質をもっとるメルに、ユーリの助手になってもらいたいんじゃ」
そういうことかと、メルはやっと自分がここへ連れてこられた理由をなんとなく理解することができた。
メルの魔力は弱く、難しい魔法などは使えないが、体質的に誰かの魔力の影響をあまり受けない。普通メル程度の魔力の持ち主は魔法学園に通うことはない。ろくに魔法が使えないのでせっかく魔法学園に通っても学ぶことが少なくあまり意味がないからだ。
ただ、メルはこの魔力の影響をあまりうけないという特異体質のため特別に魔法学園へ入学することになったのだ。
魔力も弱く、魔法もそんなに使えないメルだが、普通に他の生徒と一緒に学園生活を送っていたが、この学園長はメルの事をいつも気にかけてくれていた。こまったことはないか、勉強にはついていけているか。おかげで魔法学園での日々は大変な事の方が多かったが、楽しく過ごせたとメルは思っている。
でも、まさか、それで、こんな日がくるなんて……、とメルは頭を抱えたくなった。確かにろくな魔法が使えないせいで、メルはなかなか就職先がみつからないでいた。それでも高望みしなければいくらでも仕事はあるはずと、あまり悩んではいなかったのだが、学園長に就職について話があると呼ばれ会いに行ったらこの結果である。
しばらく長く綺麗な廊下を歩いていたメル達だったが、ステンドグラスがはめ込まれている美しい扉の前で立ち止まった。
「ほっほっほ、着いたのう。開けてくれるかのユーリ」
自分の後ろにいたユーリにパピルスがそう声をかけると、はいはいと言ってユーリが扉を開けた。
「どうぞお入りください」
「ほっほっほ。さ、メル」
パピルスに促され、扉の奥の部屋に入ろうとしたメルだったが、突然ピタッと動きを止め俯いてしまった。
「ん? どうしたのかのメル?」
そんなメルの顔を不思議そうに覗きこむパピルス。メルは勢いよく顔を上げパピルスに一言。
「このお話、辞退させていただくことはできるでしょうか!」
学園以降メルが初めて発した一言は、ひときわ大きく魔法書類倉庫中へ響き渡った。
☆
「結果として、辞退できなかった……」
「ん? 何か言ったかメル」
メルはうっかり考えていた事を声に出していたことに気が付きあわてて首を振った。
「あ、お魚美味しいなって。これはなんのお魚ですかね?」
「これは皮が赤いから」
ユーリが魚介鍋に入っている魚について熱く語りだした。メルは、ふぅ、気付かれていない。よかったと、内心汗をぬぐった。
結局、辞退を申し出たメルに対してパピルスの返答は「はて、最近めっきり耳が遠くなったようじゃ。今なんと言ったかの?」であった。
自分でも思ったより大きな声で言ってしまったなぁ、と内心思っていたメルはこの返答に文字通り固まってしまった。
パピルスは、ほっほっほ、中でお茶でも飲みながら話すかの。と、固まるメルを優しく持ち上げ、そのまま部屋の椅子へ座らせ、特に何事もなかったかのように話は進んでいったのであった。
そして、いま、ここにいる。
魔法学園を無事卒業したメルは結局ユーリの助手として働いている。もうすぐ働いて一年が経つ。
あの日の事を思い出すとメルはいつもこう思うのだ。私はユーリの助手になるために魔法学園に入学させられたのだろうと。パピルスがメルの事を気にかけてくれていたのは、自分の体質のためと思っていたが「自分のひ孫のため」でもあったのだろう。
そんな複雑な思いを抱きながらの仕事だったが、意外にメルは仕事自体は嫌いではなかった。
もともと、こつこつともくもくと続ける事が好きだったメルにとっては天職かもしれない。毎日の忙しさに麻痺してきた思考回路はそんな答えを導き出していた。
始めた当初はとにかくやることが多すぎてどうしていいかわからず、毎晩枕を涙でぬらしていたが、一年たった今は、とにかくこつこつ続ける。続ければいつか、かならず、おそらく、終わる、かもしれない。いや、嘘。絶対終わらないけど、とりあえず続けよう。そんな気持ちで毎日本当に少しづつだが仕事をつづけている。それに。
