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聖獣の国  作者: 回めぐる
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終幕 境界の王子は笑う

 あの子はもう聖獣じゃない、魔獣だと母は言った。そう言ってあの子を殺した。

 どうしてこんなことになってしまったのか、頭の中をぐるぐると回っていた。そして答えに辿り着いた。

 結局、人間は獣が嫌いなんだ。じゃあなぜ嫌い? それは人を襲うから。

 人を襲う獣がいなくなれば、みんなは獣を嫌いじゃなくなる。そうすれば、優しい世界が訪れる。僕とあの子がずっと一緒にいられる世界。


 だからそのために、悪い獣は全部僕が殺そう。


 ――その結論が間違っていることに、僕は長い間気が付けなかった。誰も間違っていると教えてくれなかったのだ。いや、誰も気が付いていなかったのかもしれない。

 獣にも、彼らなりの理由があってその行動を起こすのだ。それを僕ら人間の価値観で、良い悪いと決めて、悪い奴は撃ち殺そうだなんて、そんなのは間違いだった。


 でも自分で自分に掛けた呪いはそう簡単には解けなくて、やっとお前に会えて解けたんだよ、スヴァローネ。


 …………スヴァローネ?



 向こうで誰かが泣いている。そこは森の中。芽吹いたばかりの草の上に真っ赤な海を作って微動だにしないのは、白銀の狼の子。あの子はもう冷たくなって動かないけれど、声ははっきりと聞こえる。泣いている。そして恨んでいる。



 許さない

 ぜったいに、ゆるさない

 おれは一緒にいたかっただけなのに

 どうして邪魔をするの?

 どうして引き離すの?

 こんな世界だいきらいだ

 こんな国は滅んでしまえ

 復讐してやる


 こんな国、全部おれがぶっ潰してやる。王族なんか皆殺しだ。

 そうすれば、そうすればさ。そしたら、ずっと一緒にいられる優しい世界ができるでしょ?


 そうでしょ、アイ。




 ……そうだ、あの子はあの日まで、ずっと僕の傍にいてくれた。

 そうだね、僕もずっと一緒にいたかったよ。ねえ、



 ***


「スヴァル」


 口に出したその響きは、胸にすとんと収まった。大事なものが戻ってきて、胸の穴を埋めてくれたみたいだ。長い間忘れていたのが嘘みたいに、舌に馴染む。

 目を覚ますと見知らぬ天井。照明の細工や柱の模様を見るに、そこらの宿ではない。だが城にはこんな部屋はない。ここは何処だと考え始めたところで、意識を失う前までの展開を思い出した。

 恐らく僕は、彼に連れ去られた。ということはここは、我が国の領域外という可能性が高い。

 寝かせられていたベッドから起き上がると、慣れない痛みに思わず呻いた。痛みの根源を探る。備え付けられていた姿見で確認すると、見慣れない衣装に包まれた首筋にはくっきりと噛み跡が残っている。紫色に変色していてなかなかグロテスクだ。


「容赦なく噛んだな……」


 この前のやつがまだかわいく思える程だ。今度のこれは消えるまでどれくらいかかるだろうか。

 襟元を正しながら心中で文句をつけていたところで、背後の扉が開いた。鏡越しに目に飛び込んできたのは、


「…………うさぎ?」


 見間違いを疑って振り返ってみるが、やはりそこにいたのは、全長が僕の腰くらいまである巨大なうさぎだった。灰色の体毛にこの大きさは、鉄兎という種族だ。地中に潜って生活し、鉱物を主食としている。

 鉄兎は近づいてきながら口元を動かし、きゅうきゅうと鳴き声を上げている。どうして獣が建物の中に? 僕の困惑を感じ取ったのだろうか。鉄兎はぴたりと静止して、つぶらな両目を瞬きさせた。

 そこで、異変は起きた。灰色の体毛が突如として消え始めたのだ。まるで波が引くようにすっと柔らかそうな体毛が消え去り、後に現れたのは肌色の皮膚。長い耳が縮み、身長は急速に高くなって手足が長くなっていく。うさぎが消えた後に残ったのは、人間の少年だった。


「ごめんなさい、すっかり失念していました。アイデルト様は獣語を解さないのでしたね」


 変声期前の中世的な声。紛れもなく人間の言葉だった。


「これはどういう状況だ……」


 夢でも見ているのか、頭がやられてしまったのか。自分を疑い始める僕を意にも介さず、少年は話を進めた。


「申し遅れました。というかさっき名乗ったんですけど、人間の言語体系でもう一度名乗りますね。僕はこの城で働く鉄兎です。ウサギ族は城に僕だけなので、ロップとでも呼んでください。みんなそう呼ぶので」