「やっぱり、リンゴ亭のお料理はどれも美味しいですね」
「うふふ、ありがとうメルちゃん。メルちゃんがそう言ってくれるから明日も頑張れるわ」
魔法書類倉庫の近くにあるこのリンゴ亭。ここの料理がまたとっても美味しいのだ。
メルはリンゴ亭にそして素晴らしい料理人リンゴに出会えただけでも、魔法書類倉庫で働くことができてよかったと思っている。ご飯は大切。食べるって素晴らしい。
「リンゴ亭でご飯食べるために毎日頑張ってお仕事してます!」
「まっ、ふふ。嬉しい」
メルとリンゴが楽し気に話していると、ユーリがそっと立ち上がりコートを手に取った。
「さて、そろそろ帰るか。お腹もいっぱいになったし」
「あ、はい」
「リンゴさんご馳走さま。お会計お願いします」
「は~い」
ユーリが会計を済ませると、リンゴがちょっとまってねと言って厨房へ入って行き、ワインボトルを持って戻ってきた。
「これ、常連さんがくれたんだけど、もしよければ2人で飲んで」
「え! いいんですか」
「うん、新作のワインらしいんだけど、いろんな人の感想が知りたいみたいで、ユーリさんワインお好きでしょ? 飲んだら感想聞かせてくれたら嬉しいわ」
「もちろん。ありがとうございます」
美味しい食事でお腹も満たされ、ワインももらい、メルもユーリも大変気分が良かった。
でも、お店から出た途端、冷たい冷たい強い風が体を包み込んだ。あまりの寒さにメルは身も心も寒くなる勢いだった。
「風が強い!」
思わずそう言ってしまうほど強い風が吹いていた。
「ああ、冷えすぎないうちに急いで帰ろう」
「そんな事言っても、もう冷えちゃいました」
「まったく、しょうがないな」
ユーリは左手でメルの右手をつかむと、自分のコートの左のポケットにメルの手を入れギュッと握った。
「少しはあたたかいか?」
「え! そ、そうですね」
突然の出来事にビックリしているメルを見ながらユーリは少し笑うと歩き出した。
「帰ったらこのワイン飲むぞ」
「は、はい」
急いで帰ると言いつつ、メルの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれるユーリ。
変わらず強い風が吹いているが、つないだ手が妙にあたたかい気がして、メルはもう寒さは気にならなかった。
ここ最近なぜかユーリがこのように接近してくるようになったのだ。
メルは何が何だかわからず、混乱するばかりだった。
そっと隣で歩いているユーリを見上げる。
メルは身長が低いので、隣に並ぶといつもユーリを見上げることになる。
ユーリは普段と同じような表情で前を向きながら歩いていた。
ユーリはいったい何を考えているのだろう。
ぼんやり見つめているとユーリがこちらを向く気配がしたので、慌てて視線を前へ戻すメルだった。
☆
結果として、メルはユーリに淡い恋心を抱いてしまっていた。
いつとか、きっかけとかは覚えていない。
気が付いたら、ほんわかとあたたかくメルの心に恋心が芽生えていた。
「メル、今日やるのはあのキナメルの100年前の書類だ。とりあえず俺がある程度仕分ける。メルにはそれを細分化してほしい」
「はい、お任せください」
「よろしい」
そう言って優しく笑うユーリにきゅんとときめかない事はもはやメルにとって至難の業だった。
ユーリは最初こそ、メルとどう接していいか測りかねているようだったが、メルが真面目だし、仕事熱心だと認め、メルの事を信頼するようになると、気軽にメルに接するようになった。
硬かった表情も豊かになり、なによりユーリはとても優しい性格をしていた。
間違えても怒鳴ったりしない、イライラしてても無視したりしない。メルが理解するまで、何度でもしっかり仕事を教えてくれた。メルが困っていたら優しく手を差し伸べてくれる。ユーリはそんな人だった。