 言いたいことだけ言い終えると、少年は僕を扉の外へ誘った。


「さあ、行きましょう。スヴァローネ様がお待ちです」


 僕とて色々と口を挟みたいことはあったのだが、その名前を聞いた途端、余計な言葉は霧散してしまった。今は一刻でも早く彼に会いたい。

 素直に少年に着いて部屋を出る。彼が先程言ったように、ここは何処かの城内らしかった。長い通路を歩く途中で何度か、ここで働く者たちとすれ違った。ただし、それらの人々は獣であったり、人の形であったり、獣と人の間のような不思議な形であったりした。もはやここが、僕の生きる世界とは別の領域であるのは明白であった。


「ここは何処なんだ。……ロップ」


 前を歩く少年を名前で呼ぶと、耳がぴくりと跳ねて嬉しそうに振り返った。


「はい、ここは獣の領域です。人間が暮らす世界とは別の、聖獣が治める、聖獣の国です」


 聖獣の国。僕が生まれた国もそう呼ばれていた。聖獣を使役するから、聖獣の国。


「他国から人間の国、と呼ばれることもあります。国王は代々、人間を使役するというしきたりがあるので」


 ――まるで鏡写しの世界に迷い込んだ気分だ。


「現国王様は、今までどんな人間も寄せ付けなかったのですが、この度あなたを迎え入れることに決めたようですよ、アイデルト様」


 さあ、ここが王の間です。

 辿り着いた観音開きの大きな扉を、少年が開け放った。

 広がったのは既視感のあるフロア。広く豪奢な室内の最奥には、王に許された玉座がある。何処の世界でも王の間の風景はさして変わらない。

 そしてそこには、銀の髪の美しい男が佇んでいた。髪だけではなく肌まで白い。寒い夜の白銀の月のよう。彼の青い双眸が、僕を映した。


「お連れしました、スヴァローネ様」


 少年はそれだけ告げて、一礼して去って行った。広い部屋で二人だけ残される。

 王者の装いの彼を初めて見たが、さして驚かなかった。むしろ相応しい姿だとさえ思う。


「もっと近くに、アイ」


 言われるがままに距離を詰める。玉座が置かれた段差の下から、彼の顔を見上げる形になった。

 彼は頬杖をついたまま、僕を値踏みしているようだった。


「何か言いたいことはあるかな」


 表情を変えないまま、淡々と尋ねる。僕は眉を顰めた。


「それは、どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。状況説明とか要求とかね。説明すると、ここは俺が治める国。だから君が求めるものはなんでも用意できるよ。でも帰るのだけは絶対にだめ。アイは一生ここにいないと、許さないから」


 それは本心からの言葉なのかもしれないが、同時に僕を脅すか、或いは試しているかのように聞こえた。

 だから、それらの並べ立てられた言葉を全て無視した。


「スヴァル」


 ただ一言、名前を呼んだ。

 それだけなのにスヴァルは言葉を失って、それからくしゃりと顔を歪めた。


「……その名前で呼んでもらえる日がまた来るとは、思ってなかったよ」


 潤んだ目は水面のように揺らめく。綺麗だった。

 勿論、言いたいことは山ほどあって、口を切ったら溢れ出してきた。


「すまなかった。僕は現実から逃げるために、お前とのことを全て無かったこととして、身勝手に忘れていたらしい。……でもどうして、わざわざこんな面倒な真似をしたんだ。すぐに出てきてくれれば、僕だって思い出しただろうに」

「出来るわけないよ、俺は亡霊みたいなものなんだから。……ねえ、もう一度呼んで」

「スヴァル」

「もう一回」

「スヴァル。……また会えるなんて夢みたいだ。会いたかった」


 俺もだよ、とスヴァルは微笑んだ。


 ――スヴァルは撃ち殺されて森に捨てられた。

 だが、スヴァルの怨念とも呼ぶべき強い意志は、自らの亡骸に呪いをかけたのだという。

 息を吹き返したスヴァルは歩き続けて、この国に行き着いた。とうとう王座まで上り詰め、力を手に入れたスヴァル。そこで逆襲が始まった。

 過去に囚われてスヴァルが強く人間を憎む度に、服従する獣たちは熱り立つ。本能の部分で強く繋がる獣たちは、スヴァルの憎しみを代弁して人間に牙を剥いたのだ。それが、最近になって獣たちが血気だって街を襲っていたことの原因であるらしい。


「それ、結局はお前が悪いんじゃないか」

「いやぁ、まあ悪いことしちゃったとは思ってるよ。でもこればっかりはしょうがない。隠そうとしてもばれちゃうんだよ、本能で」


 でも俺の復讐はもうおしまい。全部気が済んだよ。あとは平和に暮らすだけ。

 スヴァルが戴冠式で仕出かしたことは、許されることではない。僕は肉親を嬲り殺された。だというのに、楽しそうに笑うスヴァルを見ていると、どうしても責めることはできなかった。