仕事量も膨大だし、覚えることもたくさんあり、失敗することも少なくない。そんな日々が続き落ち込むメルをユーリは優しく励ました。そんなユーリの支えもあり、メルはなんとか仕事のコツがつかめるようになっていった。
すると、少し心に余裕ができたのか、メルはふとした瞬間に無意識にユーリの姿を目で追うようになっていた。
何を隠そう、魔法書類倉庫にはメルとユーリの2人きりなのだ。目で追うことができる人物はユーリ以外に誰もいない。
そんな状況で気が付いてしまった。いや、思い出してしまったのだ、ユーリがとても美しくカッコイイ青年だということを。
魔法書類倉庫は元々国が作った魔法歴史資料館だったらしく、内装が大変に美しい。メルはあちらこちらにある素晴らしく美しいステンドグラスがお気に入りだった。
ステンドグラスの光が部屋に綺麗に広がる。その光景にメルはしばし見とれることがある。
でも、気が付いてしまった。仕事中、真剣に書類と向き合うユーリの姿。その姿の方が何倍も美しく、見とれてしまうということに。
ユーリが大きなテーブルの上にある50個ほどある箱にどんどん書類を仕分けて入れていく。箱には魔法がかかっており、箱に入れると書類がすっと消えていく。この倉庫特製の書類箱は空間魔法がかかっていて、何万枚もの書類が一度に収納できる。仕分けているユーリがふとつぶやく。
「ここの書類は100年たっているが、比較的保存状態が綺麗なようだな。あまり修復しなくてすみそうだ」
「それはよかったです」
「そういえば魔法学園の200年物は凄かったな……。テストの書類だったか? じいさんに怒りの攻撃魔法を食らわせたいくらいだった」
「はは、確かに、今にも朽ちてしまいそうなのありましたね」
「触ったら呪われそうなのもあったな」
「あぁ、確かに。シミの形が意味深なのとかもありましたね」
「俺の寿命はあれのせいで確実に20年は縮んだぞ?」
「いやいや、ユーリさん長生きしてくださいよ」
「確かに、長生きしないとこの仕事終わらないな」
「いや、お年を召したら、仕事は後輩に引き継いで老後はゆっくりしましょう」
「それはそうだな。老後何しよう」
「老後より今ですよユーリさん」
「そうだな、仕事仕事」
そんなやりとりをしつつ、もくもくと仕事をこなしていく。
あっという間に日が暮れる時間になっていたが、お昼ご飯以外は軽い休憩もとらず作業が続いていた。
「キリが悪いな。メル、休憩にしよう。このまま続けてると明日になりそうだ。無理やりでも休憩しよう」
「はい、承知いたしました」
ユーリは持っていた書類を置くとやれやれと立ち上がり伸びをする。
不意に置き時計を見てびっくりする。
「あー、……メル」
「え? どうかしましたか」
様子がおかしいユーリの元へメルが近づくと、ユーリが思いっきり苦笑いした。
「なんというか、このまま作業続けなくても」
そう言って時計をメルに見せる。
「もう明日だった」
「あっ」
なんと時計はもう明日の時刻を指していた。
集中するがあまり、日付が変更される時間をとうに過ぎていたのだ。
「これはもう明日は休もう、働きすぎだ」
「そうですね……。なんというか明日というか今日ですが、働きすぎですね」
メルも思わず苦笑いする。
「じゃあ、部屋に戻ろう」
「そうしましょう。あ、これ戻してきますね」
メルは手に持ったままだった確認に使っていた本を本棚に戻しに行った。
「メル、それ結構上の方になかったか?」
ユーリが心配そうに声をかけるとメルが大丈夫ですと返事をする。
「私でもぎりぎりしまえる高さです」
メルは本棚に着くと、うんと背伸びして本を元あった場所へしまおうと試みる。だが、なかなかうまくいかない。おかしいな、さっきはとれたのに……。あれ? もしかして踏み台使ったんだっけ?
そんな事を考えながら頑張って背伸びしていると、戻したい棚に入っていた他の本がバランスを崩し落ちてきそうになる。
「きゃっ」
一瞬顔に当たる最悪の場面を想像しゾッとしたが、本は落ちてくる前にいつの間にかメルの後ろにいたユーリの手によって棚に戻された。
「大丈夫かメル?」
「へ、は、はい、も、申し訳ありません。あ、ありがとうございます。顔に当たってしまうかと思ってビックリしました。あ、いや、落としたら貴重な本がダメに」
「本はいいんだよ。メルが怪我する方が心配だろう」
よしよしこわかったな。
そう言ったユーリに後ろから抱きしめられ頭をなでなでされてしまった。
「え、あの」
「高いとこの本はなるべく俺が取るし、戻すから言って」
「は、はい」
これはどうしたものか。
メルは嬉しいようないたたまれないような気持ちのまましばらくユーリに抱きしめられていた。
☆
この仕事は住み込みである。
それを最初に聞いた時、メルは気が遠くなった。こんな素敵な人と一つ屋根の下で暮らすなんて、青天の霹靂だ。ただ最初こそ戸惑ったが、今では特に戸惑うこともなく、有意義に暮らしているとメルは思う。
ユーリとメルは魔法書類倉庫にある、住居スペースに向かった。この魔法書類倉庫、昔は魔法歴史資料館だったので、かつての住み込みの管理人が使っていた住居スペースがあるのだが、そこをユーリとメルは使っていた。
大きなリビングスペースや台所は共有だが、各自の個室にはそれぞれお風呂やトイレが付いているし、鍵をかければプライベートも守らる。
2人が住居スペースに戻ってくると、ユーリが台所に向かった。
「メル、この前いただいたワイン今から飲もうか」
「いいですね! 明日お休みにするなら気にせず飲めますし」
リンゴから貰ったワインはその日には飲めずにいた。
あの日は帰ったら荷物置き場に大量の書類が届いていたのだ。
今日来るとは聞いていないとユーリは文句を言っていたが、そのままにしておくこともできず泣く泣くキリがいいところまで仕事をすることになってしまったのだった。
この仕事は決まった休みがない。仕事の流れをみて2人で休日を決める、という感じだ。毎日仕事時間も異なる。遅くまでやる日もあれば、早めに終わらせる日もある。
自由度は高いが、真面目な2人はなんだかんだ仕事をしすぎる傾向にある。
「適当におつまみ作りますね」
「あ、俺も手伝う」
2人でおつまみを作り、ワインと共にリビングにあるテーブルに並べる。
「最後の休日はいつだったか」
「いつでしたかね」
そんなことを話しながら、2人はソファーに座った。
ユーリがワイングラスにワインを注ぎメルに手渡す。
「はい、お疲れ様メル」
「ありがとうございます、お疲れ様です」
ユーリは自分もグラスを持つと優しく笑い乾杯と言った。
メルも乾杯と言うと、2人のグラスが合わさった。そしてそれぞれワインを飲む。
「ん、美味しいな。辛口だ」
「本当ですね。スッキリしてますね。いい香り~」
思い思いの感想を言いながら、楽しくワインを飲む。
メルは普段ほとんどお酒は飲まないのだが、このワインは何だか今まで飲んだお酒の中で一番美味しい、そんな気がした。
しかし、メルは普段仕事のし過ぎで疲れている。おまけに久しぶりの休みということで気が緩んでいる。
そんな状況もあってか、普段よりお酒が回るのが早かったようで、2杯目を飲み終わった頃にはメルは世の中がふわふわ浮かんで見えていた。
「ユーリしゃん。おかわりくだしゃい」
おまけに呂律も回っていなかった。
「メル。大丈夫?」
「ん、大丈夫れす」
「うん。可愛いけど、もうやめておこうか。可愛いけど」
「うー。もうしゅこし」
「ダーメ」
そう言ってユーリがワイングラスをメルから取り上げる。
「あっ」
「あぶないからテーブルに置くよ」
自分のワイングラスがテーブルの奥の方へ置かれるのを見て、メルは唇をとがらせる。
「うー。じゃあ、それくだしゃい」
そう言って、ユーリのワイングラスを奪おうとする。
「ダーメ。これは俺の」
「えーー」
えー! えー! っと言って抗議するメルを見てユーリはくすりと笑った。
「本当に、メルは可愛いな。でも、これはあげない」
そう言ってユーリは自分のワイングラスの中身を飲み干した。