 形は違えど、こんな展開を何処かで望んでいたからかもしれない。邪魔されない世界でスヴァルと楽しく暮らすという夢。

 だが、それを無邪気に追い求め続けるには、僕はもう歳をとりすぎた。


「スヴァル。……でも僕は、やっぱり帰らなければいけない」

「だめ」


 即答だった。ほとんど被せるようにして、僕の言葉を否定した。

 スヴァルは笑っていたが、少し余裕がなさげのようだった。


「なんでそんなこと言うの? ロップに何か言われた? 俺はアイを使役するつもりなんてないよ。だってアイはどうしたって俺のご主人様だしね。それよりも俺は、アイを伴侶に迎えたい。ずっと大事にするよ。ねえ、いい話じゃない?」

「それは、出来ない。僕は王族だ、祖国を守る義務がある」


 この答えは、スヴァルの機嫌を著しく損ねたらしい。地の底の響きのように低く唸る。それはまさに、獣の怒りだった。


「あのねぇ……アイに拒否権はないんだよ? 帰すわけないじゃん。あの国は金色の小鳥ちゃんに守られてる腰抜けオニーサマにでも任せとけばいいでしょ」

「リリアンネを小鳥扱いか」


 思わず噴き出す。スヴァル程の格になるとあの大きな神鳥すら小鳥。ならば人間はどれほど矮小に見えているのだろう。


「……真面目な話してるんだよ?」


 肩透かしを食らったとばかりにむっとするスヴァル。

 そんなことはわかっている。理解が及んでいないのは、むしろスヴァルの方だ。

 段差の上の高いところから、僕を見下ろして偉そうな王様。物申してやらねば気が済まないので、遠慮なく王の領域に踏み込んで、彼の膝に乗り上げた。胸ぐらを掴んでぐっと引き寄せる。鼻先がぶつかるほど、端正な顔が間近に迫った。


「え、あ、アイちゃん……?」

「お前は何もわかっていないな、スヴァル」


 にやりと口から笑みが零れた。 驚いた顔が愉快で堪らない。ここまで追い詰められたスヴァルはなかなかレアだ。いつもこいつは、ヘラヘラと笑っている。


「僕が後宮なぞに押し込まれることを甘んじて受け入れると思ったか? 笑わせるな」


 舐められては困る。たかが王になったくらいで、僕を伴侶にできると思ったら大間違いだ。


「どうしても僕を帰すつもりがないと言うなら仕方がない。僕は捕虜の立場を受け入れよう。だが僕は大人しくない、逃げるし歯向かうぞ。せいぜい上手く捕まえておくんだな」


 僕の意図が伝わったらしい、スヴァルも笑った。悪戯を思いついたような無邪気な笑顔だ。青い目は好奇心に爛々と輝いた。


「あは、何それ。鬼ごっこってこと? いいね、中庭での遊びの続きみたい」


 そう思ったのも束の間、妖しく口の端を吊り上げる。身の危険を感じて膝の上から退こうと思ったのだが、すぐに抱きかかえられた。


「じゃあ俺も全力で捕まえるから、覚悟してよね」

「ひっ……か、むな……!」


 服を乱され、痕の残った首を甘噛みされる。少しぴりぴりするくらいで痛くはないのだが、妙な感覚に襲われる。


「でも獣の国で暮すんならマーキングが必要だよ? じゃないとこんなに美味しそうなんだから、すぐに食べられちゃう……」

「お前が今、既にっ、食ってるだろ……!」

「え、食べていいの? じゃあ食べちゃおうかなぁ」


 ざらついた舌でべろりと舐めあげられ、股の間に足を押し付けられる。頭がいっぱいになって、何も考えられない。

 もう、限界だ。



「調子に乗るなよばかスヴァル!!」



 響く鈍い音。スヴァルの悲鳴。慌てて中に入ってくるロップと、それに続く衛兵たち。

 彼らが見たのは額を抑える国王と、それを見下ろして仁王立ちする僕の姿。


「いったいなもう! 前も思ったけど、アイちゃんてば石頭すぎぃ!」

「いきなり発情するのが悪いんだろう。お前のスイッチは理解に苦しむ」

「アイちゃんが煽るのが悪いんじゃん!」

「あっ……煽るだとっ!? 人聞きが悪いことを言うな!」

「本当のことだし! それに俺は聖獣とか魔獣だとかそういうの以前の問題で、野獣だもん。男はみんなケダモノなんだよ!」

「僕も男だということを忘れるな!」


 僕もスヴァルも、もはや民の上に立つ者の威厳はまるでなかった。だけどこのじゃれ合いが、無性に楽しい。城の者たちが唖然としているが、スヴァルも気にも止めていなかった。




 こうして僕とスヴァルの奇妙な生活が幕を開けたわけではあるが。


 確かにここはかつて夢見た理想郷かもしれない。剣や牙を以って払いのけなくても、ずっと一緒にいることを邪魔するものは何もない。


 ――それでもな、スヴァル。僕は戻らなければならない。国を捨てて思うがままに生きることはできないんだ。

 ――だからお前はせいぜい、僕を捕らえて離さないでいて見せろ。





 二つの聖獣の国の狭間に、僕は立っている。





これにて完結になります。


二人はこの後イチャついたりマジ喧嘩したりを繰り返しながらくっつき離れを繰り返します。お兄様も乱入します。


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