ユーリの綺麗な首元にある喉仏が上下に動くのをメルはぼんやり見つめていた。
「美味いね~」
ユーリはそう言って美しく笑う。
メルはなんだか悔しくなって、隣に座っているユーリに飛び掛かった。
「ずるいですー! よこせ~ですー!」
「あ、こら、危ないメル」
ユーリはグラスをテーブルにのせると飛び掛かってきたメルを受け止めた。
反動でソファーに倒れこむ2人。
「酔っ払いさん、落ち着いて」
「酔っぱらってないれしゅ」
「はは、面白い」
押し倒されているユーリは笑っているのに対して、押し倒している方のメルは唇を尖らせて納得していない顔である。
「ユーリしゃんは酔っ払いじゃないです?」
「ん? 俺は、お酒強いんだ。メルは弱いみたいだな」
可愛いなと言いながらユーリがメルの頭を優しく撫でる。
メルはなんだが気分が良くなって目を細める。
そんなメルを見て、ユーリはメルの髪を少し手に取りいじる。
「メルってお酒飲むと記憶ある方?」
「え、きおく?」
「そう、いっぱい飲むと忘れちゃうタイプ?」
「いっぱいのむと……」
メルはふわふわした頭でぼんやりと考えた。
「んと、確かいっぱいのむとわすれちゃうから、あまりのんじゃだめれすって言われたことあったかな」
「そうなんだ。じゃあ、今日の事は覚えてるかな?」
「んー、どうでしょう」
ふわふわしながらメルが答えると、目の前のユーリがニヤリと笑った。
「そうか、ならよかった」
するとメルの視界がぐるっと回った気がした。気が付くと、見下ろしていたはずのユーリに見下ろされていた。
「あれ、ユーリしゃん」
「なに?」
「ゆーりしゃんが上にいます」
「そうだねメル」
すると、どんどんユーリの顔がメルへ近づいてくる。
メルはビックリして目をつぶってしまった。
「ユーリしゃ……」
「メル、可愛いメル。好きだよ」
次の瞬間メルの唇に暖かい何かがふれた。
いったいなにが起きたんだろう。
そのまま、何度か唇に暖かい何かが触れたり離れたりを繰り返した。
どれくらいたっただろう。しばらくそれが続く中、メルは何だがじょじょに意識がほわほわ薄れていった。
「んっ」
「メル。俺はメルの事が好きだよ」
メルは俺の事好き?
そんな事を聞かれたような気がして、メルはふっと笑顔になった。
私も、ユーリさんが好き。
それは言葉になっていただろうか。
ただ意識が消える瞬間、よかったとユーリの声が聞こえた気がした。
☆
次の日、メルはとてもヒドイ二日酔いだった。
「メル大丈夫か? 水持ってきたけど、飲めそうか?」
メルは気が付くと自分のベッドに横になっていた。ユーリが運んでくれたのだろうと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
しかも、そんなメルにあきれるでもなくユーリはいろいろと面倒を見てくれている。ありがたいやら申し訳ないやらで、メルは穴があったら入りたい気分だった。
メルはユーリが手渡してくれたコップを受け取ると、水をゆっくり飲んだ。喉に通る水が冷たくて気持ちいい。少しだけ気分がスッキリしたような気がした。
「気持ち悪い?」
「大丈夫です。だいぶ良くなりました」
「そうか」
ユーリは飲み終わったコップを受け取ると、一度片付けに戻り、戻ってくると心配そうにメルを覗きこんだ。
「もし眠れそうなら寝た方がいいな」
「申し訳ありません。病気でもないのに、面倒をおかけして」
「いや、俺もたくさん飲ませ過ぎたかもしれないし」
「私、いっぱい飲んでました?」
「いや、たぶん2杯くらいしか飲んでない」
2杯か……、次からはワインは1杯ってことにしよう、とメルがつぶやくと、ユーリが小さく笑った。
「俺が一緒の時ならいくらでも飲めばいい」
「いやいや! ご迷惑をおかけしてしまうかもなので、それは!」
メルは昨日の記憶がなかった。ユーリに迷惑をかけてしまったのではないかと内心ヒヤヒヤしていた。
記憶を失う飲み方絶対ダメ! 次から気をつけなきゃ! と、メルは自分に活を入れた。
そんなメルの頭をユーリが優しく撫でた。
「いや、迷惑なんかじゃないよ、むしろ」
楽しかったしな。
素敵な笑顔でユーリにそんな風に言われてしまえば、メルはそれ以上なにも言えなくなってしまうのだった。
メルがユーリから記憶のない夜の話を聞くのはもう少しだけ先のお話。